岩野泡鳴「耽溺」を読む

 

 

 



岩野泡鳴『耽溺』その1   2018.5.3

 そもそも、多くの現代人にとって、岩野泡鳴って言われても、それ誰? ってなものである。それなのに、どうしてぼくがその名前を知っていたかというと、それは、ぼくが大学の国文科に行ったからではなくて、高校時代の国語の時間、文学史でやったからだ(と思う)。その時、確かに「岩野泡鳴」という名前を、聞いた、あるいは見た。

 今では、国語の時間に、近代文学史などはほとんどやる余裕はないが、昔は、先生が自作のプリントをわざわざ作ってたりして、丁寧にやったものである。もちろん、いちいちその作品を読むなんてことではなくて、浪漫主義の作家には誰それがいて、自然主義の作家には誰それがいて、といった丸暗記に近いものではあったが、それでも、名前に触れるということは、実は大きいのだ。「ちょっとでも知っている」のと、「まるで知らない」のでは天と地の差がある。

 もっとも、岩野泡鳴を「まるで知らない」からといって、何か損するということはほとんどないが──むしろ得するといったほうがいいかもしれないぐらいなものだが──、ぼくが「まるで知らない」状態だったら、こんな年になって読むということも起こらなかっただろう。「ちょっと知っていた」ので、じゃあ、この際、読んでみるかということになって、とんでもない目にあっているわけである。

 それでは、岩野泡鳴という名前は、今の高校生の目にまったく触れないかというと、それがそうでもなくて、例えば、高校生向けの文学史の補助教材『注解日本文学史』(中央図書)には次のような記載がある。

また、数奇な生涯をおくった岩野泡鳴は、いかなる醜悪をも平然として写し出す作家で、「耽溺」およびそれに続く「泡鳴五部作」によって、自然主義文壇でも異色ある存在となった。

 わずか3行だが、きちんと書かれている。だから、「こんどの期末試験は、『自然主義』のところを出すから、勉強しておけ。」と教師が言った場合、きちんと勉強した生徒は、そこで泡鳴を「知る」ことになるはずである。

 しかし、それはたぶん、ごく稀にしか起こらないことだろう。かくして、岩野泡鳴の名は、世に知られるほとんど最後のチャンスを失うわけだ。

 これが漱石だったらどうだろう。今の世の中で、漱石を「まるで知らない」若者がどれくらいいるか知らないが、たぶん、8割以上は「名前くらい聞いたことはある」はずだ。その中で、多少とも授業に参加した者なら、「読んだこともある」はずだ。それは、今の高校の教科書のほとんどに、漱石の『こころ』が載っているからである。もちろん一部抜粋だが、たいていはこれを高2でやることになっている。もちろん、教師によってはすっ飛ばしてしまうこともあるから、高校時代に『こころ』の一部を読まなかった、という者もかなりいるだろう。それでも、名前はどこかで耳に入り、耳に残る。

 つまり、「教科書に載る」ということが、その作家の知名度に実に大きな影響を与えるわけだ。森鴎外にしても、芥川龍之介にしても、志賀直哉にしても、中島敦にしても、もし、教科書に載らなかったら、どれほどの知名度を確保できたろう。

 しかし、まあ、教科書ということになると、岩野泡鳴は、どんなに頑張ったところで、採録される気遣いはない。こんなに、「不道徳」で「暗く」て「絶望的」で「文章が下手」な作家の作品は、まかり間違っても教科書には載らない。

 それにしても、泡鳴の代表作は何なのかということになると、先ほどの『注解日本文学史』にもあったように、『耽溺』ということになる。これについては、正宗白鳥がこんなことを言っている。

 

