岩野泡鳴「泡鳴五部作(5)憑き物」を読む

 

 



岩野泡鳴『泡鳴五部作(5)憑き物』その1   2018.9.18

 

 「泡鳴五部作」もいよいよ最終章だ。

 話は、「帰ってきたお鳥」の入院から始まるが、すぐに、とんでもない展開となる。

 もともと義男の言動には常軌を逸したものがあり、それは時に狂気を感じさせるものがあったが、ここへ来て一挙にそれが爆発した感がある。

 樺太での事業の失敗、北海道へ戻ってきても、金がないので友人宅の居候ばかり。東京のお鳥への思いと心配、薄野の遊女敷島とのただれた関係などなどで、身も心も疲労困憊の義男は、伊藤博文暗殺の報を聞いて逆上する。

 泡鳴の「自然主義」が異色だと言われる背景には、独特の「日本主義」がある。極端な国粋主義である。それがどこから来たものなのか判然としないのだが、自分の「神秘的半獣主義」の根っこは、西洋思想ではなくて、日本古来の神道にある、などということを、この「五部作」のところどころで言ってきた。

 アイヌ文化への関心も深かったのだが、西洋人が物珍しく取り上げて自分たちの価値観の中で解釈するのを快く思わず、日本人として研究したいのだとも言っていた。

 とにかく極端な「西洋嫌い」なのだ。若い頃にはキリスト教の洗礼を受け、その後も、賛美歌の翻訳などもしてきたというのに、いったいどこからこの「西洋憎悪」が生まれてきたのか、研究してみたい誘惑にかられる。

 そうした義男(泡鳴)は、日本の英雄として秀吉を昔から挙げていた。こんな記述がある。

 

 然し渠(かれ)は、奇體にも、自分の獨存自我説の生々的(せい/\てき)威力發展主義が確立する頃から、その一例として、日清戰爭にはまださうでもなかつたが、日露戰爭には、その勝利を全くそれが自己その物の發展だと思つた。渠は一たび樺太の土を踏んで、一層この感を深くした。若しここ七八年のうちに、米國との戰爭があらば、また一層の發展だと思つてゐる。
 ところが、この思想を殆ど神託的に體現した歴史上の人物として、義雄は昔では豐太閤、現代では伊藤公を推稱してゐた。
 戰爭は一種の機關である。この機關を動かすには、いかめしい勳章を帶びた軍人といふ職工を動かせばいい。要はただ時代思想といふ油を横溢させるものにあるのだ。
 そして藤公はそれだと。
 藤公不斷の活動がある間は、義雄も自分の努力を軍事上、政治上にも實現してゐるとまで思つてゐた。公の死は、義雄に取りて、自己の一部をそがれたのである。


 泡鳴は「自己の発展」を切に願い、そのための行動でもあったのだが、それは自己にとどまらず、日本という国家にも及んでいた。その発展の行き着く先は、「米国との戦争」だ。現実にそういう道を日本が進んだことを考えると、こうした泡鳴の思いは、当時の日本国内に広くあったものだろう。

 欧米の文明は「偽文明」だと断定して、日本文化こそ世界に冠たるものなのだとする考えは、行動としては、一挙に戦争に向かう危うさをはらんでいる。このことは深く心に刻んでおくべきだろう。

 そんな義男の話を面白く思った友人は、中学校での講演を依頼し、義男はそれを受ける。演説でもすればオレも少しは元気になるだろうと思ったからだ。しかし、2時間以上にわたって熱弁をふるったあげく、中学生の爆笑されると、怒った義男は怒鳴り散らして帰ってきてしまう。その演説の様子はこんなふうに書かれている。


