アナザーサイド・オブ・教えてマウイ’98
(どんとこい高橋夫妻の珍道中)

手紙が来ました。
憧れの拓郎様からのお手紙が・・・。お手紙と旅行日程表です。
ここでもう舞い上がってしまう。
北島三郎ファンのだんな様はここまできても、誰か代わりに行ってくれる人は居ないかと言い続けている。
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舞い上がった準備行動
借りたデジタルビデオの使い方を練習しに、娘と東京ディズニーランドへ。普段のカッコウ(毛皮のコートに、ミッキーマウスの帽子とマフラー、そしてサングラス)をしたつもりでも娘は他人の振りをしていっこうに近づかない。 (私が娘だったら分かるなぁ。他人でいたい。 この色の文章の文責は大山です)

珍道中開始

1月4日(日本時間)
  17:30成田集合。とうとうやってきた拓郎とのハワイ。別に彼と一緒ならアフリカでも北朝鮮でも構わなかったのだが、確定通知をもらってから今日までが早かったことや遅かったことなどあれこれ思いをめぐらせていた。彼への質問内容や持って行くものの準備は、考えているだけで時は過ぎてしまい、結局今日を迎えてしまった。20:30 成田を出発、くるっと19時間逆戻りしてオアフ島着。

1月4日(現地時間)
  9:00 午前11時のマウイ島行き130人乗りの小さなジェット、30分のフライトで着いてしまった「教えてマウイ'98」。ここで拓郎が待っているはずであるが・・・、居た!!
  飛行場のロビーでスタッフ4・5人と雑談している。出迎えてくれるとメッセージには書いてあったが、迎えるというよりはスタッフとはしゃいでいて我々の何人かが手を振るが無視。(これが拓郎流の歓迎方さ!)
  220名の応募者の中から100名を選び、その中で参加者60名だそうである。前回の場合は、960名中50名参加ということから比べれば、今回の応募者は少なかったが、我々東北の住民はそんな募集があったことすら知らなかった。しかし何はともあれバス1台では乗り切れない人数なので、チャーターバスは2台。拓郎は一人だ。どちらに乗るかは抽選となる。これから先の席順もすべて抽選と相成ることとなる。抽選に外れた私は1号車、拓郎は2号車となってしまう。それでも2日間、目的地は同じということで別になんて事無い(と、強がりを言いたくなっているみたい)。
  ウェルカムランチ。ホテル内のレストランに向かう。参加者62名は各々の拓郎への熱い想いで、皆興奮している。
  メニューは、サンドイッチとスープ。まずはバド生を一気に干して、やっと気分が落ち着く。ホテルは「ウエスティングマウイ」だ。千昌夫経営のホテルだそうだが、そんなことはどうでも良い。それより席順が問題だ。ちなみに私がひいたのは3番テーブル。(図1)
  割りと近い。まずは拓郎からのウエルカムメッセージを受ける。ワイキキと違いマウイは時が止まってしまったように過ぎて行くとか何とか言っているが、こちらはデジタルビデオカメラとミノルタアルファ707一眼レフカメラを交互に掴んで撮った。撮っておけば、日本に帰ってから何度でも見られるし聞けるとばかりに、記録しまくりだ。メッセージの内容もしっかりと把握できない。もちろん食事どころではない。さきほど添乗員からは「節度を守って撮影してください。シャッター・フラッシュは控えて下さい」と言われている。でもビデオをそっとまわす。やがてどこに入ったのかわからない食事が終わり、とりあえず解散。部屋に戻って18:00からのディナーの準備だ。
  14:00に部屋に入ったが、それからが一仕事であった。4升持ってきたサケパックの1本が、なんとこちらに来るまでに穴が開いてしまったのであった。ボストンバッグの中は溢れ出た日本酒で、持ってきた服がすべて酒びたし。おまけに今日は日曜日で、ホテルのクリーニングサービスはお休み。仕方なく湯舟にお湯をためて、すべてを洗濯。たっぷり2時間かかり、ベランダへ干す。高級リゾートホテルの一室は、物干場と変わってしまった。
そんなことがあって、あれよあれよとゆう間に17:30。

