------  旅・長い髪の少女  ------


 山崎ハコ、という歌い手をご存じだろうか?
 私は旅先の大分の国見ユースホステルで、彼女のLP(当時はCDなんてなかった)に出会った。

 ジャケットの写真には、まだあどけなさの残る髪の長い少女がいたのだが、そのデビューアルバムはちょっと衝撃的だった。
 一般には「暗い」と言われている歌なのだが、そんな一言だけではとても言い表せない情念のこもった強烈なものであったのだ。
 なにしろ 「うち(わたし)、なんもしきらん(何もできない)女やもん うちバカやもん 」と絶叫するのだから … 。
 同時代の森田童子の歌には、聞いていると訳もなく儚くなって、死にたくなるようなアブナサを感じ、あまり聞かなかった(聞けなかった)のだが、山崎ハコを聞いていると、打ちひしがれながら、それでもなんとか前に進もうともがいているようで、この人はいつか張りつめた糸が切れるように死んじゃうんじゃないだろうか、と心配になって聴き続けたものだ。

 幸か不幸か、その強烈さは徐々に薄らいで行き、彼女は今も現役で歌い続けている。





 だが、この歌に出会った同じその場所で、私はもう一人の長い髪の少女に出会ったのだ。

  … この少女もまた、強烈な個性の持ち主だった。


 ― 12/24 ―

  … 以下、人名は私も含めて全て仮称とする。(色々記憶違いもあると思う、ので、逃げの為にも … 。)

 その時、佐藤は大学4年生、でありながらまだ就職もきまらず - 就活自体をやっていなかった - もやもやした状態で、それでも前年の暮れに訪ねて居心地がよかったここ国見ユースに、年末まで滞在する予定でやってきたのだ。
 ただ、東京を出た時から風邪気味で、途中1泊したもののまだ少々熱っぽいままだったので、 玄関の受付で宿泊手続きを済ませると、とりあえずは部屋のベッドで寝てしまった。

 ベッドに入っていても調子は良くならず、入浴時間のアナウンスは聞き流し、夕食のアナウンスでどうにか起き上がり、セーターをひっかけて食堂に向かった。
 
 宿泊客10人程の夕食には、クリスマスイブということで鶏の丸焼きが出て、さらにそのあとにはケーキまで出てきた。
 ユースホステルとしては破格の待遇であったが、調子の悪かった彼は、このユースのマネージャー氏に風邪薬をもらって、食事の後早々とベッドにもぐりこんで寝てしまったのだ。



       2015.01.26.    ................トップページへ


 ― 12/25 ―

 朝、7時過ぎに起き上った佐藤はまだ調子が悪く、朝食もほとんど喉を通らない。
 このまま館内で一日休ませてもらおうかと思ったが、ホールのソファに一人ぼんやりしていると、それもまた一種の苦痛に感じてしまい、思い直して玄関に向かった。

 何を見たいという訳でもなく重い足で向かいの丘にのぼり、しかし幸いにも好天で寒さも緩んでいたので古墳やら灯台やらを巡って時間をつぶしていたのだが、午後の早い時間にユースに戻って来た彼は、結構元気になっていた。
 帰ってくる途中で、バスターミナルの隣の食堂でうどんを食べたら、自分でもあれ?と思う程力が湧いてきたのである。
 結構単純らしい。

 ユースに戻り、一番乗りのホールのソファーで国東の資料を眺めていると、ボツボツと今日の宿泊客がやってくる。
 やあ!と声を掛けてきたのは、昨夜の食事時同じテーブルにいた大久保という男である。
 佐藤と同じく大学4年生で、ちゃんと「銀行」に就職も決まっている、が、堅物という訳ではなく人当たりがよい柔らかな物腰をもっている。
 大久保は東京から、周遊券を買って九州に乗り込んできたのだが、運の悪い事に(?)九州最初の宿であるこのユースホステルが、あまりに居心地が良く、移動できなくなっていたらしい。
 連泊者同士で今日行ったところの話をしていると、また一人話に加わってきた。
 中村と名乗ったその男は大阪出身だというイメージ通りによくしゃべる。
 それでも決して一人で喋りまくっているのではなく、ちゃんと佐藤と大久保の会話を引っ張っているようだ。

 夕食が終わり風呂も入った後、またホールのソファーでなんとなく三人がたむろしている。
 風邪のせいでまだ少々体のだるかった佐藤がぼんやり皆の話の聞き役でいると、いつの間にかもう一人、話の輪の中にいるのに気が付いた。


 小柄な少女が座っていたのだ。





 その少女は、相変わらずしゃべり続けている中村に、ちょいちょいちょっかいを出している。
 ちょっと特徴のある抑揚の少ない話し方で、言葉使いは「です・ます」で丁寧なのだが、結構中村をやりこめている?
 見た目は子供っぽいのだが、どうも話している事は大人なのだ。

 佐藤は、昨夜のクリスマスケーキが出た時のマネージャー氏の言葉を思い出した。
 「それでは本日最年少、16歳の彼女にナイフを入れてもらいましょう。モーテルに関しては中々の権威です!」というなんだか訳の分からない紹介だった。
 指名されて「いやだ! ヤダア〜!」とごねていた少女は確かに16歳の少女だったのだが。

