堀辰雄全集の思い出


 小さい頃から昆虫が好きで、小学生時代はいっぱしの科学少年を気取っていたから、本と言えば図鑑の類しか見向きもしなかった。小説やら物語やらは、女の子の読むものと決めてかかり、はなからバカにして読もうとはしなかった。

 中学に入って、生物部に所属し、先輩の昆虫の標本箱を見て、往年の昆虫好きに火がついた。それから約二年間、頭の中はほとんど昆虫のことでいっぱいだった。それでも少しずつ本を読むようになってはいたが、小説となるといったい何を読んでいいのか皆目見当がつかなかった。今と違って、「小説を読むと不良になる」というようなことが言われていた時代だったから、へたに恋愛小説など読んで、不良になったら大変だなどと、ほとんど本気で考えていたふしがある。

 中学三年か高校一年か、どちらであったか定かでないが、とにかく国語の時間に、担当の井上健三先生が、「君たち、こんな本があるけど、読んでみたらどうだい?」というようなことをつぶやくように言いながら、黒板の下の方に無造作に「風立ちぬ」と書いた。なんでも堀辰雄という人の小説で、ずいぶんロマンチックな内容のようであった。先生の勧める恋愛小説なら、読んで不良になることもあるまいと妙に安心したのを今でもはっきり覚えている。何とも純情な話である。

それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった。そうして夕方になって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、それからしばらく私達は肩に手をかけ合ったまま、遙か彼方の、縁だけ茜色を帯びた入道雲のむくむくした塊りに覆われている地平線の方を眺めやっていたものだった。ようやく暮れようとしかけているその地平線から、反対に何物かが生れて来つつあるかのように……

 『風立ちぬ』のこの冒頭の文章は衝撃的だった。今までに読んだこともない、繊細で透明でしかも硬質な、水晶のような文章だった。ぼくはすっかりこの小説に魅了された。

 重度の肺結核と診断された婚約者とともに過ごすために高原のサナトリウムにやってきた男が、その婚約者の死をみとったあと、山小屋にこもって思索にふけるというこの小説は、愛することを知らないぼくには、まるで夢のように甘美な世界と映った。

 岩波文庫の『風立ちぬ』を、ぼくは何度繰り返して読んだかしれない。冒頭の数ページは空で言えるほどになってしまったほどだった。(先ほど引用のために久しぶりにこの本文を読んだのだが、やはりこの文章の美しさは際立っている。)

 その後、堀辰雄の書いたものは、文庫で手に入る限り読んだ。『聖家族』(今では、これが一番好きだ)『美しい村』『菜穂子』といった小説から、『大和路・信濃路』といったエッセイまで。同級生の文学青年からの、何でそんな甘ったるいものばかり読んでいるんだという非難はこたえたが、好きなものは好きで通すしかなかった。

 そうこうしているうちに、『堀辰雄全集』というものが出ていることを知り、何とか手に入らないだろうかと考えるようになった。しかし、文庫を買うのが精一杯という高校生にとっては高価な全集など夢のまた夢にしか過ぎなかった。けれども、どうしても諦めきれずに、せめて値段だけでも知りたいと思い、伊勢佐木町にある大野屋という本屋(ときどき、ここに本を注文していたのだ)に電話をして、値段を調べてくれるように頼んだのだ。

 それから数週間後のある日、大野屋から電話があった。出てみると、「ご注文いただいた『堀辰雄全集』が届きました。」という。注文した覚えはない、ただ値段を聞いただけだと言っても、もう取り寄せてしまいましたというばかり。値段を聞いて驚いた。全七巻で、一万二千円だというのだ。文庫本の『風立ちぬ』が一冊五十円で買えた時代である。それから五年以上も後でぼくが都立高校の教師になったときの初任給が五万円に満たなかった時代の話である。一万二千円という値段は、遙かにぼくの想像を越えていたし、第一そんな高価なものを父がおいそれと買ってくれるはずもなかった。

 ぼくの父は、ペンキ屋の長男として生まれたため、勉強好きだったにもかかわらず、小学校を出ただけで、その跡を継がされた人だった。三人の弟の面倒をみながら、好きでもないペンキ屋の親方として職人と働く生活は、ずいぶん辛いものだったろうと今では十分に推測できる。しかし、父からよく「お前は極楽トンボだ」と言われるほど世間知らずだったぼくは、家計が火の車であることなどまったく知る由もなく、やれ顕微鏡を買えだの、やれ本を買えだのといって父を困らせた。本をねだったときに、父は決して駄目だとは言わなかったが、顕微鏡をねだったときは(小学校四年ぐらいのことだ)一年も待たされたものだ。待たされたかいあって、小学生には高級すぎるほどのオリンパスの顕微鏡を買ってくれたのだが、なぜそんなに待たされたのかを幼稚で愚かなぼくは考えようともしなかった。

 そんなぼくでも、『堀辰雄全集』の一万二千円はどうみても、ケタ違いな買い物であることぐらいは分かっていた。しかし、取り寄せてしまったという以上、父に聞いてみるしかなかった。ぼくは恐る恐る、ほとんど半ベソかきながら父に事情を話した。その時の父の反応は生涯忘れない。父は、ただ「いいよ。買ってこい。」とだけ言って、お金を渡してくれたのだ。一言の文句もなかった。

 この時の気持ちをどう表現していいか今でもわからない。『更級日記』に、主人公が都へ出てきて、おばさんの家に行くと、前から欲しくて欲しくてたまらなかった『源氏物語』全巻をセットでもらって狂喜する場面があるが、あんなふうにでも表現するしかないだろう。とにかくあんなに嬉しかったことはない。その嬉しがっているぼくを見ていたであろう父の姿を想像すると、ぼくは今でも涙がにじむ。

 本屋から持って帰った全集は、それは豪華なものだった。布張りの箱に、背革装の造本。本文は、ページノンブルだけ別の色で刷ってあるという凝りに凝った本である。(この新潮社版の全集の後に、筑摩書房から新版の全集が出たが、本の風格という点からみればまるで比較にならない。)その全集をすみずみまで読んでいくに従って、今までまるで知らなかった様々な作家や詩人を知ることとなった。室生犀星、萩原朔太郎、立原道造、ヴァレリー、クローデル、リルケ、プルースト、ラディゲ、モーリアック……。

 昆虫をひたすら追いかけ、将来は昆虫と共に生きていくんだとばかり思っていたぼくだったが、数学嫌いがたたって理系進学を断念せざるを得ない状況になったとき、まるで暗闇のなかを導いてくれる一筋の光のような存在が『堀辰雄全集』だったと言えるだろう。

 その後もぼくは父に苛酷な要求をし続け、多くの本を買わせたが、その大半は、すでに二度の引っ越しに際して古本屋に売却してしまった。ほんとにバチ当たりな親不孝者である。

 しかしもちろんこの『堀辰雄全集』だけは、いつも僕の書棚の真ん中にある。


栄光学園国語科「窓」vol.2 (1999.12.15発行)


back to index