直線上に配置




VICTORY より抜粋

監督部屋




2005/新年号掲載

 新チームの練習が始まってから早くも一ケ月が過ぎてしまった。新六年生の活動期間はすでに十一カ月を切っているのであるが、その期間の短さをなかなか実感出来ないのが実情である。したがってあまりのんびりもしていられないのが、今の時期であるはずであるが大会が始まるのもしばらく先だし、どうしても真剣みを欠くのはやむを得ないことかも知れない。
 しかしこの寒い時期にどれくらい練習をするかで新チームの実力が決まってしまうと言っても過言ではない。その点、新チームは夕練にしろ土・日の練習にしろ参加率は高くよく練習していて、どんどん力が付いてきていると思う。しかし先に述べたように今一つ緊張感が乏しくチーム全体から醸し出される迫力が不足していると思う。練習だろうが試合だろうが全身から気力をしぼり出して取り組んでもらいたい。新六年生は体力不足を技術力と気力でカバーするしか勝ち残る方法がない。技術力に関してはそれぞれ合格点をつけられるところまで来ている。あとは勝とうという信念とどんな相手に出合っても気合負けをしない強靭な精神力を養うことである。そのためには、毎日毎日の練習で目一杯を心掛けることである。毎日毎日常に目一杯を続ける事は辛い事ではあるが、その辛さに耐えて続ける事で技術も気力も飛躍的に進歩するのである。残念ながら我がチームの部員は目一杯が苦手な子供達が多い。この寒さの厳しい中で練習を続けているのだから反吐を吐くくらい毎日目一杯を心掛けて練習に取り組んでもらいたい。そうすれば必ず素晴らしいチームに成長出来ることを約束する。
 練習試合の結果を見ても、かなりのレベルに到達出来ていると思うのだが、同時に気の抜けた何でもない凡ミスの為の失点が目立つのが現状である。今の時期の試合は勝ち負けよりも一人ひとりがどんなプレーが出来たか、成功した事、失敗した事をよく反省しより正確なプレーが出来る様になる為のテストマッチであることを覚えておいて欲しい。
 立春も過ぎ、これからはしだいに暖かさが増して来る。三月からは大会も優勝出来る様に今十分に練習を積んでおいてもらいたい。
 今年のチームのテーマは『いつでもどこでも目一杯』とする。どんなささいな事でも全身で行う事を実行して欲しい。三つの県大会全部に出場出来る様にするために今が一番重要な時期、部員全員の気合と根性を信じ大いなる飛躍を期待している。






