銀天盤 ○成田宙港 北洛


プラネット・ガテラー 〜先達はあらまほしき事なり〜

(※愚痴だよ)

 つーか滅入るよね。ここまで「負け」確定だと。

 本来、勝ち負けじゃないとわかっちゃいるけれど、あんまりこっちの目指すところの三倍上をいかれるとネー。がっかりー。みたいなー。

 しかし、武術でも良い師匠がいなければ慢心しダメになるのです。常に上に目標があるくらいで丁度良い。この幸運な出会いに感謝しよう。

 そんじゃま最後に、個人的に選んだベスト・オブ・ガテラーSSの勝手な感想でも書きましょうかね。書きたいから。俺が。ネタバレなので色だけ変えます。本編読んでから来てくださいよ。

 ちなみに順番と面白さは関係ないです。行ってみればわかるけど膨大な量です。とても順位づけなどできません。食い散らかしになっちゃうけど。

「死に至る病」(ときメモ 如月さん 虹野さん)

―結論を言うと未緒は子犬を見捨てた。

 そこから家までは処刑場への道を歩くようだった―


 まあ、これだよなあ。まあ、これだよなあ。一つ目は。

 如月未緒は眼鏡っ娘である。俺の中では。ステロタイプから一歩も出ずに存在していた。このSSを読むまでは。

 作品の解釈は色々です。人物の解釈は色々です。でも、私にとってはこれが如月未緒なのです。深みのある考察という言い方でさえ生ぬるい。このSSこそが、如月未緒に典型を越えた人間性を与え、ゲーム中の描写を上澄みに変えたのです。私にとっては。

 考えすぎは損かもしれない。でも本当に突き詰めれば、なにかを得ることができるかもしれない。誰かの助けがあれば。

 それは例えば、一人では何もできないという単純な真理なのかもしれないけれど。

 この物語は真っ直ぐに世界の真理を描いてはいない。友情を通して人間を描いている。それは遠回りな道。そう、茨の道を避けることができなかった、彼女の歩みと同じように。

 でも。


 ―生んでくださって、ありがとうございました―


 真面目で不器用で責任感が強すぎて、いつも遠くを見ていた少女が、はじめて気づいた足下の花。通学路の途中の噴水。公園のベンチの日溜まり。身近な風景。

 そこにいるのもまた自分だと、感じることができたから。


―だから私はここにいます―――


 それが彼女の第一歩。

 
 

―たとえ歩みは遅れても、いずれ真理は照らされよう―――


 いつか我等は辿り着く。それを信じてさえいれば。

 なんでもないことなんだ。気がつきさえすれば、「なあんだ」と笑ってしまうようなことなんだ。そんなたいしたことのない、ほんとうにたいしたことのない、そう……。


―幸福よりも価値あるもののために―


「……あの、〆葉さん、意味わかって書いてらっしゃるんでしょうか?」

 未緒ちゃんそれはいわんとこ。な。

「……はあ」

「ロボットになりたい」(ToHeart 琴音 マルチ)

 僕はまあToHeartではマルチがイチオシなわけです。そんでもって物書き系ページの人でもあります。

 ですからToHeartを遊んだら、当然マルチの話を書こうと思ったわけです。しかもスッゴイヤツを。具体的にはともかくスッゴイの。みんなが泣くようなヤツ。小学生みたいな制作目標だな。我ながら。

 でまあ、スッゴイのを書くために資料を集めたり集めなかったりしながら下準備をコツコツと進めていました。そんな時期にガテラーさんが「HumanTool」の方を発表されたわけですが、読みませんでした。当時は自分の中のマルチのイメージを大切にするため、カテゴリ「マルチ」の作品群は丁寧に除去しながらネットしてましたので。

 だってガテラーSSデスよ。絶対引きずられるとわかっていて読む勇気はありません。

 そして自分なりのアプローチでマルチ話周りの設定を固めていったわけです。地に足の着いた話の好きな自分としては十年。十年技術的にフライングすればまあ、なんとかという考えで。