 しかし今の彼女は、周りの年上の男達の会話に加わるというよりも、議論をふっかけているように見える。
 話題は何かのコレクションの価値の基準についてやら、難読地名やら、何にでも対応(?)している博識さは大したものだと思ったが、一方で、小生意気で気が強く、相手の曖昧なところを見つけて正面から叩き潰そうとしているかのようだ。
 横顔が見える位置に座っていた佐藤はちょっと無遠慮に少女を眺めていた。
 小柄で、ジーンズに濃い緑のセーター、ネックレス、ベージュの上着、は普通の印象だ。
 が、腰まで届きそうな長い黒髪が目立つ。
 顔立ちは地味な方だがそれなりに整っていて、決して高くはない鼻の、鼻の頭がちょこっと上を向いていてかわいらしかった。

 さて、議論は続いていたのだが、言葉に詰まった中村が「あんたはちょっとひねくれてるんじゃないか?」なんて言い出しては、彼の負け確定である。
 その夜の会話の中で、少女に押されまくっていた中村が唯一優位に立ったのは、少女が「叶う」という漢字を思い出せなかった時だけだったのだ。
 「戦い」を見ていた佐藤は、それが彼女の「地」なのか「演じている」のか分からなかったが、公平に正論には同意していた。
 「早熟」で、「なまいき」で「気が強く」て「ひねくれてる」だけではなく、とても「聡明」で知識・教養も(モーテルの権威、と紹介されただけあって「大人」の分野まで含んで)大学生に負けていないのだし、なにしろ弱冠16歳の少女が二十歳過ぎの男たちを相手に一人で論戦を挑んでいるのである、その様子はなんだか健気に見えたのだ。
 背伸びして大人のふりをしているだけで出来る事ではないだろう。
 ただ、「ちょっと変わった女の子だな … 。」と思った。

 とても楽しい場であったが、体調が今一だった佐藤は消灯時間前、早めにに皆に「おやすみなさい!」と言ってベッドに向かった。


       2015.02.01.    ................トップページへ



 ― 舞台の説明 ― 

 みんなが泊っている「ユースホステル」というのは、若者(年齢制限はなしです)が旅行で見分を広められるように、という趣旨で発祥した国際的な組織。
 基本的には会員制だが会員でなくてもOK。(細かい説明は省略します。)
 女の子の一人宿泊も安心なように、寝室は男女別で、相部屋がほとんど。(だから、… それでもちょっと珍しいかもしれないが、ここに書いた16歳の女の子の一人旅も可能。)
 この頃(昭和です)のここ国見ユースは、一階が男性、二階が女性、それぞれ何部屋かの寝室があり、男性部屋は二段ベッドで定員8人の所に4人が泊っていた。
 食事は大きなホールで、人数に合わせたテーブル構成になる。
 色々ルールの細かいユースもあった中で、ここは自由な雰囲気で居心地が良く、その上国東という恵まれた風土にも魅せられて、九州周遊券を最初から最後までここで浪費してしまう旅人は珍しくなかった。
 なお、ここ国見ユースホステルは今も健在で、マネージャーさんは何代も変わったのに、奇跡的に今も昔もその雰囲気はあまり変わっていない!
 おそらく、利用者の方がおおきく変わってしまったかもしれない … 。


 ― 12/26 ― 

 
昨日に続いてよい天気である。
 
 ユースホステルの玄関からは、家路に就く者、次の宿泊地へ移動する者、近場の寺社等を巡ってまたここに戻って連泊する予定の者、みな出かけて行く。

 体調が回復してきた佐藤は、昨年行った谷を遡ってから山を登った所にある東不動に、今年は尾根伝いに行く、というプランを実行した。
 昨年から予定していた道なきルートで、石仏をお参りに行くというよりも一人でただ山道を歩いていたかったのだ。
 しかし、尾根に出れば山道があるだろうという予想に反して全く踏跡すら無く、6時間程雑木林や藪の中を掻き分けて進んだ挙句に疲れ果ててバス道に下りて来た。
 車道を歩いた帰路は1時間しか掛からなかった … 。

 そうして、午後三時頃ユースに戻ると、間もなく昨日と同じ顔ぶれが昨日と同じくホールの片隅のソファーのあたりに集まってこれまた昨日と同じように井戸端会議(?)が始まったのである。

 今日は新たに、横山という遠野出身の同年代の男も話に加わっていた。
 もちろんあの少女もいて、昨日と同じく話題を引っ張っている中村と相変わらずぶつかっている。
 今日は同じ石仏巡りをして一日行動を共にしたらしい中村は彼女ととても仲良くなってしまって(?)何かしゃべってはタメ口で「違うよ! そうじゃないよ。」と突っ込まれていて、「もうお手上げ」という風になっていた。
 会話の中に「ガキ」だの「ひねくれもん」だのが入りながらも、和やかに話が続いていたのは、お互いにうまく年の差を意識していた上での事なのだろう。

 あれこれ話している途中で、一休みといった風情で窓際に向かった少女が、ふと硝子戸を開けてまだ明るい外に出て行った。
 この建物は周囲に幅2メートルほどコンクリートが打ってあるので、非公認ながら一応スリッパのままで外に出られるのである。