2004/12月号掲載

 晴れた日の西の空には、雪で覆われて真白に輝く富士山が、鋭角的な冬の日差しに映えて、凛とした姿でそびえ立っている。四ヶ月前の合宿でみんなが汗まみれ、泥まみれになりながら山頂を目指してよじ登ったことがついつい思い起こされる。と同時に山容の変化で時の流れを強く感じさせられる十二月半ばである。毎年この時期には同じような感慨を覚えるのであるが、今年もまた同様に淋しいような、嬉しいような、楽しいような、残念なような、とても複雑な気持ちになりながらここ数週間を過ごしている。
 特に六年生に話をする時『あと何週間、あと残り何日で君達の少年野球時代は終わる』と言ってきたのだが、実際に卒団の日が目前に差し迫って来るとあまりにも早過ぎる時の流れに戸惑いうろたえながらも、部員一人一人の思い出や行く末に思いを馳せながら、残された日々が一日一日と少なくなって行くことに、一抹の淋しさを感じながらこの時期を過ごすのも例年の習わしである。
 今年のストロングスを一言で表すならば『曇りのち晴れ』といったところか。前期は各学年ともに今一歩のとこで優勝に手が届かず、涙をのむことが多かった。特に六年生は新座ラディッシュの厚い壁に阻まれて各大会共に上位進出がならなかったことは印象的であった。五年生の日ハム杯も若松に苦杯を喫して県大会に出場できなかった。この試合は一球の怖さをいやと言う程思い知らされた試合であった。おそらく来年は、若松とストロングスのマッチレースになると思うが、なかなか手強い相手だと思う。
 夏休みを過ぎた頃から急速にチームが充実して、後期の成績は承知のとおりである。しかしここでもまた五年生の若松戦、六年生のラディッシュ戦は、勝ち切るところまでは行けなかった。特に思いが深いのは田中歓の成長ぶりである。少年野球時代ではまともな投球ができるようにはならないと思っていたが、よく成長し戦力となって働いてくれたことは本当によかったなと思う。私自身あきらめずに教え続けられたことができて一安心である。継続は力なり、と改めて実感した次第である。十四回生もまた歴史と実績を残して卒団して行くのではあるが、このチーム成長するにしたがって、チームの中心を占める選手が転勤等で転校して行き、その都度戦力ダウンを強いられ、何回もチームを組み立て直して来た珍しいチームである。後から入部してきた選手がとても頑張って、最後に素晴らしいチームに成長してくれた。また転校して行った前田は、四国代表として全国大会出場を果たし、長野に行った大江も、県大会出場を果たし、それぞれ充実した少年野球時代を送ってくれ、私に楽しい思い出を残してくれた。この六年生の将来が輝かしいものである様に祈らずにはいられない。
 さて、来年度以降のストロングスであるがこれまた楽しみいっぱいと言ったところである。入部してくる者が少ないことが少々気がかりではあるが、五、四、三、各学年共にレベルの高いところで活動を続けており、全く心配はいらない。
 特筆すべきは、県大会は朝霞選抜を解消して予選会で優勝したチームを出場させることが本決まりとなったことである。したがって、年間に三大会ある県大会に、全部ストロングスが出場することも可能になった訳である。もともとストロングスは全国大会出場を目標に活動を続けてきたチームである。再びその活動が可能になったことはうれしい限りである。合言葉である『夢の水戸』を皆で心に秘めてその実現に向けて猛練習に耐えてもらいたい。五年生は来年度の全国大会、関東大会を目標に、四年生は来年度の日ハム関東大会を目指して、この冬一人一人がレベルアップできるように練習に取り組んでもらいたい。
 このことから言えば、来年度はストロングスが再生する年とも言える。結成以来掲げてきた『目指せ全国夢の水戸』のスローガンを再び掲げ直して活動を続けて行こうではないか。
 卒団して行く六年生をはじめ、過去の偉大な先輩達が残してくれた伝統と実績をしっかりと受け継ぎ更に素晴らしい歴史を自らの手で築ける選手になれるよう部員一同が結束して、更なる前進を続けてくれることを願っている。
 毎年味わうこの時期の微妙な心情ともあと数日でお別れである。六年生達の今後の活躍を願うと共に新しいストロングスの更なる発展を心に期しながら卒団式に臨もうと思っている。






2004/8月号掲載

 昨年に続いて今年もまた夏の県大会の出場を逃してしまった。子供達にとっては一生に一度しかないチャンスだから、是非出場して欲しかったのだが残念な結果で終わってしまった。
 二年続きの敗戦で多少気がかりなことがある。それは戦う姿勢の弱さである。今年の若松の穴澤君を見ればこのことがよく判ると思う。小さな体を精いっぱい使って堂々と相手に立ち向かっていく姿こそ、私が求めている姿なのである。たいした球があるわけでもないのに、ただひたすら相手に戦いをいどみ続けてる。味方がエラーしても、相手打者に打たれても、動じることなく堂々の投球を続けてゆく。この姿勢が他のナインの心を奮い立たせ、ここ一番の集中力を引き出しているのである。
 今年に限らず、ストロングスのチームカラーは、うまいけど勝てないということだ。うまいへたと、強い弱いとの関係がどうしてもよく判らないまま今まで過ごしてきたのだが、今年若松と戦ってみて少し判ってきたように思える。勝負での強い弱いは、うまいへたを超えたところにあるようである。もちろん基本的な技術は身につけていなければならないのだが、勝負をするのに必要最低限の技術を身につけていれば、あとは戦う姿勢、心の問題のように思えてきた。
 個々の野球技術には格段の差があるのに、戦ってみると常に接戦となり、最近では敗戦続きである。その都度思うのは若松の選手の野球に対するひたむきな心と、穴澤君に代表される強靭な精神力である。自分の持っている技術を最大限に生かしてひたすら球に向かっていく姿と華麗な技術で鮮やかなプレーをする割にはミスが多いストロングスの姿との差が、現在の結果の差を生んでいる様に思える。    
 心で野球すること、気持ちが技術を支えていること。言い尽くされたことではあるが改めてその大切さを思い知らされたところである。これまでも何度となく心の持ち様、精神力等々を教えてきたつもりではあるが、若松のように徹底できなかったのが、失敗の原因である。
 心で野球ができるように、気持ちでプレーができるように。これからのテーマである。技術は精神力で支えられている。忘れてはならない一番大切なことを今一度思い出して強いストロングスに生まれ変わらせてみたい。






