「こんにちは、吉田君。」

「あ、どうも。大山さん」


 うわー、なんか今夜は活気が違うなぁ。もう、かなりの人が座っていたのである。

 受付をしていたのは、みっちゃんだ。彼女とは2回目の時にもお会いしている。ピンクのハート型名札を渡されて、とりあえず近くのテーブルに着いた。「ここにお名前を、そしてアンケートをお願いします」と女性が声をかけてきた。
この一言が明るいH女史との運命的な出会いだった。

平成10年10月3日。タクラーナイトも3度目である。
 今回は遠く九州の鹿児島、熊本を始め、金沢、名古屋、福島と全国各地から50人を超える方々の参加をみた。会場は、いつもの東京上野近く根津の鉄兵さんである。(オフィシャルからの公式発表は、来場者数は49人+鉄兵夫婦=51人ですとなっている)
 この集会は、これより始まる拓郎さんのツアー「LIVE’98〜全部抱きしめて〜」に先駆けて行われた。全国に散らばるネットファンの心を集結して、コンサートでは同窓会のようなのりで、大いに楽しませていただこうというものだ。拓郎さんの声を聞きたい人たちが、待ちきれずに開いた「ただの宴会」といえば、元も子もないが・・・。

 まぁ、ここに集まっている「昔の少年少女たち」の目は、生き生きとしてその時代に戻っていることは事実である。
 この日までの私は、スケジュール調整が非常に難しかった。実のところやっとの思いで、何とか参加にこぎつけることができたのだ。

 6時少し前に会場に入り、参加のための名札に名前を書いた。
 まずは鉄兵さんの音頭で「乾杯」の儀式から始まった。
 7時を過ぎた頃は、まぁ、なんともアルコールの後押しもあり、凄まじいテンションの高まりである。拓郎さんがこの店に来られたときの写真のアルバムが廻ってきたり、参加者のアンケートが廻ってきたりと、場が和んできた。

 いよいよメインステージ、サブステージと入り乱れての拓郎ソングの乱唱?(失礼)となる。
 メインステージは、前座?のあとsawanobo氏が、腰に手をあてての「親切」を熱唱した。ここで最初のピークを迎えた。そしてボルテージは下がることなく、曲はとどまることを知らずに続いていくのである。ステージでは、黙って飲んでいる連中が適当に談笑している。結婚を前にしたカップルは自分たちの世界に浸っている。まぁ、どっちかというと暗い・・・・、か。でも私はこちらの方が好きだ。(実はほとんどこちらに座っていた)
 sawanobo氏がメインステージから戻ってきた。まぁ、心地よい疲労感なのだろう。満面の笑みを浮かべている。私にギブソンを手渡す。よこお氏も戻ってきた。フィンガリングのうまい、よこお氏だ。彼がマーチンを弾く脇でじっと耳を傾ける、元?お嬢さんたちが、指がきれいなどとうっとり聞き入っていた。「ガラスの言葉」がよく似合う。彼は良くこの曲を弾いている。たぶんこの夜も弾いていたと思うのだが・・・(申告リストにはでてきていない)。彼はこの夜、一番もてたと思う。

 程良く疲れ始めた観衆がサブステージに帰ってきた。みんなアルコールやニコチンを補給している。メインステージではこれらのサービスは受けられないからだ。
 突然、よこお氏の十八番の聞き慣れたフレーズが始まった。これはこの飲み会特有の名物と言っても過言ではないであろう。
 「ある雨の日の情景」である。
 この曲は拓郎さんも昔、ステージに10人くらいの観客を上げて、帰り際には抱きつかれたりもした「あのステージシーン」を彷彿させるものである。テーブルを境に右と左に分けてのコーラスの掛け合いである。これは盛り上がるのである。私もこれだけは歌詞カード無しでも歌える。まさにギター1本で遊べますってところか。ここでもこだわりを見せたsawanobo氏。完璧に歌詞を理解している。そのほとんどが間違って覚えているのに、彼だけは完璧だった。どこの部分かは、オリジナルレコードで確かめてみられたらよろしいと思う。たぶんあなたも間違って覚えているから・・・。

