「おー、ようきたな」
拓郎さんならこんな言葉でお出迎えしてくれるのだろうか?
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平成11年8月28日土曜日。

いよいよ今日は、「タクラーナイト’99in福島 この指とまれ」である。

   この会のいきさつには、平成9年8月30日に拓郎さんが福島の地に降り立ったことから始まる。その日から2年ということで、記念のイベントをしたかった。その日知り合ったsawanobo君たちとの友好が始まり、今日を迎える。(この辺は「俺は吉田拓郎さんが好きだ」をごらんください) 

私は、お昼の12時を30分ほど回ったころ、会場に着いた。なんと、もう関東からの参加者である上窪氏とちあき氏が到着していたのである。
   「すみません、待ちましたか?」
   「いえ。まだ早いので、これから温泉にでも行ってきます」
   「場所わかりますか?」
   「なんとか・・・」
   彼らが去ったあと、すぐに準備にかかったのである。
   事務局は、みんな都合ができてしまい、結局一人でやることになった。

プレッシャーが、重くのしかかる・・・。テーブルに準備リストを広げて、一つ一つ確認作業。
   何がまだだったかな?

今日は何人これるのかな?まだ集計は終わっていない。当日の参加者もいるらしい?
   今朝方女の子が3人、緊急の事情ができてキャンセルの連絡が入ってきた。最終的に何人の参加になるのかな?この時点では、完全な人数がまだわかっていないので、部屋割りは難しい。

参加人員は、ちょっと減りそうかな?定員までいかないかな?やばい。不安がよぎる・・・。 頭の中は不安で一杯だ。会がうまく行くかなぁ。定員まで行かないと金銭面で店に迷惑かけるになぁ。おまけにたよりのオーナーおかみは、突然熱を出して休んでしまった社員の代わりに、店に出ていて夕方まで来られない。もう不安だらけである。
    とりあえず、気を取り戻しお昼だけは食べておかないといけないと思った。おかみの親父さん(会長と呼ばれている)とおそばを食べた。それから、しばし皆さんの到着を待つことになる。

30分も過ぎただろうか?東京チーム車3台に分乗してのご到着である。一気ににぎやかになる。彼らが荷物を下し始めているのだが、ギターが何でこんなに何本も必要なの?参加者とほぼ同数のギターがある・・・。彼らはお昼がまだのようなので、隣のレストラン「花みずき」を紹介して食事に行ってもらった。自然の流れだが、一部は直ちに宴会を開始したようである。にぎやかに和やかに・・・。結局1時間以上帰ってこなかった気がする。

 山形からの参加者くどう氏やPAさんも到着し、少しずつ忙しくなってくる。同時に私の心が開き直ってくる。暫くして今回の最も遠くからの参加の金沢、新潟の日本海チームも到着した。この時をてぐすねひいて待っていた東京チームと合流して、車座状態の完全な酒飲み会が始まった。向こうの店からつまみやビールも持ってきている。もうこのまま宴会をやっていてもらおう。
 こののんべぇたちを止める手立てはもう無い。
 彼らが動かなくなったら、こちらとしても管理がしやすいってもんだ。しかし、ものすごいピッチで飲んでいる。そろそろ酩酊者と判断できる人間もちらほら現れた・・・。

残りのノンアルコールチーム数名は、今晩のライブのセッティング、並びにリハーサルを始めた。サウンドチェックにも力が入り、5時までの2時間近く延々とがんばっていた。なんとツインリードにも挑戦している。 

 途中、当日欠席者からの電話連絡が入ってきた。事務方に安息は無い。彼はかわいそうにお店の交替の人員がこないらしい。今すぐにでも出発しないと、関東からは宴会に間に合わない。様子をみて暫くして2度目の電話がきた。残念ながら参加をあきらめると言ってきた。かなり悔しそうであった。 

 5時、受付開始時刻。もうほとんどアルコールを口にしている。PAさんを含めほとんど飲んでいる。会費の徴収、部屋割り、お風呂並びに避難経路の説明と一応準備リストどおりに事は運んでいる。初参加のsenzaki氏は個室を要求し、睡眠体制に入っている。これからがスタートなのだが・・・。
   オーナーおかみも到着し、いよいよ開催ムードも盛り上がってきた。今まで勝手にお店の冷蔵庫からビールを取り出して飲んでいたのんべぇチームを代表して、1ケースは軽く越えたであろう、両手一杯山盛りになったビールの王冠を提示した。すでに飲んだ分の本数を正直に申告しているヨッシーことよしだ君であった。この分はお店のご好意で、全額免除された。 