 先づ伊藤公の略歴から初め、公を以つて現代の豐太閤と爲し、公と時代思想との關係を説き、わが國將來の戰爭と發展との根本的性質に及び、歐米諸國の僞文明を排して實力を尊ぶ野蠻主義の必要を述べ、藤公の一缺點はその野蠻主義を押し通す勇氣に乏しかつたところにあり、また、豐太閤と同樣、心に餘裕、乃ち、ゆるみを生じたのが間違ひであつたと評し、生々、強烈、威力、悲痛、自己中心の刹那主義を説いて結論にした。
 渠にはそれが伊藤公を語るのでなく、自分を語るのであつた。初めは、渠の現在に疲れた低い聲で出た。そこの教頭は氣を利かしたのだらう、三間ばかりもすさらして立ち並ばせてあつた五百名の生徒を、演壇一間ばかりのところまで進ませた。
 然しそれは渠を知らなかつた爲めで、渠は教師をしてゐる時、その聲が教壇のテイブルの表面を振はせるかと思ふほどになつて、教室全體に鳴り響くので、その教室以外の人々にもよく聽え、それが面白い話ででもあると、他の教室の生徒や教師までがその方に氣が取られたくらゐであつた。義雄の熱心が段々加つて來るに從ひ、われを忘れるほどのおほ聲をつづけざまに發し、それで講堂中を振動させた。無論如何におほ聲でも練習があれば調子の取り樣もあるのだが、暫らく聲を出さなかつた爲め、渠は度を失つたのである。
渠が餘り無法な、調子はづれの銅鑼聲(どらごゑ)を張りあげるのを見て、渠に比べるとずツと呑氣な雪の屋(文學士の淺井能文)はづか/\と演壇に進み來たり、
「餘りおほきい聲を出すと、からだに惡いから、注意し給へ」と、こちらに耳打ちした。
「よし、分つた」と答へながらも、義雄はまたおほきな聲を出す。それが却つて滑稽に取れたのだらう、割り合に感動する生徒は少かつたらしい。そして二時間も演説したあとで、
「豐太閤も、伊藤公も、現代の發展的思想に於いては全く僕に屬してゐるのだ――乃ち、僕自身の物である」と叫んだ時、眞率な演者には最も大切な要點であるのに、滿堂の生徒は申し合はせた樣に一齊にどツと笑つた。それが、こちらの調子を一層狂はせてしまつた。渠はぱツたり演説を中止し、一堂を瞰(にら)みつけてゐたが、
「おれは宇宙の帝王だ! 否、宇宙その物だ! 笑ふとはなんだ?」
 どツとまた滿堂の笑ひ。
 義雄は非常に怒つた。そして人々があやまりを云つてとどめるのも聽かず、鳥打帽子を忘れたまま、とツとと驅け出して歸つて來た。

 

 どう考えても常軌を逸した言動である。「田村義男発狂!」の噂がとんだのも当然のことだろう。実際に、この時の義男は、一種の発作に襲われたのであろう。

 義男の「発狂」の噂を聞いたお鳥が心配してすっとんでくる。

 

 義雄は自分の演説に自分が激動してゐた上に、滿堂の笑ひを受けた爲め一層その激動の餘勢が殘つてゐた。
「中學生なんて分らないものだ。おれがまじめに話を進めてゐるのをどツと笑やアがつたのだ、おれは演説を中止して歸つて來たのだ」と、自分の歸りを來て待つてゐたお鳥に語る。
「でも」と、かの女はなほこちらの樣子を不思議がつてゐるやうにして、「中學生ぐらゐのことにそんなに目の色を變へて來んでもえいのぢやないの?」
「‥‥」渠は二度もかの女からさう云はれて見ると、自分ながらも何だか自分の目が飛び出さうな感じもする。けれども、餘りに高い聲を出した爲めに近眼の工合がちよツと違つたのだらうと考へたので、この方の不愉快さは自分よりも寧ろかのずツとひどい近眼の有馬が年中經驗してゐるのだらうと同情された。
 兎に角、非常に勞(つか)れてゐる。そして手や足が自分のものではないやうに顫へて、自分の目のしたのあたりに絶えずぴく/\と痙攣がある。自分の發する言葉にも、いつも身づから感じて控へ目にする強い、明確な調子がなくなつてる。


 明らかに病的である。この後、どういう展開が待っているのだろうか。

 