 そのあとは、再び後述する曲目が披露されるわけである。「アジアの片隅で」でお開きを見るのであるが、この合唱のパワーをコンサートまで持って行きたいと思う。
今度のコンサート会場は揺れるだろう。

 以下は、後日関係各位からの自己申告による演奏曲目一覧である。(出所:sawanobo氏のHPの掲示板に寄せられたもの)この際真偽のほどなど関係ない。このくらい歌っていたのだということだけをご報告させていただく。(私は、最初を除いてほとんどサブステージの方にいたので、本当のところ良くわからない)

★メイン・ステージ(演奏順ではない。思い出した順である)
贈り物
制服
親切
この次はこの街で

春だったね
やせっぽちのブルース
落陽

春を呼べ U
今日までそして明日から
祭りのあと
からっ風のブルース
リンゴ
大きな夜
マーク U
冷たい雨が降っている
お前が欲しいだけ
古いメロディー
アジアの片隅で
どうしてこんなに悲しいんだろう
やさしい悪魔(写真はキャンディーズ?の方々)
イメージの詩
夏休み
ああ青春
されど私の人生は
七万五千円の右手
いつか夜の雨が
Have a nice day
大いなる
ロンリー・ストリート・キャフェ
王様達のハイキング
I'm in Love
ローリング30
いつも見ていたヒロシマ
おきざりにした悲しみは
たどり着いたらいつも雨降り
君去りし後

アジアの片隅で
落陽
人間なんて

☆番外編
言葉
ペニーレインでバーボン

サブステージでやった曲
(モテモテ男のよこおさんとパチリ)
伽草子
蒼い夏
暑中見舞い

春だったね

高円寺
ある雨の情景
わしらのフォーク村
自殺の詩
花嫁になる君に
たくろうちゃん
どうしてこんなに悲しいんだろう
僕らの旅
Have A Nice Day(天然色写真編、気ままに写そう編)

来てみた(これは私がやったので・・・)

 このほかに、拓郎さんのLP・CDになっていない曲たちを数曲。なにせ正式リリースないため正式な曲名がわからない。歌が多くて、アップアップしていませんか?(この辺が、この集まりのマニアックさを物語ってはないか!私も個人的には数曲覚えたい曲がある。「さすらいにっぽん」だ。次の機会に教えて貰おうと思っている)

 午後11時。慌ただしい終焉を迎えたのである。最終電車が走っているうちに帰らなければいけない、我がテーブルのキャンディーズ?の面々があわてて帰り支度を始めた。つられてせまちゃんも・・・。ヤバイ。一緒に帰る人たちが動いたということは、私も動かなきゃいけない。
 そこそこに挨拶を述べて、根津駅に向かった。追いかけてきたsawanobo氏とは明日の待ち合わせ時間の打ち合わせを辛うじてすませて別れた。

ワイキキ通りかぁ?

夜の六本木の事である。

 今日の宿泊地は、六本木である。何と心地よい響きであろうか。初めてきた六本木である。ここが日本かと思うくらい外人が多い。日中渋谷あたりで見かけた偽りの金髪ではない、本物だぁ!昨年、ワイキキビーチを歩いた感覚と同じ。違いといえば、長袖と半袖の違いだけだ。
 少しおなかが空いてきた。帰り一緒だった友人たちと3人で居酒屋パブに寄ることになった。そこには俗に言うおやくざの団体さんも向かいの席に座っておられた。やはり六本木なのだと再確認。最近は、その筋の方々もこういうファミリー系居酒屋のようなところにも出入りされているのか?
 これも不況日本国症候群か?
 我々は、ビールと焼きうどん等の消化の良い物を頼んだ。1時間ほど話しながら程々に食べた。この間お一人のH女史とは、高校生時代を同じ福島で過ごしていることが判明。なんとまぁ。時々我が福島市でも飲んでいるという。これも不思議な縁である。そしてまた不思議なことに3人とも同級生であった。奇遇の2乗倍である。
 彼女が住んでいた頃、私は拓郎さんの曲と出会っているのである。そしてそのころ福島県文化センターで、あの金沢事件直後の拓郎さんのリサイタルをみている。新六文銭がバックだった。でも彼女からその話はでなかったから、たぶんご覧になっていないのであろう。
 満足して店を出たわけであるが、彼女とはここでお別れとなるのである。彼女は明るい奴だった。今まで春風のような颯爽さであった。が、タクシーに乗り込むときに思いっきりボコッと音の聞こえるようなアクションで頭をぶつけるという、すばらしいパフォーマンスを見せてくれた。残った我々は、どっとこけてしまった。
 サンキュー、また会おうH女史。

