たいせつなもの(β)

 遥か彼方の遠い世界で私は『龍神の神子』と呼ばれていた。『神子』としての役目―『龍神』をこの身に降ろしたことで、役目からもその世界からも私は解放された。
 でも、本当は解放などありえないはず。何が起ころうとしていたのかわからなかったけど、確実に自我が薄れていくのを感じていた。それは不快でも不幸でもない不思議な感覚だった。

 でもあなたが呼んでくれたから。
 最も役目に忠実で、最も私に『神子』であることを望んだあなた…。
 だから私は帰って来れた。
 あなたの許へ…元の世界へ…。

 あなたの呼びかけに反応した私を『龍神』は解放してくれた。復活する自我とともに薄れゆく言葉。

 …一度だけ…

* * * * *

 あなたが一緒に元の世界へ行ってくれることになって、私は嬉しくてたまらなかった。そして帰って来てからも喜びとすぐに行動不能に陥るあなたから目が離せなくて、なかなか気が付かなかった。あなたが大切なものを置いて来たことを。目が離せなかったのに、ずっと見てたのに、どうしてわからなかったんだろう…。
 あなたが髪の毛を切らずにいたらもう少し早く気付いたのかもしれない。髪を短くしたあなたはとても新鮮でかっこよくって…感じてた違和感も全て髪型のせいにしてしまった。
 やっと私が気付いた時、あなたはただただ穏やかな微笑みを浮かべてこう言ってくれた。
「こちらの世界では不必要な物だと…そう天真から聞いておりましたので」
「でも…」
「あなたが京では京の習わしに従われたように、私もこちらの習わしに従うのが筋というもの。…もっともあなたはご自分のお立場をお忘れになることが多かったですが」
苦笑と共に少し悪戯っぽい視線を私に向ける。こういう顔はこっちへ来てから見せるようになって、それが私にはたまらなく嬉しかった。
「頼久さん…。だったら私のこと名前で呼んでくれてもいいんじゃない」
「うっ…それは…」
急にしどろもどろになってしまう。
 でも本当はわかってる。『神子』と呼ばれたくない気持ちをあなたは理解してくれた。あの世界でしか『神子』ではないことは明らかだし、何といっても目立つ。だからあなたは呼ばないように気を付けてる。そのかわり、私を呼ぶことが減っていった。それが少し悲しい。
 敬称に悩んでるらしいんだけど、そんなのどうだっていいのに。ううん。よくない。『様』や『殿』を付けても私が嫌がることをあなたは知ってるわ。だからあなたは悩んでる。確かに『さん』や『ちゃん』で呼ばれても、何か違う気がする。呼び捨てが一番いいんだろうけど、これにも実は違和感がある。向こうで多くの人達にかしずかれていた日々がちょっと懐かしいのかもしれない。あなたは相変わらず私にかしずいてくれるのに。それが快感だったり、嫌だったり…要するに私のわがままだわ。
 そんなことを考えてるうちにまた大切なことが埋もれてしまったことに、その時の私はやっぱり気付かなかった。

* * * * *

 そうこうしているうちにあっという間に夏が来た。向こうの世界には三ヶ月ほどいたはずなのに、こっちでは一日と経っていなかった。だから、私が向こうの世界で過ごした時間をあなたも同じように過ごしたことになるのかな。あの時と同じようにあなたも日常生活には困らなくなったみたい。そして…少しだけ愛着を感じてくれていると…私は嬉しい。
 でも本当はあなたの方が私よりずっと大変なはず。私はあの世界(といっても単なる過去の世界ではなかったけど)のこと少しは知っている。古文の授業や、マンガ(こっちがメイン?)とかで接する機会があったもの。実際味わってみると思ってた以上にハードだったけど。それでも今みたいにできないことはわかってた。
 あなたはそういう訳にはいかない。未来を想像するという観念自体ないのだから。目の前にある全てが未知のもの。食生活も変わってしまっている。でもあなたは真剣に受け入れてくれようとしている。私は半ば流してたこともあったけど…意気込みの違いね。私には帰ってくるという目標があったけど、あなたにはそれがない。だから必死にならざるを得ない。それに向こうでは藤姫のお父さん…左大臣というこれ以上はないっていう後ろ楯があったけど、こっちでの私はただの女子高生。便宜をはかるなんてできるわけない。
 そして全くの別世界といっていいこの世界に、わずかながらある向こうの世界の残像を、あなたは愛おしそうに見つめている。それに気が付いた時、たまらなく辛かった。そんな姿も私には見せてくれなかった。だからまたしても気付かなかった。ううん。あなたのせいじゃない。気付きたくなかったのかもしれない。
『帰りたい』
そう言われるのが恐かった。でも思ってたら一緒だよね…。あなたも向こうでそう思ってたのかな…。

