みつまた


 3という数字にまつわることについて書いて欲しいって頼まれたんだけど、どうしようかなあって、家内に相談するともなくふっと話したら、家内が「ミツマタ。」とつぶやいた。

 「そう言えば、そんなものがあったね、だけど何でいきなりそんなものが浮かんだわけ?」「だって、あなたの家で初めてみたんだもの。」

 そういう家内の言葉を聞きながら、窓の外の日曜日の家並みを眺めた。「そう言えば、洗濯物って、みんなどこに干してるんだろうね。」「ベランダ。」「一戸建ての家はどうするの?」「一戸建てだって、二階にベランダがあるわよ。ほら、あそこの家。」と家内が指さす向かいの家は、二階の部分にベランダがあり、そこに洗濯物が干してある。庭に干している家もあるが、物干しはみな背の高さほどのもので、水平に数本の物干し竿を渡してある。

 「ミツマタ」というのは、「高い所に物をかけるときに使う、先がY字形になった棒」のことである。今の若い人で、「ミツマタ」と聞いて、すぐにこれを思い起こす人はいないだろう。

 「ミツマタ」が姿を消したのは、家がマンションになったり、二階建てになってベランダがついていたりするようになったため、背の高い物干しが無くなってしまったからである。ぼくが生まれ育った家は、横浜の町中にあったが、平屋だったので、庭に高い物干しがあった。高さ三メートルぐらいの丸太を二本立て、それぞれに、物干し竿をひっかける腕のような木を三つぐらいずつ打ち付けてある。そこに上から順に物干し竿を渡していくわけである。一番上の段にはとても背が届かないから、そこの受け木に竿を引っかけるために、「ミツマタ」が必要になるわけだ。

 思い出してみれば、なかなか豪快な眺めで、我が家ではいつも洗濯物が三列ぐらい垂直に干され、ヒラヒラと風にたなびいていたわけだ。ぼくらが結婚して初めて住んだ家も一戸建てだったが、その庭に父が我が家と同じような物干しを立てた。家内はそれを見て、「こんなのやだなあ。」と内心思ったのだそうだ。

 家業がペンキ屋だったので、家には足場用の丸太がたくさんあり、そのためそんなに背の高い物干しを作ったのだろう。お嬢さん育ちの家内にしてみれば、そんな大げさな物干しは恥ずかしかったに違いない。その物干しに、家内は「ミツマタ」を使って毎日洗濯物を干していたわけだ。家内にしてみれば、思い出の「ミツマタ」だったのだ。

 実は、ぼくにも思い出の「ミツマタ」がある。幼い頃、ぼくはとにかく風呂が嫌いで、風呂の中で泣いてばかりいたが、そういう時、突然、庭に面した高い窓からガラガラと音立てて進入してくるものがあった。それは、「ミツマタ」の二つの先にカンカラをかぶせたオバケだった。臆病なぼくは、それですっかりおとなしくなったものだ。おそらく父が風呂の窓の下で、「ミツマタ」のオバケを操作していたのだろう。その父の姿を想像すると、今でも微笑を誘われる。


横浜市立大学サークル誌「ANJUNA」vol.35 (2000.10.31発行)


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