闇に抱かれて………
Nanase
1
皆の前で踊るのが私は好き。
疲れた顔をしていた人々が元気を取り戻し、瞳に生気を蘇えらせるのを見ると、こんな私でも役にたてるって実感できるから。
お酒の席だってそれは同じ。
難しい話をしていた人達も、くだらないことで口論をしはじめていた人達も、私が踊りだすと、そんなことは忘れて笑みを浮かべ、声援を送ってくれる。
でも、踊り子って仕事は……どうしても軽く見られてしまう。
そりゃあ、昔は食べるために、酒場で踊ればお酌もしたけど。……だからほんの少しだけ、普通の女の子よりは世間や男の人にスレているのかもしれないけど。でも心を売ったことも身体を売ったことも私にはない。踊り子の中には……そういう人もいなくはなかったけれど。
「ここにいるみんなは、そんなこと、ちゃんとわかっていますよ。シルヴィアにはとても柔らかい雰囲気があります。だから、声をかけやすいことは確かですけどね」
そんな小さな愚痴を聞いてくれていたクロード神父の穏やかな声に私は小さくうなずいた。
そして、優しい笑みとゆったりとした彼の物腰にため息をついた。
育ちの違いっていうのは、こんな風にさりげなく、当たり前のように現われる。
それが、ここへきての私を時折ひどく落ち込ませていた。
偶然知り合って、行動を共にするようになったレヴィンはここシレジアの王子だった。
なるほど……いくら気ままな吟遊詩人のように振る舞っていようと、レヴィンには気品があった。
普段どんなにおちゃらけていようと、彼が命令口調になると……誰もが「はい」と返事をしてしまう。
そんなところも、彼が王子たるゆえんだったのかと、私はあらためて思い知っていた。
ここにいる皆はデューを抜かせばほとんどが貴族の出。
アレクもアーダンもノイッシュも、臣下とはいえ、れっきとした血筋の騎士だし、ミデェールも同じ。デューは子供だから……いいけれど、私は引け目を感じずにはいられない。
だから、なおのこと、はしゃいで、笑って、まるで道化師のように私はお調子者を演じていた。
そんな私の無理にただ一人気づいてしまったのが彼。
神父という立場柄、放ってはおけなかったのか、私をそっと教会に呼んだ彼に……私は簡単に落とされた。
誰にも言わないって誓った自分の負い目や生い立ち。そして、今のややこしい感情。それを私はあっさりと彼の前で口にしてしまったのだから。
けれど彼は少しも動じず、相変わらず穏やかな笑みを浮かべてこう言った。
「そうでしたか。大変な思いをしてきたのですね」
「いいえ。そう大変でもなかったわ。最初は親方に無理強いされてだったけど、すぐに踊ることが好きになったし。これは天職だって私、思ってるの。これだけは本当よ。強がっているんじゃなくって」
「そうですね。だからあなたの踊りはみんなを勇気づけ、元気づけてくれるのだとわたしは思います。あなた自身が楽しんでいるから、見ている方も楽しい気持ちになれるのです」
「神父様……」
「クロードで結構ですよ。シルヴィア」
「クロード様……」
「それに、あなたは自分の生い立ちや血筋を気にしているようですが……そんなことは人柄には関係ありません。あなたには人としての優しさと……女性としての暖かさと……そして、1人生きてきた強さの中に凛とした気品がある。どこの公女にも負けないほどのね」
どうしてその時、涙が溢れたのか、私にはわからなかった。
でも、突き抜けるような想いが胸の奥からこみあげて、熱い涙が止まらなかった。
けれど、いつまでも泣いてはいられない。そう思った私が無理をして泣き笑いで涙を手の平で拭うと、柔らかく大きな手が、そっと髪を梳くように頭に触れた。
記憶ではなく、身体が覚えている感触。懐かしい……そんな感覚が全身を包み、私は顔をあげた。
「クロード様……」
「はい。何でしょう?シルヴィア」
「ありがとう。クロード様には何もかもわかってしまうのね。またお話を聞いてもらってもいい?私……クロード様のおそばにいると素直になれるみたい」
「ふっ……もちろん、構いませんよ。いつでも話をしにいらっしゃい。わたしもシルヴィアといると、心安らぐ気がします」
「本当に?」
「ええ」
頭を撫でられたのなんて、何年ぶりだろう?記憶にさえない遠い昔のこと?
