―  国東半島 国見ユースホステル 






 大分県の国東半島国見ユースホステルは、1971年春の開館なので来春45周年ということになる
 初代のマネージャー、早川氏より、椎木氏、石田氏、中野氏、そして現在の東島氏と続く。
 (参考:日本ユースホステル協会

 私が初めてこの国見ユースホステルのお世話になったのは1971年12月24日、クリスマスイブの事であった。
 予定はなかったがその居心地の良さについ4連泊して以来この地に通い続け、その宿泊スタンプは250以上(後年スタンプを押さなくなったので実際の宿泊数はもっと多い)、暇さえあればこの地に向かった時期もあり、なんだか第二の我家のような気がしている。





ここに立つと何故かほっとする受付

今までどれだけの人がここに立ったのだろう。



 さて、そんな国見ユースホステルに危機が発生した(…多分)!

 現マネージャーの東島さんが今期限りで退職されることになったのだ。
 国見ユースホステルは以前は「協会直営」だったが、現在はマネージャーさんが「設備は協会からのリース」という形で経営されており、東島さんの引退はいつか必ずやって来る当然の事と言える。

 問題は「その後」である。
 ベテランの東島さんが引退された後、このユースホステルをうまく引き継いでくれる方が現れるだろうか?




 築45年の施設はじんわりと老朽化が進んでいるようだ。
 外観は良くメンテされているせいか全くそうは見えないのだが、毎年なにかしら修理が必要になるようで、最近も雨漏りで屋根の修理をしたり、水用のポンプが壊れて交換するまでの数日間、突然の一時休館に追い込まれたりと、大変らしい。


 それより大問題は、ホステラー(ユースホステル会員、泊まりに来る人)が来ない!
 私は、先月8月に国見ユースホステルに3連泊した、その三日間宿泊者は私一人だけだったのだ、学校が夏休みのこの時期に、である。
 確かにホステラー数はピーク時の十分の一以下と聞いたし、むやみに暑い夏だったけれど、一人や二人くらい現れたっていいんじゃないか…!?
 今のホステラーは行ってみないと何があるか分からない所なんて行かないのだろうか …?


 そして、45年の間に、国東半島自体も変わってしまったのだ。
 私がこの地を訪ね始めた頃は、海岸から半島中心部に向かう多くの谷には、便数は少なくても路線バスが行き来していた。
 それがほとんど無くなってしまったのだ!




たくさんの若者(年寄り含む)が出かけて行った玄関
外は風雨が吹き荒れた日も、雪が積もっていた日もあった。



 朝、ユースホステルからぞろぞろと近くのバスターミナルに行き、それぞれ目的の谷に向かうバスに乗り込んでいく。
 夕、三々五々ユースに戻ってきた連中はホールのソファーでコーヒー片手にゴロゴロしながら、今日の収穫やら明日の予定やらを話し合っている。
  … そんな風景はもう見ることはできない。

 今の国東は、車で来ないとほとんど身動きができないと思う。
 車なしで見る事ができるのは、無数の見どころのうちのほんの数か所にすぎないだろう。
 訪れる人が減ったのはホステラーの嗜好が変わってしまった事もあるかも知れないが、これはそれ以前の問題だと思うのだ。


 という訳で、「施設の老朽化」「ホステラーの減少」「環境の悪化」の三重苦と戦ってこられた現マネージャーの東島さん、本当に大変だったと思う。
 ご苦労さまでした!



 で、これからだけれど、
 立地の良さ、玄関や食堂の広々とした空間や、周りにたっぷりと余裕のある敷地は大きな魅力なのだが … 古くなったからと言って、採算もとれそうにない施設を建て直すパワーは協会には無さそうだ。


 絶滅した路線バスに代わるものと言っても、私には車でのスタート地点への搬送(といってもワンポイントになるだろう)くらいしか思いつかないが、それはスタッフ1人分に相当するぐらい重たい事だろうと思う。
 世間一般と同じく、国東も自家用車が主体の環境になってしまったようだけれど、ユースホステルに来る人が全員車で来るはずもないし。


 そしてなによりホステラーがいない!
 ユースホステル協会は一生懸命PRしているのだろうか?
 いろんな宿が現れ、利用者の価値観も変わり、もうユースホステルは対抗できないのだろうか。
 一度訪れたら必ずリピーターになるくらいの魅力がないと、これからこの地でのユースホステル経営はできないのかもしれない。
 このユースの開館当時、桁違いのホステラーがいた頃ですら、このユースが人で賑うようになるまでには3年程かかったように記憶している。





時々、すてきな女の子が寄りかかって海を見ていた食堂の外の壁

ユースホステルの建物は海に向かって突き出した丘の上に建っている。



 今からのこのユースホステルの運営は、いくら特徴を持った土地柄とはいえ、前記の三重苦と戦わなければならず本当に大変だと思う。


 といって、後を引き継ぐ人が現れなければ、休館、そして最悪の場合は閉館も考えられる。


 わたしのような単なる泊り客が言ってもしょうがない事なのだが、でも、私にとってはここは大切な第二の我家みたいなものなのだ。
 ぜひ運営を引き継ぐパワフルな方が現れて欲しいと思う。
 そしてこの国見ユースホステルの存在を世界に広め、かつての賑いを取り戻してほしいと思う。
 まだたくさんいるはずの、このユースを必要とする若者達のためにも、国東半島と共にいつでも暖かく迎えてくれる、みんなの第二の我家であり続けてほしいと思う。


 青春時代に初めて訪れて以来、多くの出来事がこのユースホステル絡みである私は、本当に心からそう願い、祈っている。





早く目が覚め、朝食が並ぶのを待っていた朝の玄関ホール








国東半島 国見ユースホステルよ  永遠なれ!









2015.09.03.    ................トップページへ