詩集「少年の森」全編
澄んだ空の瞳が
下草のみどりに沈む巻貝たちを
覗きこむ 秋
樹液に濡れた
少年の首筋を
はげしく鞭打つ
白い思想
風は豹のように木の間を走り
少年の透きとおる体を
青銅の扉に
導く
球体の鏡にうつる
部屋の隅々に
くまなくとどけられる
光の粒子
白い指につつまれた林檎は
遠近法の空気の中で
浅黄色の酸素を呼吸している
―――透明な犬も走り
少女はすべすべする
手の甲に
冷たい森の風を
かんじる
影より生まれ
光の中へ逝く
一つの想い
鬼灯のなかにともる愛
瞳の奥に
森は静かに
揺れている
澄んだ光に満たされた午后
椅子は もう
訪れるものの何であるかを
問うこともない
緑の窓辺から
アンリ・ルソーの雲が見える午前
少年は
素足に草の愁いをかんじ
卵形の少女の視界を
一目散にかけぬける
空気は
秋のプールのように息をひそめ
ポプラは
遠く
光っている
藍の水に沈む鮎
水晶の川床に
天の淵の沈黙を湛え
鮎の影はおちつづける
氷の雫のように
鮎がわずかに動くとき
水の藍をわけて
虹色の縞が顕れる
はるかかなたから
静かに投網のように訪れる
銀の夕暮れ
森の瞳
のような巻貝たちの吐息は
深い藍の水に
幾重もの波紋をつくる
少年はいつもその
虹色の波紋の中心に
まだ見ぬ夢の蘇生を
ねがっているが……
銀の樹液はしずかに
少年の白い脛を伝い
やがて
うすあおい西洋紙
のような巻貝たちを
足裏にやわらかくかんじながら
森の瞳の奥に
ひっそりと閉ざされてゆく
少年の白い脛を
すずしく打つ
秋の水
閉じられたうすいまぶたに
木洩日は
鳩の形をした影をおとす
少年の心は
水に流れる
魚の夢をたどりつつ
1996.10.20刊行