でも、その手は大きくて暖かくて優しくて……私ははじめて人にすがりたくなっていた。
彼の前でだけは強がらなくていい。
元気なふりをしなくてもいい。
そう思えて。
2
そんなことがあって数ヶ月がたって……。
私はメンバーの微妙な変化に気づいた。みんなシグルド様に遠慮をして、隠そうとしていたけれど……いつの間にか、もう恋人同士といえるカップルがあちこちで出来上がっている。
エーディンはジャムカと。
アイラはホリンと……。
驚いたことにあのブリギットはレックスといつの間にか恋仲になっていた。
そして、もしかしたら、クロード様を慕っているのではないかと、少しだけ私を不安にさせたティルテュは、幼なじみのアゼルと睦まじく寄り添うようになっていたし、レヴィンがフュリーにだけは心底優しい目をしていることを私は見逃してはいなかった。
ラケシス様だけは……遠い目をしていつも遥か彼方を見つめていたけれど……。それは主君と共にレンスターに帰ったフィンを想ってのこと。
エーディンを好きだった、ミディールやアレクやノイッシュは、同じようにエーディンを好きだったデューに慰められて苦笑していたし、一匹狼を気取っていたベオウルフとアーダンは女には初めから興味がないという顔で、暇さえあれば2人でお酒ばかり飲んでいたし、とにかくここシレジアでは、皆がしあわせな時をのんびりと過ごしはじめていたのだ。
そう……私をのぞいては。
私は失恋した3人や、お酒ばかり飲んでいる2人のために相変わらず踊っていたけれど、自分の恋はどう対処していいのかわからずに、戸惑うしかなかった。
いつも優しいクロード様。
部屋を訪ねると、彼はいつも微笑んで迎え入れてくれる。
そして、私の話をゆっくりと最後まで気長に聞いてはくれるけれど……きっとそれは私でなくても同じだろうって思えた。
穏やかに静かに流れるような時。
恐怖も不安も何もかも、彼のそばにいるだけで消えてなくなった。
でも、音もなく降り積もる、ここシレジアの雪のように、彼の態度は静かで……………冷たい。
いいえ、本当は、優しくされればされるほど……冷たく感じられるってこともあるって、私がはじめて知ったってだけ。
神父様は博愛主義者。
誰にでも優しく、おおらかで、そう、神様の代理人という職務に忠実ではあるの。
でも、私の望みは……もっと大それている。
心のどこかで、そんな彼の、ただ一人の人になりたいと願っているのだから。
言えるわけのない言葉を心の奥にしまって、私はベオウルフとアーダンのために1踊り舞い、そして自分の部屋に帰った。
するとそこへ、珍しくクロード様が、お見えになったのだ。
驚いた私はそれだけで泣きそうになってしまい、そんな感情を何とか誤魔化そうと、あわてて彼に問いかけた。
「クロード様、どうして?」
「先ほどの舞い、遠くから見ていました。何だかシルヴィアらしくない舞いでしたね。どこか寂しげで、物憂げで」
「クロード様」
「だから、わたしのところへ話をしに来るかと……待っていたのですが……」
どこまでも鈍ちんの彼に私は苦笑しながら飛びついた。
こんな気持ちを私が抱えていることを、たとえ永遠にわかってくれないのだとしても、彼が私のことを気にかけてくれたことだけはわかる。それがとても嬉しくて私は苦笑しながら泣いていた。
「シルヴィア?」
「いいんです。何もおっしゃらないで。私は……クロード様のおそばにいられるだけで……しあわせです」
「シルヴィア?」
「こうして、抱きとめていただけるだけで」
私の声は、彼の大きな胸に吸い込まれ、くぐもっていたけれど、想いだけははっきりと伝えられた気がした。
そう。これでいい。彼を困らせてまで想いを遂げようと、私は思わない。だから……。
けれど、そっと私を見つめた彼の口からは、意外な言葉が漏れはじめた。
「シルヴィア?あなたが最初にわたしに言った言葉を覚えていますか?」
「え?」
「踊り子をしていると軽く見られると……」
「あ……ええ」
「だから、わたしはあなたに言えずにいました」
「何を?何をですか?」
「………あなたを愛していると………」
「クロード様?」
「知り合って間もないのに、わたしはあなたを……けれどそれを言うのはあなたに失礼なのではと、あなたを傷つけてしまうのではないかと……言えずにいました」
「…………」
「でもシルヴィア、信じてください。あなたは……私がはじめて惹かれ愛した女性です」
こんなことって、あるんだろうか?
