「た、く、ろ、う さんだ。」
「???????」
「お、おかみさん、今の拓郎さんだ」
「???????」
ファックスを読んでいた彼女には、何が起きているかわからない。
「絶対拓郎さんだ。悪いけど停まっからね」
車を路肩に停め、一気にバック。
バスのすぐ前まで近づいて、びゅんびゅんと走ってくる車の合間を見て、
ドアを開け、走行車線を走った。
バスの陰から不安げに顔を出して、
一呼吸おいて、
「た、拓郎さんですよね」
私はおそるおそる顔を見た。
「えぇ、まぁ」
”デタント”のあの拓郎さんのオーラを感じたんだ。
1997年8月30日土曜日。 午後2時少し前。
東北自動車道下り車線。飯坂ICを1キロほど過ぎた辺り。
1台のバスが停まっていた。関東ナンバーの車だ。
これがもし拓郎さんのだったら、おもしろいのに・・・。
不謹慎かもしれないがそんな事を思いながら、
停車中のバスを通り過ぎようとした、そのコンマ何秒の間。
何人かの人影の中に、視界に入ったその人物のオーラ。
頭の中で誰かを特定できない。
人物を特定して、路肩に停車するまで7〜8秒かかっている。
時速100キロとしても100メートルはゆうに通り過ぎている。
どのくらいバックしたのか覚えていないが、
夢中で一気に停車中のバスの前につけていた。
この日は、福島名物の真夏を思わせる35度のうだるような残暑。
私は午後からの仕事を休みにして、宮城県古川市で行われる高中正義虹伝説2コンサートに向かっていた。拓郎さんがゲストで友情出演するということで、ちょっとでも見れれば幸いと思っていた。チラシには書いてあるが、本当に出演するのか、不安であった。
拓郎さんの良いところは自由奔放である。何度かファンを裏切った事実だけも、それはそれで彼の冠になる。
数年前の仙台でリハーサルまでやって突然中止になった。彼の場合、たいていのファンはそれを許す。私もそうだ。
「歌いたくないときだもの歌えないさ。」
拓郎さんを弁護した私に、
「拓郎はそれで許されるからすごいよなぁ」と、私にこのコンサートの情報をくれた男が笑って言った。
今回もいつもの追っかけコンビの友人、通称「おかみ」と一緒である。3年ほど前には二人でチケットを持たずに、渋谷のNHKホールへ行ったこともある。例の外人バンドのコンサートの時だ。午後5時過ぎからダフ屋との戦いを始めた。午後6時開演を5分過ぎまで粘り、私は大枚3万円をはたいて前から5列目をゲットして入場した。おかみは、それから20分ほど粘り7,000円で入場している。ダフ屋との交渉はすべて彼女の持ち場である。私だとびびって交渉にならない。
彼女は拓郎さんよりちょうど2歳年下で、同じ4月5日が誕生日である。私はそれより10歳年下である。まぁ、いずれにせよ普通の人から見れば、変な人たちだと自認している。
「えぇ、まぁ」
そこに烏龍茶の缶を持って拓郎さんが立っていた。
毎日聞いている声である。
がーーーーんというショック。私の頭は、何がなんだかわからない。真っ白だ。
「おかみさーん! 拓郎さんだ!」
叫びながら前方の車の方に戻った。びゅんびゅんと車の往来は激しい。おまけにここは軽いカーブで見通しも悪い。
でも私は走行車線を走って移動してバッグをとりに向かった。サインを書いてもらうんだ。おかみさんはおかみさんでカメラを取りに向かった。
「ここは危ないよぉ、気を付けて」
拓郎さんとスタッフの方の暖かい注意の言葉が聞こえるのだが、お構い無しに車道を移動した。
おかみさんが使い捨てカメラを持ってやってきた。
おかみさんが何やら話し掛けている。
数年前、佐渡でのコンサートに追っかけしたときの話である。その時も偶然フェリー待ちの拓郎さんと記念撮影ができて、それをシールにして持ち歩いていたのであった。そして今日、たまたま持っていてお見せしていたのである。
「実は私、前に佐渡のフェリー乗り場でお会いして、一緒にお写真撮らせてもらったのですよ。覚えていらっしゃいますか」
「覚えていません」
はっきりとお答えになった。
「これがその時の写真なんですよ」
「あ、ほんとだ。これ4・5年前だっけ?」
おかみさんはけっこう拓郎さんと話をしている。