2004/3月号掲載

 今年度のスタートであるフレンドリー大会を優勝できて、今年はきっといい年になりそうな予感がする。しかし、試合内容をよく見ると大喜びができるようなものではない。
 勝ち方には二通りがある。一つは技術、パワー、スピードで相手を圧倒すること。今一つは、相手が失敗を重ねて、勝手に負けてくれること。少年野球は、ほとんどが後者のケースで、優劣、勝敗が決まっている。今大会も例外ではない。したがって、優勝したからといって決して強いのだの上手いのだのと思わないで欲しい。ただただ相手の失敗が、こちらの失敗より多かっただけの結果だからだ。これからも技術、パワー、スピード、精神力を磨きに磨いて、本当の強さで相手を倒せるようになるまで、練習練習また練習で頑張り続けて欲しいものである。
 「野球は矛盾(むじゅん)との戦いである」とかつての西武ライオンズ監督であった、東尾治氏が言っていたことを思い出した。投手で言えばスピードとコントロール、打者で言えば、長打力と打率、野手で言えば、捕球、送球とその速さ、走者で言えば、スピードと判断、等々である。つまり、確実性や技術の精度を高めようとすれば、パワーやスピードを制御しなくてはならず、パワーやスピードを上げようとすれば、確実性は低くなるのである。プレーの精度とパワーやスピードは、強さや上手さにはどうしても必要な両者ではあるが、両方を同時に発揮することは、とても難しい。そこで出てくるのが練習練習また練習である。練習で確実性を身につけると同時にパワー、スピードを高めていく。まさに矛盾を克服するための戦いである。そして、どのような強打者でも必ず打ち取れる剛速球投手と、どんな剛球投手でも必ず打ち崩せる強打者が対戦したら結果はどうなるのか。またどんな強力バッテリーがいようとも、必ず盗塁ができるランナーと、どんな快足ランナーでも必ず刺せるバッテリーが対戦したらどうなるのか、考えてみるだけでも楽しくなってしまう。
 確かに野球においては、個人の技能は矛盾を克服することで高められ、試合においては文字通り「矛(ほこ)」と「盾(たて)」との戦いである。したがって「野球は矛盾との戦いであり、また矛と盾との戦いでもある」と言えよう。
 矛盾との戦いや、克服はなにも野球に限ったことではない。他のスポーツでも、また人間が生きていく上でも相反するものや、(※)乖離(かいり)しているものを整合させたり、統合あるいは並立させようと努めなければならない状況に出合うことは多々ある。人間そのものが矛盾のはざまの中を彷徨(さまよ)いながら生きているような気もする。だからこそ2000年以上も前に中国が楚(そ)と呼ばれていた時代に生まれたこの言葉が、いまだに我々の生活の中に生きているのであろう。
 最強の矛と最強の盾を同時に持つことが出来たらどんな敵が現れても安心だ。それが実現できる(かもしれない)たった一つの方法、それは練習だ。練習練習また練習の一年であることを切に願っている。
 ※ 乖離(かいり) そむき離れる






