剣山紀行
 祖谷地方や剣山はいまだに平家の面影を引きずっています。 

 

 壇ノ浦の合戦で入水したと伝えられる安徳天皇は、実は生きていて平国盛に

伴われてこの地までのがれてきた。やがて崩御された時に、「我が剣を清浄の

高山に埋めよ」と言われ、その剣が山頂付近に埋められたという。

 それ以後「太郎笈(たろうぎゅう)」と呼ばれていた山名が剣山と呼ばれるように

なったという。笈とは山伏が背負っている荷物を入れる箱のことである。

 左は真言宗古義派の大剣神社の社殿の後ろにそびえるお塔石と呼ばれる

御神体。

 日本百名水に数えられている御神水。お塔石の下から湧き出ている。
 次郎笈の山並み
 1955mの頂上にある一等三角点。

 流土による崩壊をさけるため近寄れない様にしてある。 

 山頂付近は平坦で「平家の馬場」とよばれている。

 再帰のきたる日のために平家の武者が修練をした

という。

 真言宗大覚寺派の剣山本宮。後ろが宝蔵石。
 平家の財宝を埋めた上に置かれていると

いう宝蔵石。

 修練の武将を鼓舞するために、安徳帝の刀を

置いたという刀掛けの松の跡。