 しばらく皆と談笑を続けていた佐藤は、外にいた少女の姿が見えなくなっている事に気が付いた。
 あれ、と、心配した訳ではないけれどなんとなく気になったので、窓を開けて首を出してみると、真下に、足を投げ出して壁に寄りかかって、夕景色を眺めている少女がいたのだ。

 「なにしてるの? こんなとこで?」

 すると、佐藤の横から首を出した大久保が笑いながら言う。
 「ガキが生意気にも感傷に浸ってるんだわ!」

 ふてくされながらも負けずに少女が叫び返した。
 「うるさいっ!」

 どうも、… 結局、みな仲良くやってるのだろう … か。





 今日、会話に加わった横山は、ひときわ異彩を放っている少女が16歳だとはどうしても信じる事ができなかった。

 彼は、少女が席をはずした時、ソファー前の小さなテーブルに書きかけの年賀状やカラーペンと一緒に、定期入れらしいものを置きっ放しにしていったのを目ざとく見つけると、もう放ってはおけない!。
 ちょいと周りを見回して少女の姿がないことを確認すると、それを手に取り、そうっと開いてみた。
 首を伸ばして覗き込んでみた佐藤の目にも、定期券の年齢の欄には16という数字がはっきり読み取ることができたのだ。
 それを元に戻しながら、横山と佐藤は思わず顔を見合わせて、それでも信じられないというように首を振っていた。
 小柄で、中学生と言っても通用する見た目と、二十歳過ぎの男たちと互角に語り合っているギャップの激しさには、そう簡単には納得できないものがあったのである。


 夕食が終った後も、やっぱり皆ソファーに集まって話が続いている。

 中村が前の恋人の話を始めると、少女がさっそく食いついて茶化し始めた。
 「わたしは面食いですから、中村さんとじゃダメね!」
 「ああ、いいよ! おれも面食いなんや! そやからお互いダメなんや!」と、中村が元々大きい眼をむいてやりかえした。
 その時、少女が突然佐藤のほうに向きを変えて言い放ったのだ。
 「あたし、佐藤さんみたいな人に弱いんです!」
 中村がターゲットになっていると思って油断していた佐藤はびっくりして耳を疑った、周りの皆も一瞬会話が止まったが、彼女はさらりと続けた。
 「佐藤さんはあたしの初恋の人に似てるんです。あたし、佐藤さんみたいなタイプに弱いんです!」
 今度は疑いようもなく、回りから「お〜〜っ!」と歓声が上がった。
 佐藤の隣に座っていた中村は
 「ほんなら、佐藤君は彼女の恋人代理っちゅう訳やな! まあ、こちらへどうぞ!」と真面目な顔で立ちあがって席を譲ると、彼女も笑顔で「じゃあ」といって、ひょいと佐藤の隣に座りなおした。
 佐藤は苦笑するしかなかった。
 どうしたら良いのかさっぱり分からなかったのである。
 少女の、やや一本調子の感情を押し殺したようなしゃべり方からは、冗談とも本気とも分らなかったし、突然みんなの前で告白をした割に佐藤の反応は全く無視し、一方悪びれるわけでもなく隣にくっついて座っている。
 もちろん悪い気はしないのだが、素直に喜ぶにはなにしろ相手が16歳の問題児(?)だったし、中村がとっさに「恋人代理」と言ったように微妙な表現だったような気もしたし …。
 隣に座った少女は言い訳のように「失恋しちゃったんです。」と言っているが、話す時は伏し目がちで、佐藤の顔は見ない、視線は佐藤の胸のあたりをさまよっているようだ。
 佐藤は「変な子だな」と思いつつ、やっぱり真意が分からずどうしたら良いのか扱いかねて曖昧な相槌を打っていたので、皆の話題も自然に他の事に移って行った。


 消灯時間になり、みなベッドルームに引き上げたが、連泊を続けていた佐藤と大久保、中村、横山は同室だったので、ベッドの間に地図を広げて明日の計画を立てながら雑談は続いた。
 一度、あの少女の特異な人柄も話題に上った。
 どうもあまり良い評価が出なかったのだが、皆が「ガキのくせに生意気」というところを、佐藤は「年齢の割に聡明で気が強い」とも思えて、あんな事言われたせいかな?と考え込んでいた。
 実はあと一つ、印象に残ることもあった。
 焼け仏(火事にあって燃え残った木造仏像)の写真を開いていて、誰に言うともなく「こんな彫刻、あるよね …。」とつぶやいた時、皆が聞き流した中で、少女だけが即座に「ジャコメッティ?」と答えてくれたのだ。
 少女が自分と同じ感性を持っていてくれてうれしかったし、親しみを感じたのかも知れない。
 
 それにしても、佐藤が「恋人代理」に指名された(?)ことを誰も問題にしていない。
 多分、少女は早熟ではあったがその聡明さと激しい性格のおかげで、どうも色気というものが感じられなかったせいなのだろう。
 その上少々平坦なしゃべり方からは、感情も読み取りにくい。
 皆どちらかというと、佐藤が厄介な役に指名された事には、なるべく触れないようにしようと思っていたのだ。

