横尾忠則・轟悠トークショー
<司会進行 熊本市現代美術館副館長/南嶌 宏氏>

2005年3月27日(日)
於:ホテル日航熊本

以下は、会場でのメモ走り書きをもとにしたご報告です。
あまりに興味深いトークに気を取られて、書きそびれたり(何の役にも立たんヤツで すみません)、
聞き間違いや聞き漏らし、まとめ書きなど、多々あることと思います。
お気付きの事がありましたら是非ご指摘下さいませ。
 文章・内容が大変に不備でございますので、くれぐれも、コピー、転載は なさらないで下さいませ

12時からのランチ(オシャレで美味しかった〜♪)後、隣の広間に移動。シアター形式の会場で、前方に低めのステージがあります。

まず、現代美術館の南嶌館長さまのご挨拶。 
今回の美術展に関し、「横尾先生が、熊本はブエノスアイレスのようだと言われ 今回の企画(熊本・ブエノスアイレス化計画 会期1/29〜4/17)になったが、実は先生は行かれた事はないそうで・・」というエピソードから、先生の直観力や感性の魅力について語られました。

(★以下<>は、南嶌館長さま  Yは横尾先生 Tは轟さま ( )は やうこの私見、補足です)
(★なお、なるべく詳細にはお伝えするつもりですが、お言葉遣いなどは簡略化させていただきます。) 
 

さて! お待ちかね! お二人のご登場です。
TOMさまは、黒のエレガントなシャツ、お襟もとや、左の肩の後ろなどに、ブルーのバラのコサージュをあしらった(もしかして ご自分でアレンジされた?)お召し物でした。
舞台の向かって左から、横尾先生、TOMさま、少し離れて館長さまが座られました。
少しイスが高めだったのでしょうか、横尾先生は、お座りになるのがちょっと大変そうになさって、ついに「足、ブラブラしません?」とTOMさまに質問(笑)。
(TOMさまは すでに静かに座ってらして そのご様子を見守っていらして、微笑ましげに「大丈夫です」というような。そのお二人の対比が、なんとも”いい感じの組み合わせ”でした)
 先生は、やっと座られたと思ったら、今度は「ここに座ったら急に暑くなった」と、上着をお脱ぎになり、下のシャツのエリもとを気にして「これは出した方がいいですかね、先日の「青い鳥」で貴城さんがいじめられてましたね」と、ツウなお言葉で、会場は ますますワキアイアイな雰囲気に包まれました。
 

<お二人の出会いについて>
:神戸オリエンタルホテルで「浅茅が宿」のポスターを見て、近いから行ってみようかと思って行き、そして 見終わって 外に出たら景色が違っていた。
表に出たら「現実」が、あまりに白々として、「もう一度 あの世界に戻りたい」と思った。
この気持ちを どうやって東京に持って帰ろうかと、そこのショップでブロマイドを1000枚買って帰った。
(TOMさまが 「先生、そのお話、ここにいらっしゃる方のほどんどがご存知ですよ」と、いかに有名な「伝説」かをお伝えしました(笑))
 で、轟さんに会ってみたいと思ったのだけれど、(ちょっと回りを気遣う気配で)、轟さんは、外部の人とお話されることは あまりない方だと聞いて、(すると、TOMさまが 「人見知りするんです」と笑いながらコメント。そうそう、そういうところがファンは好きなんです。いつまでも、神秘的な雲の上の方でいらして欲しいな〜やうこ私見です)
ついにお会いできるようになって、ドキドキして待った。(廊下でTOMさまの影が見えた時の緊張感など、ファンモードが感じられて嬉しい^^)
でも、轟さんは、部屋に入ってくるなり私の服を見て「あ、私 それ持ってる」とおっしゃった。(笑)

T:どこが”人みしり”なんでしょうかね(笑) 私も、横尾先生って どんな方だろうと緊張して。

Y:いや 私のほうが緊張ですよ〜、(舞台でしか会ったことのない)”虚構の人”だもの。
お会いした後で写真を撮ったらフィルムが入ってなかった(笑)

T:(客席をご覧になって)ひと作品を10回以上観る人は居るけれど、一回観て1000枚買う人は居ませんよ(笑)
私も、本物の芸術家って どんな人かと 怖かったのですが、洋服が同じで(笑)、それに、先生の瞳が澄んでいらして、思っている事をポンと言われる、そういう飾りのないお人柄に、打ち解けすぎるほどに打ち解けてました(笑)芸術家の感性を 肌で直に感じました。

