1998年3月1日


ありゃーーー。
雪だ。なんだぁ?もう3月だぞ。


 目が覚めて驚いた。なんと窓から見える風景には、5cmも積もっている。ここは東京じゃないのか?上野のホテル3階の部屋。朝7時30分。ゆったりと寝たようだ。
 昨日福島を出てきたときは、暖かいからあんこの無いコートを選んできたが、靴は今年初売りで手に入れたホーキンス製のブーツだった、これを選んだのは良かった。さすがに雪でも全然滑らなかった。

 夕べは、タクラーナイトVol.3 「感度良好、みんな大好き−拓郎ファンナイト98」であった。私も2度目の参加であった。この宴会は、風邪気味だったせいもあって、9時30分頃には失礼してしまった。宴は私が失礼した後にパワーアップしたようであるが、体調から考えて正しい判断であった。今回の主催者の一人であるsawanobo氏とお会いできなかったのが心残りであった。
 私は宴会は早め切り上げるたちであるが、そんな自分としても心持ち早めだったので、帰りに上野界隈を少しだが散策してみた。村西監督推薦などと書かれた風俗店の看板にはどうしても反応をしてしまう。いざ入ってみようとするが、勇気が今一つ。何度も店の前を通り過ぎてしまうばかりだ。結局は立ち寄れなかった。
 途中、コンビニに寄って夜食と朝食分の食料と紙コップ付のインスタントコーヒーを買った。部屋についてからは、風呂にまた入り浴衣に着替え、テレビをつけて11時30分からの「LOVELOVE愛してる」を待った。いつのまにか寝てしまったようだ。番組はほとんど寝ていたようで、内容を覚えているような、いないような・・・。寝ている時間に何度か轟音がとどろいた。雷鳴!であった。冬の雷だ。ビル街にコダマした。

20年前の2月28日。純白の光が輝く時・・・その時神は現れた。
 それはMr.Bob Dylanに初めて出会った日であった。20歳になったばかりだった。
 あの歴史的に有名なアルバム「BUDOUKAN」を収録した武道館コンサートの日である。そう言えばコンサートが終了した時、あの夜も雷が鳴った。私たちは「ローリングサンダーレビュー・ファーイーストコンサート」と命名した。 あの時、バックバンドの生ギターはマーチンのD28あたりにバーカスベリータイプのマイクを付けていたようである。今で言う、エレアコの音だ。あの頃にしては画期的な音だった。ジャリンと綺麗に武道館中に響き渡った。
 その頃リンダロンシュタットはまぎれもなく「ミス・アメリカ」だった時代さ。金髪の女性がホットパンツと白いローラースケートで光り輝いていたとてもすてきな時代。この頃から私の金髪崇拝は、本格的に始まったのだ。
 私はあのコンサートの後、無性にオベーションが欲しくなった(今考えてみるととても変なのだが、あの時はなぜかオベーションと思ったのである)。もちろん買えなくて、イバニーズのマイクだけを手に入れた。現代はアイバニーズとかって呼んでいるかも知れないが、私のはイバニーズ。今でもS・YAIRI YD305のブリッジの脇に両面テープで貼り付けて使用している。ちなみにピックアップはサウンドホールに取り付けるテスコ製も持っている。これはもう化石だ、楽器博物館では欲しがるだろう。拓郎さんのLP「ともだち」でギブソンに付いているのと同じような形のものだ。



あれから20年が過ぎた。

 今年のディランは、グラミー賞を息子と共に受賞した。確かに時代は変わっているのだ。しかし、彼のことは武道館以来、コンサートは三度ほど見ているが、私に与えるメッセージは、昔と少しも変わってはいない。

 10時にチェックアウトして、ぼたん雪の中を上野の駅へと向かった。降り止みそうにない。おまけに風が強くて、3段の折りたたみ傘が捲れてしまう。上野駅では、山手線が間引き運転になっていることを盛んに放送している。今は2割間引き運転だそうだ。
 とにかく渋谷駅に向かった。予定より早く10時30分には着いた。そこで駅の中の立ち食いそばや朝食をとった。どうも東京だと自由に振舞えず、立ち食いなどが食事の場所になる。すでに山の手線は、7割運転になっていた。
 まだやまぬ雪の中、渋谷のハチ公の前で待ちあわせをしている。その間、えたいの知れない宗教の勧誘を断るのが、もっとも不愉快でわずらわしかった。
 余計なことだ。おせっかいやろうめ。もっとてめーの幸せを考えろ。
 時々雷がなっている。音はビルにこだましていて、かなり大きく感じられる。雪も相変わらずだ。
 11時に30分に待ち合わせをしていたのであるが、まだ現れない。11時45分に携帯に電話を入れてみた。彼は事情でこられなくなっていた。それで聖地にはたった一人で向かうこととなる。
 12時駒沢駅に着いた。電話帳で住所を確認し、電話を入れる。駅には地図があったのでおおよその見当はついた。優しそうな女性の応対で、迷う不安は減少した。まず駅を出て右に向かって歩いた・・・。不安と悪天候の中を今彼女から聞いた道順を繰り返し唱え、ぶつぶつと独り事を言いながら歩いた。
 さあ、いよいよこの時のために準備したデジカメは、本番使用を迎える。昨日我が家近くの電気屋さんで並んで買ったものだ。目玉商品は5台だった。手に入って嬉しかったのもつかの間。福島から颯爽ともってきたこのデジカメは、秋葉原では同価格で山積されていた。こっちで買えば良かったなぁ・・・ブツブツ。