 今日、中村や彼女と同じ所へ出掛けたらしい大久保曰く「今日は大して歩かなかったんだけど、非常にくたびれた! ウン!」

 中村は拳を握りしめ「明日は、なんとか一度はギャフンと言わせたらなアカン!」と力んでいた。



 ふと、横山が、「かわいそうな気もするな … 。」とつぶやいた。



       2015.02.08.    ................トップページへ


 ― 12/27 ―

 朝食の時間になっても、風邪気味とかでホールに姿を現さない少女は、もっぱらみんなに子供扱いされた事に対する「ふて寝」という言葉で表現されていた。
 普段の言動のせいか、気の毒な事にあんまり同情されていないようだ … 。

 空は一面うす雲で覆われていて寒そうである。
 前日の藪歩きでくたびれていた佐藤は、姫島に行く、という一団に加わることにした。
 メンバーは5人、顔馴染みになってしまった佐藤、大久保、中村、横山、それに昨夜夕食時に到着した斎藤という大学一年生の女性が加わっている。

 姫島行の渡し船はユースホステルのある丘の下の「伊美」の港から頻繁に出ているので簡単に乗船でき、乗船時間も30分程の距離である。
 
 一行は、姫島に降り立つと先ず西端の黒曜石のある観音崎に行き、それから反対側東端の灯台に向かった。
 一人で歩くと少々退屈する距離なのだが、車もめったに来ないし、5人はのびのびと道路いっぱいに広がって歩き、今日は突っ込まれる心配のない中村は滑らかに喋りまくっていて皆も退屈しない。
 青空も広がり、気持ちよく歩いているうちにいつの間にか灯台に着いてしまった。




 真っ白な灯台は無人化されていて中を見ることはできない。
 灯台の手前の店でビールを飲んだ中村は、たっぷり幅のあるコンクリートの塀の上に寝っ転がって完全に静かになった。
 最後の坂道でアルコールが一気に回ったのだろう。
 姿が見えない横山は、灯台の裏手に探検に行ったようだ。
 斉藤さんは、… 塀に登っている?
 コートを脱ぎ棄て、両手を水平に広げて、地形に合わせて上り下りのある塀の上を歩いているのだ。
 傾斜の急な所にかかると、慎重にゆっくり一歩づつ登りながら
 「わあ、見て〜〜! 手をつかなくても登れるよお 〜 !!」と、一人でキャッキャと喜んでいる。
 今日一緒に歩いていた男たち4人がたっぷり思い知らされた事なのだが、彼女は異常に純真、無邪気で幼げなのだ。
 しゃべりも少々舌っ足らずで子供っぽいのだが、人を疑うことを知らず、うっかり冗談でこうしたら?なんて言うとその通りにするので言ったほうが慌ててしまう、そんな人だった。

 塀近くの石段に座っていた大久保が、横に立った佐藤を見上げて言った。
 「あんな人もいるんだな〜! あれで18か! あれ本当にあんななのかね? 信じられないよ!」
 感嘆だか落胆だかは分からない。
 おそらく大久保は、斎藤に「あの塀の上を歩ける?」とそそのかしてしまい、その結果が心配でハラハラしながら見ていたのだろう。

 佐藤の頭の中には、ユースのベッドで一人寝ているはずの少女の伏し目がちの顔が思い浮かんでいた。
 ベッドの中にいる少女と塀の上にいる彼女は、比べようがないくらい対照的でどちらも少々彼の理解できる範囲からはみだしているようだ。

 すこし、少女の風邪が心配だったのかも知れない。


 灯台から港に戻る途中、軽トラが皆を荷台に乗せてくれたおかげで、予定より1便早い船で伊美の港へ戻ることができた。


 ユースに戻れば、相変わらずの顔ぶれが、ソファのあたりにたむろしている。

 日が落ちてもホールに顔を見せなかった少女は、本当に風邪だったのだろう、がしかし、夕食には顔を出し、思ったよりは元気そうに食後定例の雑談集団に加わって来た。


 今夜の話題は順当に皆の旅先の話を推移していたが、やがて中村が温泉の話を始めると混浴の話題に移って行った。
 あすこの温泉は脱衣場が別だけど中は一緒だの、ゆぶねの仕切りが水面の少し下までしかないので … などと言いかけながら、男たちは一応16歳の少女の手前あまり露骨な事を言わないように気にしている。
 意外にもみんなは紳士だったのだ!

 それなのに、「じゃあ、潜ったら下半身だけ丸見えじゃない!?」とストレートな事を言うのは当の問題少女本人であった。

 「ホントに君は色気がないな 〜 !」と男性一同。

 「え〜〜!? なにが??」と少女。

 もう一人の女性・斎藤は編み物をしながら、ただ笑顔で(仕方なく?)座っていた。
 
 やがてユースのマネージャーが、女性客は二人しかいないので二階の女性用ではなく、一階の男性用の風呂を使ってくれと言ってきた。
 その頃には男たちは皆入浴し終わっていたのである。
 斉藤が今日は入らないと言うと、残った少女はどうしようかなと迷っている。
 混浴の話の後だったせいか、「こんな男たちと同じフロアの風呂に入るのは不安だ!」とブツブツ言っている。
 冗談なのか本気なのかよく分からない。
 中村が「なんで入らんのや。僕らが君のハダカなんかを覗きに行くわけ無いやないか!」とつついている。
 その時、大久保が思い出したように佐藤に向かって言った。
 「そういえば、ゆうべなかなか寝付けなかっただろ? 告白されて、彼女の夢でも見てうなされてたんじゃない?」
 それを聞いた少女が急にニコニコして言ってきた。
 「ホント!? じゃあ今夜もうなされさせてあげる!!」
 佐藤はどういう意味なんだ、と思いつつ「寝る前にコーヒーを飲みすぎちゃったからね〜。」と返すと、意外にも少女は「なあんだ … 。」と黙ってしまったのだ。
 見ると膝の上に置いた両手をまっすぐに伸ばし少し肩をすぼめてすねているように見える。
 佐藤は「なんだか普通の女の子みたいだな」と思い、そう思ってしまった事に苦笑した。

