やさしさがすべて

ギルバートグレイプ


 一本の道がある。大きな木の下で、兄弟が待っている。一本の道のはるか彼方から、一団の銀色のキャンピングカーがやってくる。眩しいばかりに輝いて……。

 むかし『スケアクロウ』という映画があり、ここでも、一本の道で二人の男が車を待っていた。 アメリカという所は、一本の道があって、そこを通じて世界と繋がっているようにできているのだろうか。あんなに広大な土地の面があるのに、どうして、一本の道なのか。そういえば、スピルバーグの『激突』もまさに一本の道だった。あんな広い世界で、どうしてあんなに行き詰まってしまうのか、考えると不思議である。

 『ギルバート・グレイプ』も、一本の道で始まり、道で終わる映画だ。

 その道の彼方からやってきた不思議な少女ベッキーとたったふたりで夕焼けを見ている最中に、ギルバートは突然「家に帰らなきゃ」という。「すぐに戻るから」と言い残し、家に帰ったギルバートは脳に障害のある弟アーニーを風呂に入れるのだ。後は自分でできるねと言って、ギルバートはベッキーの所に戻る。こんなデートのシーンは見たことがない。率直に胸を打たれる。

 美しい夕焼けを見たあとで、ベッキーがギルバートに「あなたの家を見せて」という。「やめとけ」というギルバートだが、結局見せに行く。「あれだよ」と示すと、真っ赤な夕映えの中に、シルエットになってギルバートの家が見える。「おどろいたな。遠くで見るとあんなに小さい。中のものは大きいのに……」とギルバートが呟く。いいシーンだ。涙が出た。「中のものは大きい」というギルバートの言葉は、もちろん、彼の母親の巨大さを言うものではあろうけれど、そして、それは一種のジョークであろうけれど、彼の背負う人生そのものの大きさをも感じさせて、哀切きわまりない。家にギルバートが帰ってみると、アーニーが風呂桶につかったまま震えている。やはり、自分ではできなかったのだ。ギルバートはアーニーを風呂から出し、タオルで拭いてやりながらひたすら謝るのだ。そういうギルバートを母は叱る。姉も妹も、兄を非難する。何で、おまえたちが代わってやってくれなかったんだと、ギルバートは一言も言わないのだ。ただ謝る。自分がアーニーを守るんだ。アーニーを放っておいてデートをしてたのが悪かったとしかギルバートは思わない。なんという優しさなのだろう。

 こんな、心に染みるシーンで映画『ギルバート・グレイプ』は埋め尽くされている。しかも、それが少しも押しつけがましくない。優しさのきれいごとで終わらない。ギルバートのような人間を描いたら、どうしたって、その優しさが鼻につきそうなものだ。それなのに、それがない。これはすごいことだ。

 ベッキーが聞く。「あなたの望みを考えずに言って」ギルバートは、家族についての望みばかりいう。ベッキーが「自分の望みは?」と聞くと、ギルバートは「いい人間になりたい」ポツリと言う。こんなせりふ、普通だったらとてもまともに聞いちゃいられない。それなのに、ギルバートの口から出ると、素直に頷ける。ああ、人生というのはそれでいいんだなと、納得させられてしまう。それは、ジョニー・デップ演ずるギルバートという人間の造型があまりにも見事だからだろう。生半可な描きかたでは、とてもこんな純粋な心は描けない。そして生半可な役者では。

 そのギルバートという人間の見事な造型があったからこそ、知恵遅れの弟アニー役のレオナルド・デカプリオの名演技も生きた。妹エレンの、意地の悪さも浄化された。そして何よりも母親の悲しみも。ギルバートがいいかげんな優しさしか持ち合わせていなければ、この物語は醜く分解してしまっただろう。弟を初めて殴ってしまったギルバートが、家を飛びだしてしまい、その夜帰らず、翌日弟の誕生日のパーティーに戻ってくる。姉はギルバートを睨みつける。「アーニは大丈夫か。」と聞く。「さあ、それは本人に聞いてみたら。」とまだ姉は冷たい。いちはやくギルバートを見つけていたアーニーは、さっそく木の上に登って「アーニーはどこだ?」と言ってもらうのを待っている。その瞬間を待ちきれずに木の上でアーニーが笑う声を聞いて、ギルバートは姉に言う「エイミー、アーニーはどこだ?」ギルバートとエイミーの目と目が微かにほほえむ。家族の絆をさりげなく表現する素晴らしい場面だ。そしてギルバートとアーニーの、本当に自然な和解。心が洗われるというのはこういうときに使う言葉だったのだ。

 ラストシーンは、ちょっと出来すぎで、ほんとはもっと切なく終わるのが、スジというものだろうが、こんなにハッピーなエンディングは、ちょっと贅沢なプレゼントをもらった気分。ほんとは欲しくてたまらないのだけれど、ほんとにやると言われて、え、いいのかな、というような戸惑いを覚えたときのよう。でも、貰えるならそんな嬉しいことはない、貰ってしまえ、そんな気分で映画館を出た。何かすごく得した気分だった。


映画雑誌「FB」vol.4 (1999.6.20発行)


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