わが町 新宮


 私の住む町「福岡県糟屋郡新宮町」は、もともと農・漁業中心の静かな村でした。
 神話時代には、きっと海幸彦や山幸彦たちがすんでいたにちがいない、自然の恵みに満ちみちたところです。いまは、福岡市、北九州市のベッドタウンとなっています。



 立花山という、高さこそ367メートルとたいしたことはありませんが、かたちのよい山が町のシンボルです(右の写真は久山側から立花山を写したもの、町並みはこの山の向こう側になります)。戦国時代には、立花道雪という強い武将の居城がありました。
 町内には、古墳時代の積石塚のある相島(あいのしま)や、独鈷寺、千年家など、たずね歩く場所にことかきません。相島は、朝鮮通信使が江戸に向かう途中の宿泊島でもありました。












 昭和26年(1951年)8月、縄文時代晩期の夜臼(ゆうす)貝塚で突帯文土器が発掘されました。この形状の土器が初めての発見であったため、夜臼式(ゆうすしき)土器と名づけられました。標式と言われる所以です。
 いまでは縄文時代の集落があちこちで発掘され、珍しくもなくなりましたが、当時では大発見だったのでした。
夜臼式土器「わたしたちの町新宮」(新宮町発行)より








 伝教大師(最澄)が唐から帰国し、初めて開基したといわれる独鈷寺(天台宗)。
 最澄が持ち帰ったと伝えられる独鈷と銅鏡。


























 最澄ゆかりの千年家(横大路家)。もし、文字どおり千年も前の家だとすると平安時代後期ということになります。はっきりはしませんが、新宮町最古の建築物です。

 くどの中では、唐の天台山から招来したという法火が今も燃え続けています。

 信長による比叡山焼き討ちにより、延暦寺の法火が絶えたとき、ここから「招来の法火」を届けたという言い伝えが残っています。













(まったくの、個人的趣向ですが、同じときに唐にわたった弘法大師(空海)より、伝教大師(最澄)の不器用な生き方のほうが好きです。)


玄関に戻ります。