
紺碧の海面に浮かぶ、マホガニーを素材とした巨大な船体。喫水線より上、およそ目の届く範囲には細かい彫刻がなされ、この船の持ち主がただものでないことを物語っている。
が、しかしその美しい船体に、さきほど100センチほどの大穴があき、せっかくの曲線美がだいなしになってしまった。大穴の犯人は、無粋な鋼鉄製の5インチ砲弾である。球形の無火薬弾頭だ。予告もなく砲弾をぶちこんで横付けしてきた小型の戦闘艦は、この辺に出没する海賊船であった。定石通りアンカーで相手の船に自分の船を固定し、縄梯子をかけて攻め込んできた海賊達は、ほとんど抵抗らしい抵抗も受けずに船の中枢部へと乗り込んできた。そう、ほんとうにあっけなく、である。いまのところ双方共に死人はない。これは珍しいことだった。特にこのような豪華船の場合、護衛の船がつくかあるいは武装した兵隊が乗っているのがあたりまえであったから、たいていの場合、はでな戦闘になったのである。今、船の中央にある豪華な貴賓室では、侵略のあまりのあっけなさに拍子抜けした海賊の首領と、この船の持ち主とが互いに相対しているところであった。
「おはつにおめにかかります。アメリア女王様。まず、無粋な砲弾で船を傷つけたことをお詫びしましょう。まさかこれほどあっけなく乗り込めるとは思わなかったもので。」
剣を抜き放った男達をひきつれた海賊の首領は、目の前の玉座に頬杖をついて座っている女性の気品に気押されながらも、勝ち誇ったような口調で語りかけた。できるだけ威厳をこめたつもりだったが、相手はまるでひるむ様子もない。眠たそうな目をこちらに向けるだけだ。彼の胸に言い知れない不安がよぎる。それを振り払うかのように言葉を続けた。
「ほんのすこしお宝をわけていただきたいんで・・・」
アメリアとよばれた女性のうるおいのある唇からは、しかし、首領の期待したような答えはかえってこなかった。そこには、おびえ、とか、哀願、とかいう感情がまったく感じられなかったのである。
「たしかに親善使節として恥ずかしくないだけの宝玉は積んであるが・・・。姫が何というかのう。」
彼の言葉をさえぎるように、アメリア女王が口を開いた。ひどくのんびりとした口調だ。自分の置かれている立場がわかっていないかのようである。
「姫?ここにはおられぬようだが・・・」
男の言葉が終わらぬうちに、にぶい震動が伝わってきた。船が大きく揺れる。
「おてんばでのう。困っておる。」
揺れに少しも動じる事なく、ためいきをつきながら女王は言葉を続けた。どうやら、本当に困っているらしい。そこへ海賊の手下が駆け込んできた。ひどくあわてている。
「お、おかしらっ、てえへんだあ!ふ、ふねがあ!」
甲板へ出てみると、最悪の事態になっていた。海賊船が・・・・燃えている。その甲板のはじっこのほうで、船に残してきた副長がなにかと戦っていた。ちいさな、まっしろなぬいぐるみ。そいつが剣を振り回し、こともあろうに副長をじりじり追い詰めているではないか。副長のあせりが手に取るようにわかる。ナンバー2とはいっても、彼の腕はかなりのものだ。それをここまで追い詰めるとは。しばし剣と剣がからみあう音が響いていたが、とうとう副長が剣を落としてしまった。ぬいぐるみが、のどもとに剣を突き付け何か叫んでいるのが、風に乗ってこちらへ聞こえてくる。
「おいこらっ。もっと強えやつあいねえのかあっ。」
甲高い子どもの声。海賊のかしらは、口をあんぐりあけたままだ。
「わらわの手にはおえなくてな。なにしろ海賊上がりでの。ごぞんじか?ゴーラム・パイレーツを・・・。」
返事の代わりに、かしらは世にも情けないような顔をして女王をみた。
「どうやら助けはいらないようだな。」
その船は、いや、船とよぶのはおかしいかもしれない。なぜならそれは、まるで重力の束縛をあざわらうかのように、水面から浮き上がり、静止しているのだから。しかし他に適当な呼び名がないから、とりあえず船と呼ぶことにしよう。で、その船である。
「だからほっときゃいいって言っただろうが。あのチビがだまっているとでも思ってたのかよ。あん?」
操舵室の中央。鉄パイプのフレームに申し訳程度にクッションが張り付けられた船長席。そこへすわった男が、横に立っている巨漢に返事した。
「俺が心配したのは・・・海賊のほうだ。」