 結局、彼女は風呂には入らないまま、消灯時間がやってきた。



 皆、ソファーの中央に置いてある小テーブルから自分の使ったコーヒーカップや灰皿を厨房の返却窓口に運んで行き、おやすみなさいと寝室に消えていった。

 佐藤は布巾を持って薄暗くなったホールを横切り、煙草の灰が落ちているテーブルを拭きに戻ると、少女が腰掛けた姿勢のまま横に倒れた、という様子でソファーに寝ていた。







 「どしたの?」
 「 … 。」

 「まだ、風邪?
 「 … うん。」

 「熱、あるの?」
 「 … うん。」

 「マネージャーさんに薬もらったら?」
 「 … あたしがいつも変なことばっかり言ってるから、信じてくれないの!」
 「バカだな〜、ちゃんと説明すればいいのに!」

 佐藤は、この娘ははるかに年上のマネージャーにまで同じ口のきき方をしてるのか? と呆れながらも、珍しく妙に素直な少女が心配になり、「ちょっと待ってな!」と言い置いてマネージャーを捜しに行った。
 そして、受付で事務処理をしていたマネージャーを探し当て、ホールの少女に風邪薬を渡してくれるよう頼んでから部屋に引き上げた。
 本当は自分で渡そうかとも思ったのだが、「恋人代理」としてはやり過ぎだろうと思って控えることにしたのだ。
 そしてなんだか「代理」役が板についてきたな、とまた苦笑をした。





       2015.02.15.    ................トップページへ


 ― 12/28 ―

 きょうは、佐藤と大久保は結構くたびれて一緒に戻ってきた。

 ユースから歩き始めて谷を遡り千灯寺跡から山越えで二つ隣の谷へ出て岩戸寺をまわり、そのまま海岸線まで合計十数キロ歩いて、やっとバスに乗って帰ってきたのだ。

 海岸線までのゆるい下り道は、なりゆきで途中寄り道もせず二人ともひたすら早足で歩いたもので、やっぱりまた早い時間に海岸線まで戻ってきた。
 谷を下ってきた道と海岸線のバス道路はY字型に合流し、バス停もそこにある。
 二人が「あの小屋みたいなの、あれがバス停か?」なんぞと話しながらのんびり歩いていたら、なんと彼方にバスが走っているのが見えたのだ。
 大久保と佐藤は思わず走り出した、合流点まで数百メートルの距離は二人もバスもほぼ同じ。
 ならばバスに間に合う訳がなく、二人がバス停のはるか手前で息切れしている間に、バスはバス停に達してしまったのだ。
 心臓がパンクしそうになり、「やれやれ、次のバスまでは1〜2時間あるだろね〜?」などと言いながら遠くのバスを見て歩いていたら、何故かバスは動かない?
 乗り降りする人の姿も見えない?
 二人は顔を見合わせて、また走り出した。
 バスは、遠くをヨタヨタ走っている二人の姿を見て、待っていてくれたのだ!





旧千灯寺跡にたたずむ仁王さん


 実は今日は、佐藤は少女と大久保も含む他の数人と一緒に同じ目的地に出かける予定だった。
 そこは多くの仏教遺跡の散在する谷で、海岸線を走るバスで谷の入り口まで行き、そこで谷に入っていくバスに乗り換え、一番奥で降りて谷を海岸に向かって歩きながら、あれこれ参拝・見学する予定だったが、ちょっとしたアクシデントがあって予定が狂ってしまったのだ。

 丘の上のユースホステルから伊美の町に降りるとすぐにバスターミナルがある。
 皆は時間を見て丘を下りて行ったのだが、そのまま北九州に向かう予定の男が寝室にカメラを忘れて来た事に気がついたのはバスターミナルに着いてからだった。
 急いでユースに駆け戻って行った男を一人残して行く訳にもいかず、待っているうちに発車時刻になった。
 そして、定刻通りにバスは行ってしまい、次の便までは一時間以上待つはめになってしまったのだ。
 
 そこで、佐藤と大久保は、今いる谷を歩いてさかのぼるルートへ予定を変更した。
 次のバスが来る頃には谷の奥まで辿り着いているいるはずだからである。
 少女も誘ってみたが、彼女は「ガンコ」なのだ!
 予定変更はしない、ヒッチしてでも行きます! という頑固さにはむしろ感心もしたのだが、つまりは別行動になってしまったのだ。
 少女はこれまで他人の決めた行き先についていく事はなく、むしろ自分で決めた行き先の同行者を募って出かけるタイプだったので、数人のグループと一緒だった状況からすると、そう簡単に行き先変更する訳にはいかなかったのかも、と佐藤が気付いたのは後のことだった。