 夏休みが来て、やっと私は考えていたことを行動に移した。私が京で過ごした期間より長くなってしまったのは残念だったけど。まあ根回しが大変だったからあの時には無理だったろう。
「え?今何とおっしゃいました?」
「だから、一緒に旅行行こ♪」
「ですが…旅行に行けるほどの余裕は…」
よっぽどこっちの世界の物価高がこたえてるんだなあ。難しい顔をして溜息吐いてる。
「何のために私がバイトしてると思ってるのよ」
「ばいと?ああ、アルバイトのことですね。そういえば今日はお勤めはお休みですか?」
…わかっているのか、いないのか…。まあそんなことはどうでもいいわ。
「とにかくお金はギリギリだけど心配しないで。行くのか行かないのかはっきりして」
「あなたにそんなことはさせられません。それに親御様は何と?」
ちっ。こっちの価値観に馴染みつつあるな。これは向こうでも同じか。最近まで続いた親との冷戦を思い出し、ちょっと凹む。でも私はそれだけ苦労したんだから!
「何とかOKもらったわよ」
「おーけー…承諾されたという意味…本当ですか!?」
私が信じられないのかという視線に気付いたあなたは咳払いをして言葉を続けた。
「…近頃お父上のご機嫌が…」
お父さんったら影で圧力かけてたのね。全く…。夕飯をうちで食べなくなったのはこういうことだったのね。食費くらい楽にしてあげたかったのに(すねかじりのくせに)。でも本当はあなたのこと気に入ってるのよ。だから最後には折れてくれた。『がんばれよ』って言ってくれたんだから。
「だったら今日は夕飯食べて行きなさいよ。大丈夫だから…ね?」
「はあ…それで、どちらへ行かれるおつもりですか?」
「…京都よ」
「………」
あなたは絶句して、俯いてしまった。予想通りの反応とはいえ、少し心が痛かった。

* * * * *

 お盆が過ぎた後、私達は京都駅に下り立った。様変わりしているのはTVで知っていたようだけど、実際に来てみると実感したみたい。呆然と立ち尽くしている。
「頼久さん…」
恐る恐る呼びかけた私にあなたは極上の笑顔をくれた。やっぱり来てよかった…かな。
「全く違うのに、ここも京なのだと…はっきりわかります。…いえ、同じではないですが」
「私もその感じわかるよ。何か懐かしい…そんな気がする」
『神子』だった頃の名残りかなあ。五行の力云々はもうわからなくなってるけど。…って私まで感傷に耽ってどうするの。気を取り直して腕を取った。
「行こう。頼久さん」
腕を組んで歩くのにはすっかり慣れたみたい。平気ですたすた歩いてく。嬉しいような残念なような…。
 色々行きたいところはあるけど、まず行かなきゃならないのは…墨染よね。あなたも覚悟してたみたい。行き先を告げても動揺を見せなかった。といっても今は夏。あの幻想的な桜は期待できないけど、あなたにとって大切な場所には変わりない。本当は来年の春一緒にまた来たい…。
ここからは現物見て手直しするかも(^^;)
 そんなわけで墨染寺へ行った。あなたは周りには目もくれず、桜の木だけを目指して進む。葉桜だけど、墨染であなたが話してくれたことや…いろんなことが頭の中を駆け巡る。だからあなたにとってはここに桜があるだけで十分なんだろう。幹に手をついて、じっと考え込んでいる。語りかけてるみたいだ。今はそっとしておくべきだよね。前みたいに木に登れればいいんだけど、流石にそれは無理。少し離れよう。見てるのは構わないかな。今のあなたを見ていたいの。…忘れないように。
 どれくらい時間が経っただろう。ようやくあなたが木から離れた。そして穏やかに微笑みながら私に近付いてくる。その晴れやかな表情に希望を見い出した私は危うく決意を捨てそうになった。無理矢理気持ちを奮い立たせる。
(…ダメよ。そのために来たんだから。)
「どうなさいました?」
「…ううん。なんでもない。それよりもういいの?」
「ええ。お待たせしてしまいましたね。申し訳…」
「観光に来た訳じゃないんだからいいよ」
「…?…連れてきて下さって本当にありがとうございました」
 ふと漏らした本音にあなたはしっかり反応してくれる。でも…今は忘れてほしい。だから不自然だろうと思いつつ、話題を逸らした。
「ねえお腹すいたよ。何か食べよ♪」
「そうですね…何にしましょうか?」
「そりゃドーナッツでしょ。とりあえず京都に戻ろうか」
「では参りましょう」
 あなたは『ドーナッツ』という言葉に瞳を輝かせた。この世界に戻って初めて二人で食べたのがドーナッツだったのだ。和風の物しかダメだと思っていたのに、ものの見事にドーナッツにはまってしまった。というか甘いものには目がないみたい。そういえば、向こうではあんまり甘いものってそんなに食べてなかったな。だからこっちへ来て甘いものがいっぱいあることに驚いてたっけ。目を離すと三食ドーナッツってことになりかねない。せっかくの逆三角形が崩れることを恐れた私は、一緒の時以外は甘いものを禁じた…じゃなくて甘いものは一緒に食べようと約束した。
 いろんなことがあったんだ…とドーナッツごときで感傷的になった私の手を引き、あなたは軽やかに近くの駅へ向かい、再び京都市街への電車に乗った。