 店をでて、またもワイキキ気分。ハワイアンラプソディー。ルンルン!!
 数分歩いて、麻布警察署裏の宿泊施設「某県会館」まで戻った。門限の午前2時までは余裕のご帰宅であった。この会館って言う響きが良い。私らしい・・・、ね?これがアーバンなんとかだったら、それこそ自分を見失ってしまって地に足がつかない状態になってしまう。部屋は会館らしく少し落ち着いていた。お風呂に入って、すぐに寝付いてしまった。
 折角の六本木も私には似合わないのだ。
 
 起きてみたら、六本木の朝とて普段と変わりない。8時からの朝食は和定食。アジの開きも心なしか六本木風であった。(あははは、そんなわけないね。)
 朝10時出発の予定が、少し早まった。本日合流の方の到着が予定より30分ほど早まったからだ。こちらはまだパンツ一丁であった。着替えをいそいだのであった。
 そして先日別れ際にsawanobo氏との合流を約束したアマンドに到着。歩いて5分もかからないところだった。(有名と教えられたアマンドはどうしてもアーモンドと読みたい。こんな風に思うのは俺だけだろうか・・・。)
 さて、予定の4人になった。さっそく地下鉄に乗り込み渋谷まで。それから、駒沢へと乗り継いだ。11時から、今日もパラダイススタジオにお邪魔する事になっていた。前回はO氏とお会いできなかったので、お会いしたかったのである。

 スタジオには10時40分に着いた。
 私以外は初めての訪問なので、皆さん興奮気味であった。ここで私も興奮してしまうとまずいので、平静を装うわけである。でも建物を見つけるとやはり興奮してしうのである。外からビルの外見を眺めていると、O氏が愛犬ハロルドを連れてやってきた。彼は無類の愛犬家のようである。
 「どうもご無沙汰しております」
 さて、早速スタジオの中に入れてもらう。1Fスタジオのミキサールームで、お話をさせてもらった。いろいろな質問をさせていただいた。この時になんとなんと彼は、我々にとって大変良く知っている方の仕事をしたときの記念の録音テープをBGMに掛けてくれた。大事に持っておられた秘蔵のテープである。
これだけでぶっ飛んでしまった!!!!。リアルな音だ。息づかいまでも伝わってくる。コンサートそのものだ。私の喉から手が伸び出しているのに、平静を装っていなくてはならない苦痛は、とんでもなく大きかった。
 訪問者の中には、その現場に居合わせた人もいた。MCが聞こえると、懐かしさとその時の感動を噛みしめていたようだ。コンサートって、いつも自分の中の歴史とダブるものなのだね。
 そしてお待ちかねの、O氏の回想談を伺うことになる。
 神様拓郎氏との仕事の時のエピソードも語ってくれた。まずは有名な野外コンサート「ONELAST NIGHT IN つま恋」の時の事である。この歴史的コンサートはあまりにも伝説が多い。特に拓郎氏が歌手を辞めるという宣言にも似た事を話していた直後ということもあり、当時我らにとっては最後の別れとも思えるコンサートと感じられていた。事実この後、高杉晋作として映画出演するまでは、マスコミからは雲隠れしていた。(と思う。少なくても私の住んでいるところには、神様の動向は何も聞こえてこなかった)
 後日、このころを書いた拓郎さんの遍歴を書いた冊子が出回るのだ。(デビュー20年を記念したビデオボックスに付属した「吉田拓郎’70−’90 ヒストリーブック」)
 「PAチーフ・エンジニアは、やはり設営中に事故に合い松葉杖をついていた。空前の大イベントは、想像以上のプレッシャーをも与えていた。スタッフの誰もが、世代こそ違え、拓郎に出逢うことで音楽の仕事に足を踏み入れた者ばかりだったのだから、”その日”の持つ意味は十分に承知していた。」(前出原文より)