 「耽溺」といふ長編は、小説家としての彼れの出世作で、いろいろな点で、彼れの小説の見本と云ってもいい。「坊っちゃん」が漱石全集に於て占めてゐる地位に似ている。しかし、文壇の一部の人々に認められただけで、世間一般の読者に受入れられたのではなかった。「耽溺」も、「坊っちゃん」も、作家が一生の半ばを過ぎて、浮世の経験も豊富になってゐる四十歳近い頃の作品であるが、この二つは作品の面目は著るしく異ってゐる。当時漱石は官立大学の教師であり、泡鳴は月給二十五円ぐらいの大倉商業学校の教師であったことが、作品に対する世俗の信用を異にした所以(ゆえん)で、さながら、書画骨董の売立に於て大々名の所蔵であるか、一平民の所蔵であるかが、買ひ手の心持に影響するのと同様であるが、作風も、泡鳴のは、漱石のやうに通俗向きではなかった。卑近な正義観を含んでゐなかった。……それに、漱石は、はじめから才気煥発と評価していいやうな目覚ましい筆使ひを見せたが、泡鳴の「耽溺」はまだ稚拙であった。

 

 正宗白鳥は、なんか地味で、くえないジジイという印象があるけれど、その書くところは誠に面白く、興味が尽きない。この泡鳴と漱石の比較も、実に分かりやすい。一見泡鳴を漱石の下に見ているようでいて、そうではない。むしろ『坊っちゃん』を「通俗的」とし、そこにある思想を「卑近な正義観」として、批判している。しかも、二人の経済的社会的地位の格差が、その作品の評価に大きく影響していると皮肉ってもいる。漱石は、月給や(40歳ごろの漱石は、第一高等学校と東京帝国大学の両方に勤めていて、月給はおよそ125円ほどだったらしいから、泡鳴の五倍だ。)、社会的地位に恵まれ、筆も立ったから世間に受けたけど、泡鳴は、貧乏教師で、世俗の道徳観念を持たず、文章も下手っぴいだったから受けなかったのだ、というわけだ。泡鳴の肩を持っているのは明らかだ。ちなみに、正宗白鳥は、自然主義の作家として分類されている。

 言ってみれば、『坊っちゃん』は、みんなが好きな「水戸黄門」のようなもので、『耽溺』は、出来損ないの「ロマンポルノ」のようなもの、といっては乱暴だが、まあ、そんな位置づけなのかもしれない。

 


岩野泡鳴『耽溺』その2   2018.5.4

 

 『耽溺』はこんな話である。

 

泡鳴が小説家としての地位を確立した作。明治三九年夏、日光で体験した事実を素材にし、四一年夏、山梨県塩山温泉で執筆したもの。単行本の序で、花袋の『蒲団』(明四〇・九)の影響をみずから認めている。内容は、泡鳴がモデルである田村義雄が、脚本を書くために国府津に行き、地元の不見転芸者吉弥にほれこみ、彼女を女優にしたてようと考え、ずるずると耽溺していくうちに、女についている土地の男と張り合って、吉弥を身請けせざるを得なくなり、東京へ帰って妻の衣類を質に入れて送金する。浅草に出てきた吉弥は梅毒性の眼病にかかっていて、義雄は冷酷に女を捨て、それによって疲れた神経に強い刺激を与えられるという筋。泡鳴が小説の方法に開眼した作である。(『日本近代文学事典』和田謹吾執筆)

 

 自分でまとめるのはメンドクサイので、文学事典によったけど、こういう時、こういう事典は便利。便利だけど、これを読んだだけでは、どういう小説なのかさっぱり分からないだろう。そもそも「不見転芸者」なんて言っても現代の読者に分かるわけはない。読み方からして、これを「みずてんげいしゃ」と読むんだと一発で分かったらたいしたものである。意味は、「芸者などが金次第でどんな相手とも肉体関係を結ぶこと。また,そういう芸者。」と『大辞林』にあるわけだが、ここまで読んでも、はて、「芸者」って、売春もしたの? っていう疑問が湧く人も多いことだろう。

 昨今のネットでは、何とか質問箱みたいなのがあって、そこに何でも分からないことがあれば質問すると、玄人だか素人だか分からない人たちが、暇に飽かせて、いろいろ訳知り顔で答えていて、相当あやしい答にも「ベストアンサー」なんて「ハンコ」が押してあったりする。

 たとえば、「芸者は、売春もしたのですか?」っていう質問に、「絶対そんなことはありません。芸者はあくまで、踊りや歌などの芸を提供する者で、体は売りません。芸者が売春するなんてこといったら、日本文化を侮辱することになりますよ。」みたいな答えが、「ベストアンサー」だったりするのである。

