2007年『こぼれ話』及び『穴場紹介
画像にポインタを当てて下さい。

9.三沢そば『長命庵』〔12月21日〕
   前々からそばが美味しいので食べに行っていた。還暦を迎え老後の趣味として『そばうち』をしたいと思っていたので今日朝、出向き見させていただいた。30分間の見学であったが長年の経験に基づく技を見させて頂き感心しました。〔ご主人は18歳から和食に料理人として修行されてそばうちに経験は13年とのこと。ビデオに撮ったのでじっくり勉強する予定である。まずは、道具揃え~・・・。出汁の作り方は秘密とのこと・・・本にも書いてなくて弟子入りして暫く働らき皆さん会得するそうです・・・。朝作ったそばを昼に食べさせて頂き満足満足の半日修行でした。

1)そば1.5kg打つ為の材料は
  〔200g╱人で約8人分〕
  ・そば粉:800g ・つなぎ(小麦粉)200g
  ・水〔夏42%、冬47%・・朝・夕方でも違う〕
    室温・湿度で水の量は微妙変える。
2)手打ちうどんも作っておられます。
  前日より仕込み練るのが大変だそうです。
  冷蔵庫に入れたり、1時間必要とのこと。

8.三沢祭り〔8月24日〕
   三沢祭りが23日~26日実施された。出張の合間で24日夜、15の山車合同運行を見学することが出来た。子供達が中心となり練習成果が見て取れ、故郷祭りとして想い出に残る祭りと感心させられまし。容量確保のため画像一部削除。


不動明王〔ふるまき祭礼〕

神々の宴〔本町4丁目祭礼〕

竹取物語〔薬師神社祭礼〕

本能寺の変〔幸町1丁目祭礼〕

毘沙門天〔平畑祭礼〕

神楽〔岡三沢祭礼〕

 さすが、基地の町三沢、米国人も町内に溶け込み日本の祭りを一緒に楽しんでおられました。

7.岩国錦帯橋『鵜飼の夕べ』〔8月19日〕
   昭和21年から始まった錦川鵜飼は故岩見屋 保氏から同級生である岩見屋 健君が受け継ぎ今年7月からは錦帯橋鵜飼振興株式会社へと継承された。同級生の『よい会』より鵜飼の夕べの案内を頂き、墓参りを兼ねて日帰りでしたが初参加しました。夕暮れ時の岩国藩主の吉川家の墓所から蜩の道を散策した。吉川公園内は昔通った高校跡地でありところどころに面影が残っていた。その後、同級生と再会幼き日にタイムスリップし楽しい一時を過ごした。
メモ〔錦帯橋鵜飼振興株式会社パンフレット抜粋〕インターネットでお問い合わせ申し込み下さい〕
鵜飼は二人の船頭仲乗〔なかのり〕艫乗〔とものり〕櫂〔かじ〕でこぐ鵜飼舟の先頭に立つ鵜匠は手縄を介して鵜を巧みに操り、かがり火のもと人と鵜が心を一つにして鮎を取る魚法だそうです。


6.DIY挑戦〔校倉風蚊取り線香入れ〕
〔8月13日〕
   老後の趣味の一つにDIYに挑戦したいと日曜日朝NHK教育テレビ『住まい自分流』見ております。
最初の挑戦はベランダの夕涼みに欠かせない蚊取り線香入れを選び作りました。
一応何とか出来ましたが失敗をして多くを学びました。
①服装は汚れても良い作業着を着る→着色ニスが散って汚しました。
②作業段取りは良く考えて進める→寸法取りは着色ニス塗った後行う・・・?。
段取り八分、道具も大切だと痛感しました。


5.キャデラックについて〔6月3日〕
   昭和46年に1500万で8200CCのキャデラック『インドラ』を購入して今も大切に乗っている
東北町のH実業家〔71歳〕に三沢のアメリカンデーでお会い致しました。リッター2Kmと環境には
やさしくありませんが、ご本人は廃タイヤを蒸して油とカーボン作る会社を中国などで経営している
そうです。お元気なのにびっくりです。
それと、黒人白人女性競演の歌も初めての曲でしたが良かった。国際色豊かな光景に出会い
ビールを飲みながら一日楽しみました。

