29 中毒的 

2013.6.1


 飽きっぽいので何をやっても続いたためしがないというのが、以前のぼくだった。それが一種のトレードマークのようだったし、アイデンティティのようでもあったし、自分で自分を語るときの枕詞のようだった。だから、というのも変だが、てっきり自分はそういう人間なのだと思っていた。

 けれども、昨今の自分をつらつら省みると、どうも様子が違う。何をやっても終わらない。いやそれどころか、何かを始めるとやめられない、といった方がいいような行動形態である。まるで中毒患者のようだ。いや、まるで、という言葉はいらないのかもしれない。

 はやい話が、「100のエッセイ」である。第1期と称して、どうせ途中で放棄することになるに決まってると高をくくって始めたのが、今から15年前。それ以来、毎週1回のペースは後半になって増えこそすれ、一度たりとも欠かしたことがない。最初の100を書き終わったときには、自分にこんなことができるなんてと感激したものだが、今では、まだやってると呆れている。

 他人が、いつまでも同じ服を着ていたり、いつもまでも同じ楽器を練習していたりすると、いい加減に変えたらどうなんだとイライラするくせに、自分こそエンエンとやり続けている。

 エッセイを毎週書くといっても、文章なだけに、これが結構大変な話で、とにかくネタがそうそうは続かない。続かないけれど、無理矢理書く。震災以来、1000字の枠は外し、土曜日に書くという「きまり」も外したことで、一時週に2回も書いたことがあったけれど、最近ではまた土曜日更新が普通となった。そうなると、土曜日は、まずこのエッセイを書かないことには何も始まらないということになり、こうやって今日も朝早くからパソコンに向かっているのだ。今日などは、「作文を書け」といわれて、書くことがないから、「書くことがないということ」を書く生徒みたいなものだ。

 エッセイは、それでも一応週1のペースだからいいのだが、つい3ヶ月ほど前から始めたブログの「一日一書」ときたら、別に毎日「一書」載せるわけではありません、なんてわざわざ断ったのに、1日も欠かさず更新しているうちに、あっという間に100を超えてしまった。こっちは、文章はそれほど書かなくてもいいだけ楽といえばいえるし、数回分を書いておいて「投稿予約」ということができるから、毎日毎日更新作業をやっているわけではないが、それにしても、1日も欠かさないなんて、やっぱり中毒的だ。

 どこかでこの「負の(?)連鎖」を断ち切らなければならないと思うのだが、せっかく続いているものを、中途半端に途切れさせるというのも、何か気持ちが悪い。この「気持ち悪い」というのが問題だ。

 そういえば、最近見ているドラマに、こうした潔癖症というか強迫神経症とかいうか、そんな登場人物が妙に多い。例えば「潜入探偵トカゲ」の松田翔太演じる「トカゲ」は、部屋がゴチャゴチャしてるのが大嫌い。「TAKE FIVE」の稲垣吾郎演じる岩月櫂は、「きちんとするのが好きですから」みたいなセリフで毎回決めている。二人とも実にかっこいい。

 とすると、昨今は、こうした潔癖症的、強迫神経症的人間が、かっこよく見えるということなのだろうか。それなら、別に、ブログ更新を途切れさせたくないぼくなんかも、かっこいいのだろうか。なんて思うけれど、やはり一種の中毒には違いない。

 そういうわけで、「一日一書」の「連続更新記録」はひとまず中断。せいぜい週に2〜3度というペースにしたい。


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