 それを、何も知らない現代人が見れば、ああ、そうか、と納得してしまうだろう。けれども、岩野泡鳴を読んだことのある人なら、そんな馬鹿な、いくらだって体を売る芸者もいたじゃないか、と、すぐに分かるわけである。「日本文化」をしたり顔に語るまえに、泡鳴ぐらいは読んでおくべきだということだ。

 まあ、『耽溺』という小説ひとつ理解するにも、「芸者」についての一応の知識が必要なわけで、そういう点では、『源氏物語』を読むのに、平安時代の文化や習慣についての知識が必要なのと同じである。けれども、平安時代よりもずっと身近なはずの明治時代のことが、かえってよく分からない。調べようにも、どう調べたらいいのか分からないことがある。平安時代だったら、研究が行き届いていて、そうとう細かいことまで分かるのに、例えば明治時代の「芸者」ってどういう存在だったのかは、それほど簡単には分からないのである。

 「明治時代の『芸者』はどういう存在だったのか」という疑問に答えてくれるのは、実は、小説の方なのだ。泡鳴の『耽溺』という小説が、その当時の「芸者」の姿の一端を正確に記録しているからだ。『耽溺』だけではない。例えば、前に扱った斎藤緑雨の『わたし船』においても、「シャと言やあ芸者、モノと言やあ囲いもの、字で行くか仮名で行くか、女の捷径(ちかみち)はこの二つさ」という言葉があった。ここでも、「芸者」は「芸を売る」どころか、あからさまに「身を売る」商売とされているわけである。

 平安朝の優雅な文化とちがって、近代日本の底辺にある習俗は、公には記録されることもない。だからこそ、近代小説を細かく読むことは、時代を知る上でもとても有益なのだ。

 まあ、そんなわけで、こういう方面にはとんと疎いぼくなので、近代の「売春」とか、いわゆる「セックス事情」とかについて書いてあるいい本はないかなあと探したところ、たまたま、井上章一『愛の空間』(角川選書)という本を知り、さっそく古本で買ってみたのだが、これがまたやたら詳しい。まだざっと冒頭あたりを見たぐらいだが、戦後間もなくのころ、皇居前広場は「野外で性交をしあう男女のあつまる場所だった。」なんて記述には、戦後間もなくの生まれであるぼくでさえ、驚愕してしまう。ほんとに、何にも知らずに育ってきたのだと、ため息ばかりである。

 

 


岩野泡鳴『耽溺』その3   2018.5.7

 

 『耽溺』の粗筋だが、「脚本を書くために国府津に行」った義雄が、「地元の不見転芸者吉弥にほれこみ」ってあるが、これだけ読むと、「吉弥」なる芸者は、そうとうな美人だと思ってしまうだろうが、それがかなり違うのだ。むしろ、最初見たときは、嫌な感じがしたのだ。それなのに、どうして「ほれこみ」ということになってしまうのか、その辺の推移が、おもしろいといえばおもしろい。

 そもそもどうして出会ったかというと、義雄が借りた家(一部屋を借りたのだが)の隣に料理屋があり、吉弥はそこのおかかえ芸者だったのだ。義雄が自分の部屋から最初に吉弥を見た場面。

 

いちじくの葉かげから見えたのは、しごき一つのだらしない寝巻き姿が、楊枝をくわえて、井戸端からこちらを見て笑っている。
「正ちゃん、いいものをあげようか?」
「ああ」と立ちあがって、両手を出した。
「ほうるよ」と、しなやかにだが、勢いよくからだが曲がるかと思うと、黒いものが飛んで来て、正ちゃんの手をはずれて、ぼくの肩に当った。
「おほ、ほ、ほ! 御免下さい」と、向うは笑いくずれたが、すぐ白いつばを吐いて、顔を洗い出した。飛んで来たのはぼくのがま口だ。
「これはわたしのだ。さッき井戸端へ水を飲みに行った時、落したんだろう」
「あの狐に取られなんで、まア、よかった」
「可哀そうに、そんなことを言って──何という名か、ね?」
「吉弥(きちや)と言います」
「帰ったら、礼を言っといておくれ」と、僕は僕の読みかけているメレジコウスキの小説を開らいた。
正ちゃんは、裏から来たので、裏から帰って行ったが、それと一緒に何か話しをしながら、家にはいって行く吉弥の素顔をちょっとのぞいて見て、あまり色が黒いので、僕はいや気がした。