 相変わらずの吹雪のようなお天気の中、めくれる傘をなだめながら歩いた。手がかじかんで、もう泣き出したいくらいの痛みだ。手に持ったお土産の「エキソンパイ」の袋は濡れはじめている。

 この辺を曲がれば・・・。通り過ぎて気がついた。

 あっ、このコンクリートの建物だ?!

 東北の片田舎から出てきたルンペンのようないでたちの男は、勇気を出して玄関のドアを押した。
 受付の女性は、都会の花のように感じられた。そこだけやさしそうな風が吹いていた。「この田舎コンプレックス者め」と自分に言い聞かせる。
 
 前に友人から紹介していただいた管理者のO氏に了解を得ていたので、アルバイトのK君に話しは通っていて、彼に建物を紹介していただいた。

 このO氏は、なんと拓郎さんの伝説的なコンサート「Takuro Yoshida One Last Night In Tsumagoi'85」のPAミキサーをされた方である。私にとって彼も偉大な方の一人である。私が拓郎さんのファンと言う事で、友人がO氏を紹介してくれたのである。
 昨年ハプニングで神様拓郎さんと高速道路で遭遇した事も即座に報告させていただいたが、「いくら珍しい人に会ったと言ってもあぶない橋は渡らないで下さいね。」と言われてしまった・・・。

 さて、O氏は現在西岡恭蔵さんのアルバムのミキサーとしても活躍されている。
昨年の発売の「Farewell Song」と言うタイトルのCDは素晴らしい出来である。ぜひ、彼の暖かい音の感性に触れて欲しい。今年9月には、ニューアルバムがでるようで、これも期待したい。





 驚いたのはまったく同じ録音ルームが1階と2階にあった。またミキサールームには録音関係機材が並んでいた。印象的だったのは、録音卓の上にヤマハのMS−10がちょこんと置いてあった。白いコーン紙は目立つ。この音で私の家で聞く音が決まるんだなぁと思った。コンソールの袖にはマルチエフェクター群!である。CDラジカセはパナソニックであった。これはスポンサーを意識しての事だろうか?まぁ気を使っているのであろう。それにしてもプロの現場は美しい。驚かされるだけだ。

 また地下には鏡張りの大きなリハーサルルームがあった。ここではなんとあの某有名テレビ番組の練習をすることもあるらしい・・・。えーーーーーー???、本当?!!!!!ここでやっているのですか?思わず、腹いっぱい深呼吸をしてしまった。(ホント、俺ってばかだね)
 そして再び上へと階段を昇る。ミニキッチンや階段の踊り場のようなところがある。特に階段の踊り場はすごく良い。なんと言ったら良いのかな?こぼれてくる光の中で、ギター1本で作曲などするには最適の環境である。日曜の午後、ここで過ごしていたい。とっても良い感じだ。ここではみんなが、詩人になれそうだ。ここを私は瞑想室と名づけた。




屋上には、なんとプールもあった。ここで拓郎さんも寝そべったのであろうか?拓郎さんは泳げないはずだが、プールは好きだったはず・・・。おっと、これは考え過ぎだ。なぜならここには横にはべらす女のこがいないからだ。だからここでのプール遊びはないだろう・・・。そうだ。おそらくミュージシャンたちは録音に忙しいだろうから、マネージャーなどが息抜きにサボって入っているのだろうか?真相は、わからない。