  昼寝をする間もなくオーバーシャツとスカートに着替える。このシャツも3時間前に洗ったものだがさすがはハワイ、乾きもハワイ(ン?、座布団1枚)。部屋に専用アイロン台とアイロンがついていたので多少の湿気はアイロンで乾燥させ、バッチシ間にあった。ディナーの会場はホテルの奥にあるにわかステージ付きのロビー、すぐそばが海のオープンスペース。波の音を聞きながらのディナーが始まった。拓郎は一段高い所での食事、皆を見下ろす形になってオリに入れられているみたいで、嫌だと騒いでいた。抽選で一番テーブルになった私は、会場に入ってステージから一番遠いのでガッカリしていたら、拓郎が着席して初めて一番テーブルの意味がわかった。私の席が拓郎からは、一番近かったのだ。手をのばすとすぐそこに…。それから3時間ものディナーが始まったのだ。それからの時間は右手にビデオ、左手にグラス、時にはフォークというどこから見ても食事のスタイルではないが、この機会を逃してはもうないとばかり回し続ける。拓郎に誰も近づかない。そのとき、大山滋との約束が頭をよぎる。あのドデカイ写真の中にサインをもらわねばならない。東北自動車道で出会った貴重な一枚だ。バックからすかさず取り出し、すぐそばの拓郎の元へ。「こんにちは拓郎さん。この写真覚えていますか?高速でエンストして立ち往生していたときの…そして滋君を指差し、この男が貴方のファンでそれもキチガイでなにがなんでもサインをというので…」「あれはエンストじゃないよ、バーストしたんだよ」と吉田健に説明、健は知っていて「あっ聞いてたよ、高中さんのステージの時だから8月29日だね。』「いえ、8月30日でした。」拓郎が「まったくさんざんだったよ。2時間半も立ち往生でやんなったよ。覚えているどころか早く忘れたいよ、まったく」と言って、すらすらとサインをする。
よし、これで約束は果した。少しホッとする。
(しっかりいただきました。我が家の家宝となっております)


















  余談になるが、なんとエンターティメントワールドの小野社長は、拓郎の20年来の友人だそうで、2年前まで近畿日本ツーリストに勤めて20年前につま恋野外コンサートの時、バスの手配等を頼まれた時からのお付き合いだそうで、独立後初仕事が2年前の教えてハワイ誕生日ツアーなのだそうだ。私がディスクジョッキーをやっていると聞いて拓郎の情報があったら流してくれるという。これはファンクラブとかの情報待ちより早いかも知れない。小野社長も東北自動車道バースト事件は知っていた。芸能人の企画が多いらしく最近はTMレボリューションの企画をしており、正月のハワイ組は、ヒロミ、松本、フミヤ夫妻、小泉夫妻等のチケットもとったそうで将来拓郎の企画がもてるかもしれないという大きな希望をいだかせてくれる人との出会いである。(これがあの話題のファッションだ!)