 ここでO氏は、確かに風など天気はひどかったが、全くただの個人の不注意で足をけがしたという衝撃的な告白をしたのである。がーーーーん!がん、がん、がん。(ディレイ)
 歴史は後日作られていく事を思い知らされる。

 さて、衝撃から立ち直った我々は再び質問などを始めたのである。
 コンサートは開始されていたにもかかわらず、拓郎さんの順番までお天気は待ってくれずに、あられや暴風雨で結局中止になった東京での最悪のコンサートの話題や、福岡でK氏の野外ピクニックコンサートという題のコンサートのエピソードを伺ったのである。参加していた人もいたので盛り上がったことはいうまでもない。
 それから、スタジオ内一通り案内していただいた。私は2度目であったが、他のメンバーはただただ驚いて見学させて貰ったのであった。

まずは屋上に向かった。外のプールまで拝見。今回の調査でTOTO製とわかった。それにしてもこの屋上からの眺望は最高である。



それから今回は、前回おそれ多く遠目に見ていた瞑想室にも足を踏み入れることができた。また3階のコーナーには井上陽水氏からの寄贈という置物がちょこんと置いてあった。



その後エレベータで一気に地下まで・・・。遠まきに拝見したリハーサル室には、某有名ミュージシャンがコンサートに向けて練習をしているとのことで、セットが組まれていた。ギターなどが所狭しと並んでいた。その脇になぜかコードなどの書かれている、あの見覚えのある歌本が何冊も用意されていた。我々もよくギターで弾き語りするときにお世話になるあの歌本だ。何とか全集。

 これを使って練習しているのであろうか????
 まさか・・・。自分の曲の歌本ではないか・・・絶句!

 我々の神様もつま恋合宿の時には、同じような練習をしているのだろうか?これは信じがたい光景であった。かつて泉谷しげる氏がご自分のコンサートで、ご本人の歌本を見て歌っていたことを目撃した事はあったが・・・・。

 午後1時になってしまった。1時間も予定をオーバーしてしまった。O氏に丁寧にお礼を申し上げスタジオをでる。その時ちらっと見かけたスタジオのスケジュール表には、あの動物の名前のバンドでギターを弾いて神様のバックを勤めた方の名前が書いてある。今は某レコード会社のディレクターのはずである。2時からかぁ・・・。ここで粘ってサインを貰おうか?全員で顔を見合わせるが、空腹に耐えるほどの力もない。ここは素直に帰ることにした。
 食堂に寄って昼御飯を食べてから、渋谷へと向かった。またしても都会の雑踏と呼ぶのにふさわしいところだ。「ラブラブ愛してる」の番組グッツを探しにとある店に向かった。迷いながら・・・。そこはパルコの近くだったような気がする。都会って奴は、どこもかしこも同じに見える。ここでは目的の物は見つからなかった。それから東急ハンズに「神様の扇子」を探しに行くが、ここでも需要期が終わったということで置いて無かった。ちょっと寂しい。自慢話が無いじゃないか!
 私の妻と娘におみやげを買いたいというと、渋谷を切り上げて原宿が良いのではという事で、原宿まで歩いて行くことになった。きれいな午後を歩いた。途中NHKの脇を通ったのだが、何年か前にここでダフ屋からチケットを買って入ったなぁという事が、思い出されて一人で苦笑した。それにしても高いチケットだったよ、全く。足下を完全に見られたね。でもあの外人バンドのコンサートだったから惜しくはないけどね。