 

 色が黒いから「おからす芸者」と言われる吉弥は、しかし、その夜、義雄の前に現れたときは、「尋常な芸者に出来あがって」いた。まあ、朝は、スッピンでしかも寝間着姿で歯磨き中、夜はちゃんと化粧をしてきたわけだから、この差は当然だが、いざ、三味線を弾かせてみても、「ぺこんぺこんとごまかし弾きをするばかり」で、面白くもなんともない。生まれは浅草、年は二十五だというが、「うそだ、少なくとも二十七だろう」と義雄は見立てる。妹は大宮で芸者をしていたが、「引かされる」はずで、どうやら妾になるらしい。

 翌朝、義雄はこんなふうに考える。

 

翌朝、食事をすましてから、僕は机に向ってゆうべのことを考えた。吉弥が電燈の球に「やまと」(紙巻たばこの名前)のあき袋をかぶせ、はしご段の方に耳をそば立てた時の様子を見て、もろい奴、見ず転の骨頂だという嫌気がさしたが、しかし自分の自由になるものは、──犬猫を飼ってもそうだろうが──それが人間であれば、いかなお多福でも、一層可愛くなるのが人情だ。国府津にいる間は可愛がってやろう、東京につれて帰れば面白かろうなどと、それからそれへ空想をめぐらしていた。

 

 この「翌朝、食事をすましてから」の前は、前の晩の描写で、「『じャあ、おれの奥さんにしてやろうか?』と、からだを引ッ張ると、『はい、よろしく』と、笑いながら寄って来た。」とあるだけだが、当然、吉弥はその夜、体を許したわけである。

 だから、その夜、吉弥のことを、「もろい奴、見ず転の骨頂だという嫌気がさした」のだ。吉弥が、芸を売るきちんとした芸者ではなくて、「不見転芸者」そのものだったことが分かる。

 しかし、自分の自由になる者はどんなブスでも可愛いなんて、しかも、それを犬猫と同列にするなんて、実にヒドイ言い草で、これじゃ読者にそっぽを向かれるに決まっている。けれども、泡鳴は、そんなことを一切気にしていない。書きたいように書く。やりたいようにやる。読者の共感なんか知ったことかといわんばかりだ。

 「東京につれて帰れば面白かろう」なんて平然と考えるのだが、自分が今戯曲を書いているので、いずれそれが上演されるときに、手元に女優がいると都合がいいなんてことを義雄は考えるのだ。これも変な話だが、泡鳴自身、なにかというと、気に入った女を女優に仕立てたがったらしい。それで、義雄は、吉弥を女優にしようと本気で思って入れ込むのだが、なにしろ「不見転芸者」なんだから、以前からの馴染みがいる。その男たちと吉弥を取り合うことになる。

 それにしても、最初見たときは、いやな感じがして、その後も、がっかりすることが多かったのに、どうして、こんなにまで吉弥に惚れ込んでしまったのかは、いくら読んでも納得がいかない。でも、吉弥に男がいるとなると、義雄はカッとなって我を忘れるのだ。それが人間というものなのだろうか。

 結局、義雄は吉弥を「身請け」するはめになる。けれども、安月給の義雄にはその金がない。どうするのかと思っていると、東京に帰って、女房の着物を片っ端から質にいれて金を作るのだ。

 「東京につれて帰れば面白かろう」と義雄は思うが、女房からしたら、とんでもないことで、もう、義雄のやっていることは、まるで常軌を逸している。その上、ほんとうに吉弥が上京してくると、吉弥は、梅毒性の眼病が悪化して、見るかげもない。その吉弥を、義雄は冷酷に捨てる。
末尾のちょっと前の部分。