2004/1月号掲載

 時の流れとはこれ程にも早いものか。新しい年になってもうすぐ一ヶ月となる。
十一ヶ月後には、五年生が卒団するのである。この十一ヶ月間が彼等にとって素晴らしい時間であることを心から願っている。
 今は一年中で一番寒い時期である。にもかかわらず夕練には、数多くの部員が参加している。特に下級生の練習に取り組む姿には熱いものを感じる。この調子でこの冬が過ごせたら、必ず素晴らしいチームができ上がることと確信している。
 ここで改めてストロングスとはどんなチームなのか考えてみよう。 ストロングスはほかのチームと異なり、試合に勝つことを唯一の目的にしているチームである。その為には勝つことができるチーム、勝つことのできる技術を持った選手にならなければならない。その為には、そうなるような練習を続けなければならない。言葉では簡単であるが、実行となると難しい。ストロングスの先輩達はそれを実行して、輝かしい実績と歴史を積み重ねてきた。他のチームではとてもやれないことを成し遂げてきたのが、このストロングスなのである。そして、それは現在の部員にも課せられた課題であり、責任でもある。
 世界に一つだけの種をもってオンリーワンの花を咲かせるのは結構だけれど、それがストロングスの勝利の基準を満たせる花でなければ、何の役にもたたないし、チームにとっては用無しである。部員一人一人がハイレベルな選手になることが、このチームで活動する条件であり、責任でもある。現在のところ、それは十分実行されているように思える。あとは、どれだけ続けられるかだ。これから益々寒くなる。雪も降るだろう。そんな中で心や体や技術を鍛えて、強力なチームに成長して欲しいと願っている。
 余談ではあるが、オンリーワンとナンバーワンが反対のものと考えるのは誤りだと思う。また、ナンバーワンが悪で、オンリーワンが善と考えるのは、もっと誤りである。私自身は、人それぞれ個性があり、地球上の六十億人が、六十億種類のオンリーワンだと思っている。ただ、そのオンリーワンの何人かが同じ希望や夢を持ったとして、その夢や希望をかなえられる人数が、希望した人数より少ない場合は、そこに競争が生じる。その競争に勝った者だけが、夢や希望がかなえられ、負けた者は夢や希望を捨てざるを得ないのである。夢や希望を持たなければ、オンリーワンのままで生きられると思うが無人島に一人で住まない限り、この世の中そうはいかないと思う。高校や大学の入試、あるいは入社試験、可愛い彼女をゲットしたい時だって競争、競争また競争である。その競争は、オンリーワン同志でやっていることなのだ。ナンバーワンは、オンリーワンの代表(勝者)なのだ。「ナンバーワンにならなくてもいい」などとほざいてみても、朝霞市のナンバーワンにならないと、県大会には行けないのだ。夢や希望を持ったなら、ナンバーワンを目指せるオンリーワンになるべきである。少なくとも、ナンバーワンでなくても、実現可能ラインを突破できる、オンリーワンにならなくてはならない。
 一人一人が持っている種でも、蒔かれた畑や気候、風土、環境、手入れ等々でまるで違った成長をし、見違えるような花を咲かせるものである。ましてや人間なら、なおさらのことだ。育ち方、育て方によって結果は大きく異なってくる。よく育っても、悪く育っても、結果は全てオンリーワンである。向上心を持ったオンリーワン達が、がっちりと団結してナンバーワンを目指して練習を続ける。これが、ストロングスにおける、正しいオンリーワンとナンバーワンの考え方だと思っている。
 最後に教訓を一つ。
「自分の価値は他人が決める」ということを覚えてほしい。いくら俺は素晴らしい。やる時はやるんだと大声で叫んでも、他人がそれを認めなければどうにもならない。他人に認められる人間性や技能を持ったオンリーワンに成長してくれるよう願ってやまない。






2003/12月号掲載

  いつの間にか、平成十五年が終わってしまった。残す行事は祝勝会の焼肉と送別会だけである。
今年もまた皆が頑張ったおかげで素晴らしい活動ができたと思う。県大会に出られなかったのが唯一心残りだけど、六年生も充分実力を発揮してくれたと思う。昨年の秋頃のチーム状況を考えると大変心配したものだが、私にしてみればうれしい誤算といったところである。更に注文をつけるとしたら、劣勢に立った時の精神力をもっと強化する事である。優勢の時は誰でも気分良くプレーができるものであるが、劣勢の時はそうはいかない。自分より強い敵と戦う時、自分を見失う事なく力を発揮できるのは、強い精神力があってこそできることなのである。ビビッたりあきらめたりしたら自分の力を出せないまま負けてしまう。
せっかく戦った意味がない。
中学生になって野球を続けるにしろ他のスポーツをやるにしろ、また勉強を頑張るにしろ、全てに共通して言えることである。人は劣勢に立たされた時こそ、その人の技術力や精神力を含めた人柄がはっきりと表れるものである。辛い事、苦しい事に真正面から立ち向かえる人間に成長して欲しい。もし、小学生時代にその精神力を身につけていたなら、もっと素晴らしい成績を残せたと思う。この後の飛躍を心から願っている。
 さて、精神力と言えばストロングスの長年に渡る課題である。どうしても今の活動内容では、技術面は順調に成長しているのだが、精神力の強化にはつながってこない。やはりチームの考え方や指導の仕方に欠点があるのであろう。これからストロングスを背負っていく五年生、四年生、三年生、それぞれが精神面の弱さを抱えて戦っている。弱点を指摘するだけでは問題の解決にはならない。強化方法を、早急に見つけストロングスの目標である、県大会、関東大会をどの学年でも実現できるようにしたい。
 来年の秋の学年別大会はストロングスにとって特別の大会になる。後援をしている日本ハムが、ストロングスを破ったチームには特別賞を出す。また、ストロングスが三年連続三学年制覇をしたら、ストロングスに特別賞を出すと約束したのである。世間の注目度が全然違って来た。我々は決して負ける訳にはいかないのだ。
 この冬、徹底的に『心』『技』『体』の強化に勉め、県大会と共に三年連続三学年制覇を実現しなければならない。私は必ず実現できる様に指導する。選手諸君も気合いの入った練習を数多く積んで欲しい。
 私自身にとっては、今年は最悪の年であった。病気や事故で三度も死にそうになった。どうにか幸運に恵まれて、命を永らえ野球を続けることができるようになった。その都度皆様には心配をかけ、迷惑をかけてしまった。ここで厚く御礼と感謝を申し上げます。
 来年は県大会と三年連続三学年制覇の実現に向けてチーム共々一丸となって頑張ろうではありませんか。






