ヤツは空から来た。
その日、バトルロイヤル開始の日。イルザークは電異の海の一画に自ら構築した萌えキャラロワイヤル最終決戦会場の点検に余念がなかった。
予選の間に練られた萌えフォースが、問答無用の叩き合い、バトルロイヤル決勝においてさらに錬成され、高純度となっていく。その萌えフォースを、逃さず収集しミソロギアに持ち帰らなければならない。
せっかく高まった萌えフォースを逃さぬよう、二重三重に結界を張っていく。これにより結界内部は萌えこそ全て。萌えが全てを決める、まさに情け容赦ない萌え地獄となろう。
親切なイルザークは看板まで立てていた。
『警告! 結界内では萌えが全て! キャラ設定で強いからって勝てるとは限らない!』
萌えだけがものを言う残酷な戦場。だが、それでいい。今はそれでいい。
自サイトのHIT数増加のために、イルザークの力を利用しようとする多津丘には気を許せないが、ゲートの守りを突破し、ミソロギアより放たれたという暗黒龍からの追っ手が現れれば、客観的に見てイルザークの力では撃退することは難しい。そうなれば、萌えフォースを集めること自体が不可能となる。
一刻も早く事を終わらせなければならない。多少の歪みには目をつぶる。
それがイルザークの出した結論だった。
東京都渋谷区代々木、神社本庁。
地下30階――。
「……歪律域拡大! 都下各所に現出。拾いきれません!」
「東、震度2は区部、震度1は……」
「香取の要石に共振が出ています! あっ、かっ、鹿島も共鳴……」
「常陸はいい! 南だ! 情報出せ!」
突然の神降ろし。
しかも霊波係数にして3万を超えるカミの出現と、それに伴う渡来震、及び歪律の発生により、YASHIROシステム監視室はパニックの様相を呈していた。
室長はじめ監視室の面々は、限られた情報量と時間の中でギリギリの対応を余儀なくされていた。
そんな中、室長の携帯電話が奏でたコール音、「ワルキューレの騎行」は、まるで死に神の歌のように響いた。
「……はい」
『……監視室か? 私だ』
「これは、知事閣下」
『挨拶はいい。状況はわかっている。次に問題が起きたらという話だったな? 約束通り、暮流来留市のYASHIROシステムを閉じてもらうぞ』
「はっ。それは、しかし……」
『……何度目だ?』
「はっ……」
『これでもう、何度目だと聞いている!』
返す言葉を持たない室長に、電話口から追い討ちの言葉が浴びせられる。
『江戸は当然。武蔵もかまわん。……だがな。相模は神奈川の管轄だ! 官僚ごときに、何度も何度も塀越しに庭掃除をするような真似をされて、いつまでも黙っていると思うな!』
ついにこの言葉が。
出てしまった。
絶句する室長の耳に、最後の言葉が届いた。
『……2時間だけ待つ。それまでに対応がなければ、大山、寒川、鎌倉八幡。合わせて諸々、神奈川全て。挙げて本庁に弓引くと思え!』
一方的に電話が切れた後も、監視室は関連して行わなければならない業務が山とあり。
とても神奈川を刺激しないように、暮流来留市を再把握する余裕はなかった。
こうして暮流来留市のYASHIROシステムは、神社本庁から切り離されることとなる。
それは管理者による侵入者の排除が行われなくなったことを意味する……。
そしてヤツは空から来た。
最後の動作確認を行っていたイルザークの見る間に、空が一点にわかにかき曇り。墨色の雨雲が太陽を覆い、大粒の雨が地面を叩き始める。
あり得ない事態であった。最低限の機能を備えた世界の構築で手一杯だったイルザークには、このようなエフェクトを仕込んでいる暇などなかった。
何者かの干渉。しかも、悪意を感じるタイプのそれだ。
(まさか……)
黒雲のように沸き上がる不安を胸に、イルザークは空を見上げた。暗雲たれ込める天上の一点に……。
亀裂。
(まさか!?)