 一通り見せていただいてから、アルバイトK君と下のロビーで話しをさせていただいた。彼も音楽が好きで、このスタジオにいるのであろう。私もそう、遠い昔の20年前に同じように仙台の小さなスタジオで録音のお手伝いやPA・照明などのアルバイトをしていた。今では超有名になってしまったが、仙台出身のロックンロールバンドのピンを担当したこともある。それまでは演歌の歌手などを中心にやっていたので、初めて聞いたあの瞬間、アマチュアとはいえ、彼のでかい声でのシャウトは本当に歌がうまいなぁと感じた。もちろん彼は私を覚えてはいない。今ではもう彼は、拓郎さんをバンマスと呼び、一緒にドラムを叩いたりする事もあるようだ。当時、彼らはキリスト系学校に通っていて、私は仏教系大学の学生で、同じ4年生であった。

 K君をみて私も遠い景色を眺めてしまった。井上陽水さんはこのスタジオが好きで良く利用されるとか、社長さんの家にお邪魔した時は、すごく豪華だったとか、なかなか聞けない話しをしてくれた。私はお礼に「今、あなたはすばらしくラッキーな場所にいるんだ」と申し上げた。日本を代表するミュージシャンと話しができるなんて事は、あなたの人生で大変大きなことである、と。スターという人たちは凡人と比べて、きわめて運が強い。そしてまた人並じゃない「何か」を持っているからである。そういう人たちと接する事ができると言う事は非常に羨ましいのである。私も20年若くて、そういう機会に出会えていたらきっとこの人生は変わっていただろう・・・。本当にそう思う。結局O氏とは、大阪での仕事のため再会できないまま、帰ってきてしまった。

 後日見学のお礼にと、我が家で採れたイチゴをお送りした。そしたら彼からのお礼のメールには、「今日は駒沢のスタジオで西岡さんのレコーディングです。ヴォーカリストが太田裕美さんと山下久美子さんで、大山さんの苺、彼女たちの口にも入りましたよ!!」とのこと。もっとお送りすれば良かったねと、妻と話しがはずんだことは言うまでも無い。

 パラダイススタジオ(身内の方々はパラスタと呼んでいるらしいが、)で録音予定のミュージシャンの方、ぜひご連絡をいただきたい。激励の意味で福島産の四季折々の旬の果物をお送りするつもりである。候補はイチゴ、さくらんぼ、桃、ブドウ、梨、柿、リンゴ、キウィなど。

 7月、見学から4ヶ月が過ぎた。
 我が家にもなぜか録音機材が揃い出した。このたびの見学に影響されたのか?まぁ、もちろんグレードは論外に貧弱ではあるが・・・。
 YAMAHAのMD8をマスターに、スレーブのパソコン・シーケンサ。2TRMDとDAT。4TRカセットテープレコーダ。KORGの鍵盤i3と音源NS5R。それに持ち運び音源のローランドのPMA−5。マイクはシュアのSM58。ヘッドフォンはSONY MDR−CD900。エフェクターはSONY DPS−V55とDigiTech Vocalist。そういえばローランドのギタ次郎もある。それにZOOMのエレキギター用とアコギ用のエフェクター。フェンダーのトランジスタ型ギターアンプが1台。おまけに先日はスタフォードというエレアコまで買ってしまった。これはピックアップがピエゾとマグネットの2系統が最初から付いていて、プリアンプでミックスできるのだ。音は非常にリアルで素直だ。これでギターはエレキが2本(USAストラトとJAPANテレキャス)。エレガットが1本。生がSヤイリと合わせて2本になってしまった。このほかにバインの5弦バンジョーが1本とカズーとブルースハープが数本。これではちょっとしたコレクションじゃないか。実力以上の機材である。この夏のボーナス時の返済能力を超えてしまった。(余談:これに冬のボーナスでは、BOSSのDr.Grooveというドラム音源が手には入っている。このごろの神さまのアルバムのドラムの音は、建さんの好みなのか、かなりドラムには凝っている。曲によってはかなりローファイっぽい音になっているのである。これもシャカパン拓郎さんがゆえの音作りなのであろうか?)
 去年地元FM局のコンテストに応募しようと、デモ録音をする機材を買い始めた。それから年齢に挑戦が始まり、若い頃レコードを作りたかった事を思い出す。
 結構揃ってしまったようであるが、演奏技術とセンスは相変わらずうまくなってはいない。歌は輪を掛けて下手である。音程とリズム感の悪さは、機材が良くなるほど実感する。おぞましいとさえ思う。きれいな鏡では、ブスがブスにきれいに写る。辛い・・・。
                                                                         
はたしてオリジナルCDは出来上がるのであろうか?
40からのチャレンジチャレンジである。

<最後になってしまいましたが、O氏をはじめパラダイススタジオの皆様、見学をさせていただき本当に感謝申し上げます。貴スタジオのますますのご活躍で、ニッポンの音楽シーンを引っ張っていっていただきたいと思います。ありがとうございました。>


 いい年になっても、一般のカラオケはあまり得意じゃない。
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