 

「冷淡! 残酷!」こういう無言の声があたまに聴えたが、僕はひそかにこれを弁解した。もし不愉快でも妻子のにおいがなお僕の胸底にしみ込んでいるなら、厭な菊子(吉弥の本名)のにおいもまた永久に僕の心を離れまい。この後とても、幾多の女に接し、幾たびかそれから来たる苦しい味をあじわうだろうが、僕は、そのために窮屈な、型にはまった墓を掘ることが出来ない。冷淡だか、残酷だか知れないが、衰弱した神経には過敏な注射が必要だ。僕の追窮するのは即座に効験ある注射液だ。酒のごとく、アブサントのごとく、そのにおいの強い間が最もききめがある。そして、それが自然に圧迫して来るのが僕らの恋だ、あこがれだと。

 

 言っていることがどうもよく分からないのだが、要するに、冷酷だろうが、残酷だろうが、強い刺激こそが必要だ。その強い刺激こそが恋だということだろうか。しかし、こんな「弁解」が、誰の共感を呼ぶだろう。

 どこまでいっても、男のエゴしかみえてこないこの小説が、自然主義の作品の中でも特異な地位をしめるものとして、一部の評者からは注目されたのは、やはり、普通は書かないことを臆面もなく書いたという一種の「勇気」(あるいは蛮勇)故であったのだろうか。

 この小説を、かの正宗白鳥はどう評しているか、興味深いところである。

 



岩野泡鳴『耽溺』その4   2018.5.9

 

 ひとりの人間をどう見て、どう評価するかは、とても難しい。テレビで話題になる芸能人をとってみても、そのスキャンダラスな行動に対して、さまざまなコメンテーターが勝手な批評をするが、どこまでその人間を知っているのか分かったものではない。ただ、報道された「事実」を元に、勝手な憶測をしてしゃべりちらしているにすぎない。

 この『耽溺』の主人公は、ほとんど岩野泡鳴その人らしいが、こんなことが今のテレビで報道されたら、誰が彼を擁護するだろうか。女の敵だ、ヒドイ奴だ、と非難囂々は間違いないところだろう。

 ヒドイ奴だと決めつけて、石を投げることは簡単だが、それをしないで、待てよ、これはいったいどういうことだろうと、マジメに考えるのが、文芸評論家というものかもしれない。

 今回、岩野泡鳴について、正宗白鳥が何と言っているかを調べているうちに、そうだ、平野謙ならどう考えるのだろうと思って読んでみた。平野謙をちゃんと読んできたわけではないが、時々は読んできていて、なんだか細かいことを丁寧に批評する懐の深い人だなあというような印象を持っていたからだ。幸いなことに、我が家には『平野謙全集』も残っているのだ。

 この『平野謙全集』全13巻は、新刊で買ったのだが(約40000円)、絶版になってから、一時古本で20万円以上の値をつけていた。その時は、まったく読んでもいない全集なので、売りとばしてしまおうかと思ったのだが、なぜかその気になれなかった。今では、古本の値段も暴落して、この全集も何と10000円を切っている。ほんとに、どうしたことだろう。ここ十数年ほどで、世の中の価値観がすっかり変わってしまったとしか思えない。

 まあ、そんなわけで、手元にある『平野謙全集』を開いてみると、ありましたよ、ありました。『耽溺』についても、ちゃんと書いてある。

 

この主人公の性格は単なる放胆でも粗暴でもなくて、おそらくは無垢なのである。真率なのである。『耽溺』全篇を通読すれば、この主人公がお人好しといってもいいほど正直な人柄であることは、誰の目にも明らかだろう。もしも、世なれた普通の大人なら、この主人公のように女房の着物を入質するほどの無理算段をして、田舎の不見転芸者の身請金をつくるような窮地に陥ることをもっと巧みにすりぬけるはずである。もともと一夏の旅の客に、身請けしなければならぬほどの義理合いはないはずである。女優にしようか妾にしようかと、主人公が一時本気に迷って、女に口約束したにせよ、そんな口約束を無理算段して実行にうつすことなど、世の常の大人のすることではない。無論、主人公が惚れぬいて、どうしても妾にするつもりなら話は別だが、女が悪質の梅毒患者たることを確認すれば、あっさりひきあげてしまうのである。近松秋江の『黒髪』の主人公のような執念は、この男性的な主人公にはない。ただ前後の見境もなく、百五十円の大金を溝にすてたも同然である。こんなふるまいは、到底世の大人のすることではない。ここにこの主人公ならびにこの作者の真率な詩境がある。