2003/6月号掲載

 月日の経つのは本当に早いもので、平成十五年度も半年が過ぎてしまった。
六年生がストロングスを巣立って行くのもあと五ヶ月半後のことである。ここに来て、三年生、二年生の新入部員が、続々と入部して来た。ストロングスもあと四年間は無事に活動を続けられそうで一安心である。
 さて、今年の活動状況はと言うとまあまあと言ったところ。経験の浅い部員が多い六年生チームは思った以上に頑張っていると思う。しかしながら、一人一人の運動能力が十分野球で発揮できているとは言い難く残念である。今になってあれこれ言っても始まらない。全てこれまでの活動実績の表れであるから、せめて今持っている実力を全て試合で出せる様な精神力を身につけて欲しいものである。今年の六年生を見ていて感じたことがある。それは、「頑張る」とか「一所懸命」とか「真剣」とかの言葉の意味が、我々大人達と全く違っているのではないかと言うことだ。「本当にこの子達は言葉の意味が判っているのかな?」と思わせられることが多々あるのである。
 野球にしろ勉強にしろ又、他の習い事にしろ、およそ物事を覚えてそれが十分できるようになる為には必ず苦痛が付きまとうものである。レベルが高くなればなる程苦痛の度合も大きくなる。その苦痛を乗り越える為に必要なものが「頑張る」であったり「一所懸命」であったり「気合」とか「根性」だと思うのだが、どうも子供達は「そこそこに」とか「適当に」とか「普段やっていない事をやった」とかが「頑張る」「一所懸命」だと思っているらしい。これでは高度な技術や、正確な技術が身に付くはずがない。ストロングスは、今一度物事に取り組む姿勢や、考え方を改めて教え直す必要がある。






2003/1月号掲載

 明けましておめでとうございます。
昨年の暮六年生を送り出して新年と共に三十三名で新チームがスタートしました。毎年のことながら、この時期は急に人数が減って体も小さくなり少し心細く感じられます。本当に、このメンバーで大丈夫かなと思います。しかし、今年の新チームはこれまでとは大分違った印象を受けます。それはほとんどの部員が熱心に野球に取り組んでいることと、とても元気があることです。野球はそれ程うまいとは思いませんが、ガッツが感じられます。今の調子で練習を積んでいけば、きっと強いチームに成長すると確信しています。初詣や夕練の出席率はこれまでになく多くの部員が参加しています。これからは益々寒さが厳しくなりますが、あと一カ月半の辛抱です。ぜひこの状態を続けて欲しいものです。
 初夢は見ましたか。よく夢を持てとか希望を持てとか言いますが、私の考えは少し違います。強くなりたいなとか、優勝できるといいのになとか、プロ野球の選手になりたい等と、夢や希望や期待を持っている人は大勢います。しかし、それを実現できる人は、ほんのわずかです。夢や希望を持つことは大切なことだと思いますが、ただ持っているだけでは、夢や希望はかなえられません。持つだけでは、何の意味もないのです。夢や希望を実現するためには、どうすればいいのかを考え、それを実行することの方が、もっと大切で、最も困難な事なのです。それをやり通せた人だけが、夢や希望を実現できるのです。夢や希望を実現できた人が少ないのは、夢や希望の実現に向けての、実行や努力がいかに厳しいものかを、物語っています。ほとんどの人が、その厳しさに負けて途中で努力を放棄して、その結果夢が夢のままで終わってしまうのです。これを挫折といいます。落後とも言います。夢がかなえられた喜びと、夢を失った悲しみや苦しみの差は計り知れないものです。部員諸君には、ぜひ夢がかなえられた喜びを数多く感じてもらいたいと思います。
 夢や希望が大きければ大きいほど、実現に向けての努力も、厳しさが増してきます。その厳しさに負けない強い意志の持ち主になって欲しいと願っています。今の部員は、ほとんどこの努力ができていると思います。イチロー選手も「今できること、ちょっと頑張ればできること、それを続けることが夢に近づく近道だ!」と言っています。私もそう思います。キーワードは、ちょっと頑張って、ずっと続けることだと思います。
 去年、おととしの成績を踏まえ、今年は新たな夢がたくさん生まれました。それらを部員のみんなで、実現させて欲しいものです。十二月に笑顔と涙で、焼肉がたくさん食べられるように。
 間もなくシーズンの開幕です。これから二ヶ月、最後の追い込みで優勝できるチームに成長してください。