 適当に見つけたドーナッツ店で、あなたはお気に入りを三つ、私はちょっと食欲が落ちたので一つだけ食べた。あなたの幸せそうな顔を眺めつつ、次の行き先での行動をシュミレートしようとした。…でも鼻の奥が熱くなってきた。ヤバい。夕べ十分シュミレートしたんだからもういいよね。
 無意識のうちに食べかけのドーナッツに手を伸ばし、口へと運ぶ。…夢中で食べてたはずのあなたと目が合った。大口を開けて固まっている私を見てあなたは声を上げて笑った。
「ははは…あなたはそんな風にお元気にしておられるのが一番素敵ですよ」
「もう!頼久さんってば」
「少しお元気がないようでしたので、心配しておりました」
「…頼久さん…。私めいっぱい元気だよ」
あなたは少し辛そうな表情を浮かべたが、すぐに消した。
「…それなら安心です。これからどうなさいます?」
「次はね…二条城に行くの」
「二条城?二条に城があるのですか?」
 不思議そうな顔をして質問してくる。さらりとかっこよく説明したかったんだけど…。あんなに京都ガイド読んだのにもう忘れちゃったよ。あの場所が近いって…あなたならわかってしまうかな。
「よくわかんないけど、早く行かないと閉まっちゃうかもしれないよ」
「そうですね。では急ぎましょう」

 夕方近くになって二条城に辿り着いた私達。私は無言で頼久さんの手を引っ張った。
「?入り口はあちらの方ですが?」
「いいの!用があるのはこっちなの!!」
と私が向かう方向を見たあなたは、抵抗を止めた。
 どんな顔してるんだろう?怒ってるかな?見たかったけど、恐くてできなかった。何より私の顔がどんなことになっているのかわからなかったし。だから黙ってひたすら歩いた。
 私達にとって大切なあの場所へ―

