三〇年目の「大海原で」


 大学紛争のただ中で大学生時代を送ったぼくは、まともな勉強はほとんど出来ず、ただ闇雲に本を読んだり、芝居を見に行ったりしていた。芝居も、歌舞伎・文楽・能・狂言から、新劇・商業演劇に至るまで、まさに闇雲だった。中高時代は、もっぱら生物部でこれも闇雲に研究にいそしんでいたので、芝居などまったく無縁の世界で、生まれて初めてプロの芝居を見たのは大学一年のとき。小学校の先輩で、早稲田の演劇科にいた人に切符が余ったから行かないかと誘われついていったのがそもそもの始まりだった。そのとき見たのが、いわゆる新劇で、劇団「雲」の『氷屋来たる』(ユージン・オニール作)だったと記憶する。強烈な印象を受けたが、帰り道でその先輩に「演劇と映画はどう違うのか?」という質問をするほど愚かな文学部の学生だった。(この質問は愚かだったとずっと思ってきたが、つい最近、ロベール・ブレッソンという映画監督に関する論文を読んでいたら、ロベール・ブレッソンは「映画は撮影された演劇ではないのだ」ということを主張したのだという記述があって、それならば「映画」と「演劇」を混同していたのは、ぼくだけではなかったのだと少し安心した。)

 新卒の国語教師として創立二年目の都立高校に赴任してすぐ、演劇部の部長をせよと言われて、自分では演劇をやったことがないにもかかわらず、なんとか出来そうだと思ったのも、この大学時代の闇雲があったからだ。演出の何たるかもさっぱりわかりはしなかったが、今まで見たような芝居にすればいいんだと、そう考えてまたまた闇雲に指導をした。指導といっても、自分に演技の経験がないのだから、こうしなさいと演技してみせることはできない。生徒にいろいろやらせてみて、ああそれそれ、そういう感じ、というようなことでしかなかったが、その生徒というのが、勉強はあんまりしないけれど、こと演劇にはムチャクチャ熱心で、しかも演技力抜群。たちまち、今まで見てきたようなプロの芝居に近いものが出来上がっていくのが、たまらなく面白かった。教師をやめて演劇の道に入ってしまおうかと、半分本気で考えたことがあるくらいだった。

 ぼくが部長になった翌年には、多摩地区の高校演劇の大会で優勝という快挙。その後三年連続地区優勝。三年目には東京都の大会で四位という信じられないような大躍進も、もっぱらこの生徒の優秀さに負うところが大きかったが、ぼくの演出も悪くはなかったはずだと、いろんなところで自慢もしてきた。

 多摩地区で優勝すると、東京都の大会が江古田にある日大芸術学部の講堂で行われる。初めてそこに出場したとき、日大鶴ヶ丘高校という、野球でいえばPL学園とか東海大相模とかにあたる名門校の演劇部が、すごい芝居をやった。

 舞台中央にいかだ。そのいかだの上に三人の紳士が椅子に座っている。食べ物がないらしい。そのうち三人は誰を食うべきか議論を始める。突然泳いで登場する郵便屋。はたして食われるのは誰か?

 実をいうと内容についてはよく覚えていない。しかし、その題名と作者の名は、鮮明に記憶に残った。ムロジェック作『大海原で』。

 演技というより、その演出に圧倒された。当時の高校演劇は、多くの場合演出は部長の教師が担当していた。高校野球の監督が大人の先生であるのと同じだ。当然日大鶴ヶ丘高校の演劇部長というのはプロ並の先生なのに違いなかった。ケレン味タップリではあったが華麗な演出にぼくは心底圧倒され、深く羨望した。ああ、いつか、あんな芝居をやってみたいものだと、ため息まじりに何度も思った。

 いつかやってみたい、その思いを抱いたまま、三〇年近くたってしまった。その三〇年間のなかで、演劇部の部長をしていなかったのはたったの三年しかない。つまり教師になってそのほとんどを演劇部の部長をしていたのだが、なかなかこの芝居をやるチャンスがなかった。そのうち、この芝居の脚本が手に入らなくなった。探そうにも、そもそも何という本にこの芝居が収録されているのかが分からなかった。国会図書館にでも行って検索すればすぐに分かったのだろうが、そんなヒマもなかったし、そこまでして探さなければならないわけでもなかった。

 しかし、今度の栄光祭で何をやるかを演劇部員と一緒に考えていたとき、この芝居のことが頭に浮かんだ。たしか男だけの芝居だったはずだ。それもたしか三〜四人。それなら、うちの演劇部にはうってつけではないか。とにかく探してみよう。三〇年目にようやく本気で探し始めた。幸いにして三〇年の歳月はインターネットというすごい武器をぼくらにもたらしていた。横浜市の図書館、国会図書館と、検索し、ついに発見した。その本は、ムロジェック作『タンゴ』という題名の戯曲集だった。その中に『大海原で』はあった。

 そしてその本は、横浜市の保土ヶ谷図書館に一冊だけあった。その本を手にしたときほど、図書館のありがたさを実感したことはない。そしてそれ以上に、図書館の本がちゃんとあったことに感動した。誰かがこの本を借りたまま返さなかったら、ぼくのこの「再会」もなかったことになる。だれも借りた形跡のない本だったが、この本はぼくによって借り出されるのを、何十年もずっと図書館の片隅で待っていたかのように思われた。

 よく図書館の本を返してくださいという掲示が出ているけど、借りた本は絶対返さなくちゃだめだよ。公共のものを私物化してしまうということは、モノスゴク悪いことなんだ。だって、こんな奇跡的な出会いを誰かから奪ってしまうかもしれないんだからね。あんまり嬉しかったから、そんなことを、中二の授業でしゃべった。

 ともかく、三〇年目にして初めて脚本を読むことができたわけだ。いくつか思い出す場面もあったが、そのセリフはほとんど初めて読むような新鮮なものだった。

 昔見た舞台には到底及びもつかないだろうが、わが演劇部は、独自の舞台をつくりあげるだろう。そのために、今、猛練習中である。


栄光学園国語科編集「窓」vol.8 (2002.3.1発行)


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