 

 

岩野泡鳴『泡鳴五部作(5)憑き物』その2   2018.9.25

 

 前回、「この後、どういう展開が待っているのだろうか。」と書いたが、それほどの「展開」もなく、あっという間に読了してしまった。筋の展開がないわけではない。というか、おおいにあるのだが、妙にあっさりしている。それが「心中未遂」事件だ。

 義男は、お鳥を何とかして捨ててしまおうと思うのだが、「病気を治してやる」(この病気は、義男からうつされたもの。病名は書かれていないが、その症状の激しさからすると梅毒と考えられる。)という約束だけは律儀に守ろうとして、苦心惨憺する。金がないからだ。そのうえ、お鳥も、「病気を治せ! お前のせいだ!」と難詰するかと思えば、時として、優しさも見せるものだから、義男もつい可愛く感じたりする。それで、どうもお鳥には恋人がいるらしいという勘ぐりをして、焼き餅焼いたりもするのだ。

 義男の神経も、中学校での講演事件以来、だいぶ変調をきたしており、疲れもひどく、とうとう、お鳥と心中未遂をするに至る。豊平川の橋の上からお鳥と身を投げたのだが、川の下の根雪の上に落ち、死ぬことができない。その「心中」にしても、『心中天網島』みたいな、「愛するが故の心中」ではなくて、むしろ、お鳥を殺してさっぱりしたという気分(これはずっと義男が抱いていた願望でもある。)からのもので、どうしたはずみか、自分もやけをおこして一緒に身を投げたとしか思えないのだ。ほんとに、変な「心中未遂」である。

 そんなわけで、北海道での事業にことごとく失敗した義男は、敗残の身を東京へ向けねばならなくなる。その旅費でさえままならぬなか、何とか友人を回って金策をして、(それでも、ほとんど断られるのだが)お鳥を連れて、札幌を発つ。けれども、車内で具合の悪くなったお鳥を何とか休ませようとして、盛岡で降りる。

 安宿に泊まるが、とにかく金がないので、かつての教え子が盛岡にいるのを思い出して、宿に呼びつける。けれども、教え子もまだ19歳で、自由になる金もない。親に頼んでみても、貸してはくれないという。北海道の友達に「カネオクレ」の電報を打っても、返事もない。やっと来たと思えば、そもそも盛岡なんかで降りたのが間違いだとニベもない。

 それでも、なんとか、教え子に、お鳥を病院に入れる手筈だけは整えさせて、あとの世話を頼んで、義男は一人で東京へ帰ってきてしまう。

 それじゃ、病気のお鳥を見捨てたのかというと、そうでもなく、実は、お鳥にをもらいたいという男がいることが発覚するのだ。それを知った義男は、むしろ安心する。これでようやく厄介払いができた。「憑き物が落ちた」と感じるわけだ。

 なんとも、自分勝手な男だが、お鳥の「行く先」を見定めて、初めてはっきり縁を切ることができたあたり、義男は、曲がりなりにも「誠実」だったと言えるのかもしれない。

 東京に帰った義男にとって、最後の「憑き物」は、女房だ。その女房とも、きっぱり別れることにして、義男はようやくすべての「憑き物」が落ちたと感じる、というところで、この長い小説は終わる。

 『泡鳴五部作』の中でも、この『憑き物』と前の『断橋』は、散漫な印象がある。それに、この2作によく出て来る「新日本主義」という泡鳴の主張は、独断的すぎてとてもついていけるものではない。自分の「刹那主義」は、古来の神道と、「古事記」に由来するという一種の国粋主義は、なんら説得力をもたないたわごとにしか思えない。けれども、思想ともいえない未熟な思想を背景に、泡鳴の「自然主義」は、独特のものとなったことも確かである。彼からすれば、おそらく、藤村や花袋などが東京で「自然主義作家」としてもてはやされるのが我慢ならなかったはずなのだ。そんな批判も、この小説には出て来る。