 
6時。開催に先立ち、記念撮影をする。これ以上酔っ払えば撮影は不可能である。

 開会はオーナーおかみ高橋和子氏にお願いした。ドレスを着てご来店の歓迎挨拶。こんなことは普段には全くない言動を発する人なのであるが・・・。普段なら一番暴れ、手がつけられない方なのであるが、拍子抜けするまったくまじめなものであった。

 続いてタクラーナイト発起人のsawanobo氏によるご挨拶。彼は普段からまじめである。















 乾杯の音頭は、最遠方からの参加者に敬意を払った。朝から7時間以上も車をかっ飛ばして参加してくれた金沢市から参加のカッシー嬢。乾杯といってもすでに彼女はできあがっていて、わめきに近い迫力のある乾杯であった。





 

 

 

 

 

 宴会が始まった。

同時に、北海道のメール&チャット仲間のカウボーイ氏からのビデオレターをお披露目させていただいた。映像は、のどかな牧場風景である。牛がたくさん写っている。人口よりも牛のほうが多いのではないだろうか?しかし、なかなか本人が出てこない。もう大半は酔っ払いの聴衆である。ビデオには某北海道出身有名歌手の自宅も映っていたのである。その時には、参加者のご意見が嵐のように舞った。ヤジという表現が正しいであろう。ビデオを充分に楽しませていただいた。その後は、本日誰かが持ち込んだと思われる過去にWOWOWで放映された「デタントツアー」のビデオが上映された。見ていたPAチーフの原君が、初めてみる映像になにやら
「あれ?フジマルが映っているぞ。
 どうも友人が映っていたらしい。そういえば彼はユイPAサービス(現ゼロデービー)の仕事もやっていたはずだ。パラスタの大田氏を紹介してくれたのも彼だったし・・・。(今度、彼からもっと詳しく聞いてみることにしようと思う) 



7時20分過ぎ、食事をしながらの好き勝手な言動も小休止となった。いよいよライブの開始である。メンバーは、sawanobo氏(ギター)、村上氏(ギター)、上窪氏(ベース)のミニバンド構成。

まず、sawa氏からの強い要望で、場の雰囲気を盛り上げるために、昨年の「LIVE’98 全部だきしめて」同様オープニングは「ハワイアンラプソディ」からの「Hawaiian Sunrise Sunset」。流れてくる柔らかなストリングスの音でメンバーが、小さな緊張と共にスタンバイを始めた。バンドの音が出た。
 「春だったね」「からっ風のブルース」「されど私の人生」「言葉」「冷たい雨が降っている」「爪」「ひらひら」「せんこう花火」「たどり着いたらいつも雨降り」「春を呼べU」「アジアの片隅で」と続いた。春を呼べからは、カッシーが乱入した。このときPAの青木君が感じた話である。カッシーが歌に乱入して歌いだしたときに、スタンドから外したボーカルマイクを咥えてしまった彼女を見て、思わず「怖い」と叫んだそうである。彼は気が弱いのである。当分女性恐怖症になるだろう・・・。

疲れはないのであろうか、一気に歌いつづけている。
 本日の大人の部、最年少参加の現役女子大生ちあきによれば、「この人たちはこのまま放っておくと朝まで終わらないです。」という。このままではまずいと思い、休憩をとっていただく。

この休憩時間を利用して、お祝いのE-mailが紹介された。北海道、熊本、姫路など遠くから参加できなかった方々が、暖かい言葉ともに熱い思いを送ってくれた。感謝。また、さきさんからは激励の電話が入った。




 この頃、外の駐車場では「大せんこう花火大会」が同時に行われていた。火傷をするほど真剣に楽しんだ方がいたと聞いた。せんこう花火にはマニアがいるらしい。

ライブ2部は、「落陽」で再開。そして「唇をかみしめて」「おきざりにした悲しみは」が続いた。この後sawanobo氏が弾き語りで「ファイト」を渋く決めると、村上氏がソロで「祭りのあと」を歌って締めくくった。この2曲は、ともに圧巻であった。











フィナーレは、ホスト役の大山が自作自演のカラオケを持ち込んで「全部だきしめて」を歌った。何度もLOVE2の公録を見に行っているみくちゃんによる振り付け指導があり、sawa氏も加えた3人で、全員で踊りながら歌ったのである。ノリノリであった。

 ここでPAスタッフは、安堵の顔を満面に浮かべ、撤収後すばやく帰宅。










メインステージには静寂が戻った。私は疲れが少々出ている感じがするが、しかし他の参加メンバーは絶好調のようである。

 午後10時をまわっていただろうか。(この辺からは時間の正確さが欠けてくる。ほとんどの人間がヘロヘロになっているため記憶が定かでない。特に私は、と付け加えておこう)