 原宿。ここではまた趣が変わった。若い人だけしかいないが、渋谷よりは気が澄んでいると感じた。
 神様の歌で「ペニレーンで、バーボンを」と言われ、大人になってから憧れのバーボンを飲んだ神様ファンも多いはずだ。その「ペニーレーン」を訪ねたのだった。すでにこの曲はもう日の目からは遠ざかっている。というのは、一部不適切な表現が歌詞にあるのだという。でもこれをどうこう目くじらをたてるほどのものでは無いと思うのだが・・・。
 ペニーレーンはパラディソと名を変えていた。伝票がまだ前の名前のまま使われている。ここが元ペニーレーンだというのは容易に分かる。神様は昔ここでバーボンを飲み、時には喧嘩していたのであろう。普段、神様はオレンジジュースのはずだ。すかさず私はオレンジジュースを頼んだ。少し疲れ気味の気怠い午後の日差しであった。俺は今、あの「ペニーレーン」にいるのだ。
 ここで大きく息を反芻する。お隣の店はライムライトだ。

 70年の初めから神様と出会い、人生を語らずなどと粋がり続けた男が、40歳にして憧れのペニーレーンに座り、やはり今もまだ人生を語れないでいる。このままミーハーファンで死んでいきそうな気がする。神様はあくまで神様でいて欲しいと思うのは、単に私のわがままであることはわかっているのだが・・・。

 午後4時。みんなと別れの時間が近づいてきた。そろそろそれぞれの家庭に戻る時間だ。互いにありがとうをことばでは言い尽くせない。貴重な時間だった。家族におみやげを買う時間だ。ラフォーレ原宿に入り案内してもらう。何とも場違いなところである。10代でなければ入っていけないと思う。このパワーはいったい何なのだ?早々に買い物を終えなければいけなかった。

 各々が電車を選び、家庭へと戻っていく。そう40歳の家庭だ。この時間を持てたことに感謝をして家庭に戻るのだ。さよなら。一部の人とは、コンサート会場での再会を約束して、お別れをした。

 福島に着いたのは、もう8時を過ぎていた。まっすぐ妻の実家に向かった。我が家族は秋祭りのために実家に帰っていたのであった。秋の例祭の本祭りは、別名喧嘩祭りともいい、お社をぐるぐる廻る屋台と屋台に挟まれて、場合によっては死者もでる事もある激しい祭りなのである。この地域の人たちには、盆正月には帰省しなくても、祭りには帰省するという親不孝者が多いと聞く。今日は前夜祭のため比較的静かであった。明日は救急車が何回出動するのであろうか?昨年は4回だったと聞くが・・・。おみやげを喜んでくれた家族に感謝する。この度の小旅行はここで終焉を迎えた。

11月11日(水) in大宮ソニックシティ フルパワードコンサート。

いよいよ開場だ。
 会場ではもう同窓会気分。タジフ氏、わさびさんを見つけてご挨拶。そして、よしだ氏、よこお氏、かしむら氏、sawanobo氏より紹介を受けてJUNPAPA氏ともご挨拶であります。そうそう、さきちゃんも。会場内に入るときになって、先発隊のおかみを発見。おかみの店の拓郎フリークそばやの店長と今年マウイ旅行で知り合いになったくどう夫妻とyumiさんを紹介された。すでにメールのやりとりはあったので、初対面と言う感じは無かった。グッツを購入するのは至難の業だった。物凄い行列であった。また「それいけ!」の猪俣さんとJUNさんも取材中の様子であったので、遠目に拝見した。

開演
 午後7時5分。まだ会場は明るいままHawaiian Sunrise Sunset (instrumental)が流れだした。そして、そのまま暗転していった。