 ロボット技術は本田のP3。燃料電池の効率化と小型化はハイブリッドカーと次世代電気自動車。人工知能は2001年宇宙の旅を参考に。外皮はハリウッド等のいわゆる特撮技術。宇宙衛星、及び軍事用の電子機器。

 なんだなんだいけそうジャン。技術的には。でもスッゲー金かかるなあ。とても車二台分では作れない……。そこを、こう、社会情勢をいじって……。

 なーんて考えてたわけですよ。「リアルな」時代考証に基づいた「ありそうな完成度の」マルチが、オーバーヒートしたりフリーズしたり電池切れになったりしながら動いたり動かなかったり。そんな一週間の中でロボットに心があったりなかったり。

 「うわーありがちー」と思った人正解。商品に僕の自己嫌悪をあげよう。貰って。

 でまあ、自分の方に目鼻が付いたんでやっと余所のマルチSSも読む気になって、丁度当時上梓されていたこの「ロボットになりたい」を読みはじめました。読み終わりました。自分の書いてたのは消しました。

 

 リアリティーはもちろん大事です。自分のアプローチが全部間違っていたとは思わない。けれども、ウソだと言えばToHeartという世界そのものが元々ウソだというのに、些末な現実味にこだわってどうだというのでしょう。

 メイドロボなんてありゃしねーよ。フィクションフィクション。と茶化す人に対し、それでも感動できたんだからいいじゃないか。いいんです。僕はマルチを全肯定。と胸を張っていた自分を、いつの間にか見失ってしまっていた。

 ガテラーさんのSSには、メイドロボの開発環境について技術的な記述はありません。でも、そんなの関係ないのです。そこには、姫川琴音を通してマルチそのものが描かれているのだから。

 自分はなにを書きたかったのか。マルチのいる世界か。マルチのくれた感動か。いろんな情景をそつなくまとめて悦に入ろうという嫌ったらしい下心はなかったか。物事の枝葉に拘泥するあまり本質を見失っていた自分に気づかされて、ダメージドン。しかもガテラーさんはマルチイチオシではないという事実でダメージさらに倍。もはや篠沢教授に全部しか。

 
 以上。至極個人的な愚痴でした。

 ……なんか感想っぽいことも書こうか。もちろん、個人的な見解だからガテラーオフィシャルは知らんよ。

 えーと、だから琴音とマルチはお互いを写す鏡なわけですよ。マルチはロボットであって人間とまったく同じ「心」を持ってはいない、と。それは一貫したルールとして作中にありますが、でもしかし読者である我々にはマルチの温かな心が感じられます。これは何故かと訊ねたら。

 それは琴音ちゃんの視線なんですね。我々読者は一人称語り口の持ち主である琴音ちゃんの視点を通して作中のマルチを見ています。得られる情報には琴音ちゃんの主観が入ってきているわけです。

 整理しよか? 本来心がないはずのロボットであるマルチ。ところが読後、そのマルチには温かな心があったように感じられる。それは何故かというと、作中で琴音ちゃんが「マルチには心がある」と感じたから。

 これが切り返し。鏡を逆に見れば、多くの学生に銀行窓口の応対プログラム程度に認識されていたマルチに心を感じることが出来たという点で、むしろこの作品は琴音ちゃんをこそ描いている……、ってこれは琴音ちゃんSSだから当然なんですが。

 しかし、当然の構造を保持しながら書き進めるというのは結構しんどいもんです。どうしてもよれる。仮に僕が書いてたら、どうしてもマルチに好意的な描写が増えたでしょう。安易な琴音ちゃんの復権すらあり得たかもしれない。

 なに言ってるかわからない人は、この作品が「クラスで孤立する姫川琴音。しかしある日やってきたメイドロボが彼女の心を開かせ、笑顔を取り戻させる。ロボットを通じて周囲とも徐々に交流を取り戻す琴音。最後の日、彼女はクラスメイトと共に涙でマルチを見送るのだった」という程度でまとまっていた場合を考えて、その深みの差に愕然としてください。