 佐藤と大久保はいつもの通り午後の早い時間にユースに戻り、ソファーでくつろいでいたが、少女たちのグループは、行った先が見所たっぷりの所だったし、そこへ出かけるのが遅れた事も重なり、戻ってきたのは夕食の少し前になった。

 食後はソファーあたりに皆たむろしているのは同じであった。
 しかし、昨日までとは違う。
 中村、横山、斎藤は、もういない。
 今朝、次の目的地へ発って行ってしまったのだ。
 彼らがいた場所には今日ここに着いた男たちが座っている。
 話題がない訳ではなく和やかな談笑が続いていたのだが、大久保と佐藤にとっては何か違う事を感じさせ、それは二人に、いなくなった者たちとの時間が意外なくらい心地よかった事を気付かせてくれた。
 むやみにしゃべり続けていた中村、あまり口を開かなかった横山、独特の会話になる斎藤、みな個性的なのにうまくかみ合っていたらしい。


 佐藤は少女がソファーの会話の輪に加わっていないことに気付いた。
 座ったままで伸びあがってみると、食事をしたテーブルにいる。
 周りには誰もいない、一人で本を読んでいるようだ。


 今朝の事もあって機嫌が悪いのかな? と思いながらソファーから立ちあがって少女のテーブルへ移動してみた。

 「話さないの?」
 「椅子がいっぱいだし。」

 「こっちの椅子を持っていけばいいのに。」
 「 … 。」

 「今日行った所はどうだった?」
 「 … 。」

 (返事が無い! やっぱり機嫌、悪いのかな? と、ややあわてる)
 「バスの乗り継ぎはうまくいった?」

 すると、少し間があって、少女は佐藤の言葉を全て無視して、ゆっくりと噛みしめるように言ったのだ。
 「あたし … 五日間も一緒にいて … 一度も同じ所に行っていないんですね … 。」






 それは今朝の事を責めている様子はなかったのだが、そしていつもの事ではあったのだが彼にだけは時々丁寧な言葉を使い、うつむき加減で佐藤の顔を見ずに淡々としゃべる様子は、なにやら悲しそうで佐藤はますますあわてた。
 いつも強気なキカンボウみたいに思っていた少女にしては、想定外の様子なのだ。
 恋人代理と言われてもそれっきりだったし、背伸びをしている女の子がちょっと言ってみただけなのかも知れないと思っていたのだが、それはそれでまた少し違うポジションだったのか?

 「じゃ … 明日、予定はないから一緒にどっか行こうか?」
 「ほんとですか !」

 行こうといったのは、決して義務や責任を感じたからではなく、本当にそうしたいと思ったからだった。
 確かに佐藤が今回ここで親しくなった仲間のうちで、同じ所に行っていない、この地をのんびり一緒に歩いていないのは、少女だけになっていた。
 もちろん避けていた訳ではない。
 昨日はみんなで姫島へ行けたのに、少女は風邪で寝込んでいた。
 今日こそ一緒のはずだったのに、ちょっとした出来事で別行動になってしまった … 。
  佐藤は明後日ここを出ていく予定だったし、少女の予定もそう聞いていた。
 つまり明日は二人ともここ国東でゆっくりと過ごす最後の日だったのだ。
 こんなにも個性的な、早熟で、色気が無くて、賢くて、理屈っぽくて、生意気で、強気で、頑固な … 女の子がOKを出してくれるのだから、一日デートしても悪いわけがないだろう。
 
 二人は地図を広げて、明日行く場所を探し、見晴らしの良さそうな尾根道に行くことにした。
 そこもバスの便は決して良くはなかったが、昔の修験道だったといい所々に石仏が並んでいる尾根道はそれほど長いわけではなく、のんびり歩いても時間の余裕はたっぷり取れそうだったのだ。
 

 消灯時間がきて、少女にお休みと言ってから、洗面所で歯を磨きながら、佐藤は結構明日を楽しみにしている自分に気がついた。
 
 「でも … 代理! 代理!」と言い聞かせていた。





       2015.02.21.    ................トップページへ


 ― 12/29 ―


 朝、天候は大荒れに荒れていた!
 空は暗い灰色の雲が広がって今までになく寒くなり、時折小雨も交えて強風が吹き荒れている。

 ユースのマネージャーは、ひとつ尾根を越えた先の竹田津港の、徳山行き周防灘フェリーの運航状況を電話で確認していたほどである。


 少女も佐藤も朝食を取った後も動きかねていた。
 天気はとても外を歩けるような状態ではなかったのである。
 ホールのソファーには、大久保や同じ理由でうろうろしている連中が何人か溜まっている。
 別のところに移動する連中の大半はバスターミナルに行ってしまったので、まだユース内にいるのはここに連泊する予定の者ばかりのはずだ。

 佐藤と少女は満員のソファーではなく、昨夜と同じ食事をとったテーブルに陣取っていた。

 窓の外を目を細めて眺めながら、
 「これは、出かけられないよね〜!」

 「… ええ。」少女は目の前に広げた地図を、頬杖をついてぼんやり眺めながら答えた。

 「残念だな〜!」

 「どこにも行けないし … あたし、帰ろうかなあ … 。」

 「あれ、明日までいる予定でしょ?」

 「ええ … でも、いてもみんなにいじめられるし … 。」

 「ああ、みんなガキ・ガキって言ってるけど悪気はないし、いなくなったら寂しくなっちゃうよ!」





 すると、少女は少し黙っていてから顔をあげると、また佐藤の言葉を無視して言った。

 「あたし … ほんとはすぐ泣くんですよ !」

 「へ〜〜! 泣くの〜? 一度は泣き顔、見てみたいもんだね!」

 … 軽い冗談のつもりだった。
 佐藤は、何も考えずに、そう言ってしまったのである!