 

 おもしろいなあ。これだから、文学はやめられない。普通なら、「こいつは馬鹿だ。」で終わってしまうところを、こんなふうに考えるなんて、素敵だね。

 平野は何度も「こんなことは世の常の大人がすることではない。」と繰り返しながら、「普通の大人」がしないようなことをする岩野泡鳴の「無垢」「真率」をあぶり出すのである。

 果たして岩野泡鳴は、「無垢」なのか、「真率」なのかは、にわかには判断しがたいが、平野謙の言うことだ、ちゃんと聞いておくにしくはない。
何の義理もない行きずりのやすっぽい田舎芸者に義理立てして、女房の着物を質入れしてまで身請けの金を算段する。しかも、その女に心底惚れているわけでもなく、病気が分かると、あっさり捨ててしまう。そんな泡鳴を平野謙は「男性的」だという。

 そこに引き合いに出されているのが、近松秋江で、話の流れからすれば、近松は執念深く、女性的だということになるわけで、いずれその『黒髪』も再読(数年前に読んだけど忘れてしまったので)しなければならないにしても、確かに、どこまでもその女に執着することはないのが岩野泡鳴だ。

 だからこそ、この岩野泡鳴の行動は不可解で、馬鹿だとしか考えられないわけだが、それを別の見方をすれば、そこに「無垢」「真率」があるのだということを、平野謙は教えてくれる。

 小説を読むということ。しかも、あまり人気のない、「変な小説」を読むことは、ぼくらの通り一遍の、薄っぺらい人間認識に、一撃を与えてくれる。「普通の大人じゃない」人間の思考や行動を、じっくりと見つめることが与えてくれる恩恵は、たぶん、大きい。

 

 


岩野泡鳴『耽溺』その5   2018.5.14

 

 さて、正宗白鳥は、泡鳴の『耽溺』について、こんなふうに言っている。

 

先生(主人公のこと)と芸者の関係なんか、いかにもバサバサしてゐて、しめやかな情緒と云ったやうなものは、ちっともない。これは、後年まで彼れの作品を一貫した特色である。彼れの作中の男女は、恋を語っても決して蜜のやうではない。「へん、そんなことを知らないやうな馬鹿じゃねい。役者になりたいからよろしく頼むなんぞと白ばっくれて、一方ぢゃ、どん百姓か、肥取りかも知れねいへッぽっこ旦つくと乳くり合ってゐやあがる」と云ったやうなのが、先生のいつもの口吻である。そして吉弥という芸者も「おからす芸者」といふ綽名の通り、色が黒くって、何だか汚ならしい。恋愛小説中の女性は、概して美しく描かれるのを例として、近年の実験記録の小説でも、作者の主観によって色取られて、そこに描かれる女性は、読者を魅するところがあるのだが、泡鳴のにはそれがない。醜男醜女の情事を見てゐるやうで、読者は読みながら羨望の感じを起すことがない。しかし、小説を娯楽品とせずして、人生世相の真実の記録とする立場から見ると、泡鳴の態度には真実性が多いのではあるまいか。

 

 「醜男醜女の情事を見てゐるやうで、読者は読みながら羨望の感じを起すことがない。」とは的確な指摘。ほんとに、二人の会話は、殺伐としているのである。それなら憎み合っているのかと思うと、どうもそうでもない。なんだか、先生は吉弥に、夢中になっているのだ。けれども、その「恋愛」がちっとも美しくない。蜜のようじゃない。汚らしい。そんな小説を誰が読むか、と今なら思うだろう。けれども、ここで、別の立場が出てくる。