「 こんな所、記念撮影するところじゃないよ。危ないんだから」
「警察に見つかると怒られるよ」
と、このように拓郎さんは相変わらず優しいのである。
「じゃあ、ここで撮りましょう」
一番最初にバスの後ろに立ったのは、拓郎さんだった。
私は素直に並んだ。おかみさんもスタッフの方にカメラを渡して、並んだ。
パチリ。

シャッターがやけに早く切れ不安だったが、
撮影が終わりお礼を言った。
「車、大丈夫ですか。なんなら乗って行きませんか」
私が言った。
「えぇ、大丈夫です。何とかなります」
とスタッフの方が応えている。
しかし、こちらでは拓郎さんが
「そんなわけで、今日は出演できませんので」
と軽く半分真顔で言った。
その後も繰り返した。
「や、ば、い・・・」
内心不安が過ぎった。彼の場合冗談じゃないときがある。
ここで帰ろうとしたおかみであったが、私はバッグから紙を取り出しサインをねだった。たまたま入っていた紙は、今朝なじみのレコード店からファックスされた拓郎さんの新譜の注文書であった。
これも意外にもすんなりと引き受けてくれた。初めにお渡ししたボールペンが書けなくて、銀行景品のボールペンに取り替えて書いていただいた。
サラサラと、さすがスターである。
しかし、読めない・・・。
私たちは、皆さんに丁寧にお礼を言い、自分の車に戻った。
警察には見つからず、速やかに車を出す。
この後、10数分は、めちゃくちゃである。
おかみは、つながる人間に電話の掛け捲りである。
「今、拓郎と会ったよ」
おかみさんは基本的に相手の事情は関係ないのである。自分に今起きたことを話しまくっている。犠牲者は、何人に及んだろうか。
ついでに順番は私の妻にもまわった。私に代わると、「良かったねぇ」と妻は意外に冷静な口調であった。
一段落ついて、
「そういえばこのボールペンで、サインを書いてもらったんだ」
と、彼女が言った。
佐渡で拓郎さんに書いてもらったときの記念のボールペンを、私が持っていたのであった。彼女は酔っ払うと無くしてしまうので、私にくれるという行為の裏には、より安全な保管場所を探したと考えられる。本日最初に手渡して書けなかったパーカーがそれであった。
「縁があるね。2回も拓郎さんが触ったボールペンだよ」
「2度ある事は3度ある。もう1回会えるな」
彼女は舞い上がったまま、訳のわからない言葉を発し続けている。
それから1時間後、古川について会場を確認。市内散策をして5時過ぎに再び会場に戻った。
駐車場所は会館の正面玄関前に誘導され、そのまましばらくは車の中で待っていた。開場時間にはまだ充分あるので、後ろの楽屋口のほうへ行ってみた。あのバスが見あたらない。拓郎さんは来れなかったのだろうか・・・。
突然出入り口からつのだひろ氏が現れた。外の空気を吸いに出てきたようだった。
おかみが、すかさず話しかける。この辺の交渉力は恐れ入る。まぁ、歳のせいもあるのだろうが。私は一瞬であるが恐怖を感じたじろいだ。実に迫力満点である。
談笑をしているところに、私も交ざった。
「福島からきました」
「おぉ、そうか」
つのだ氏は福島県の出身である。快く写真におさまってくれた。
そして、先ほど高速で拓郎さんの車がエンコして立ち往生しているところにでくわして、サインをもらったことをお話ししたら、拓郎さんのサインの隣に自分のも書いてくれた。
「拓郎さんたちは、大丈夫でしたでしょうか」とお尋ねしたら、スタッフの方を呼んでくれた。二人は、口髭の方ともうひとりは私のような体型の方でした。そして、さきほどはどうもなどと会話をしたのであった。タイヤがバーストして立ち往生していたようだ。まさかこんな所で見つけても停まる馬鹿いないだろうと話していたら、私たちの車が止まったのだそうである。そして、あの後あそこで2時間も立ち往生していたのだそうだ。
主催者側の警備員が近づいてきたので、急いで私の名刺とおかみの名刺、それにあの写真シールを手渡した。
そして私たちは追い払われた。
あれは、はたして拓郎さんの手に渡ったかどうか。
再び車の中で待機中、あのバスが入ってきた。修理工場にででいたようであった。