Y:
その(会談の)時に、私の絵を見た轟さんが、 「舞台のポスターを」と言われた。
それから このまえ、三木先生が思いついて下さって舞台装置もすることに。
轟さんの舞台をやる事になって良かった。他の組だったら 轟さんに何て言われるか。(笑)

T:(いたずらっぽく)月組のポスターを 作られたんですよね♪ 「え?! マミのポスター作ったの?」って(笑)
「次に出る舞台は、舞台美術もポスターも先生だ」と聞いて嬉しかったです。

Y:轟さんの舞台で良かったですよ〜(笑)
舞台装置って、近くではかえって見えないでしょう?

T:舞台稽古の時に コムちゃんと見ましたよ^^。

Y:舞台稽古の時、轟さんが忙しそうで(感想をお聞きしたかったのにというニュアンス)。
しかも、スタッフは後ろで見る。「前で見たい」って言ってるのに それも 一番後ろで。(場内 爆笑)
(急に嬉しそうに)東京では前で観ました^^。
汗が光っててね。汗がセクシ〜なんですよ〜(爆笑)

(「青い鳥」東京公演で宝塚をはじめて観劇したという館長さま) 横尾先生に「ぜったいハマるから」と何度も言われ、やっぱりハマりました(笑)。
もう、轟さんの開演アナウンスの時点から。横尾さんが隣で ずっと、「こんど ここで轟さんが登場するから」とか、解説付で。(爆笑)
(キッパリと)究極のものを みせていただきました(笑)。
今後の轟さんのご予定は 星組公演の稽古が31日から。29,30日がTCAだそうです。
ところで、今回の横尾忠則展の印象は?

T:驚愕(きょうがく)。びっくり!ですね。
先生から頂いたポストカードは 手のひらサイズだったので、それを、(さっき 会場で拝見して)目の前で見て わ〜っと。気が付いたら時間が残り少なくて。
先生のご説明付きスペシャルツアーで。見終わった時、口あいてました〜(笑)

Y: 描きかけの作品、あの製作中に倒れまして。(HPに書かれていらっしゃるように、帯状疱疹が重症でした)轟さんは?

T:
(帯状疱疹は)私はおかげさまで。でも、以前、振り付けの先生が公演直前に倒れられて。

Y
:轟さんは ストレスないでしょう?(この、突然の、他に誰も言えない、先生ならではの”無垢な質問”に、場内爆笑のウズ)
わりと好きな事 言うし、妥協しないですものね。(更に 大爆笑)

T:とにかく めんどくさがりなんです。 やり出すと トコトンやらなきゃ気がすまないですが。

Y:あ〜。私もですよ。
英語を習おうと思って、外人さんをアシスタントに雇ったんです(「へ〜英語を勉強するために、ですか?」と、その発想に感心するTOMさま)
でも、そっちが先に 日本語を覚えた。
その彼が、すぐに話した日本語が「めんどくさい」って。「横尾先生が よくそう言ってるから」って言うんです。(笑)

T:でも私、「しんどい」というのは言ったことがない。「めんど〜」なのはあるけれど、しんどくはないんです。
(横尾先生が「へ〜 私なんか 立ちあがるときに・・」)あ、私も「よいしょ!」とかは言いますよ〜(笑)。
(TOMさまは、プロポリス入りキャンディーを差し上げたそうで、「プロポリスはいいらしいですよ〜」としきりに勧めてらっしゃいました))

<轟さんも絵を描かれるんですね>

T:さる組のお稽古場に、風呂敷に包んで持って行きました(笑)。

Y:”ふろしき画商”みたいに風呂敷包みを抱えて持ってきて「先生、これ見て〜」と言うので、開けたら絵でした。
スイスのコモ湖のような。轟さんが「ちょっとマンガチックみたい♪」とか言いながら。

どうでしたか
舞台背景のようでもあり、洗練された絵でした。
T:先生は「ほ〜〜〜」とおっしゃって。
Y:もっと見たいと思っていたら、パッパっと片付けちゃった。(横尾先生が身を乗り出してる前で、とっとと風呂敷に包んでお片づけされたであろう その時の情景が目に浮かぶようで、場内大爆笑)
(「心の旅」画集をご覧になって)、壁に開いている窓の向こうに景色が見える、あれが好きです。

:「遠征」です。

「こちらからむこうを見ている、こちらの世界とあちらの世界、というのが面白い。「窓越しシリーズ」をやったらいかがですか?