2002/12月号掲載

 最近、衝撃を受けた言葉がある。「少年野球依存症」。少年野球に情熱を注いでいるとかボランティアとかいろいろ言われているけれど、どれも自分の考え方と差違を感じていたのだが「依存症」と言われてドキッとした。
 自分自身が少年野球にのめり込む原因が理解出来ないでいたのだが「依存症」には、何となく納得出来るものがある。
 依存症、症候群、シンドローム、コンプレックス等々よく判らない「症」が多い世の中になって来たものだ。しかし考えてみると「依存症」なるが故に生きていけるような気がする。仕事、趣味、家庭、子供、父親母親、恋人、アルコール、それぞれに依存症をつけても意味は成立つ。依存症の人間の最大の特徴は、「そばに私がついてなければ、何も出来ないこの人やから・・・」の演歌に代表されるように、対象物にとって自分が必要不可欠の存在であると錯覚していることである。
 対象物が無くなった時の自分は全く考えていないし、対象物が自分を本当に必要としているかどうかなど想像すらしないのである。見事なまでに、今の私にあてはまっている。 依存症は、いずれ中毒症状が表われ機能障害となり死に至る。少年野球中毒で死んだ人はまだいない。私が第一号になってもいいな、と思っている。
 ところで、この11月にストロングスの歴史上、かってない重大事件が発生した。3、4、5、6各学年四チームが同一チームに敗れたのだ。
みんなは、それ程重大に感じていないようだが3年生チームは、平成17年のレギュラーである。4年生、5年生も負けているので、今後3年間は、若松に頭を押さえつけられているのである。これまでは各チームが打倒ストロングスで向かって来たが、これからの3年間は、ストロングスが打倒若松で活動しなければならない。立場が逆転してしまった。それを実現しない限り、県大会も関東大会も無縁のものとなる。
勝敗が決まるには、必ず原因と結果がある。特に負けるには、必ず負けの原因がある。一人一人が負けの原因にならないように、打倒若松を念じて練習に取り組まなければならないが、現状はそうなっているとは言い難い。 (特に五年生)  少年野球中毒患者の私としては、不満の限りである。
 12月23日、6年生がストロングスを去っていく。少年野球では最高の活動をした諸君達に、今さら改めて送る言葉は何もない。今後君達が、どんな道をどの様に進んで行くのかを見守っている。益々輝きを増して欲しい。少年野球時代が一番輝いていた、なんてことにならないよう願っている。
 これから益々寒さが厳しくなって来る。その寒さの中で練習を続けることはなかなか難しい。夕練の参加数もしだいに少なくなってくる。しかし、その困難に耐え抜いた者だけが、負けの原因にならない者に近づける。その人数が多い程、チームは強くなる。
 少年野球依存症の私は、同時に優勝旗獲得症と県大会出場症を併発している。とりあえず、少年野球最高レベル追求症候群、とでも名付けて、十二支の第二サイクルを歩み始めて見ることにする。






