必見の映画 中国で上映できない中国映画「無言歌」

 この映画は、文化大革命以前の粛清、反右派闘争の犠牲者たちを描いている。1949年、国共戦争に勝利した毛沢東は、土地改革に取り組み、地主・富農階級の粛清を行った。続いて、1951年、三反五反運動で資本家階級を抹殺した。ここまでの過程は、共産党政権となった以上、その非情さは別として、予想し得る政策だった。
 しかし、1957年、1959年の、2度にわたる反右派闘争は騙し討ちのようなものだった。ソ連におけるスターリン批判に始まり、各社会主義国内で「雪解け」が始まった。1956年、中国共産党は「百花斉放・百家争鳴」政策をとって、自由な発言を奨励した。そして、一年もたたないうちに180度政策を変更し、党に対し批判発言をした者たちを右派として粛清した。50万人に及ぶ文化人たちが農村に下放され「革命を学ぶ」という美名のもと、過酷な労働を強いられた。農村といっても不毛の砂漠である。自給自足など夢でしかない土地で、数多くの命が失われた。
 「百花斉放・百家争鳴」は理想だったかもしれないが、噴出した党批判の予想以上の多さに驚愕して、急遽政策を変更したのだろう。これ以後も、行き当たりばったりの政策が続いている。
 この映画は、飢えに苦しむ人々が、他人の吐瀉物や人肉を食べたりする悲惨な状況を淡々と描いている。王兵(わんびん)監督は、ドキュメンタリー映画を撮り続けて来たらしいが、抑制のきいた語り口が、一党独裁の冷酷さを印象付けるうえで効果をあげている。
 この映画の製作者は香港、フランス、ベルギーであり、中国電影局の許可を受けていない。本来、中国の人々が見るべき映画だが、彼らは見ることが出来ない。いまの中国に限っていえば、著作権などかまわずどんどん違法コピーを作らせ、情報の洪水が一党独裁を打破するところまで進ませなければならない。
 毛沢東について言えば、彼がエドガー・スノウに「自分は非常に単純な人間であって、破れ傘を手に行脚する孤独の修道僧にすぎない」と語ったという挿話を思い出す。しかし筧文生の指摘では、「和尚帯傘」は「無法無天」と対をなす古い成句だという。彼があえて語らなかった後半の部分は、「国法、道徳を無視して悪事の限りをつくす」という意味である。
 アジアの怪物の果てしない風狂、底知れぬ深淵をみる思いがする。同時に、彼は意外におのれ自身をよく知っていたというべきかもしれない。

2012.02.13.記