2000年8月24日(木) 晴れ

朝いつものように7時前に起きると、携帯に着信。液晶画面には実家からの電話との表示。びっくりするも、母が万が一を考えて試しに掛けてみただけとのこと。父の具合が悪化してきているようだから、今日明日ではないだろうけど、いつでも帰れるように準備をしておくようにとのこと。

久々に雲がない快晴。昨日よりは幾分気温が低いおかげで、エンジンを止めたままでも社員駐車場で朝刊をなんとか読むことができました。

出社後、いつもはマナーモードにして鞄に入れたままの携帯をズボンのポケットに入れて、今日の業務スケジュールなどを確認中、再度携帯へ着信。母から父が亡くなったとの知らせでした。急に様子が変になり、すっと消えていくように静かに息を引き取ったとのこと。

慌てて上司に報告後、9時半頃帰宅。鞄に着替えなどを詰め込み、10時頃に自宅をでました。10時40分頃に広島駅へ到着。結局11:25発のひかり120号で、新横浜15:56着。JR横浜線〜根岸線で横浜へ出るも、腹具合がおかしくなったり、雑用をこなしたりして、実家には17時過ぎに到着。

父は安らかな表情で寝ていました。これまであった酸素ボンベや点滴の器具が片づけられてがらんとした部屋に、線香の煙が漂っていました。

母に訊いたところ、私が日曜日に広島に戻った直後は、特に問題なかったとのこと。確かに私の電話に出たのは父で、受け答えもはっきりしていました。長距離ドライブを労って、「ご苦労さん」と言っていたのが、父の最後の言葉でした。翌日の月曜日も午前中は「夕べかずから電話があったぞ」などと母に伝えたりして元気だったようです。

その後容態が悪くなり、今日を迎えたとのこと。最後まで苦痛などはないようでしたし、母や弟などとも昨日までは会話できていたようなのが救いです。

先週帰省したときにも、普段通り高校野球とプロ野球の中継を一日中梯子していました。野球好きの父でした。

今日は、疲れました。