 この時、話の脈絡がなく、しかも少女が珍しく真っ直ぐに彼の眼を見て話しかけている事に気付いていたかどうか … 。



 やがて、少女は年賀状を書き始め、佐藤は空いてきたソファーに移って本を読み始めた。

 彼女はふと立ちあがって、玄関の受付に行き、昨日からバイトに入ってきた女子大生と話している。
 佐藤はなんとなく自分が話題になっているような気がして聞き耳を立てた。
「 … だから、 恋人代理、だなんて失礼でしょ!」
 どうやら、お姉さんが年下の女の子に説教をしている様子である。(佐藤が少女の恋人代理役になっているのはユース内では皆が知っているらしい?)
 すると、少女は怒鳴るように言い返した。
「代理だなんて言ってないよ! みたいな人に弱いって言ったんだよ! 代理じゃないじゃない!」
 それは女子大生が思わず言葉を失ったほどの強さだった。

 少女は身をひるがえしてさっさと寝室のほうに行ってしまったようだ。

 しかし、耳に入った少女の最後の一言の意味するところは鈍感な佐藤にも充分理解できた。
 思い直してみれば、確かに少女自身が「代理」と口にしたことはなかったのだ!
 周りが勝手にそう言っていただけだった!
 「代理じゃない」のなら、… 薄々感じながらも佐藤はそこに踏み込めなかったのだ。
 それは、彼女の16歳という若すぎる年齢を気にしたかも知れないし、就職という大問題を抱えている自分の事で手いっぱいだったからかも知れない。
 しかし、そうだからといって、もうこのままうやむやにしていてはいけないのかも知れない。


 そう考えていた、その時である。

 少女がホールに飛び込んできた。
 それは本当に「飛び込む」という勢いだったのだ。
 そして机の上に残していた葉書やペンをひとまとめにつかんで肩から下げたバッグに押し込むと、半分だけ佐藤の方に顔を向けて「じゃあ!」と一言いうと、走るように玄関に出て行ってしまった。

 佐藤はすぐには事態を呑み込めなかった。

 しかし、「じゃあ」というたった一言が別れの挨拶であり、彼女が今ここから出て行こうとしている事に気が付いて飛び上がった。
 とにかく、玄関へのドアに向かったその時である。
 靴を履こうとしていた少女は、佐藤が近づくのに気が付くとふてくされたように大股で戻って来た。
 そして佐藤が口を開くよりも早く、半分押し開いていたドアを「来るな!」と言うように、しかし無言でグイと押し返した。
 それは押し返すというより体当たりをするような激しさだったのだ。
 予想もしなかった少女の行動でホールに押し戻され、あっけにとられてその場から動けなかった佐藤を残し、彼女は足早に外に出て行った。

 佐藤が動けなくなったのは、彼女の行動の激しさのせいだけではなかった。
 … 押し戻された時に、ガラス越しに間近に見た歯を食いしばった少女の、目が濡れていたのである!







 玄関をとび出した少女は大粒の雨の混じった強風の中を、今にも駆け出しそうな勢いで、長い髪を風にまかれ吹き飛ばされそうになりながら、雨に濡れるのも構わず少し上を向いて歩いて行く。

 そして、決して振り返らず、立ち止りもせず、その小柄な後ろ姿さえあっという間に佐藤の視界から消えていったのだ。

 少女が、フェリー乗り場に向かうバスに揺られ始めた頃、雨は雪に変わり、強風にあおられて吹雪のようになっていた。



 その夜、偶然フェリーの港に向かう少女と同じバスに乗った二人連れの連泊者がいた。
 二人は昨夜話をして顔を見知っていた佐藤に、「ユースにいた長い髪の少女が、港のバス停で降りるまでずっとボロボロと涙をこぼしていた、あまりの様子に声もかけられなかったのだが、何かあったのか?」と尋ねてきた。

 佐藤に何が説明できただろう。

 涙を必死で押し殺していたかもしれない少女に「泣き顔がみたい!」と言ってしまった自分の無神経さを痛い程後悔していた。
 この国東で一緒に過ごした六日間、笑顔を向けてくれた少女のために何一つしてあげなかった事も。

 そして、いなくなってから気がつけば、少女の名前以外は、住所も電話番号さえも聞いていなかったのである。
 今となってはもう何もできない、「ゴメン!」とも「ありがとう!」とも「またね!」と言うことすらできない事にただ茫然とするだけだった。



