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下宿 ----------
学生時代、私は下宿屋に間借りしていた。時期がずれていたので下宿用の部屋は塞がっていて、残っていたのは大家さんのエリアのはずれの6畳+2畳の間借りだけだったのだ。
ここで暮した4+1年の間に、私は一人暮らしに慣れ、東京に慣れていった。
東西に長い建屋の二階が下宿部屋、西端に下宿人専用の玄関や共同の炊事場、トイレと二階への階段があったが、私だけが炊事場の横のドアを開けてすぐ左のふすまで仕切っただけの普通の部屋に住んでいた。
そのせいかどうか、大家さん一家には家族のように面倒を見ていただいた。
なにしろ洗濯機の使い方を教えてもらったのもここの奥さんである。そして洗濯物の上手な干し方を教わったのは、同じく下宿屋の小学生の女の子であった。
洗濯もできなかった私が自炊などやる訳がなく、ずっと外食だったが、近くにメニューの豊富な焼き鳥屋を見つけて、そこのメニューを一日一品ずつ端から順に食べていくことにしていた。
その中に「ピーマン炒め」と「肉入りピーマン炒め」があったおかげで苦手だったピーマンが食べれるようになったのだ。
貧乏学生の三種の神器というのがあった。
電気コンロ・小さな鍋・電気ポット、である。
これにインスタントラーメン数袋と ― 書きにくいので商品名を書くが ― ネスカフェ(粉末インスタントコーヒー)、クリープ(粉末ミルク)、砂糖があればもう余裕のリッチな生活だった。
学校が終わってからビル掃除のバイトに行っていたこともあるし、家からの仕送りが遅れて、一週間インスタントラーメンだけで過ごしたこともあって金に余裕は全くなかった、がしかし、それでも余り気にならなかった、もしくは気にならなくなったのかもしれないが、お陰様で今でも金銭感覚が希薄で嫁さんは迷惑していることだろう。
寝るときには枕元に水を入れた電気ポット、コーヒー、ミルク、砂糖、コーヒーカップ、文庫本が並んでいる。(寝る時でなくても、大体そのあたりにころがっているのだが)
朝、目を覚ますと布団の中から手を伸ばしてポットのスイッチを入れ、お湯が沸いたら布団に入ったままコーヒーを飲み、昨夜の読み残しの文庫本の続きを読む、…ん〜、これはやっぱり、今となっては夢のような間違いなくリッチな生活ではないか!
そういえばそんな生活で、夜に本を読んでいて、朝四時頃眠り昼頃一度トイレに行き、次に目が覚めたら薄暗かったので、腹も減ったし(昼飯食ってないし)夕飯食いに行こ、と思って外に出たら雰囲気がおかしい。
なんと夕方ではなく翌日の早朝(六時ころ)だった! って事もあったっけ…。
こういう生活がやりにくくなったのは私の生活環境が変わったせいだけなのか、もしかしたら社会環境もそういう方向に変わってはいないだろうか。
私がゴロゴロしていたのは、学食の一番安い定食が100円、テトラパックの自販機が並んでいた時代である。
今の若者も湯水のように時間をやり過ごす生活ができるのだろうか?
2009.07.16. ・・・・トップページへ