― 鬼無里(1971) −
鬼無里とは、長野市鬼無里地区のことである。
が、かつては長野県上水内郡鬼無里村であった。
私は、学生時代にこの村を歩いて通過したことがある。
戸隠・奥社からJR白馬駅まで歩いて行く途中に、この鬼無里村の旅館「裾花館」に宿をとったのだ。
どうしてこのルートを歩こうと思ったのか、考えてみても全く思い出せないのだが … 。
季節は春、4月初め、学校は春休みであって、さぼった訳ではない。
前日は戸隠奥社の横倉ユースホステルに泊まり、そこがスタートである。(実はこれを書く時に、自分の古いメモを調べて分かったのだが、ここは私が仙台から吹浦(鳥海山の麓)等の東北を旅した最後の〆にあたる工程だったのだ! てっきりここだけのために出かけたと思っていたら … あの頃って元気だったんだな〜!!)
途中のトンネルを抜けた所で見えた風景
鹿島槍から唐松岳あたりであろうか。
モノクロフィルムを使っていたのは、
もちろんこの頃はカラープリントが高かった事もあったが
自分で暗室作業をやっていたせいでもあった。
(この写真は、当時のプリント2枚を合成し調整しています)
奥社をスタートした日はあいにくの曇り空だった。
鬼無里方面への分かれ道は、地図は持っていたがあまり自信が無く尋ねようにも人影がなく「まあいいか」で進んでしまった(あの頃は大抵の事はどうにかなる、と信じてた!)が、幸いにも道は合っていた。
戸隠から鬼無里への境が「大望峠」で、天気が良ければ北に戸隠の山々、西に北アルプスの連山が、という絶景が望める所らしいのだが、当日は曇天のためなんにも見えなかった!
だが、まあ、結果的には「お楽しみはあとの方で」となったので悪くもなかったのだ。
特になんという事もない道を半日歩いて、裾花川の流れる鬼無里の谷へ入ると、久しぶりに(?)人家も見えるようになった。
登山靴でドタドタと快調に(?)歩いていると、前方に赤いランドセル姿が見えてきたが、私の方が歩く速度が速いのでやがて追いついてしまった。
赤いランドセルがよく似合うおかっぱ頭のかわいい女の子である。
他に人影もなく、黙って追い抜くのも大人気ないので「こんにちは!」と言ってみたら「コンニチハ!」と返してくれた!
同じような荷物を背負って歩いている者同志という勝手な親近感もあって、話しかけてみる。
「学校の帰り?」
「ウン!」
「なんの勉強したの?」
「こくごとおんがく!」
結構相手をしてくれる!
それからしばらくは、のんびり歩きながら楽しい会話を続けることができた。
やがて、女の子は道路沿いの家を指差し「(わたしの家は)ここだよ!」「バイバイ!」と別れたのである。
曇り空の下の長い歩行も、おかげで楽しいものとなった。
さて、今日の宿は鬼無里村の旅館「裾花館」である。
木造二階建ての黒々とした建物は、なかなか貫禄があった。(今はコンクリートの建物に変わってはいるが、営業を続けておられるようだ)
この宿は、大学の友人が夏に時々お世話になっていて、なかなか居心地がよいと聞いていたのだがその通りだったようで、記憶では何の用もなかったけれど2連泊している。
中日も曇天で、どこに行く訳でもなくほとんど宿の炬燵でゴロゴロしていたが、ご主人のご家族皆山登りが好きで富士山は1合目から歩いて登ったなんて話を伺いながら一緒にお昼ごはんを頂いた。
いつの間にか戸隠を出発して三日目の朝になっていたのだが、充分以上に休養をとって白馬に向かって歩き出した。
鬼無里を出ると家も人影も通る車もなく、未舗装の道(林道?)をひたすら峠に向かって歩いて行く。
私が歩いた時は、未舗装で両側のフェンスもなくて
斜面を削り取って道を作った、そのまんまであった。
(本写真:Google ストリートビューより、 2016/03)
峠はトンネルになっている。
そう短くもない素掘りのトンネルには照明もなく暗い足もとに目を凝らしながら歩いていたのだが、ふと視線を上げるといつの間にか近づいていたトンネルの出口いっぱいに雪山が広がっているではないか!!
私はザックを背負ったまま思わずドタドタと走り出していた!
なにしろ宿を出て以来黙々と歩いてきただけなので、これはすごく感動的な光景だったのだ。
トンネルを出てみれば、眼前には雪の後立山連峰の絶景が広がっていた。(一枚目の写真参照)
一人で眺めているのはもったいないほどの風景だったのだが、残念ながら私以外に人っ気は全然ない!(この日、白馬までの間に出会ったのは炭を焼いているというご夫婦一組だけであった)
峠を越えてしまえば、あとは楽な下り道である、天気も良くなってきて、日も射してきた。
白馬の駅に着くころには青空が広がっていたのだ。
絶景のトンネルのある峠は、改めて手元の地図で調べてみたのだが名前が分からない。
この峠の少し北には、昔からの「柳沢峠」があるが傾斜が急だったため廃道となり、私のたどった道は車用として新しく作った道で、当時はまだ新しかったのかもしれない。
私が、何故この峠に行ったのか、もう覚えてはいない。
多分鬼無里の話を聞き、行きと帰りに違うルートを選んだらこういう結果になったのだろう。
天気にも恵まれず、ただ黙々と歩いただけのようで(…実際そうなのだが)大きな出来事も名所もなく、では、つまらなかったかというととんでもない! 思い出深い良い旅として記憶に残っているのだ。
おそらく、山や観光地ではなく、ある地点から次の地点へ歩く、という事を目的にした最初の旅だったのではないかと思う、それが好印象だったのでその後「歩く」という事が大事な目標の一つになっていった。
鬼無里の四季まで説明してくれたあの赤いランドセルの女の子にも感謝しなくてはと思っている!
今思えば、目的地までの移動を大切にする私の価値観の一部を固めてくれた大切な旅であったようだ。
白馬駅までもうちょっと、 かな …?
2017.06.04. ................トップページへ