ふすま越しとか・・・

:ま、自由にやってください。(爆笑)

いつ頃から絵を描いていらしたのですか?

:男兄弟ばっかりで、砂場で遊びながら砂に絵を描いたりとか、それから色エンピツ、クレヨン。
そして、母や兄弟と習っていた絵の先生に勧められて 小学校4年の時から油絵を描きはじめました。油絵というと何か大人の仲間入りをしたようで嬉しかった。

(子どものころから油絵をやっていたと聞いて横尾先生が「ぼくより先輩だ」と感心しながら)
:油絵は難しいよね。思わない方向に行ってしまうのが 難しさでもあるが、その発見が喜びでもある。

:これまで 個展を開いたのは二回だけすが、これからも続けていきたいと思っています。
もっと自分の表現したいものを描いていきたい、自分を表現できればいいなと思います。

Y:絵は観察力なんですよね。舞台もそうだと思う。他のいろいろなことにも、観察力は持ったほうがいい。

横尾さんは、グラフィックデザイナーとしてデビューされたのですが、絵を描かれるようになったきっかけは?
:”魔がさした”としか言いようがない。(笑)
ニューヨークでピカソを見た時です。
ピカソは、自分の心に忠実なんです。その時その時によって画風もがらっと変わっている。
僕は、そのとき、「今、自分に忠実か?」と問いかけ、それ以後、絵を描くようになったんです。
絵を描くことは、舞台人としても影響すると思う。
人間の中には、いろいろな興味の対象があるから。

 (私の場合)何をしていても舞台のことを考えているかもしれません。。
旅行をして、ミュージカルを観たり、風景に感動したりした時、「これを絵に描きたい」「彫刻もしてみたい」とも思う。それが どこかで舞台につながり、そしてまた描きたくなる。すべてがつながっている気がします。

 ひとつだけに集中していると、心がとらわれて、執着するが、いろいろなことをやっていると、相乗効果で表現の幅が広がっていく。
だから、舞台で多面的な轟さんが見れるのが楽しみ。そういう轟さんを見ると、「これは負けておれん」っていう気がしてくる、
そういう相乗効果もあるんです。
 僕は、(「浅茅が宿」で)香寿さんを抱きかかえホントに涙している轟さんを見て、「すごい、タカラヅカの人も泣くの〜?!と思ったんですよ。

T:(なんとなく タカラヅカの出演者はカスミを食べているように思われるが)、ふつうに ご飯を食べたり・・しています(笑)。
でも、そうしたイメージを持ってもおかしくないほど、舞台の上に、現実と違う空気を創っていくのがタカラヅカですから。

:虚構の世界で もうひとりの自分になれるのが羨ましい。

: 役にのめりこまなきゃいけない。でも 一方で、それを眺める客観的な自分がいる。客席や舞台袖や、いろんな方向から自分を見なければ、自己満足になってしまう。

Y:お客さまの顔は 舞台から見えるんですか?(突然、ふと思いついたご様子の、実にナイスなご質問!)

:見えます。
ときどき、客席にライトが当たるときも良くみえますが、ショーのときなど 明るいので特に。

:ファンは、都合のいいように考えますからね。
特にボクはその点 自己中心なものだから、「パッと目が合った!」「ボクの方を見て歌ってる〜!」と。
そうなると も〜息苦しくて。(爆笑)
で、目をそらしたんです。
右にそらした。そしたら轟さんが 左にそらして、僕はあわてて元に戻したら轟さんも 元に戻した。・・・って思ってる。

(この、高名な、大人の、男性が、こうも切ないファン心理を 見事に表現されて、場内 大爆笑と共感の歓声に包まれました!私も、横尾先生、大好きになっちゃいました。
そして、このコメントに対して、TOMさまは「見てたんだと思います」というような、実にファジーなお答えをなさったかと思うのですが。)

今回、 横尾先生が轟さんのことを初めて紹介されるとき、ただ一言「轟さんは、天才だよ」とおっしゃいましたが、あれはどういう意味でしょうか

:僕は女性の天才って あまり見たことない。
だけど、僕は、轟さんは主観と客観がひとつになっている事を、わりと早い時期に発見した。
フランス人かなんかの人が男と間違えたとか(あまりに面白すぎて 書き損なってしまったんですが、たしか、ルキーニの時に海外演出家が男性と間違えたほど、男役に徹していらっしゃる事を言われたのかと思います)
僕としては褒めてるつもりなんですが、植田前理事長が、「イシは そう言うと嫌がるんですよ。あれでも、女だと思ってるんですよ」と言われました。