2002/9月号掲載

 「土壇場勝負」の土壇場とはどんな場所だか知っているか?
 それはむかし、刑場で首を切られる罪人が体を前に曲げ切り易いように首をのせた台のことである。 そこからは逃げ出せないせっぱ詰まった場合、ぎりぎりの最後の場合を表す言葉である。絶体絶命も必死も同じである。どの言葉も、命が必ずなくなる直前を表している。どうにもなす術がないところでも、命が消えてしまうまで助かる道を探し続けることが、土壇場勝負なのだ。「絶体絶命のピンチを凌ぐ」も「必死で頑張る」も同様だ。では、頑張るとはどんな意味だろう。最後まで自分の意志を押し通す事である。自分の意志という所が重要である。他人から言われていやいや続けているのは、頑張っているとは言わないのである。
 スポーツの世界ではよく「心・技・体」と言う。その心の持ち様を表す時に、頑張るとか絶体絶命とか必死などの言葉を用いる。 しかし、使っている言葉の意味を知り、その意味にそった実行がなされているだろうか?とてもその様には見えない。技術を高めるためにもまた、身体能力を高めるためにも心の持ち様が大きな影響を与える。その心の持ち様を表した言葉が、それぞれの言葉であり、その真の意味を知りその意味に即して、日々の活動を続けてこそ本当の精神力や気力が育まれて来るのである。スポーツにおける心の持ち様を精神力と言う。精神力は忍耐強さや我慢強さで表される。それを作り出すのが、気合とか根性とか度胸である。重要なことは、これらはみな自分が辛い時、苦しい時にどう対応するかを表していることだと言うことだ。
 県大会、関東大会を通じて強く感じたことは、精神力とは何なのかということだ。何を今更と思うのだが、浦和戦(県大会)・壬生戦(関東大会)を見る限り本当の精神力が何なのか、どうすれば本当の精神力を六年生になるまでに身に付けさせられるのか、自分自身が全く判っていなかった事を思い知らされた。序盤・中盤と互格に戦いながら、終盤になると無惨に押し潰されていく子供たちの姿を目の当たりにした時、又その子供たちの気持ちを立直してやれない自分に気づいた時、敗北感が全身に広がるのを感じたのである。
 技術力、体力は十分に全国レベルで戦えると確信できた。残る課題は精神力。これまでのストロングスに無かったもの、これからのストロングスに必要なもの、それは「不屈の精神力」である。精神力を培うためには、辛いことや苦しいことを体験し、それを乗り越える訓練を少しづつレベルを上げながら、繰り返し続けなければならない。これを、これからの活動のメインテーマにする。まず心を鍛え、次に技術を磨き、体は成長を待つ、ということにする。
 片方に、スポーツは楽しくとか、何も子供のうちからそこまでやらなくてもという意見がある中では、なかなか難しい試みではあろうが「ストロングスはこうなんだ」とういことでやっていく。脱落者が出てくる事も覚悟の上、シゴキとか虐待とか非難されても黙って耐える。結果が全ての勝負の世界で、頂点を目指して日々努力を続けられる子供たちが育っていく場所にしていく。
「艱難汝を玉にす」「苦あれば楽あり」少々古臭い話ではあるが、人が育っていく過程は昔も今も変わらない。どれくらいの部員が地獄を通り抜けて極楽へ到達出来るか楽しみである。そして又このことは、私自身に課せられたテーマでもある。






2001/12月特別号掲載

 朝霞ストロングスになって十一年目、二十一世紀のスタートの年、色々な思いが交錯しながら過ぎ去った一年。ついに朝霞ストロングスが理想的な少年野球チームに育って来た。大会がある学年全部が優勝出来るという他に例を見ないビッグチームになってしまった。これから先、二十一世紀の歩みと共に朝霞ストロングスも輝き続けながら、歴史を刻んで行くことが出来るだろう。三年四年五年と気の遠くなる様な長い時間を一つの目標に向かって練習を続けて行く。誰もが簡単に出来ることではない。それがこのチームでは当たり前のように行われている。このままで、このままでと願っている。六年生は公式戦が全て終わり送別会を残すのみとなった。一年坊主の五十嵐陽が一人でやって来て「僕、野球をやりたいのですが。」と言ってから、早五年と数ヶ月。その後入部して来た同級生と力を合わせて打ち立てた金字塔の数々、あっと言う間の出来だったように思える。
 「面白うて やがて悲しき 鵜飼かな」 この頃になるとこの句が浮かんで来る。そう言えば、鵜匠と鵜の関係は監督と選手との関係と似てなくもない。しかし晴れ舞台に立って活躍をするために費やされた時間や努力は見ている人たちには判らない。見えないロープで阿吽の呼吸を伝え合う関係を築き上げるためには想像を絶する時間と人間同志の係わり合いが必要である。それが成し遂げられたからこそ、これ程のチームに育ったのだと思う。
しかし、私は鵜匠よりも鷹匠の方にあこがれる。鷹匠は一羽の鷹を育てる為に五十羽から百羽の鷹を殺すという。ドジな奴、覚えの悪い奴、ルールを破った奴(獲物を喰ったりとか)等々容赦なく殺して最後に生き残った一羽のみが鷹狩の鷹としてデビュー出来るのだという。極限の緊張状態の中で磨き抜かれた才覚は自分に与えられた職務を完全に習熟し鷹匠の指示をうけことなく全てを自らの判断で完行するまでになるのである。
私は決めた。次の目標は鷹を育てることだ。磨き抜かれた九名の鷹で戦うのだ。試合は私の昼寝の時間だ。そして目標が達成出来たらチーム名をストロングホークスにでも、変えてやろうか。