今年の拓郎さんは、パワーアップ全開だった。
1.春だったね
  言わずと知れた名曲中の名曲。キーボード武部氏のバグパイプ風イントロの後、シンバルのカウントとともに数々の過去のライブのオープニングを飾る聞き慣れたギターのフレーズが流れた。オープニングの定番中の定番。間奏にところのベースのフレーズが、ブルースブラザースを彷彿させた。

2.こころのボーナス
  間髪入れずに、スタートした2曲目。今回のニューCDに収録されている曲である。これって清志郎さんの曲とは感じさせない曲である。少しイズミヤタッチもあるかな?ライブ受けしそうな曲と言うことであろうか。いずれにせよ、すっかり自分の曲にしている。

3.友あり
  友達を思いやる気持ちでいっぱいの優しさは、時に神さまにもぶっきらぼうな命令口調となってしまう。友情に人間愛を加えた男の無骨な優しさが溢れる名曲。ドラムのさびが、「すっとこどっこい」と聞こえる部分がある。私だけだろうか?

4.僕の人生の今は何章目ぐらいだろう
  
これもニューCDからの曲である。トータス松本の作詞作曲であるが、これものんびりとした拓郎節に聞こえる。この曲はトータス氏の師匠であるベースの建サンのひときわ感情と根性のこもった演奏を見る事ができた。弦を弾くときのくっと首を振る仕草は、かなり演歌っぽいと感じたのは私だけであろうか?肩から力の抜けた、拓郎さんのキュートな声が聞けた。  

5.ともだち
  
まさか・・・・・・LPからは全然思い浮かばないギターのイントロから、突然「やるぅーせない」と印象的に始まるまさに珠玉の1曲。

6.君のスピードで
  
クールなリズムで、淡々と優しく唄う中年男の歌。

7.7月26日未明
  人生に悩んでいたころ、「大阪行きは何番ホーム」と共に良く聞いた曲である。何もかも信じることができないほど人生に打ちのめされた時、伝説の「ONELAST NIGHT IN つま恋」のビデオを何度も何度も繰り返し見たのである。汗をにじませ、遠い何かを見つめる神様を表情が思い出される。
  鉄道の工事現場のようなSEから、聞き慣れたイントロが始まった。「だけど船はまだ港の中 乗り遅れそうなのは誰 間に合うさ 間に合うさ 遅すぎる事は無い」
  そして、私は勇気を振り絞りその船に飛び乗ってしまった。
  もし、何かに悩み苦しんでいるときに、頼るものがなくなってしまい、どうしようもないときには思い出して欲しいこの特別に珠玉の2曲だ。

  (人間はね、一人で生きるのは、やっぱり寂しい事だと思うよ。寂しいのがいやなら少し自分のわがままを抑えてみるか・・・。もしそんなに悩んでいるのなら、私のところにメール書いてみたら?微力ながら話し相手になってやれるかも知れないから、ね。勇気を出して!)

8.外は白い雪の夜
  
建さんとの出会いとなった数年前の紅白にもこの曲をひっさげて登場した。売れっ子なのに紅白には出ないと言ってNHKに特番をくませたかつての神様。一気にテレビ嫌いという印象を与えたあの井上バンドとのテレビ出演。あの神様が変われば変わるもので、今となっては毎週テレビに出ている。
  重厚なオルガンから始まる珠玉のワルツ。
  よほどショックだったのだろう広島での同窓会での一件。しっかりと頭の薄くなった友人たちの話や、面影さえも残っていないという、体重も80キロとすべてに円熟味を増した憧れのJ子さんを話題にしたMC。せめて面影だけは残しておけ、こんな女性になるなよと言う神様。
  それでも今も好きなんでしょう?拓郎さん。
  相変わらずこの曲を聞きながら目頭を熱くさせる女性が多い。恋というものを体験し、失恋というものも同時に覚え、人生の年輪を刻んでいく。美しい恋愛経験は、いつまでも色褪せず星になって生きている。
  みんな、おそれずに恋をするのだ。