:「(確認するように)「(そんな事言ったのは)植田先生ですね」(大、大 爆笑)
タカラヅカに実際に入る前は、女役になろうと思っけれど、舞台を見て 男役になる!と宣言。
初めの頃は、「可愛い」と言われるのも恥で、男役はこうあらねば、と努力しました。
なので、舞台に対しては褒め言葉だと受け取りますけど、普段の私を見てそうおっしゃったら「えっ」と思います・・・・(笑)

私は、今回の『青い鳥』のジェイクを見て、「男役」というフレームがあるがゆえに、とらえきれない女の色気も感じました。

:それが タカラヅカの魅力かもしれないです。
一般の舞台と違って、なまなましさが無いところ。
男性には気が付かない、女性が感じる男らしさを表現している。

Y: 南嶌さん、それ、危ないですよ〜!
(タカラヅカの女性ファンは)男に興味が無い。
劇場に居て、僕はいったい何なんだろうと思う。
僕も男役に憧れているんです。
そして、劇場は 男子トイレも少なく、僕みたいのは少ない。
おばさまかな。
オバサマ原理がはたらいてる。
僕は完全にオバサマになっているんです。(大爆笑)

:ファンの方から「家事。育児の一切を忘れて観劇しています」といったお手紙があります。

Y:それは不幸ですね〜。現実に戻ったとき、どうやって生きていくんだろう。(笑)
その点、僕はいいんです。劇場から外に出ると男性で、入ると女性ですから。(爆笑)

タカラヅカに入ったきっかけは?

小さい頃は、パイロットとか獣医さんとか、「夢」は あったんですが、中学卒業を前に進路を決めていく中で、自分に問いかけ、分からなかった。
不安だらけの中学生だったんです。
そんな時に、淡路島のおばに勧められて宝塚に行き、休演日だったので劇は見ずに、「募集」を見て願書を買って帰り・・・と、気軽に受かった。
でも、それからが大変でしたけど(笑)。
しかも、私達の年は、倍率が最低で(笑)、約14倍。
最低だった割には、同期が 娘役1人を含め5人がトップになったという、運の強い学年でした。

:運といえば、僕も 今度生まれ変わったらタカラヅカ トップスターになる!と、思ったけど、お稽古を見て (あまりにハードそうなので)やめました。(笑)
妻と娘は、来世にタカラヅカに入る為に 今から ダンスや歌を習ってます。

:今から、ですか?(笑)
先生のお嬢様は とてもおきれいな方で、「えっ! ホントに先生のお嬢様?」ってほど(笑)

:え〜「お嬢さん、よく似ていらっしゃる」と言われるんだけど。

タカラヅの厳しさ
22年前に、何も知らずに入って、
授業についていけない。
大阪弁 わからない。
球磨弁 通じない。
ということで、半年ほど しゃべらなくなった。
同じ九州なんですが、愛華は、なぜかきちんと通じたんですが、私のは分からなくて、ピアノで音をとってイントネーションを覚えました。
でも 今は。 
男役は一度身につけてしまえば後は楽ですし。
音楽学校も、今は、行きながら高校にも行けるようになった。
以前にあって 今は無くなったものは・・、お茶と鼓笛でしょうか。
ただ、そのときには必要が無いと思われたものでも、後で舞台で役にたつことも多いものです。
私も、空手部に入ってたし、日舞もやってて良かった。
殺陣(たて)士の先生が、「どうして最初から出来るのか?」と言われますが、腰が入ってるからかと思います。

:あ、でも、この前、刀をさす時、パチっと指をはさんだでしょう♪(「ちゃんと見てました」とばかりに嬉しそげな先生^^)

:刀を納める時に、できるだけ鞘(さや)を見たくないので、パンっと入れようとしたらはさんでしまって。
その時は痛くもなかったんですが、血が(メモが、このあたり、ビックリで書けてなく、不明。 たしか、お衣装に着くと取れなくなって大変なので、と仰ると、先生が「”お”衣装)ですか〜」と、「お」に感心されてました)。

:酒井先生が言ってましたが、轟さんは、右足を出すか 左足を出すかさえ 計画的に決めている。それを 観る側からは、いかにも自由自在にやっているように見せるが、基本が すごくしっかりしている、と。
それを聞いて僕は、三島由紀夫さんみたいだと思った。

:自分では そんなに計画的ではないのですけれど。いつも、お客さまから見てどうかな どうかな、と考えてはいますが。

(ここで横尾先生が唐突に)
:轟さんは、コーヒーと紅茶とココアと、どれが好きですか?