 そういう構造的なところとは別に、描写レベルでもハッとする点が多いです。全部抜き出してると俺が死ぬからベストワンを。

―エンジンがかかる。マルチが不器用に窓を開けようとするのを、後ろから別のロボットの手が 助ける。窓が開いてマルチが身を乗り出した。琴音は精一杯の力を込めて叫んだ。―

 意外ですか? でもここなんです。僕的ベストワンは。

 情景が浮かぶんですよ。神奈中バスの(いや、俺にとってバスというと神奈中なんで)あのクソ重い窓枠を開けようとして開けられないマルチの、その後ろからスッと伸びてきて手際よく引き上げる寺女の制服の袖。顔は見えない。開く窓から吹き込んでくる風に迷惑そうな顔をする窓際の乗客達の頭上から「申し訳 ありません」とかけれる声。それらのやりとりには気づかず窓から顔を出すマルチ。風になびく緑の髪から見え隠れする耳のセンサーが、琴音の声を聞き取るために稼動している……。

 社会に受け入れられない二人の、最後の会話を手助けする存在がセリオというのが実によいのです。彼女もまたメイドロボとして社会に受け入れられない側に立っている存在です。ここには二重の意味があります。

 一つには、やはり二人は非社会的存在であるということ。人の善意を押し出すと話が安っぽくなるということは、前の俺が考えた別パターンあらすじでわかってもらえたと思うけれど、ここで例えば「マルチが窓を開けられないのを見て手伝ってあげる親切なおじさん」等が出てきてしまうと話の構造はよれる。

 「異質なモノは排除される」。僕がハマってしまった些末なリアリティーに比べて、ガテラーSS世界のなんと硬質なことよ! 徹底してるんだ。世界への視点が。

 だがそれだけでは救いがない。ただただ嫌ったらしい現実世界を書くだけなら、最近のバイオレンスとエロだけがウリの青年誌系漫画にだってできるさ。

 ここで二人の手助けをするのが、他ならぬセリオであるというのが僕が言った二つ目の意味。単純にセリオを有能な存在と捉えるならば、これは神話の構造と酷似している。万能なる神が行い正しき人間を助けたもう、ってやつ。実際、作中でのセリオの扱いは「無感情な女神」に近い。琴音ちゃんの超能力の謎を解いたのも彼女だし。

 しかし、これは落とし穴である。よく考えれば、セリオ自身も寺女ではどういう扱いを受けているかわからないのだ。彼女は決して「強者」ではない。心、というキーワードで繋がれた琴音とマルチの間にも入ってこられない。より「異質」であるとさえ言える。

 「社会」についに受け入れられなかった(この時点では、だよ)存在に対して、それでも「世界」からは援助の手が差し伸べられた。この事実は世界の懐の広さを表し、価値基準が決して「社会」ひとつではないことを示す。そして示された行動が一般「社会」のものより共感を誘ったということは、孤立無援の琴音ちゃんにとっての希望であり、我々読者への救いである。

 そしてまた、同じように「社会」から弾かれながらも、他者に対し臆することなく手を差し伸べたセリオという孤高の精神の気高さは、我々にほとんど尊敬の念を抱かせる。そしてこのセリオというもう一つの視点は、この話が単純な「心を亡くした社会」と「心故に傷ついて生きる人々」との対立構造になることを防いでもいる。まっこと、神業と言うより他にない。


 ロボットになりたかった少女は、ロボットと出会うことで自らの心を見つけ。

 心を持たないロボットは、一人の少女の心を写し、そして自分のこころを見つけた。

 一つの出会いと二つのこころがもたらした物は、ちっぽけな、たったの一本のネジではあったけれど。

 いずれこのネジは世界を開いていくのだろう。そんな予感と共に、この物語は幕を閉じる。もちろん、それは新たなる始まりでもあるのだ。



―想いを言葉にするのって難しいですね。でも琴音さんと出会えて本当に幸せでした。琴音さんのこれからが幸せでありますように。―


 願わくば。

 その御心にこそ、幸あれ。

 次はなににしようか。


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