2001/9月号掲載

女心と秋の空。天気予報の天気図もすっかり秋型である。大陸からやって来る移動性高気圧と太平洋高気圧との攻めぎ合いが、ぐずついた空模様となり時には長雨を降らせる。なにか今の私の心境に近いものを感じる。
現代は一年間を四つの季節に分けている。古来日本では二十四の季節
(二十四節季)に分けていた。不思議なことはそれぞれの季節の変り目が今の季節のピーク時にあることだ。立春は一番寒い頃の二月四日、立秋は一番暑い頃の八月七日(平成十三年)なのだ。
確かに立春の頃から気温は上がり始めるし、立秋の頃から気温は下がり
始める。昔の人は転換点を鋭敏に感じ取り大切に考えていたかも知れない。私の二十年間を振り返る時、少年野球チームの
変遷も何かしら季節の移ろいに似ているようにも思える。
栄枯盛衰、生者必滅、会者定離、等々同じ状態を長く保ち続けることは不可能だということは昔からよく言われていることである。エネルギッシュは太平洋高気圧が頑張ってエキサイティングな夏を謳歌している間に、いつしか移動性高気圧が勢力を拡大して天気が崩れてくる。時がたつうちに太平洋高気圧は勢いを失い
移動性高気圧も何処かへ去ってしまう。そして淋しい冬の時代を迎える。
しかしその季節になれば又、次の春や夏に向かっての準備が始まる。人間は自然界の産物。自然界の摂理に従って生きているという。
その人間がやっている少年野球のまた自然界のサイクルと同じ形態になることは神の定めた宿命なのかも知れない。三人寄れば文殊の知恵、四人寄ったら多すぎる。ましてや四十数人においてである。つべこべ言わず勝利至上主義を掲げて驀進だ。






2001/7月号掲載

まもなく甲子園が始まる。開会式で高野連の会長が必ず言う言葉がある。
それは『・・・、しかし高校野球の目的は勝ことだけではありません。・・・』、という言葉である。
そしてその言葉は少年スポーツに携わる数多くの人たちから 勝利至上主義を唱える私に投げかけられた非難の言葉とよく似ています。『少年野球の目的は勝つことだけじゃないだろ!もっと○○や○○のほうが大切じゃないか?』事あるごとにそういわれ、ずっと考えてきましたが最近あることに気がつきました。それは『勝つことが』と『勝つことだけが』の違いです。
『だけ』がつくとつかないでは全く正反対の意味になってしまうということです。皆さんはこの違いおわかりですか?
勝つことが目的でないなら、ずばり『勝つことが目的ではない』と言い切るべきです。朝霞ストロングスの目的は勝つことです。目的達成のために心・技・体・智をとことん鍛え抜かなくてはなりません。朝練は絶好の修行の場です。







2001/2月号掲載

新チームでの活動が始まった。初詣からもう一ヶ月半がすぎた。そして一ケ月後には公式戦が始まる。今年の冬は例年になく寒かった。しかしその寒さに耐えて皆はよく練習をした。夕練には毎日二十名以上が参加していた。その成果がフレンドリーカップ優勝として早速表れた。シーズンの始としてさい先のよいスタートが出来たとおもうしかし油断は禁物。昨年のこの大会も優勝している。にもかかわらず前半は苦戦の連続を強いられた。毎年この時期はどのチームも出来たてで戦力が調っていないのである。今後の一ケ月二ヶ月で急激に強くるチームが出て来ることはさほど珍しいことではないのである。従ってストロングスもさらにレベルアップをめざして練習をつまなくてはいけない。でないと昨年の二の舞になってしまうことが十分に考えられる。選手諸君のさらなる努力を期待する。今の夕練で特に目につくのは二年生一年生の頑張りである。部員も増えこの寒さのなかとても熱心に練習に取りくんでいる。私のながい野球生活のなかでも初て見る光景である。この子供たちがどんな選手に成長していくのかとも楽しみである。春はすぐそこまで来ている。もう一頑張りだ。












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