与鹿はどこへ
 麒麟台の彫り物で金十両をてにしたと言われる与鹿だが、そのあと高山からいなく

なった。

 そのことを山本茂実さんの本は記されている。

 ちょうど宮峠(現在の宮トンネル付近)を超える時に知人に会ったが、夏なの

に冬の着物を着て歩いていたとのこと。

 益田街道(現在の国道41号線)を南に向かって降りていったという。

 谷口与鹿はその後どこへいったのだろう。そのことは30年間、私の心におりの様

に淀んでいた。