夜食の時間である。山ほどのおにぎりと拓郎ファンにはおなじみのカップスターである。みんな美味しそうに食べていた。ほとんどの人間は、相変わらず酒を飲みつづけている。

 ほとんど本性剥き出しになっている。時間的には11時頃であったろうか。金沢から参加のカッシーは大のプロレスファン。困ったことに私に戦いを挑んできた。まずは「4の字固め」を掛けたいという。好きな割には下手である。私の足には掛からなかった。お返しに掛け返してあげた。ずばり決まった。両手を3回ほど叩いたのでやめたが、かなり悔しかったと見えて、すかさず首絞めに入ってきた。2回は返したが、3回目に喉に入ってしまった。ものすごく強い力だ。一瞬息が止まり、やばかった。(実はこの後、2週間経っても喉の痛みは消えていない)悔しさはそれだけでは、収まらなかった。今度は相撲がしたいという。相手を女と思って侮ってはいけない。やられてしまう。我々は10回ほど戦い、辛うじて勝って面目を保ったものの、お互いに身体中にアザを十数か所ずつ作ることとなる。見物人のある方は、この戦いで争うことの虚しさを悟ったという。
 教訓として判ったことは、酔っ払っての戦いの痛みはすぐに出ない。翌朝やその翌朝に反省とともにやってくる。

 メインステージが戦いの修羅場になっている頃、サブステージではじゃんけんぽん大会が始まった。おかみがマウイ旅行で手に入れた、1枚の拓郎さんのサイン色紙をめぐっての争奪戦である。盛り上がりの凄さは、メインステージ並である。優勝は工藤君であった。しかし彼もまたマウイ旅行に行っていたので、彼の好意で再び争奪戦が始まった。

結局この色紙を手に入れたのは、sawanobo氏のご令嬢であった。

   各人はロビーの中で、各々のポジションに陣取り歓談をしている。一部の地方色豊かなグループを紹介しよう。津軽弁代表ちあき女史、青森弁代表こやつ姉さん、江戸弁代表みく女史、金沢弁代表カッシー女史、山形弁代表くどう氏、福島弁代表おおやま。このメンバーで拓郎さんのことで話をしているのだが、時々思いっきり意味がわからなくなる。「マイネ、マイネ」「ハンカクサイ」「イジッカシー」これらの単語は、実はれっきとした日本語なのです。この他は盛りだくさんであったが、覚えられなかった。
「サッパシ、ワガンネ」と思うおおやまであった。 


午前0時の時報とともにLOVE2鑑賞会を開始していた。3次会に突入である。
やはり若さが売りのちあきを中心に上窪氏がピアノを引き続けている。sawanobo一家、に村上氏も元気そう。JUNPAPA氏とみくちゃんもまだまだ楽しそう。

私は戦いつかれて、眠る場所を探して空いている部屋を彷徨っていた。放浪の後、ロビーに顔をだす。2時を過ぎても夜はまだまだ終わっていない。この後私は眠ってしまったが、引き続きピアノを弾いて歌ったり、話し込んだりと4時頃まではがんばっていたようだ。













  8月30日日曜日。

朝だ。午前5時。きれいな朝の光が差し込んでいる。そこにはぐっすり眠って起きてきた人と、ロビーのソファには崩れるように眠りについたばかりの人が、奇妙なコントラストを演じる。見渡すと全てのテーブルの上には、この世のものとは思えないほどの残骸。これは参加者全員で作成した、戦争の無意味さをモチーフにしたオブジェである。
 店の人が起きてきた。地獄の宴会の片付けを邪魔しないように、足取りは重く粗大ゴミに肩を貸して、蒲団のあるところへ移動した。そして再び夢の中へ・・・。


