― 夏の終わり ―
不況のあおりで「派遣切り」などといういやな言葉がはやっている。
私の職場でも、長年一緒に働いていた人たちがずいぶんいなくなってしまった。
このご時世で次の職を探すのは大変な事だろう。
状況は違うが、私は大学を出てから定職に就くまで一年間の間があった。
アルバイトで金がたまるとふらりと一人旅(それほどカッコイイものではなく、国内の貧乏旅行!)に出ていたのだ。
あの頃はまだ「フリーター」「ハケン」に類する単語は存在していなかったので、旅先で「仕事は?」と尋ねられると「無職です。」と答えるのが少々つらかったことを覚えている。
そういうプレッシャーもあって定職についたのだが、その翌年にオイルショックが始まったのでちょうど切り上げ時だったということだろう。
その一年間には「ホテルマン」や「七宝焼きの絵付け」などやったことない職を試してみたのでまんざら悪くもなかったし、夏にはユースホステルで働くという楽しい季節を過ごすこともできた。
この時の、歳は近いが全然経歴の違う数人の仲間と共に過ごした夏は、今でも私の宝物になっているのである。
同じ屋根の下で寝起きしたあの連中は今どこで何をしているだろうか。
定期的にドラマのネタになることでも分かるように、若い時の旅の途中の男女混じっての微妙な共同生活は、なにか麻薬のような魅力を持っていて、その魅力に浸りきり時に抜け出せなくなる者もそれほど珍しくはなかった。
私はというと、いつまでもこのままいられる訳はないと思い切った、のだったかどうか…。
いずれにせよ、あのとき一緒に暮らした連中は、夏の終わりとともにみな方向の違うそれぞれの道を「またね」と笑って手を振って歩いて行った。
あの時 口には出さなかったが、それが踏み出せばもう戻れない道であり別れであることは、皆心の底で感じていたはずである。ただ、それがどれ程すばらしい時代との別れであったかは、少なくとも私は分かっていなかった。
これから自分がどんな人生を送るか分からないけれども決して悲観的ではなかった、何とかなるさと思えたのは若かったせいなのだろうか。
もう二度と会うことはないだろうが、それでもお互いに忘れることは絶対にないと言い切ることができる、そんな時間を共有した仲間たちなのだ。
また、ぶらりと旅ができるようになったら、いつか、どこかで、あのときのままの笑顔の彼らにばったり会えるような気がしている。
きっと昨日別れたばかりのように「やあ!」と声をかけるだろう。
そんな事があるはずはない、と分かっているのだが…。
2009.05.31. ................トップページへ