------  マンション  ------


 前に書いた、色々な事があったアパートからマンションに引っ越した。

 コンクリート製、駐車場確保、家賃十万円以下、という条件で、国分寺駅前の、おじいちゃんが一人座っていた不動産屋さんに見繕ってもらったのだ。(前のアパートで、隣室の音に悩まされたので「コンクリート」が必須項目!)

 あれこれ紹介してくれたが、「駐車場は、高くても物件と一体でなきゃダメです。別のを借りても長持ちしない!」と言われて、ちょっと交通の便が悪かったが、勧められたところ、武蔵野線・新小平駅の近くに決定した。

 六畳二間と八畳相当のDKで家賃7万円、道に面した青空駐車場3千円。
 ここで、結婚し子供ができるまで長く暮らすことになるとはもちろん考えていなかった。



生垣で見えないが、一階は全戸庭付、建物の向こう側はもう一棟
立てられるぐらいの広さの中庭があり、片隅に全戸それぞれ用の
物置がある。四方が広々とした良い環境なのは今も変わらない。
(上の写真を撮りに、久々に行ってみたのだ!)


 家賃振り込み用の口座番号は教えていただいたのだが、大家さんは数軒先だったし、私はあまり金融機関を利用する性質ではなかったもので、わがままだったかも知れないが、家賃は直接現金払いにしてもらった。

 この、定期的に顔を見せるということで、何となく親しくして頂いたかも知れない。

 家賃を払いに行き、ご主人が出てこられると、領収印を押しながら景気の話などをしている、そのうち奥さんがお茶を出して下さって、玄関先に座り込んで長話になる事もしばしばで、いつぞやは趣味の話からご主人が大事にしていたライカをいじらせてもらったこともあった。


 このマンションの階段下に車を寄せて旅の荷物を放り込み、九州まで車を走らせたのは数十回にも及ぶだろう。
 山や国東の写真、版画等、大部分はこの頃の作品なのだ。

 青梅街道から路地を少し入った静かなところで、周りには畑や梨園が広がり、近くに食べ物屋がないのが独り者の身には唯一不便ではあったが、ご近所の方(大人も子供も)もよい人ばかり、大家さんのご一家も、なんというか、良かったのだ。

 後で、マンションの所有権が移って、管理が不動産業者委託に変更されたとき(管理が不動産業者になった事が、引っ越しを考えた一因。)、契約書が必要になって探したが古いものしか見つからない?
 しかたなく、大家さんに電話したら「あ〜〜、 無いですね。」と、こちらものんびりした返事!
 初めに作ったっきりで、後は放っておいてくれたらしい。

 引越す時に、何年ここに居たのか、10年くらいは住んでたか? と思っていたら、なんと15年も過ぎていた!
 その間、契約は切れたまま、家賃は一度も上がらず、私はただ、月々の家賃を払っているだけで、のんびりと過ごしていたのだ。
 考えてみれば、ここに来た時には、黄色い帽子をかぶってランドセルを背負っていた大家さんちのお嬢さんがすっかり大人になっていたし … 。


 とても恵まれた環境で、多分私の人生で、一番のんびりと過ごした時代になるのだろう。


 家を購入して、このマンションから引っ越すとき、バタバタしていて、大家さんや、子供のお守りをしてくれた近所の子供達に、きっちりとお別れの挨拶とお礼ができなかったような気がしていて、それが未だに心残りになっている。

 ただ、それは、過ぎてしまったのんびりした独身生活、もう戻れない過去への憧れみたいなものの残りが、そんな感情になって現れているのかもしれない。

 過ぎてしまった時間は、少し間を置いてみれば、少々色褪せていたとしてもいつも暖かく懐かしく思えるのだ。






2012.05.27.    ................トップページへ