* * * * *

 神泉苑―初めて出会った場所。予想以上にこじんまりとしていて二人とも言葉が出ない。でも力を感じる…。やっぱり夢じゃないんだ。半分がっかりしたが、そうでないと困る。
 私は大きく深呼吸して夕べさんざん悩んだ言葉を口にした。
「頼久さん…帰りたい?」
あなたは目を見開いた。だけどすぐに微笑みを浮かべて言ってくれた。
「何をおっしゃるのです。私は望んでこちらの世界に来たのです。それに帰れる術はないと…」
「あれば帰るの?」
 私は手を池に向かってかざした。その空間がぼやけ、歪み、その先に私達の懐かしいあの場所を浮かび上がらせた。あなたは呆然とその光景を見つめていた。でもその瞳が一瞬輝いたのを私は見てしまった。
「…一度だけ…一度だけ空間を繋ぐ力を龍神様は与えてくれたの。だから今帰らないともう二度と開くことはできないわ。私のためでなく…あなたの気持ちに正直になって!」
 泣かないって決めてたのに、クールに極めようって思ってたのに、あなたの顔がまともに見れないくらい涙が溢れてくる。こんな私を見たら帰りたくても帰れなくなるわ。引き止めながら帰れって…卑怯すぎるよね。
「ごめん…こんな顔してたら行けないよね」
必死にハンカチで涙を拭いて、ようやく落ち着いた私は、今度は真直ぐにあなたの顔を見ることができた。
「いきなりで、決めろっていう方が悪いのはわかってる。でも考えない方があなたの本音が出ると思って…」
「一つだけお聞きしてもよろしいですか?」
 それまで黙っていたあなたは掠れた声でそう尋ねた。
「…何故私を帰そうと思われたのですか?」
「だって…こっちではあなたは大変なことばかりで…」
「いきなり怨霊退治させられる訳ではありません」
「でも懐かしいんでしょ?」
「…確かに懐かしいです。ですがそれはあなたもでしょう?」
「そりゃあそうだけど…。懐かしいって私に言ってくれなかったじゃない」
「………」
「私に気を遣ってくれてるってわかってる。でも隠すくらいに懐かしいんでしょ?それに…大切なものをみんな置いて来たんだよ?家族だって…仲間だって…あんなに大事にしてた刀だって!」
 それ以上は言えなかった。思いっきり抱き締められて息もできないくらい。苦しくて少し身体を動かした私に気付いて、ハッとしたかのようにあなたは腕を解いた。あなたは真剣な瞳で私を見つめた。…恐い。でも逸らすことはできなかった。
「…刀は私の力を具現するものでした。武士として、八葉として。あなたを守る力でした。でもこの世界では…刀ではあなたを守ることはできません。だからこの世界の私には不要なものなのです。かといって他にあなたを守る手段はありません」
そう言って俯いたけど、すぐにあなたは顔を上げた。
「しかし、あなたを想う心だけは誰にも負けぬと…この想いだけが私の生きる力なのです」
「頼久さん…」
「それだけではお側にいる資格はないのですか?」
「そんなことない!…そう言ってくれて本当に嬉しい…」
 押し込めてた涙が我慢できなくて再び流れ出した。私はもう無理に止めるのは諦めた。そんな私を見て、あなたは真剣な眼差しを少し緩めてこう付け加えた。
「向こうの世界ではあなたは『神子』で私は『八葉』…。ご命令とあらば、どのようなことでもいたしましょう。ですが、こちらでは私は私の意志で行動しています。今までも…これからも…ずっと」
「頼久さん!」
 私はあなたの胸に飛び込んだ。あなたは優しく受け止めてくれた。
「本当は離れるの嫌だったの…。だけど今の幸せは頼久さんを犠牲にしているようで…」
「そんなことありません。私の方こそお荷物になっているのが申し訳なくて…」
「ううん。最初はそうだったかもしれないけど今は違うわ。ちゃんとあなたは自分の力で生きてるもの…」
「でしたら…これからも…共に生きて下さいますか?」
「…はい…」
「…愛しています………」
 最後の方は掠れてしまったけど、間違いなく私の名前。魂をぎゅっと掴まれたような感じがした。名前ってやっぱりそれだけで力があるのね。私は意地になって『頼久さん』って連呼してたけど、大丈夫だったかな…。

 しばらくの間、私が開けた空間を二人で見て懐かしんだ。
「藤姫や他のみんなの様子も見れたらよかったのにね」
「そうですね。…ですが、穢された時のようなどんよりとした雰囲気はありません。皆様ご息災であられるでしょう」
 愛おし気に京の風景を見ているあなたを見ていると、やっぱり心が痛い。でもいつまでも空間を開けておく訳にはいかないわ。私は重い口を開いた。
「…念のため聞く…!」
用意していた言葉は封じられ、発せられることはなかった。しばらくして身を離したあなたは少し顔が赤い。
「そろそろ行きましょうか?」
「ええ!」
 そして最後の扉は閉じられた。それと同時に私の中で湧いていた不思議な力は引いてしまった。

 …さらばだ…

* * * * *

 その後―
 帰りの新幹線代しか(それも一人分)持ってなかった私に、あなたは複雑そうな視線を向けて大きな溜め息を吐いた。
「お帰りはいつだと言って来られました?」
「えっと…二泊三日だから明後日…かな」
「それはようございました」
すると満面の笑顔で、駅の宿泊ご案内のコーナーへ向かう。そしてテキパキと手続きをする姿に呆然とする私を後目ににこやかに声をかけた。
「明日は今日周りきれなかった所に行くとして…明後日は大阪に大きな魚がいるということなので、行ってみましょうか」
「…そうだね…あはははは…」

Fin?

後書き
あはははは…。初めて書いた『遙か』のSSが…。最後の最後で頼久さん変質したかも(^^;)
☆を集めてリクエストして下さったQou様のリクエストで書いてみましたが、ラブラブどころかコメディーに(号泣)。
β版ですので書き直す可能性大ですが、京都へ行く機会が今のところないので、当分完成しそうにありません。
堪え性のない作者ですのでひっそり(?)と公開してしまいました。オリジナルの世界ってことで(爆)。

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