鼓動が一気に跳ね上がる。
空を掴み引き裂き砕く、その手。その爪。ここからでも陽光に煌めく様が見えるその硬質の鱗。
『GYUGYUGYU-っ!!!』
爬虫類めいた声を上げ、今やまごう事なき竜族の強靱な腕が、空の一画に自らの侵入経路を刻みつけた。
『探したGYUっ! こざかしい八王家の末裔め!』
天空に邪悪な声を響かせ、虚空を渡る力を秘めた闇の翼を羽ばたかせ。
暗黒龍の刺客はイルザークの構築した世界へ侵入を果たした。その邪気。その魔力。
暗黒のオーラに包まれ、姿すら正確には見えないそのことが、嫌でも相手の実力を知らせてくる。
(勝てない……)
ミソロギアから持ち込んだ八王家の神器。破竜鞭が、雷光針が、断嶽鉞が。
三本の「ドラゴンスレイヤー」が、紅の輝きを発して反応しているのが何よりの証拠。間違いなく暗黒龍の配下。その中でも竜牙三将クラスの実力の持ち主。
一瞬、絶望感に支配されたイルザークの隙をついたかのように、裂け目から侵入した眷属はその闇の翼の飛翔能力を発揮し、凄まじいスピードでイルザークに迫ろうとする。
『そっ首、頂きGYUーっ!』
「くっ……」
押し寄せる覇気が、しかしイルザークに戦闘態勢をとらせた。破竜鞭を展開し、眼前に破邪なる六芒星を描く。さしもの眷属も、このシールドを直撃で破るだけの力は持っていないらしく、左手にのしかかるような衝撃と引き替えに、なんとかその突進を止めることが出来た。
(思ったほど威力がない? ……行けるっ!)
『生意気GYU……』
「食らえっ!」
舌戦に応じる余裕はない。雷光針を最低レベルの魔力で投げ上げる。上空で何条もの光に分裂し、眷属の頭上から雪崩れかかる光のシャワー。
(これに気を取られてくれれば……っ)
フェイントに一条の望みを託し、手持ちの中で最大の破壊力を持つ断嶽鉞にありったけの魔力を込め、破竜鞭を畳むと同時に正面から打ちかかる。
イルザークは現状で最良の手を打った。その確信があった。
それだけに、雷光針の奔流が両翼の展開のみで弾かれ、断嶽鉞の一撃を正面から、素手で受け止められたときに。
心底、愕然とし、そして一瞬遅れて戦慄し。
そして恐怖した。
「あ、ああ……」
『くっくっく。今のはちょっと、危なかったGYU……』
(殺される……)
声にならない絶叫を上げながら、尻餅をついて後ずさるイルザークを。
悠然と歩いて追いつめる眷属。
『暗黒龍様の野望は誰にも邪魔させないGYU。楽になるGYU……』
握りしめた拳に集めた、竜気の一撃がイルザークに向かって放たれた……。
『ぽこん』
『……へ?』
二人の間抜けな声が被った。
『なんだ、これは?』
またもや、二人の声が被る。
確実に命を奪うと思われた一撃。直撃も間違いない。
しかし、生きている。どういうことかと自分の両掌を、そして周囲を見回すイルザークの視界に、自筆の看板が映り込んだ。
『警告! 結界内では萌えが全て! キャラ設定で強いからって勝てるとは限らない!』
「……そうか! そういうことかリリン!」
『あーあ。言っちゃったGYU』
「うるさい黙れ! ここは既に萌えが萌えを洗う萌えキャラロワイヤル決勝会場! いかに貴様がミソロギア最強の暗黒龍の力を秘めた眷属であろうとも、もはやその実力など、この結界内での勝負には全く関係ない! ここで物を言うのは『萌えフォース』! ただそれ一つ!」
勢い込んで語るイルザーク。絶体絶命のピンチを脱出したことが、彼女を常になく高ぶらせていた。
「理解したか暗黒龍の手下よ? ならば去るがよい! 貴様に在るべき空間などない!」
『……それはどうかGYU?』
不敵な声と共に、眷属を包んでいた暗黒のベールが薄まり、その姿が鮮明に見えてくる。
と同時に、くぐもって響いていた声も普通に聞こえてくる。
「よーするに、お前等全員ぶっちぎりの萌え萌えキャラなら問題ないぎゅ!」
愛らしい少女の声が。
「暗黒龍様のため、萌えキャラロワイヤル決勝戦ぶち壊し。この『ぴえーる=おーぎゅす子』にお任せぎゅ♪」
「お前、乱入の上、萌えキャラってアリかそれーっ!!!」
「中ボス参戦、宜しくぎゅ! オバサンには負けないぎゅ〜っ♪」
「オ、オバっ……。くっ、こ、殺す! 死なす! デスらせる!」
「オバサンには無理ぎゅ〜っ♪」
「ぁあもぉっ! 壱目さん私の絵、まだデスカァーッ!?」
2003年元旦。ヤツは空から来た。
そして決勝バトルロワイヤル、開始。