―  周防灘フェリー 


 周防灘フェリーは、山口県・徳山と大分県・竹田津を2時間で結ぶ。

 東京から車で九州の大分・宮崎を往復するときは、いつも利用していた。
 陸路だと三角形の2辺を走らなくてはならないところを、このフェリーは残りの1辺を結んでくれる。
 なにしろ東京から一人で運転してくると結構疲れが出てくる頃に徳山に着き、船内の2時間の貴重な休憩が得られるのだ。
 一度くらいは完全に陸路で行こうと思いつつ、このフェリーの魅力に負けて結局一度も実現できなかったのも仕方がない事だろう。
 
 私がこのフェリーを利用し始めたのは、1972年の師走のことである。(徳山駅からフェリー乗り場までは、徒歩でも5分くらい))
 二度目に大分の国見ユースホステルを訪ねた時の事で、一度目はそもそもフェリーの存在自体を知らなかったので、JR(当時は国鉄)日豊本線宇佐駅からバスを2本乗り継いで伊美までたどり着いた。
 その翌年からは、空路の場合を除いて、新幹線だろうが車だろうがいつもこのフェリーを利用していたのだ。

 初めて乗った時は大人一人の乗船券は三百円台であった。
 そして、その後ほぼ1年毎に切符売り場に行く度に、毎回110円ずつ値上がりしていたような気がする。
 今年(2015)久しぶりに乗ったら¥2700になっていた。
 そんなに上がったのか、と思うよりも、そんなに時が経ったのかと思う … 。




フェリーの、車の乗船口
割と狭くって、初めて車で利用した時は「おっかなびっくり」だった!
ここは、昔から全然変わっていないような気がする。



 あの頃はのんびりしていて … 年末の事だが、早めに乗船してデッキから埠頭を眺めていたら、数人の船員さんたちが遊びに来ていた子供のタコ(ゲイラカイトがはやっていた頃)を 取り上げて 一緒になって揚げていた。
 こちらも船の上からながめて楽しんでいたら、突然船員さんたちがタコを子供に帰して全速力で船に向かって走り出したのである。
 … 出航時刻を過ぎていた。

 徳山駅からの乗継時間がなく、それでも無理を承知でザックを背負って走ってきたら、人用の乗船用タラップは片付け済みだったので、まだ開いていた車の乗船口から入れてもらった事もある。

 そういえば、今は車一台の料金は運転手一人分だけが込みで、二人目以降の同乗者は乗船券を購入しないといけないのだが、私が利用し始めた頃は車一台は一台で、何人乗っていても同じ料金だったのだ。
 それで、フェリーの乗船口でヒッチしているツワモノがいたという!


 車で利用するようになってからも、このフェリーは24時間ほぼ2時間強おきに便があったおかげで、時間を気にせずに走って来る事ができた。
 無理な運転をしないように、意識して船のダイヤは調べなかったのだ。
 ただ、「運」というか、東京を出発して大体12時間くらいで徳山のフェリー乗り場に着くのだが、順番に並ぶ車の列の一列目、それも5台目よりも前、が多かった。
 タイミング悪く、乗り場に着いたら車は1台もいなくて、列の一番前つまり、船が出港した直後、という事さえ何回かあったのだ。



 こんなに便利だったのに、今回の旅行(2015年)でダイヤを調べたら、なんと間隔が約5時間前後くらいに便数が減っていて、おかげで、フェリーに乗るために途中で1泊する羽目になってしまった。
 フェリーに乗っていたら、ツナギを着た何人かのお兄さんたちが船体の錆が目立つ所に白ペンキを塗っていたので、話しかけてみたら、「停船している時間がほとんど無いので、航海中に塗るしかないんです!」との返事。
 リーマンショックと高速道路の値下げ時期以降がっくりと客数が減って、以前は2艘就航していたのが1艘になってしまったらしく、ドック入りの時間どころか、港に停泊している時間すら余裕がないようだ。
 確かに1隻で今の便数をこなすにはピストン運転するしかないのは当然だが  … 大丈夫なんだろうか?

