寂然法門百首 36

2021.1.11

 


 


 

鮮白逾珂雪


西を思ふ窓にさすなる光にはあつむる雪の色も消ゆらん

半紙

【題出典】『往生要集』大文四

【題意】  鮮白なること珂雪(かせつ)に逾(こ)えたり

     (世尊の眉間の白毫相が)鮮白であること、白雪に優っている。

【歌の通釈】

  極楽往生を願う窓にさすという光には、文を読むために集めた雪の色も消えるだろう。

【考】
  
孫康は、雪を集めその光で書を読んだ。しかし、阿弥陀を念じる窓には、その雪に勝る光が差し込む。九流の典籍を博覧するよりも、阿弥陀を念ずることが勝るといったもの。

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

いわゆる「蛍の光、窓の雪」の話で、その雪の明るさよりも、仏の「白毫」(眉間にある白い旋毛)から放たれる光の方が明るいということ。今風に言えば、懸命に仏の教えを学ぼうとすれば、そこに仏からの明るい光が差し込むだろう、ということ。

「蛍雪」の話は、本を読むために貧しい者が、一生懸命に蛍や雪を集めてきて、その光で読んだということですが、仏の教えを学ぼうとする者には、仏のほうから明るい光を発してくれるのだというわけです。美しいたとえです。


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