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私の家から彼の家に訪れるのには少し、時間がかかってしまうから、そんなまとまった時間がある機会はなかなかない。
特に、…独立、したばかりの私の家には、山のように仕事があって。そんな暇なんかありゃしない。
だから、わざわざ自ら行かなくても、という声を聞き流して、このチャンスしかないとやってきたロンドンは、雨が降っていた。


「わざわざ日本が来なくてもよかったんじゃないか?」
…イギリスさんにまで言われてしまった。苦笑した彼に、まあ入れよ、お茶入れてやるから、と招かれ、中に入る。
…私がいた頃と変わらない、匂い、眺め。
まあ、私が出て行ったのはたったの一週間前なんだし、そりゃそうか。
この一週間、とても長かった、気がする。
一日がなかなか終わらなかったのもある。仕事のせいで。
…それ以上に、精神的なものの方が大きかったのかもしれないけれど。
「どうだ?調子は。」
「平気ですよ。…ちょっと仕事は多いですけど。」
「だろうな。目の下に隈ができてる。」
!…隠そうとしたってお見通し、か。この人の前で隠し事は難しいなあと苦笑。
「けれど、忙しいのはいいことです。」
「そうかあ?」
変わってるな、日本。おかしそうな声に、そうでもないですよ、と心の中だけで返事をする。
…忙しくなかったら、することがなかったら、寂しくて、変になってしましそうなだけだ。
ただただ、寂しくて、あなたが隣にいないのが虚しくて。…ただただ、恋に焦がれているだけ。あなたに焦がれているだけ。
三文小説にもならない、よくありすぎる話、だ。

座っててくれ。言われて、はい、と答える。
何もしないで待っている、のは苦手なのだけれど、仕方ない。お茶を入れているときだけは、お手伝い、と行ってしまうと、俺がやるから、と止められてしまうのを知っているから。
キッチンを見れば、彼が動いているのが見える。機嫌がいい。鼻歌が聞こえてきて、小さく微笑む。

ふ、と一息。彼がいる、というだけで何故こんなに安心できるんだろう、か。
…好きだなあ。やっぱり。イギリスさんが好き。こんな暖かい気持ちを、彼に出会うまで知らなかった。
伝えなくてもいい。伝わらなくてもいいと思っていた。ずっと。私のただの恋慕だから。彼が知っても、迷惑、だろうし。
でも少しだけ、伝えてもいいかなと思うようになった。彼と離れてから。…一人になってからだ。
寂しかったから、もあるけれど、彼との距離を思い知ったから。
このままずっと、伝えられなかったら、私はものすごく惜しいことをしたんじゃないかと、思った。だから。
懐に手を入れ、紙の所在を確認する。届けにきた書類ではなくて、一通の手紙。
…わたせ、る?…直接は難しいかもしれない。
そのときは、ポストに投函したら彼に届くように、ばっちりしてある。…逃げ道を用意しておくのは得意だ。
でも。やっぱり直接、渡したいな。そう思いながら。

そういえば。気づいてあたりを見回す。前より少し、部屋が散らかっている、ような気がする。
いや、綺麗なんだけれど、なんというか、来客があるから慌てて片付けた感満載というか。なんというか。まあ彼も忙しい人だから、片付ける余裕がなかったのだろう。
見回していると、棚の上に積まれた書類が落ちそうなのに気づいた。
触るとまずそうだが、ばらまかれるのは時間の問題っぽいので、彼が紅茶と真剣に向き合っているのを確認して、こっそりと立ち上がり、落ちそうな一番上の一束を取り、綺麗に積み直す。

「…おや?」
その中からはら、と一枚落ちたのは、他の書類とはサイズの違う、縦長の紙一枚。
まるでうちの便箋のよう、と思いながら、そっと拾い上げる。
見えてしまったそれは、英語ではなくて。
五、七、五に分けて書かれた、あまり上手とは言えないそれを、思わず読んでしまう。

「…っ!」
内容は百人一首、だ。正月にするために、私の家の子供たちもよく覚えている、今でもそんなに珍しくはない、それ。
問題は、それが、この歌だということで。


かくとだに えやはいぶきの さしも草
 さしも知らじな 燃ゆる思ひを


彼は、この意味を、知っていて書いたんだろうか。そもそも、彼が書いた、というのは本当?…いやでも、この字は見たことがある。彼に日本語を教えたのは私なのだから。
でも、なら、これは。
彼が本当に意味を知った上で書いたの、なら。

これは恋の歌、だ。あなたは知りもしないでしょうが、私はあなたのことをこんなにも好きなんです。そんな、意味の。
でも、まさか、そんな。

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