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   友人の”おなら”への情熱

私の友人は、今までにいない、すばらしい人物である。その彼女の特技は、
”おなら”であった。彼女の理屈によると、”おなら”と言うものは、練習
しだいで、音を消したり、すかしっぺをマスター出来るのだそうだ、事実、
彼女はその練習のおかげで、最悪の事態から間逃れたと言う、その後も、人
ごみの店の中で”おなら”がしたくなったが、彼女は、人の声と同じような
”おなら”をだし、またもや”おならの練習”に助けられたのである。その
時の感想を、彼女は、こう語っている。「おならは、我々の友であり、そし
て、友に生きることを教えてくれるすばらしい気体である。我々は、おなら
への偏見をなくし、友に親しく、時には厳しく、生涯を友に生きるべきであ
る。」このように、彼女は”おなら”と人間が友に共存することを願ってい
る。だがしかし、”おなら”と共存すると言うことは、どのようなことなの
か、現代人にはまるで分からないだろう。そのことをふまえて、彼女はこう
書き残している。「”おなら”と共存すると言うことは、形や物であらわす
物ではない、すなわち、目にも見えないと言うことである。ならばどうすれ
ば良いのか....そえは、”おなら”を悪く思わず、自分の分身だと考えればよ
い。”おならとは、いつも心の中にいるのだから」このように、あなたも、
”おなら”のことについて考え直してはいかがだろうか?そうすることで、
”おなら”と共存できる、彼女の望んでいた、すばらしい世界が作りあげら
れるかもしれない。いや作りあげられるだろう。なぜなら私達は、無限の道
を、一歩一歩確実に、歩みつづけるのだから。