寂然法門百首 70

2022.8.7

 



 

心懐恋慕渇仰於仏

わかれにしその俤(おもかげ)の恋しきに夢にも見えよ山の端の月

半紙

【題出典】『法華経』64番歌題に同じ。

【題意】 心懐恋慕渇仰於仏

心に恋慕を懐き、仏を渇仰して

【歌の通釈】
別れてしまったあなたの(仏の)その面影が恋しくて、夢にだけでも現れてくれ、恋人よ山の端の月が昇るように(仏よ霊鷲山に)

【考】
恋人との死別。残された者は、せめて夢の中だけでもその姿に会いたいと願う。釈迦に先立たれた我々も同様の心になるではないか、と言った。『法華経』のこの場面を恋の情趣豊かに詠んだものとして、「思ひねの夢にもなどか見えざらんあかで入りにし山の端の月」(月詣集・釈教・心懐恋慕の心をよめる・一〇六三・殷富門院大輔)は影響歌。また、『発心集』第五・四「亡妻現身帰来夫家事」は、澄憲の語ったという、夫の強い心ゆえに亡妻が姿をあらわしたという話しを引き、「凡夫の愚かななるだにしかり。況や仏菩薩の類は、心をいたして見んと願はば、其の人の前にあらはれんと誓ひ給へり」と評する。これは、この左注の説き方と極めて類似している。長明や安居院の説法に、この『法門百首』が影響を与えている一端を窺うことができる。

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

 


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