こんなことって。
けれど、私を抱き返してくれた彼の腕は優しいけれど……静かだけれど……力強い。
「いつかエッダに戻れたら、正式にわたしの妻になってくれますか?」
「クロード様」
嬉しさのあまり、また泣きだした私を彼は強く抱いた。
そして………。
2人で迎えたはじめての朝。
身も心もひとつになって、互いが満たされ迎えたはじめての朝。
私は明け方近くに見た夢の話を彼にした。
「ディアドラ様の夢を見たの。とても……はっきりと」
「………」
「ディアドラ様は本当にお美しくて、とても幸せそうにしていらして……でも、途中で彼女の意識が自分のものと入れ替わったようになって……」
「………」
「おかしいわね、こんなの。自分がディアドラ様になったような気がして、戸惑ったわ。でも、幸せだったの、とても。きっと……ディアドラ様がまだシグルド様の元にいらした頃の夢を見たのね、私」
「そうかもしれませんね」
いつも通り、穏やかな笑みを浮かべた彼に微笑みを返すと、彼はそっと私を抱き寄せた。
どうしようもなく惹かれたこの瞳。 暖かい眼差し。
それらに包まれる幸せをかみしめながら、もう1度、瞳を閉じると私は小さくつぶやいた。
「クロード様」
「何ですか?シルヴィア」
「いつまでも、お傍においてくださいね」
「ふふ、またですか?もうとうに……返事はしたでしょう?」
「ええ。でももう一度だけ」
「わかりました。約束します。もう2度と……あなたを離しはしません」
「クロード様」
その時、
私にも、彼にも………彼の口からでた言葉の本当の意味がわからなかった。
(もう2度と……)
その言葉の意味が。
そして、同じ頃、あんなにも幸せそうに見えたディアドラ様が……やはり何も知らずに、闇に抱かれているだなんて事実を私達は知るよしもなかった。
惹かれあう同族の血ゆえに………愛し合い、結ばれてしまったもう1組の兄妹が、闇の門の扉をその時、開いてしまったことも。
「クロード様」
「愛していますよ、シルヴィア」
「うふふ、言わなくてもわかってしまうんだから。クロード様は」
「何度言っても不安がるからですよ」
「ええ………そうなの。なぜかしら」
「さあ、それはわたしにもわかりません」
言い様のない不安を拭い去るように、私は彼の胸に顔をうずめた。
髪を撫でる優しい手が、心地よい眠気を運んでくる。
「クロード様……」
「愛していますよ、シルヴィア。さあ、もう少しおやすみなさい」
(あたくしもよ、お兄様。あたくし、お兄様がだ〜い好き。世界で一番お兄様が好き)
誰かが頭の中で囁いたけれど、まどろみながら私はその声を黙殺した。
それは遠い昔の記憶。いいえ、記憶ではなく感覚。
今と同じぐらい幸せで……暖かかった遠い昔の思い出。
忘れなければ生きられなかった過去。
眠りにつきはじめた私の額に愛する人の手が優しく触れ続けていた。
指先でなぞるように……まるで愛の呪文をかけるように……。
(ずっと、お傍においてくださいね。もう2度と私を離さないでくださいね。クロード様……)
私のそんなつぶやきは、朝の光に溶け………闇の彼方へと消えていった。
END
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