孫文記念館・五色塚古墳他について。

 近所のご縁ある方と昨年より『史跡巡りウォーキング』を始めました。今回は第9回垂水区をウォーキングしました。

  海神社→マリンピア神戸→孫文記念館→五色塚古墳・小壺古墳

補足説明〔各施設のHP及びパンフレットより抜粋〕
1)海神社
 今から1800年前、神功皇后(ジングウコウゴウ)が三韓よりの帰路、暴風雨のため、どうしても御座船を進めることができなくなりました。皇后御みずから綿津見三神をお祭りになり、御祈願されましたところ、たちどころに風波がおさまり御無事に都へ御還りになりました。その時神功皇后が綿津見三神をお祭りになったところに御社を建て、御神徳を仰いだのが鎮座の由来だそうです。この御神徳により、航海安全・漁業繁栄の神として仰がれているようです。
2)三井アウトレットパーク『マリンピア神戸』
 
 『陽気な南欧の港町』がコンセプトとして開放感ある館の中に、約140店の店舗があり、本格的なアウトレットモールです。国内外の有名メーカー&ブランドから選りすぐったハイクオリティな商品を、アウトレット価格で提供。広場の野外ステージや施設内の各所では、ライブなどの楽しいイベントも随時開催。期間限定ショップや、お得なキャンペーン情報も見逃せないとか…。西館の2階に『似顔絵』を描いている高校の先生だった方がいたので描いて頂く。

3)孫文記念館
 
孫文記念館(移情閣)は、中国の革命家・政治家・思想家である孫文を顕彰する日本で唯一の施設で1984年11月に開設された。日本と孫文、神戸と孫文の関わりについて紹介されていて、貴重な孫文直筆の書も展示。大正モダンの情緒あふれる移情閣は、明石海峡大橋を背景にした優美な外観だけでなく、贅を凝らした内装も必見でした。八角三層の楼閣は日本最古の木骨コンクリートブロック建築で国と県の重要文化財に指定されています。

 孫文について(1866年〜1924年)
  1866年中国広東省の農家の3男として生まれ13歳の時ハワイで学び、香港の医科大学に進み医者となる。医者の立場で国民を助けるのに限界を感じ政治活動を始め1895年に香港で『興中会』作ったが失敗して日本に逃げてきた。1905年東京で三民主義(民族、民権、民生)を目標として『中国同盟会』を作り1911年辛亥革命で中華民国臨時大総統に就任する。アジアで初めての共和国を作ったが清朝の袁世凱に倒され再び日本に逃げてきて1914年東京で『中華革命党』を作り翌年は日本で孫文の英文秘書をしていた『宋慶齢』と結婚する。1924年広州で中国国民党第一回全国大会で国民党と共産党が協力することになり、陸軍軍官学校(蒋介石校長)が作られた。上海から北京に向かう途中神戸に立ち寄り『大アジア主義』について講演している。その4ヶ月後の3月、北京で亡くなる。日本を重要な足場にして、革命を進め、日本を第二の故郷…と言っていたそうです。
 孫文の遺言
  私は40年間国民革命に尽くしてきました。その目的は中国の自由と平等を求めることでありました。この目的を達成するには世界で我々を平等に扱ってくれる民族と連合して努力しなければならない。


4)五色塚古墳
  
淡路島を望む台地の上に築かれた前方後円墳。全長は194mで兵庫県では一番大きい古墳。周囲は深い濠と浅い溝で二重に囲われ、西側直径70mの小壺古墳(円墳)が築かれている。4世紀終わりから5世紀の初め明石海峡とその周辺を支配していた豪族の古墳だと考えられています。1921年3月3日に国の史跡に指定されている。

 
表:海神社 裏:マリンピア神戸
 
表:五色塚古墳 裏:マリンピアより古墳を見る

表:パンフレット
裏:私の似顔絵

表:孫文記念館 裏:内部のホール
 
表:入口像裏:館内展示

館内展示

  


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