 「娯楽品とせずして、人生世相の真実の記録とする立場」だ。

 現代はエンタテインメント全盛の時代だから、小説も「娯楽品」として扱われることが多い。文学に限らず、スポーツも含めてほとんどの「表現者」は、インタビューなどで、口を開けば「多くの人に喜んでいただけるように頑張ります」と言う。表現の動機が、あくまで、享受者の喜びや幸せとなっていて、自分の表現したいことをただ全力で表現したいと言う者はほとんどいない。まして、それができれば、どう思われたっていいと断言する者など皆無に近い。

 けれども、それでは、享受者は、何をもって「喜び」とし「幸せ」とするというのだろうか。疲れた心を癒やされることを求めている人もいるだろうし、辛い現実を一時でも忘れることを求めている人もいるだろう。求めることは一様ではない。それなのに、どうして享受者の「喜び」が表現の目的となりうるのだろう。スポーツならば、それでもいい。全力でプレイすることは、万人に興奮を与え、感動を与えるだろう。けれども、文学は? 

 エンタテインメントとしての文学を目指す大衆小説は、汚らしい恋愛など描かない。あくまで夢のような恋愛を描くのは、明治の時代から変わることはないのだ。

 しかし、「人生世相の真実の記録とする立場」を小説においてとったとすれば、夢のような恋愛など、真実からはほど遠い。もちろん、「夢のような瞬間」が恋愛にはあるだろうが、それだけで恋愛ができあがっているわけじゃない。打算、性欲、嫉妬、支配欲、などなど、さまざまな醜悪ともいえる要素が入り交じっているのが恋愛である。

 先生と吉弥との関係が、果たして恋愛といえるかどうかは別としても、それがまさしく一つの男女関係であることには間違いない。その男女関係を、正直に書いたのが『耽溺』であるとすれば、やはりそこには「真実性が強くある」のも事実だろう。
更に、白鳥は続ける。

四十歳近い「耽溺」の先生は、自分より年上の、世帯窶れのした、ヒステリーの古女房に倦怠を感じてゐる。その頃、多くの作家の題材とした「中年の恋」を、彼れも求めてゐたので、ふとした機会で接近した田舎の「おからす芸者」によってでも、心の不足を満たそうとした。しかし、平凡人の浮気とは違って、彼れは、自己の抱懐せる人生観を応用して、この単純な「見ず転買」以上の何物でもないのに、深刻らしい意味をつけようとした。「堕落、荒廃、倦怠、疲労──僕は、デカダンと云ふ分野に放浪するのを、むしろ僕の誇りにしようと云ふ気が起った」などと云ひ、あるひは、彼れが読みかけてゐるメレジコフスキーの高尚典雅純潔な生涯を、自分の生涯に比して、「僕の神経は、レオナルドの神経より五倍も十倍も過敏になってゐる」と云ってゐるところなんか、読者に「詰まらん坊」の感じを与える。丹念に書かれてゐるが、作者の苦悶が紙上に現はれてゐない。

 と手厳しいが、ぼくもまったく同感だ。ここまでズバリと言い切れる白鳥に感服してしまう。要するに、この『耽溺』という小説は、「失敗作」なのだ。けれども、それでもなおこの小説は、泡鳴の代表作として紹介されるのは、ここにこそ、泡鳴の「特色」が端的に出ているからだ。その特色とは、白鳥によれば「すべての感傷主義を打破して自我に徹するところ」だ。

 「自我に徹する」というのは、「自分のやりたいようにやる」ということだ。その時の自分の欲望に忠実であること、といってもいいのかもしれない。

 それが恋愛であるか、などということは泡鳴にとってはどうでもいい。吉弥に惚れたなら、とことん惚れる。だからといって、気に入られようとしておためごかしは言わない。吉弥に惚れたことが女房にどんな被害を与えるかも考えない。遠慮はしない。オレはオレだ。オレの道をどこまでも行く。

 『耽溺』に描かれた事件は、ほぼ実際にあったことで、このことが、次の「泡鳴五部作」にも出てくる。この「吉弥事件」の後、泡鳴はどう生きたか、それが「泡鳴五部作」には克明に描かれているらしい。これを読まない手はない。


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