  気がついてみたら自分の色紙にまだサインがないではないか。滋ちゃんのためにきたのではないのだ、気をとり戻して機会をうかがう。皆の間をぬってまた拓郎に近づき、一緒に写真をとる。サインをもらっている間はビデオ撮影ができない。その間あまりのサイン攻めに拓郎は半分白けている。小野社長と吉田健が一生懸命もちあげ、やっとのことギターを握る。
  ここでまたゲーム。なんと62名中ゲームに勝ち残った10名だけを拓郎のところに呼んで10名だけに弾き語りを聞かせるというのだ。○×ゲームでの勝負だが、私は簡単に外れる。やがて10名が選ばれ拓郎の元へ。会場隅の応接セットへその10名が座る。私の近くなので少し聞こえてくる。“君のスピードで僕のテンポで“が始まった。幸運の10名は満足そうにじっとギターと拓郎を見つめている。中には目が潤んでいる人もいる。気持ちはわかるが、こちらはつまらない。やがて曲が終わり各々元の席に着く。10名にとっては酔の世界だが、残る52名からは不満の声と顔。
  そのあと健さんが拓郎をステージにもちあげる。ここで拓郎、やっと上がる。ここでやっと待ちに待ったときがきたと表情が一気に明るくなり、場内は興奮のるつぼ。拓郎をもちあげるために皆やっきになっている。スタッフもつらいものがあるなぁと変に感心するが…。やっとのったと思ったらチューニングがなかなかあわない、吉田健のベース(ジャズベースかな?)か、拓郎(なんと、なんと、メイプルネックのストラトキャスター・サンバーストを抱えている!)なのか、はたまたギターの中川(同じくサンバーストストラトだが、ローズネック)か、考えてみれば会場に入って4時間あまりたっている。その間飲みながらのサイン攻めで、変に酔っている。ともにアンプに突っ込んだだけのノーマルの音だ。史上最低の「落陽(Keyは最近彼の傾向である、下げのBm、なんと・・・。オリジナルはもしかしてDmじゃなかったっけ?)」が始まった。(やはり)全然張っていない声だ!呟きのようである。客の方もあまりのひどさにのりきれず、あっという間にステージを降りてしまった拓郎。後悔したのか席に戻って”バカヤロー”を繰り返していた。私も相手の立場なら言いたくなるが、それは誰に向けられたのでもなくあまりの出来の悪さに、悔しさのバカヤローであったと思う。少し白けきったアンコールの声も拓郎には届かず、結局サイン会と写真撮影へ早変わり。時々ふてくされながらサインをする拓郎に「わがままな奴」と呟く。こんな状況で明日付き合うのだろうかと疑問を懐いた1日であった。
  ビデオ撮影のおかげでろくに食事もとれず部屋に戻ったのが23:00。4時間近くもディナー会場にいたことになる。気がつくと日本は月曜の16:00。「想いで玉手箱」の時間である。早速電話。加藤アナとのトークは15分。興奮していたのかあまり覚えていなかったが、「生意気な奴、でも才能は認める」等を話したような気がする。ともかく1日が終わった瞬間、急にお腹がへった。ろくなものを食べていないから無理もないが、買い物もしていないので食べ物が何もない。仕方なくルームサービスとなる。カレーライス20ドル(2,700円)ハワイ風ラーメン15ドル(2,050円)を頼むがなんというまずさ。麺は太くてのびたうどんのようでスープはしょっぱいだけで生ぬるい。カレーは汁のようでご飯の中に埋もれているし、あじけない。コーヒーメーカーでお湯を沸かしてスープを薄め、その中にカレーのご飯を入れて茶漬けか雑炊かはたまたおじやかわからぬまま胃袋に流し込む。それと前後してコップをなみなみと酒を注ぐ。ごっくんと喉を通る旨さ。何はなくても酒が旨い。ハワイにいるせいか、拓郎に会ったせいか喉が乾いているのか、お腹が空いているのか、全てあっているだろうが、元はといえば酒が好きなのだ。嬉しいときも悲しいときも怒りのときも喜びのときもいつもそばに酒がある。つまり好きなのだという実感が喉ごしからわかる。明日はどんな1日か楽しみと不安の中、マウイの夜は静寂の中で眠りについた。

 












1月5日(現地時間 日本時間1月6日)
  8:00集合。ホテル前にバスが待っている。シュガートレインに乗る予定。バスの前にはもう拓郎が待っていた。一緒に乗るのかと思うと、そんなにわがままでもないんだなぁと変に感心する。バスでトレイン停車場まで着くがそこで待ち時間30分。またカメラとビデオのラッシュで拓郎うんざり。「(汽車)早く来てくれよぉー」とぼやきながら記念撮影に応じている。(でも若い女性となら肩まで組んでしまっている。ここが彼らしいんだなァ)3両編成の2両目に乗ると拓郎も乗りこんできた。私の後ろだ。しかし乗りこんで10分もすると携帯電話が鳴り、3両目に移っていって長ーい電話。時折笑いながら楽しそうにしゃべっていて、皆拓郎が気になり外の景色どころではない。私はしっかり外の景色も撮るがやはり気になる。
(後日、ラジオでこの行動は、最悪の下痢を何とか我慢しようとしたためだったと告白していた)