 このフェリーの利用客数がなぜ落ち込んでいくのか?
 瀬戸内海のように橋が架かったという訳でもないのだが、九州東岸という接続先が需要が少ないのかもしれないし、4m超の車の片道料金が¥12400というのも高過ぎると思う。
 まあ、元々利用者が少なくて、正月前後ですら三が日を外せば予約なしでも乗船できたくらいだったのだから、普段は乗船客の料金だけでは燃料代も出なかったのではないだろうか …。

 そう考えれば、以前よりも客足が遠のいてしまった現在は規模を縮小せざるを得ないのは当然だが、そうすればさらに利用し難くなって …という悪循環が心配である。
 自家用車での旅行が一般的になり、「道の駅」がそこらじゅうにできる一方でフェリーの利用客は減っていく … うまくいかないものらしい。




 今回私がこのフェリーにこだわったのは、国東通いの原点に立ち戻って… という事もあったのだが、船上から「少し離れた所から眺めた国東半島」の風景をまた見たい、どうしても見たい、と思ったからなのだ。




フェリーで国東半島の「竹田津港」近づいていくと
半島の重なり合った峰々が水墨画のように見えてくる。
帰ってきたぞ!と、胸が騒ぐ瞬間である!



 国東半島のように、行く方法として「陸路」「空路」そして「海路」が選べる目的地はそう多くは無いと思う。
 そのなかで最も印象的な風景がゆっくりと展開するのが「海路」なのだ。
 年末、この地に向かう時、フェリーの中で時計を見てそろそろ半島が見える頃だなと思うと、どんなに寒風が吹き荒れていても一度はデッキに立って、目の前に徐々に広がる国東半島の峰々に目を凝らさずにはいられなかった。
 船が苦手な私は、2時間の運行時間中、正月休みの帰省客で賑わう暖房の効いた客室にいられなくて、深夜便の寒風吹きぬけるデッキのベンチで、ずっと寝袋にくるまっていたこともある。

 そういう個人的な思い入れがあるからわざわざ苦労してこのフェリーに乗るのだが、乗ったことがなければ、高速道路がつながった現在は車の人は陸路の方が安上がりだし、遠路で急ぐ人は飛行機を利用するだろう。



 私は学生時代に一人旅を始めた時から、目的地に着くまでの過程を大切にしてきた。
 目的地は、どちらかというと移動を味わうための「おかず」であった。

 国東に入り込んだのは、最初は実家のある宮崎に着く前の単なる回り道で、どんなところか全然知らなかったのだ。
 思えば、私の旅は「トコロさんのダーツの旅」みたいなもので、地図を見て「このあたりに行ってみようか?」がスタートだったような気がする。
 それから、近所のユースホステルを探したり、通ったことのないルートを組み合わせたり、が旅の楽しみの始まりであった。
 宿が見つからなければ夜行列車で移動してればよい。
 何しろ東京から九州の実家に帰るのに、上野駅から常磐線の夜行でスタートするような旅をしていた。
 あの頃は、金は無いけど時間と体力を注ぎ込んで、十分楽しめたのだ。
 今は日本の公共交通機関が高速になりすぎて、ゆっくり長距離を移動しようとしてもできない。
 もちろん蒸気機関車を期待している訳ではないが、ローカル線ですら特急優先のダイヤになっていて日中にのんびり各駅停車で移動しようにもそんな列車は走っていやしない!
 で、仕方なく特急に乗るとアッという間に着いちゃうし …。




 夜行列車の窓から街灯の流れをぼんやり眺めて時間をやり過ごす … そんな無駄に時間を浪費するような旅は、とうに失われた贅沢になってしまったようだ。






「引潮」  
国東 伊美の港
ボールペン+透明水彩 スケッチ(部分)








2016.03.06.    ................トップページへ