4.史跡『楠木正成公墓碑〔4月8日〕
  楠木正成とその弟正孝は延元元年〔1336年〕5月25日足利尊氏との戦に敗れ湊川で自決した。兄弟は最後に『七たび人間に生まれ変わって国賊を滅ぼしたい』と望んだそうだが、吉田松陰によると正成は一度も死んでいないと『七生説=しちしょう』で書いている。つまり正成の忠節は死後後世の人々に伝えられ奮起させているからだそうです。人間は肉体と心からなっており心は肉体より神に近く、肉体は動物に近く自己本位そうです。
『心を公と呼び主人とし、肉体を私と呼んで従者となす。これが出来る人は大人〔だいじん〕、逆に肉体を主、心を従とする者は小人〔しょうじん〕である』
小人は肉体が滅んだらただの土となり、二度と甦らないが、大人の心は普遍的な『理』を通じているからたとえ肉体が滅んでも決して朽ちるものではないそうです。一坂太郎氏維新列伝より。
毎年お参りしている『湊川神社』ですが境内入って右側に墓があり今まで気づきませんでした。
吉田松陰は22歳江戸遊学の途上正成墓をお参りして碑面の拓本を買ったそうです。1859年10月27日30歳で処刑されるまでに3度訪問し涙を流したそうです。


元禄五年〔1692年〕12月21年徳川光圀
によって建立。
碑面8文字『嗚呼忠臣楠子墓』は光圀公策
とのこと。


3.青森弘前城『雪燈籠』『斜陽館』『津軽三味線』
〔2月11日〕
  
出張先の仕事休み三沢駅より8時発帰りは19時24分着普通電車〔片道:2,210円〕に乗り、みちのく五大雪祭りの一つ『弘前城雪燈籠まつり』川部乗換え五所川原からストーブ列車で有名な津軽鉄道で金木迄〔片道:530円〕行き『津軽三味線会館』『斜陽館』〔共通入場券:900円〕を見学して来ました。斜陽館は約394坪。建築費用は当時の金で約4万円〔現在では7~8億円〕太宰治は13歳までこの家で過ごしたとのこと。弘前駅に10:26分着〔特急:500円〕市内循環バス〔100円〕で弘前大学病院前を通過市役所前で下車。弘前公園内の雪燈籠まつりを見ました。今年は雪が少なく融けかけていましたが・・・タクシーで駅まで帰り11時17分で五所川原へ向かった。車窓からの『りんご木』は雪景色でしたが春の白い花も見たいと思いました。津軽五所川原駅で待つこと40分地酒を飲みながらNHKのど自慢を見ていたら、神戸での開催でびっくりでした。旅は道ずれ、名古屋から出張して来られた方と話しながらストーブ列車の雰囲気を楽しみました。

津軽弁の紹介〔津軽弁はフランス語に似ていると聞き地元の会話を聞き雰囲気を感じとりました〕
 どさ↑=何処へ行くのさ?               〔青森県金木町 津軽地吹雪会〕
 ゆさ↓=湯に行くのさ
 だと↑=誰と?
 など↓=あなたと・・・            あずましい=気持ちよい
 わど↑=私と?                うずげる=甘える
 まね↑=行けないか?            すがま=つらら
 いが↓=行くよ                だんぶり=とんぼ
 へば↓=それじゃ早速           まみしい=健康だ


2.太山寺磨崖不動明王
〔1月28日〕
   鎌倉時代後期 弘安年間1278年~1288年
   
運動不足で妻と家の周りを散歩する為近くの太山寺まで歩いた。温泉〔なでしこの湯〕で甘酒を飲みくつろいだ帰り旧道〔伊川上流300m〕右岸に兵庫県最古の磨崖仏(まがいぶつ)を見つけた。上下236cm左右135cm舟形彫のくぼみの中に像高175cm厚肉彫の不動明王であった。

『のうまくさんまんだ ばざら だん せんだまかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん』合掌

1,箱根駅伝を見て〔1月2日~3日〕
   東海大の佐藤で始まり、終盤で失速した山梨学院大のモグス、順天大の山の神、今井、タスキを繋ぐ事が出来なかった神奈川大学・・・結局1区14位の順大が総合優勝、『人生はマラソンではなく駅伝だ』と言った君原選手を思い出した。今年、サラリーマン人生のゴールを迎える。まだまだ働けるが・・・。諸先輩より受け継いだ遺産を次の世代にタスキ渡しをしなければならないし、自分の開拓した大切な顧客、人脈を次の世代に引き継がないと自分の存在が無くなる。『漆喰』を使ってピラミッド作りをした王様が漆喰作りの為、木を切り過ぎ砂漠化して文明を失った話を思い起こす。それと砂漠だったアメリカ、ロッキード山脈からの地下水をポンプで汲み上げトウモロコシを作っている穀倉地帯が最近地下水を汲み上げ過ぎた為、一部砂漠化しているとの事。地産地消が必要と思うし、問題点を良く認識して対策を立てて、世代から世代へ文化としての英知を伝えなければならないと思った。駅伝は掛け算だと言う監督もいますが、現世代から次世代に掛け算で文化を伝承しなければならない。先輩から後輩に、先祖から受け継いだ遺伝子を子孫に・・・存在感を示せるように努力したい。今年は『心を鍛える』をモットーに、一日一日楽しく一生懸命生きたいと思う。


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