9.僕達のラプソディ
  
詩が拓郎さんで、曲は吉田建・武部聡志両氏によるものである。これも今回のCDに収められているのだが、昔から聞いたことがあるような馴染みやすい仕上がりとなっている。これはひとえに吉田拓郎という人は、歌のうまい歌手だと言っていることになるのであろうか?そういえばLOVE2に出演した織田氏が語った言葉、「拓郎さんはずるいですよ。声だけで存在感がある」と。実にわかりやすい解説である。そうなのだ。声を発すれば、それがもうメッセージとなり聞き手に伝わっている。影響力というのはこういうことを言うのであろう。まさに天才なのだ。

10.拓郎メドレー
  今日までそして明日から
  〜花嫁になる君に
  〜まにあうかもしれない
  〜ハートブレイクマンション
  〜祭りのあと
  〜蒼い夏
  〜結婚しようよ

  明るめで短めのイントロから突然聞こえてきたのは、「私は今日まで生きてきました・・・」という珠玉の曲メドレーの始まりだ。「結婚しようよ」まで実にうまくつないであった。おいしいところだけであったが、もっともっと全部聞きたいと思ったのは、私だけだろうか?

11.英 雄
  プレスリーを唄ったと思われるこの曲は、前出の「外は白い雪の夜」ともにLP「ローリング30」を代表する曲であろう。激しくリズムを刻む生ギターに絡むディストーションギター。ロックンロールメッセンジャー タクローヨシダに変身した。

12.言 葉
  
激の後の静寂。「こわい言葉を言ってしまった 愛してる」とプロポーズをする男が、決意とその責任の重さをあらためて反芻する。愛情と結婚という重いテーマを、一言一言噛みしめながら歌う・・・こんな感じかな?

13.落 陽
   もうここで立たなければいけない、そう思わせる場面であった。岡本おさみの男の哀愁を唄うこの名曲で、ボルテージは最高潮を迎える。ギターバトルは右と左へ分かれてステレオで戦われた。ギターの中川氏の師匠である青山氏を彷彿させる激しいフレーズである。

14.イメージの詩
   かつて中学生だった私が、この曲に出逢って、拓郎さんを神と呼ぶこととなる運命の名曲。
   「自然にかえれっていう事はどういうことなっだろうか?」高校生になって哲学の時間にルソーのところで人生という大きな哲学を追い始めるきっかけができた。「自由に生きてるってわかるなんてなんて不自然なんだろう」禅の公案のような部分が多い、哲学者拓郎の人生の苦悶が見うけられる。その二十歳の頃悩み続けている頃の青年の声と今の大人の声がデュエットするという、サンプラーを駆使した最新技術でライブを表現してくれている。若いころの声とあわせているせいか、こじんまりとまとまっている。

<アンコール・コールが結構長かった。>

15.全部だきしめて
  
最近の名曲中の名曲である。「全部だきしめて きみの近くにいよう 星になった歌も 過ぎた想い出も・・・」寛容な男が愛してしまった傷の癒えない女への愛の歌なのだろうか?詳しい状況はわからないが、優しい人間愛溢れる詩である。このさらりとした優しさの表現は、私には「君は2杯目だよね コーヒーカップに 角砂糖2つだったね・・・」あの名曲「襟裳岬」を彷彿させる。拓郎さんに抱きしめて欲しいものである。

以上、約2時間の公演であった。

 9時50分の新幹線下り最終まで、若干の時間があったので会場をすぐには離れないでいた。おもてではsawanobo一派のパーフォーマンスが始まって人垣ができていた。そのような中で楽屋裏の方が騒がしいので、何の気なしに行ってみた。5分後くらい待っていると拓郎さんが出てきたのだ。結構赤い髪だなぁというのが感想。赤い4WD風ワゴン車に乗り込んで去っていった。カメラは向けたが、ちらっとしか写ってくれなかった。