高中コンサートは、リハーサルが遅れていた。開演予定の6時30分になってもまだ拓郎さんのリハが行われていた。この音が間違って館内放送に流れていたので、車から降りて聞きに行った。凄くリアルでドキドキした。
6時45分会場、7時15分開演。
7時15分から高中の第1ステージ。8時15分まで約1時間。挨拶を含め一言もしゃべらず、おそらく虹伝説2からの曲を披露。スライドの映像を交えた劇風の展開。
15分休憩の後、「過去へのタイムマシン」と題した第2ステージの開始。
ここではじめてMCを加え、過去を振り返りながら昔のヒット曲を演奏をした。
弾き語りも披露する。やっぱり彼はギタリストだ。
9時5分、高中が2曲目の弾き語りで「夏休み」を歌いはじめた。
ワーッと言う喚声とともに拓郎さんが登場した。
オレンジの帽子、オレンジのTシャツ、黄色の半ズボン、かわいいソックスとスニーカー。まるでキンキの世代と同じファッション!なかなかやるなぁ。若い!。
拓郎ファンが半分じゃないかと思うほどの盛り上がりだ。
ちょっと高速で交通トラブルに遭って、田んぼの中で足止めを食った話をした。
その時の馬鹿野郎たちの話は、・・・・・・・でなかった。(あははは)
肩からはヤマハの黒のアコギを持つ。
9時11分。「春だったね」の演奏開始。高中のギターの音が出ない。ギターソロがメインの曲でぜんぜん音が出ない。見ているこちらもはらはら。ギターをかえても何してもだめで、鍵盤のソロになって1曲が終わってしまった。
拓郎さんは苦笑しながら、何で俺のときにだけこんななんだという感じで、これから高中のギター復活までの約5分間はMCの役目になってしまった。私たちは心の中で、ラッキーと叫んだ・・・。
高中のギターが復活して、再度「春だったね」を演奏。ライブ73のまんまの音。カッコ良かったの一言。
9時25分「落陽」。もう圧巻。。これもライブ73のまんま。もう涙がでる・・・。
9時29分 深々と挨拶の後、足早にスキップに近い足取りで退場。
結局拓郎さんの出番は、これっきり。

9時30分。フライドエッグの登場。9時50分頃まで、成毛のギターと高中のベースのタッピングバトル。つのだのシャウト。歳を感じさせない演奏である。
9時55分のアンコール。ローニンで使われた黒船。
10時7分、終演。
最終の新幹線時間はとっくに過ぎている。メーリングリストで知り合った仙台のKさんと東京からわざわざ追っかけてきたS氏も車に乗ってもらって、古川市内でお酒を交えての食事会。(私は運転手なので飲まなかった。ただ烏龍茶をジョッキで5杯飲んだけど・・・)
午後11時から午前1時まで、4人で拓郎さん談議に花を咲かせた。そしてそれから仙台駅までの1時間の車中もやっぱり拓郎さん談議。午前2時に二人とは仙台駅でお別れし、私たちは一路福島へ。おかみさんを降ろして自宅についたのは午前3時30分。その後シャワーを済ませビールを飲んで今日を締めくくった。
滋 39歳の夏、青春。
この日の出来事は、9月1日に福島市にあるミニFM局「FMポコ」の番組「想い出玉手箱」(午後3時、再放送午後8時)で紹介された。月曜のレギュラーDJは、前出のおかみである。ちなみに毎回オープニングテーマは「春だったね’73」である。
いつものことではあるが、公共電波を私物化し、1時間番組の30分間も、今回の拓郎話を福島弁と放送禁止用語をふんだんに使いながら、CMを1回も入れずに放送してしまった。その中で、来年あたりに拓郎さんを呼びたいなんて言ったものだから、福島で拓郎さんを呼ぶ会が結成されそうな動きがでてきた。果たしてこの夢はどうなる?
ここまで読んでくれた人は、拓郎さんの相当のファンだと思うので、この度友人になったS君のホームページをご紹介しよう。彼はかなりのカルトだと思う。ぜひお邪魔して楽しんで欲しい。
人間的にも良い男だ。彼とは、「君は2杯目だよね」って付き合えそうな男だ。
彼のホームページは、 「吉田拓郎大全集」である。
握手してもらうのと、この一言がいえなかったのが悔しい。
「拓郎さん、ピックください」

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