:最近ようやく、カフェオレが飲めるようになりましたが、以前はずっと紅茶でした。
小学生の時に、コーヒーを飲んで車に乗って酔って以来、嫌いだったのですが。

:コーヒーが好きな人は、論理的。
紅茶が好きな人は 空想力がある。
ココアが好きな人は俗っぽくて現実的。
轟さんは、さっき コーヒーを飲んでいらしたので、僕も「いけない」と思って、お砂糖いっぱい入れて飲みました。
(TOMさまは、最近はお砂糖はあまり入れず、クリームを入れるそうで)
僕が轟さんのお砂糖をもらって、轟さんは 僕の分のクリームを入れて。
コーヒーは、ヤキイモの焦げたようなにおいがするので あまり好きじゃないけど、今回は二杯も飲みました。
なにも そうがんばらんでも、と 思いながら、ファンならそうするかもと、ナットクでした)

プリンツ21(季刊誌 ’05 夏号)に、轟さんが寄稿されたことについて

:私が 先生にお会いした時には、言葉が出てこなかった。
それで、今回、原稿を書こうとした時、「たとえとしたら何が・・・」と考えた。
私は 台風が好きで、家の近くの土手に上がって「風の神よ」「雨の神よ」など、手を広げて雨を受けたりして。。
台風の目に入った時の面白さとか・・・。そのことにたとえて書かせていただきました。

: 轟さんが「プリンツ21」に、僕に宛てて書いてくれた文章、とてもいい。良く書いていただけました^^。
その文、飛行機の中で書いてくださったようで、その原稿の用紙は、便箋にエンピツで線をひいて マス目が作られてありました。
たぶん、あれは、定規か何かを使って書いたと思われ、ピシッと書いてあるのも轟さんらしい。しかも、その線引きが 途中までしか書いてなくて^^。
そういう轟さんの子供っぽさに感動した。
(その寄稿は)エッセイなんだけど、 僕に宛てた手紙のようでもあり。
轟さんの愛情、というと誤解されるから、「友情」と言おうか、感じられるんです。

:レポート用紙に1200字とお聞きし、数を数えないと。。。(笑)
(ファックスで送られたその原稿は、出版社が処分されたかと思っていらしたらしく、先生がお持ちだと聞いて ビックリのご様子。貴重なその「線入り原稿」、ぜひ拝見したいですね^^)

:飛行機の中で どうして定規を持っていらしたのかとか。(笑)
ところで、歌劇団宛に手紙を出せば轟さんのところに届くんですか?

:はい。必ず届きます。でも、不審なものはチェックされ、まずダメですが(笑)。

(作品の話題から?突然、「夢」の話題に)
:僕は 大湿原に居て、寝てしばらくたったらインディオが出てきた。「出た!」という感じなんだけど、怖くはなく、優しい「歓迎」の概念を送ってくるんです。
それを絵に描いた。優しい波動を送ってくつ感じを。

:私の夢は、舞台関係が多いです。
着替えがまだなのにセリが上がっていくとか、化粧が間に合わないとか。スリ鉢状の野外劇場で演っているとか^^。
下の弟が まだ小さくて、向こう岸との間の川が深くて、サメやらウツボやら うようよ泳いでる。私が叫んで、助けに行かなきゃ〜。
森の中で 迷彩服を着て 人を助けに行くとか。
シェルターの蓋が あと10センチというところで助けられなくて泣いてるとか。
空を飛んでいる、と思ったら 床から15センチだった とか( たてつづけに たくさんの夢のお話をお聞きし、なんだか大活躍した気分)

:僕は夢日記を書いている。
夢は無意識だけど、それを書くことで、健在意識(?)となって ひとつになる(シンクロニティ?)。
偶然おきる事というのは、必然によって起きるんです。
だから、夢を見たら 人に話したり書いたりしたほうがいい。