11月24日(火) in仙台サンプラザホール フル*2パワードコンサート。

 午後6時30分、胸ポケットの携帯が鳴った。拓郎さん追っかけ仲間の友人おかみはすでにステーキとワインを4杯も平らげ、会場の入り口で待っているという。彼女から、「今どこ?」という問いに、「信号もう一つで着くよ」と答える。私は、午後1時過ぎから3時まで仕事で仙台にいた。午後4時30分には福島の会社にいったん戻り、午後5時の定時まで仕事して、5時40分に再び新幹線で仙台に戻ってきた。私も芸能人のようだ。ここでもマウイで一緒だったという方を紹介された。彼は角田市の斎理屋敷に勤めていらっしゃるという。開演に向けてトイレに入って準備をしていると、あの大宮で会ったくどう君がロビーにいた。なんと単身赴任先の気仙沼から車で2時間吹っ飛ばしてきて、チケットはダフ屋で調達したという。8,000円を5,000円で買ったそうである。神は彼に味方したのだ。彼もまた呆れるほどのファンである。永くつきあえる奴と思うと同時に、その努力には頭が下がる。大切にしたいモノを再確認させてくれた。
そういえば先の大宮では、隣の人は我々がダフ屋に8,000円で売ったのを、3万で買って入ったと言っていたなぁ。まぁ、3万は相場だが・・・。

 会場に入って席について驚いた。なんと正面真ん中の2列目である。おかみに至ってはモニターを見る拓郎さんの顔とばっちり向かい合わせだ。(ちょっと目を動かすとおかみの顔があるって事は、さぞかし歌いにくかったろうと思う)昨年のボブディランの時より一つ中央になっている。なんてったってラッキーだぜ、ベイビィ!!!!
 2時間半の超興奮だった横浜公演(おかみ談)の直後ということで、拓郎さんの声はかなり荒れていたような気がする。プログラムは同じであったが、しっかりと拝見できた左前方の雛壇・・・。(何が?・・・ふふふ、秘密!。ヒント、左から2番目のY子さん)
 隣のおかみはしきりに大声で何度も「けーーーーん!!!」と叫んでいる。たぶん建さんには聞こえているであろう。しかしバッチリと無視されている。「ハワイであんなに話をしたのに、冷たい奴だ。手ぐらい振ってくれても良いじゃないか」とぶつぶつつぶやいている。無理だと思うよ。だって建さんは若い子が好みなのだ。知り合いの女の子の友人が、電話で誘われたって言ってたじゃないか。そして神様の飲んでるところに連れてってもらったって話を聞いたばかりじゃないかよ。(出所:語れず)

 いつ立とうかと思いつつ、右目で神様、左目で建さんを・・・・・・・・見ている振りして、雛壇を見ていたのであった。 結局、観客はアンコールまで待ってやっと立つことになる。神様がなんと「全部抱きしめて」の歌詞の一部を間違ってしまったのである。その時神様がすごい照れ方をした瞬間の表情はかなりかわいかったのである。50歳を過ぎて同性から見てもかわいいという表情を出せる人は、神様くらいしかいないだろう。心から歌を楽しんでいるように見えたのである。
 もちろん我々は十分に楽しんだ。
 帰りの車は、雨。もうみぞれが混じっても良いような空模様であった。でも車内は修学旅行のバスと一緒で大騒ぎであった。楽しかった今日のコンサートを思い出しながら、盛り上がってしまうのである。そしてCDをかけながら、 今回新しく収録された「イメージの詩」のどこが若い声で、どこが今の声かを教えているうちに、高速を降りていた。

 我々の今年の拓郎さん追っかけは、これで終わりとなった。昨年に直接本人とお会いしてから、ものすごく近いと思える存在になり、おかみに至っては今年の初めにマウイ島で2晩もご同伴させていただけると言うすばらしい年が終わろうとしている。私の来年の目標は、仙台坂の店とクラブマハロにおじゃましたいと思っている。はたしてこの夢は実現するであろうか?

(こんな長い文章を読んでいただいたことに感謝します 感想メールはこちらへ