「…貴女の涙を拭うことを、許可していただけますか?」 愛しい茨姫。そう言われた。甘い囁き。 「…許す。」 そう、囁くように呟いて。 頬に触れる、手。 近い距離。近づいてくる顔に、自然と目を閉じるのは、キスを待ち望むから、ではなくて。 視界に映るのが、黄金色の髪と、蒼い瞳なのが、どうしても気に入らない、から。 ぱん。 「はいカットー!」 声に、顔の前に手を置いて、ぐい、と押してやる。 「終わりだ、は、な、れ、ろ!」 「え〜…せっかくなんだからお兄さんとキスしようよロマーノー」 「ふざけんな!」 近づいてくるフランスに蹴りを入れると、ふざけるのもいい加減にしてこっちに来なさい、とオーストリアのため息が聞こえた。 怒らせるとめんどうくさいのでその前にさっさとペンと台本持って歩いていく。 ちら、と視線を向けると、オーストリアの隣で、へらへら笑ってるスペインの、姿。 なあ、なんでおまえ、そんな笑ってられるんだよ? 最初に、キャストの発表があったとき、自分に茨姫が回ってきたのは、まあ当たり前、というかだろうな、と思った。 俺が希望したのもあるし、今回の参加メンバーで茨姫みたいな性格一番得意なの、俺だろうし。 高飛車でわがままばっかり言ってて、みんなに好かれるひまわり姫が嫌いな、茨姫。 …適任、だろう。俺が。 ちょっと嫌だったのは、キスシーンがある、こと。 そういう恋愛っぽいシーン、苦手だから。もうひとつの理由は、相手が恋人であるスペインじゃないから。 よりによってフランス。いいねえとによによする馬鹿に心底嫌な顔を作ってやったら、オーストリアが本番だけでいいですよ、と言ったのだ。 「練習では、キスするふり、で構いません。…ですが本番はそれではすみませんから。」 それで、キスは本番一回だけにしてもらった。 逆に言えば、一回は必ずフランスとキス、しないといけないってこと。 そう考えただけで、ずしり、と胸が悩みで押しつぶされそうだった。 いやじゃないのか。俺とフランスがキスするの。 そう、はっきり聞いてみた。おまえ俺の、恋人、だろう。と。 「え?…うーん…そりゃ嫌やけど。」 しゃーないやんか。今更決まったキャストにぐだぐだ言うても。…オーストリアはそんな理由で妥協なんかしてくれへんし。 そう、隣を歩くスペインの言葉は、この上なく正論だ。 「そりゃあ…そうだけど…」 「ロマーノやって、妥協するつもりはないんやろ?」 こくり、うなずく。お客さんに見せるのだから、変な理由で妥協しては失礼だ。 できる限り最高のものを見せたい。 「やったら、言っても無駄やん。」 変なこと聞くなあ。そう笑うスペインに、けど、嫌って言ってくれないと、俺のことなんてどうでもよくなったのか、と、不安になるだろ。…なんて言えたら苦労しないんだけど… ため息をついたら、それに、と顔をのぞき込まれた。 「…?」 「『茨姫』は『黒騎士』のものかもしれへんけど、ロマーノは俺のやろ?」 腰を抱き寄せて、ちゅ、と額に口づけられて真っ赤になった。 「ロマーノトマトみたい」 「ばっ…!馬鹿!」 かあ、と頬を紅く染めて怒鳴った。 …でも、安心したのも事実だ。こいつは、いつもこんなんだ。 「ロマーノ、大好きやで。かわええ。」 そう言ってにこにこ笑う。…そうだ。初めてあったときからずっと。 高校で幽霊部員になるつもりだった演劇部。そこの先輩がこいつだった。 「…美人やなぁ。」 馬鹿みたいににこにこ笑って、スペインはそう言った。それから、こっちは行く気もないのに、来いや〜と教室にまで誘いにきて。 すぐ嫌になって止めると思ってた。自分の扱いづらい性格は誰より一番わかっているから。…だから、友達少ないんだってことも。みんな逃げていってしまうことも。 それなのに、スペインだけは違った。毎日欠かさずやってきて、何度も。部活しようと誘いにきて。 それでも、面倒くさい人物にしか思っていなかった。 変わったのは、学園祭で演劇部の劇を見に行ったとき。 素直に、すごいと思った。まるで別人だった。演じているスペインは。いつもみたいにへらへらしてなくて。…かっこ、よくて。 それからだ。ちゃんと部活に行くようになったのは。 行くと、スペインは楽しそうに笑って。 「なーなーロマーノ聞いてー」 のんびりとした声を聞くのが、好きで。 恋い焦がれだしたのは、いつごろからだったのか。もう覚えてない。 けど、好きで。その笑顔が、耳に心地よい声が、大きな手が。 好きやねんけど。そんな風にスペインが言ってくれたのは、夏休みの部活帰り。 「一目惚れ、で。もうずっと、好きで好きで仕方ないんや。…俺と、付き合って?」 そう顔を真っ赤にしたスペインに言われて、おごらせたアイスを取り落とした。あれはもったいなかったな、うん。 けど、その代わりに手に入れたものは、結構大きくて。 こうやって、あれからいち、に…五年弱、も付き合ってるなんて、人付き合いの苦手な俺にはありえないことで。 今の部活に入ったのもこいつがいたからで、結構気に入ってるし。いいやつらばっかだし。 そう考えると、今の生活とか、こいつのおかげであるのかな、とか。思わなくもない、んだけど… 「ロマーノ、」 ちゅーしてええ?なんて気づいたら道の真ん中で腰を抱いてるから、馬鹿!と頭を鞄ではたいてやった。 「痛い…」 「外で変なことすんなこのやろー」 むすっとして言って、頭を押さえたままのスペインは放って、ずかずかと歩き出した。 次へ メニューへ |