:心理学の本を読んだことがあって、潜在意識や 無意識のところにある能力に気付いて、それをどこまで表現できるのかを考える事が大切だとか。

:僕は偶然はないと思っているんです。偶然で片付けては面白くない。
三島由紀夫も、心の深い部分で感じたことを表現する人。

:感性を吸収できる柔軟性を持ち、受け入れ、後は天命を待つ。そうして、お客さまに (その感性を)持って行ってもらうのが舞台かもしれない。

:観る人に、勝手に見てもらう。
そこで無理に完結してしまったら 次が無い。

:すべてをマス目を埋めて「はい、完成!」じゃ つまらない。未完が すべてのスタートなんだという・・・。

:今日は いいお話を聞けましたね〜!

:今のこの、客席からのエネルギーを感じたことを大切に、先生の絵を見たことも大切に。

:仕事と 実生活をあいまいにしたくない。ふたつを切り離さないと頭がおかしくなる(笑)。
 植田前理事長さんは、公私ともに いつでも礼儀をわきまえ、時間にも正確。
なので、お会いするのに緊張する(というお話から、植田先生が 礼儀正しく 礼節深いお人柄であることなどなど)

2000年(?)の11月号「歌劇」で、轟さんが 後輩へのアドバイスとして、「自分の至らなさをタナに上げて、人のせいにしちゃダメよ」と書かれているのを読み、ご自分に厳しい人なのだと思いました。
そこで、表現をする時に 何を一番 大切にしますか?

:人の一生は あっという間。
命の尊さを分かって欲しい。
人の心、今という時間を 大切に生きて欲しい。すべての事に思いやりを持つ。

:僕が言おうとした事、言われてしまった(笑)
やはり、自分に忠実でありたい。
たてまえと本音が 世間には どうしてもあるけれど、
たとえ嫌われて 今の立場を無くしても、自分の心に忠実でありたい。
自分の魂に問う、どう考えてるのか。
損得とか、好かれたいとか 考えて行動しがちだけど、でも、本心はどうなのか考える。
それから「今」という瞬間を大切に。楽しく、貴重なものとして記憶にとどめておきたい。

:(今 言ったことは)、自分に言い聞かせている事です。
心に感じない限り 行動にうつすことは出来ませんから。

轟さん、今後のご予定・宣伝など してください

31日からお稽古が始まり、4月29,30日がTCA。
今回は いろいろな歌をメインにお送りします。
星組の出演は初めてです。
長崎って、異国情緒があって、物語になりやすい。岩崎弥太郎でも長崎だったし。
唐人屋敷で追われる身の役で、時代は江戸。その時代は、装飾的ではなく地味な時代ですが、蛇踊(じゃおどり)もあるし、松本悠里さんが踊られます。
(先生が、わたるさん大きいねと仰り)卯之助という名前に「うどのたいぼく」とからかう場面があるとか(これまで「大きな木」の歌♪で、わたるさんに とても親しみを持って接していらっしゃるTOMさま(ファンの間では有名なオハナシです)。なので、「うのすけさん」が、その語呂で、そうなったのかなとも思ったり)
舞台が九州というと、あ、嬉しい♪と思います。でも、周りが長崎弁なのに 自分は江戸弁なんですよ^^。
こちらに熊本の方 いらっしゃいますか?観にいらして下さ〜い。


<ご挨拶>(館長さまが、「青い鳥」と言うところを 「赤い鳥」といい間違え、すかさず先生が)
:美術館を創った人が赤と青を間違えちゃって^^。
(ここで、ふと エピソードを思い出され)轟さんが、帰り支度をして こちらに来られ、ポケットに手を入れて、「はい 先生」と、プロポリス キャンデーをくれた。
それは、誰にもあげられないんで。(と、大事な「お宝」秘話を ご披露下さいました)
轟さんと トークができて とても嬉しいです。

:横尾先生と
 ゆっくりお話させていただき、それも、熊本でと、こちらが(トークショーを)させていただきたいと思いました。
ありがとうございました。

                                       以上


(後半、ふだん書きなれないせいもあってか、手が疲れてしまい、メモが ますますいい加減になりました。それに、次々と 面白いお話が出てきて ついつい聞き入ってしまって。、皆様に ご遠慮なくフォロー下さいますよう 重ねて お願いいたします。)
(この夜、熊本の街を歩いたら、たしかに「熊本は ブエノスアイレスだ」と思った私です)