  汽車が終点でとまり拓郎が降り、我々も降りる。次のホエールウォッチングのバスに乗り込むが拓郎と健がいない。スッポカシだ。(この件も、参加者たちがマウイに着く前に放送されていた番組で公表されていた。つまり、拓郎氏が船に乗らないことと、ホエールウォッチングの涙は「感動の涙」以外に別な意味もあることは、参加者のみ知らなかったのである)
  涙と感動のホエールウォッチングが、どうしたことか思いながら船に乗り込む。乗りこんで五分で涙の意味がわかった。なんというひどい揺れ。立っていることはもちろん何かに掴まらないと振り落とされそうな揺れに、おかげで私は15分後には便器とお友達になった。個室で涙と感動の30分。出てきてデッキで横になった。それからの1時間半はゆりかごのような揺れの中でじっと目を閉じて時が経つのを待つ。顔と頭髪は潮風と波しぶきでバリバリ、これは船に弱い拓郎は最初っから乗るつもりはなかったんだと気づいた時は、時すでに遅し。さんざんな目にあって船を下りる。あとで夫に聞いたらクジラの尾が1km先ぐらいにちょっと見えただけで後は潮を吹いただけ、クジラそのものには感動の出会いではなかったそうな。やっぱり、騙された。拓郎は最初っからそれを想定して自分は乗らなかった。それに気づいたのは船に乗って5分立ってから。14:00頃に着いてしばしの休憩。

  18:00からはバーベキューだと思いきや、なんと雨だ。やたら寒い。もう中止だろうと昼寝したが気になって集合場所へ向かう。プールサイドでのバーベキューは無理とのことで、会場変更。ウェルカムランチのあの会場でのディナーとなった。(図2)
  まず拓郎のメッセージ。その後参加者の自己紹介。62名もいるので1人1分以内の発表となる。私はポコの宣伝と自己PRで4月5日のハワイ旅行を要求する。最後に後ろを向いていないでこっちを向いてと言ったらやっと振り返った。そのあともまたサイン攻め。もうサインを要求する人も少なくなってから、やっとインタビューができた。「最後の感想は?」「疲れた。」の一言、話せば話せるのだ。打ち上げが終わり、席を立った。しかし拓郎が帰ろうとしない。帰るまでビデオをまわし続ける。やっと健が立ち拓郎が立ち、皆で見送る。

  しばしの別れというより、ホッとした。なぜか疲れた。異常に疲れた。一緒にいる時はもうカメラかビデオの気ばかりで、気がついたらほとんど本人を見ていない。話しかけようともしていない。ただ記録に残すことだけを考えて、シャッターを切りテープを回し続けた。3日目に入ってやっと気づいたのは記録なんかじゃなくてやっぱり中身なんだ、せっかく目の前にいるんだから「拓郎を呼ぶ会の話」とか「ピックをください」とか、「今年のコンサートの予定」とか「詩は書かないのか」とか「50歳代の目標とか人生の目的」とか聞くことはいっぱいあったはずなのに何一つ聞かないで終わってしまった。
少し後悔が残った。

3日目の朝。
  2日間の緊張が一気に抜けたのか、それとも3日目はオアフに戻るだけなので11:30のトランク出しで良いためか、10:00まで死んだように眠って、目が覚めた。目が覚めたとたん思ったのは、「あっ、もういいんだ。今日はビデオを回さなくてもいいんだ。もう終わったのだ」という一種の安心感。寂しいような、ホッとしたようななんとも言えない感情が起きる。シャワーを浴びて、荷造りをしてチェックアウト。ロビーに出ると、まだ拓郎はこのホテルにいるという気分がある。ショルダーバックの中には残りの色紙、カメラ、ビデオ、写真が入れられたままのフライトとなる(私は、未練たらしいのだ)。
  マウイ島発オアフ島着の飛行機が飛び立った瞬間、マウイの島を眺めながら、やっと「本当に終わったんだなあ」と実感する。

  拓郎はホノルルには絶対に来ないし、明日はハワイ島観光だ──明日はゴルフとレジェンドディナーショーが待っている。もういい、後は忘れて遊ぶことに徹しよう。短い3日間仕事を忘れて精一杯ハワイの休日を楽しもう、と心に決める。そして帰ったら休んだ分の3倍も5倍も一生懸命やろうと心に誓う。しかし、遊んでいる間も頭を過るのは、まだマウイにいる彼のこと。今日はカイレナの街でショッピングをしているか、それともカレアカポ火山地帯でも散策しているか、それとも健とゴルフか……思いを巡らせながらオアフ島からハワイ島へ…こんな思いをするなら、ずっと最後までマウイに残るんだった…。


(文中では、皆様に親しみを込めて、一部敬称は略させていただきました。ご了承ください)