人生の待合室


 人生の様々な場面でぼくらは「待つ」という経験をする。特定の人と決められた場所で待ち合わせることもある。冬の寒さの中で、春を待つこともある。何だか分からないけれど、漠然とした希望を抱いて待っていることもある。

 もう三十年も前のことだが、高橋たか子という作家は、『華やぐ日』という小説の冒頭で、東京駅で出発を待つブルートレインを印象的に描き出した。「H行とかS行とかN行という行先のプレートのついた、遠距離の寝台列車」は近距離電車とはまったく違ったたたずまいでとまっていて、その中の乗客の「乗客というより旅人というほうが似つかわしくて、彼らはなにか自分自身のための大きな目的に向けて、発車を待つふうに見える。」そんな長距離列車を見ていて、ふと主人公の女性はつぶやく。「そうなのだ、東京駅のなかで、いや、東京都のなかで、本当に夢という言葉を当てはめることのできるものは、もしかしたら、旅立ちを待つ、この遠距離の寝台列車だけかもしれない。」と。

 飛行機嫌いのぼくは、ときどき長距離の寝台列車に乗るが、その度にこの一節を思い出し、自分が列車の外の人々とはまるで違った次元に存在しているかのような錯覚を楽しむ。そんな幸福な待つ時間もある。

 待合室というのは、「待つ」人たちが、いわば一堂に会する場所だ。駅の待合室では、様々な人々が、様々な思いで電車を待っている。その電車は彼らをどこに運んでいくのだろう。彼らの旅は、彼らの前にどんな人生を開くのだろうか。

 地方の駅の待合室は、こぢんまりした空間で、それが冬の北の駅だったりすると、ストーブを囲んで知り合い同士が世間話を始めたりする。そんな地元の人々の他愛ない話が聞けるのも旅のかけがえのない楽しみである。しかし新幹線の待合室ともなれば、新幹線の座席と同様に、いっせいに同じ方向に向かってずらりと座り、ただ順番を待っているという風情になる。そしてたいていは、みんなどこか不機嫌だ。それはどこか大病院の待合室に似ている。

 病院の待合室は、駅の待合室とは違って、決して楽しい場所ではない。特にぼくのような神経質で臆病者にとっては、そこに座っているだけでドキドキしてしまうくらいの不安に満ちた場所である。それでも、待合室であることに何の違いもないのだ。そこには、駅と同様な様々なドラマがある。電車はやってこないが、「次の方どうぞ」とか「34番の方お入りください」とか、そんな声を待っている。その声によって、一人一人が、診察室に消えてゆく。しばらくすると、彼らは戻ってくる。かすかにほほえみを浮かべている人、無表情を必死で装っている人、涙ぐんでいる人、そんな彼らの表情からはほんとのところはわかりはしない。けれど、待合室から呼ばれて、待合室へ帰ってくるほんの数分で人生が変わってしまう人もいるのだ。

 そんな日もぼくにはあった。父の病気。父のかわりに診断の結果を聞きにいったときのことだ。それはまるで新しい旅に出たのと同じようなものだった。心躍る観光旅行とは違って、目の前が暗くなるような苦痛を伴うものではあったが、今までとは、あるいは周囲の人たちとはまったく違った次元に存在しているかのような感覚は、寝台列車に乗り込んで、いちはやく浴衣に着替え、通勤電車を待つサラリーマンを悠然と眺めていたときの感覚とまったく同質のものだったのだ。もちろん、そんな分析は後からやってきたものだ。ぼくはその時、ただうろたえるだけだった。

 人生は旅だとよく言われる。しかし、そのほんとうの意味をぼくらは知っているわけではない。いろいろなことが起きて、山あり谷あり、ということですよ、と言われてしまえば、そんなものかなあと納得もしようが、下手をすれば「人生は観光旅行だ」と勘違いもしかねない。芭蕉の時代と違って、旅は危険なものでも、命がけのものでもなくなった。そんな時代に「人生は旅だ」と言ってみても、そうした誤解がはびこるだけだろう。それでなくとも世は「人生は楽しむもの」の大合唱なのだから。

 けれども、人生が旅ならば、病気もまた旅なのだ。病気を人生の邪魔者としか考えないならば、旅を「観光旅行」としか考えないのと同じ過ちをおかすことになる。

 病院の待合室でぼくらが祈るような思いで待っているのは、「直りました。よかったですね。」という言葉であることは確かだ。その言葉はぼくらを希望に満ちた新しい旅へ出発させてくれる。けれども、ぼくらを待ち受けているのは、それとは逆のありがたくない、ショッキングな言葉であることも少なくはないのだ。しかしその言葉もまた、新しい旅へとぼくらを出発させるのだということを、ぼくらは苦しくても学ばなければならないだろう。

 もちろんそれは容易なことではない。苦難に満ちた旅には、どうしたって頼もしい道連れが必要なのだ。ぼくらの恐怖を静め、苦痛をやわらげ、希望を持つことを教えてくれる道連れが。ぼくは、今までの人生の中で、何人ものそうした「道連れ」たるお医者さんに出会ってきた。そのことにどれほど感謝してもしきれない思いだ。ぼくの三十年間に及ぶ教師生活においても、何人もの難病の教え子に出会ってきたが、彼らは驚くほど勇敢にその苦難の旅を続けている。かれらもまたそうした「道連れ」に恵まれているに違いないのだ。

 ところで最近になって、高橋たか子の小説の冒頭が、今までとはまったく違った風景として心に思い描かれるようになった。あの寝台列車の描写は、実は、死への旅立ちを描いているではないか、と。考えてみれば、人生は、巨大な待合室なのではなかろうか。ああだこうだと世間話をしながら、あるいはつまらぬことに苛立ちながら、「呼ばれる」のを待っている、人生という名の待合室。寝台列車は、ぼくらをどこへ運んでくれるのだろう。それは分からない。分からないからこそ、ぼくらは心をふるわせ、祈りつつ「待つ」のである。


神奈川県医師会報 No.622 (2002.9.10発行)


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