 しかし、そうした学問的な考察は、ぼくのよくするところではない。

 吉田精一は、その『自然主義の研究』の中で、泡鳴の『耽溺』を評して、こんなことを言っていた。

 

この作の欠点は、さしたる特色もない不見転(みずてん)芸者に主人公が過分なイメーヂをかけ、俳優として仕立てようとまじめに考へる非聡明さ、もしくは非合理性で、いくら時代が時代にしても、読者はこの点に対して批判的にならざるを得ない。それをのぞけばぐうたらな女主人公のいかにも安芸者らしい容姿や態度も、その父母も、彼女の雇主も、みなよく描けている。大胆で露骨な官能描写も力強いし、鋭い感覚も光ってゐる。ことに明治文学で、これほど小汚らしい恋愛はいまだかつてとり扱われなかったと云ってよいほどの、非美的な男女関係はみものである。といふことは彼がイメーヂはヴィジョンを一方でもちながらも、現実の姿をありのままに見る観察力をそなへてゐたことを証するのである。


 いやあ、吉田精一って、おもしろい。「明治文学で、これほど小汚らしい恋愛はいまだかつてとり扱われなかったと云ってよいほどの、非美的な男女関係はみものである。」なんて、学者の書く言葉だろうか。「みもの」といえば、それこそ、この『泡鳴五部作』における、お鳥、千代子なども、まさに「みもの」である。これほど「女性としての魅力に欠ける」女性の描写は、ぼくも読んだことがない。それだけに「みもの」であったし、おもしろくもあった。

 『泡鳴五部作』についての吉田精一の「的確すぎる」評を紹介して、締めくくりとしたい。

 

 五部作を通じて観取されることは、これがまぎれもない、類のない泡鳴一流の作品であることだ。世の倫理と善悪を超越し、妥協なく自己を主張し、自己を表現して行く徹底した態度は無類である。「我事に於て後悔せず」といふのは彼の如きを云ふのであらうか。世俗は何であらうと、自分にとって絶対的なものを、それのみを追究し、つまり自己にとっての真理の実体に肉迫して行く態度には、何らの逡巡がない。(中略)
 この作品にあらはに出てゐるのは、主として人間の動物性であり、人間獣の側面である。さうすることによって彼は通俗的な道徳や慣習に挑戦し、新しい生き方を見出さうとした。「世俗の悪徳が、文学の上では美徳と換算されねばならぬ。」(舟橋聖一)と称される所以である。その結果は味噌も糞もない、場合によれば身も蓋もない赤裸々な残酷痛烈な文学が生まれた。よしそれが生活の不如意からだったにせよ、思想をすぐさま実行に移し、その実行を又仮借なく描いて憚らない作家的態度は、近代の作家中無類の徹底さであった。
 自然主義作家が問題にした「家」との対決、家族制度の拘束は、彼の場合問題にならなかった。彼は親の同意を待たずして妻をめとり、それに愛情を感じなくなると、直ちに妻も子もすて、家もすてた。このやうなことを三度も彼はくり返し、それによって生じる社会の悪評などは物の数ともしなかった。すべてが自我の要求の前には蹴とばされて行く。ここに自然児のやうな彼の生き方が見えてゐる。
 彼の作品がこのやうな態度を反映して、倫理感に欠け、精神的にも、肉体的にも汚らしく思はれ、しばしば人を顰蹙させるのは事実である。五部作のお鳥にしても千代子にしても甚だうす汚く、女性の醜い部分のみを高度に発揮してゐる。女性の肉感的な姿態や、小ずるい心理をうがつ彼の筆致は巧妙であって、五部作を通じてお鳥や千代子の描写に成功してゐる。一面ではまた、藤村、花袋、秋声等の長篇にないユーモアが多分にある。作者は五部作では構へてユーモラスに描かうとはしてゐない。大真面目なのだが、その真面目さが非常識を時に伴ひ、単純な、手前勝手の子供の動作や思考、言語に見られると同様な、作者の恐らく意識しないユーモアがそこここに漂ふのだ。

『自然主義の研究』1958

 


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