 … 見方によっては不器用な若者が早熟な少女に翻弄された数日間だったのかも知れない
 しかし、少なくとも彼女は自分の思いを素直に表していた。
 それに比べて佐藤は、少女に関心がなかった訳でもないのに、少女が背伸びをしている、大人のふりをしている、まだ子供なんだから、と理由を掻き集めて正面から向かい合おうとしなかったのだ。
 ただ、やはり佐藤もまだ21歳の学生でしかなかった。
 若すぎる少女の思いにうまく対処できなかったのは仕方がなかったのかも知れない。
 それにしても … 。


 賢いあの少女は、佐藤をドアごと押し戻し、この冬の旅の思い出と共に閉じ込め、封印して去って行ったのだろうか。
 佐藤はこの後何年もの間ここ国東を訪ね続け、さらに多くの人々との出会いがあったのだが、あの少女の姿だけはついに二度と現れることがなかったのである。

 それでも、この地で、優柔不断で、鈍感で、無神経な男に出会った事はどこか彼女の頭の片隅に残っていると思う。
 少しだけでもいいから、出会って良かったと思ってくれているだろうか … 。

 佐藤は、早熟で、色気がなくて、賢くて、理屈っぽくて、生意気で、強気で、頑固で  …   素直で、 そして、 泣き虫だった16歳の長い髪の少女の事が、最後に見たそのガラス越しの泣き顔の残像と共に、今でも消すことができずに記憶の中に沈んでいる。









皆がたむろしていたこの場所。
今はもう、この風景はない。






 最初に書いた山崎ハコであるが、長い髪だけではなく、声も少女と似ているのである。

 息をほんの少し余計に吐きながら話すような低い声は、ちょっとシャープな感じで、とてもよく似ている。


 私は、山崎ハコを聞いていると、時々あの少女の記憶が複雑な想いと共に浮かび上がって来てしまう … 。




 もう、 遠い 遠い 本当に遠い昔の事なのだが … 。




2015.02.25.    ................トップページへ









 ― 追記 ―

 少女は、自分の気持ちについて自身が誤解していたのかも知れない。
 … 彼女に必要だったのは、恋人ではなかったのだと思うのだ。


 彼女は、間違いを見ると正さずにはいられない性格だった。
 聡明で頭の回転も速く切れ味もとても鋭かった。
 その上かなり強気な自信家でもあったし、人一倍の行動力までも持っていた。
 本文中では書き表せなかったけれど、それは、見方によっては本当に可愛げの無い、うっかり近づくと怪我をするむき出しのカミソリみたいなものだったのだ。

 やり込められた大学生たちが「ガキのくせになまいきだ!」と、思わず本気で口走らずにはいられなかったように、少女の同級生たちにとっても付き合いづらい相手だったに違いない。
 多分教室でも孤立しやすく友人もいなかっただろう。


 そんな少女が求めていたのは、恋人とは少し立場の違う、良き理解者だったのではないか?

 少女の気持が佐藤に向いたのは、佐藤が他の連中ほど彼女を子供扱いしなかった事と、その大雑把な性格を包容力と勘違いしたせいなのかも知れない。
 (ついでに断わっておくが、佐藤は、面食いを自称する女の子が食いつくような面相ではない。)

 確かに佐藤は、剃刀を包む芯のない綿のような役には適役だった。
 しかしあの時、佐藤には少女の気持ちをそこまで推し量る事ができなかったのだ。



 自身の気持ちを勘違いしてしまった少女の行動と、その深みを読み切れなかった大学生の躊躇は、お互いに気持がうまくかみ合わないまま、ちょっと悲しい別れを作ってしまった。

 もしも … もしもあの時、佐藤が少女の心を察する事ができていたら、もしも予定通りに皆と一緒に出かけて一日ワイワイやっていたら、もしも二人だけで出かけるはずだった日の朝の空が晴れていたら、もしも予定通り翌日まで国東に留まってゆっくりと別れの時を迎えられたら、もしも別れの時に少女がこらえ切れずに泣き崩れていたら、 どこかひとつ … ほんの一つだけでいいからあの時の流れが違っていたら、もう少し穏やかな思い出を作ることができたのかもしれないと、つくづく思うのだ … 。


 ただ、あれこれと経験を積み重ねた今でも、人は根っ子のところは変われなくて、あの時のような状況に置かれたとしたら、やはりうまく対応できないのではないか、とも思う … 。
 一度きりの人生、悔いのないようにと人は言うけれど、きっと悔いだらけ・失敗だらけなのが実際の人生なのだろう。
 それを、忘れる努力をするか、感傷にふけるか、二度と同じ失敗をしないぞと誓うか、どちらにしてもあの時に戻ることはできないし、もしも、記憶以外の多くの経験と共に戻れたとしても、結局はまた同じ結果を迎える様な気がするのだ。



 そんなもんさ! と思ってみても、やはり胸の奥底に沈んでいるいくつかの重い塊は、少し居場所を変えるだけで消えてくれそうにない … 。






ユースホステルは、以前は一泊ごとに宿泊者のカードにそのユースのスタンプを押していたのだが、
ユースホステルを利用し始めた頃の私は、それがなんだか拘束されるようで嫌だった。

しかし、今、見直してみると、そのスタンプの一つ一つがとても貴重な記録になっているのだ。
何年も前の旅行中の、何月何日にどこにいたか、確実に分かるのである!
記憶の中では、その日・一日一日が本当に濃密な時間で満たされている!





2015.07.01.    ................トップページへ