  8時30分 朝食。かなりの人がロビーに集まっている。あれだけ飲んでもけろっとしている人がほとんどである。起こされかたも多種多様であったようだ。私の場合はこんな感じであった。耳元で女性のささやき声が聞こえる。悪くない状況と思った瞬間、「オエーー」と言う声が発せられる。コーラスを付けたくは無いのだが、トイレまで駆け出して同じように「オエーー」。蒲団に戻って、薄れてゆく意識の中で今度は「ゲーー」というささやき。再び反射行動が起き、「ゲーー」。昨日の相撲のリターンマッチであった。幾度かのしつこい優しさの末、ロビーに行くが、味噌汁のみをいただいて再び夢の中へ。
 11時 チェックアウト。記念撮影。そして解散式。おかみは仕事で、すでにもう出かけていた。興奮を醒めさせまいとの無言の優しさだったようだ。別れの時間であるが、まだ惜しい。そこで、一部を除いて子どもが遊べる場所として近くの観光地である「四季の里」へ向かった。この日は、夏休みの最後ということであろうか、大変込み合っていた。みんな、二日酔いに祟られているようで元気は今ひとつである。お昼を食べようにも園内のレストランでは、並んで順番を待って食べる事は、体力的にも至難の業だ。名物のアイスクリームを食べて、再び「花みずき」に戻ったのである。
 午後1時。そばを食べたいという大方の意見で、「ぶっかけソバ」にした。うまかった。みんなで食べたから、とてもうまかった。
 午後2時を回った頃、口数の少ないくどう君が、締めくくった。
「名残惜しいけど、今度は本当に解散ですね。コンサートでお会いしましょう」

これで終焉を迎えた。再会が楽しみである。


 後でわかったことであるが、sawanobo氏が使っていたリッケンバッカー610は、拓郎氏本人が弾いた事のあるギター。92年のアルバム「吉田町の唄」の追加レコーディングの際に氏の弟がエンジニアとして関わった(名前のクレジットあり)のですが、当時、弟が所有していたリッケンバッカー610他数台のギターをその現場に持ちこんだ。それらのギターは実際のレコーディングには使われなかったが、拓郎氏は、このリッケンバッカーを大変気に入り、レコーディング開始前とか、合間にこのギターを弾き、さらにツアーで使わせて欲しいといったとのこと。(しかし、実現はしなかった)。その後弟から譲って貰ったということである。

 また村上君が使ったレスポール80は、スピッツの確か4枚目のアルバムのレコーディングに使用されたギターとのこと。当時、スピッツのギターの人が良いレスポールの音が欲しかったらしく、sawanobo氏の弟から、村上君のレスポール80を貸して欲しいとの申し出があり、そのような事になりました。そのアルバムには、村上君の名前がクレジットされているという。

 あの時知っていれば、借りたのに・・・。悔しいのである。 


参加者リスト(申し込みのあった順、敬称略)

ヨッシー@浦和、sawanobo一家@国分寺、村上@浦和、くどう@山形、上窪@柏、senzaki@埼玉、みく@北区、カッシー@金沢、JUNPAPA@新潟、ちあき@相模原、おおやま@福島スタッフ。(特別参加)こやつ、オーナーのおかみ&だんな。

PAスタッフ:原舞台工房 原、青木、
ビデオ参加 カウボーイ@北海道
メール参加 Club Mahalo広井@池尻、せま@熊本、パラスタ大田@駒沢、松岡@姫路、カウボーイ@北海道、RIOJIN@三鷹
携帯参加 うーやん@千葉、さき@立川、RIOJIN@三鷹

参加してくれた皆さん、本当にありがとう


今回の会場になった「民宿旅の宿&味処花みずき」のご紹介。破格の飲み放題1泊2食で7,000円(税込)でやっていただいた宿です。
場所は、福島市荒井(土湯温泉手前アンナガーデン隣)

 <おかみから>

と、言う訳で無事終了したタクラーナイト99福島。それにしても、初めて顔を合わせたとはとても思えない皆の盛り上がりを見て、場所を提供した“旅の宿”の主おかみとしては、一人の男(拓郎)を通じて、こんなにも近くで、こんなにも古くからの曲を、そしてこんなにも新鮮な出会いができることへの感激、興奮、感動があることを思い知らされた二日間であった。もうこうなったらゼニカネの問題ではないのだ。店内にあるアルコール類はかなりのスピードで無くなったけれど、その後に残った満足感の方がはるかにでかい。そしてこのような会を重ねるごとに膨れていく友達の輪。日本全国にこんな仲間が増えたら、旅をしたって新たな楽しみができるではないか。これを機会にぜひ定例会として旅の宿を利用して欲しい、と本気で思った。桃とホタルともみじと大雪が、全国のタクラーを待っている。全てのタクラーに幸多かれと願う、おかみ。


2006年4月をもちまして、さよならもなしに、このお店は閉店してしまいました。
と思いきや、何故か、
2011年1月10日(現在)、いつの間にか完全予約で復活していました。
下記の電話番号にお問い合わせください。tel:
024-563-7605 fax:024-563-7606

このイベントの後、タクラーナイトを経験したいとお問い合わせもありましたが、今のところ次回の開催予定はありません。ご了承ください。
いずれ、拓郎さんのコンサート会場で、また会いましょう。

 長い文章でしたが、読んでくれて感謝します。ご感想をどうぞこちらへ。