〜Over the Time〜

Qou   


壱 月蝕――緋色の月が照らすもの

 頼久は、その夜、左大臣家の次男、左近衛守の牛車の護衛をしていた。
 そろそろ戌の三つといった頃か。
 頼久は月明かりに照らされた草木の色がいつもと違う気がして、空を仰いだ。
 夜の深遠なる闇に灯りをさし込む月光。それが今宵は――僅かではあったが――赤みを帯びていた。
 頼久は見間違いかと思い、一度瞬きをしてみる。
 しかし、やはり月は赤かった。
 頼久が呆然と空を見上げていると、それに気付いた侍の一人が声をかけてきた。
「どうした、頼久」
「月の色がいつもと違う…」
 声にしたその言葉は呟くようなものだったが、良く通る頼久の声は御簾ごしに左近衛守にも届いたらしい。御簾を上げ、車の中から月を見やる。
「確かに赤いな…。しかし月の光に気を取られるとは……頼久にもようやく風情というものがわかってきたようだな。む、一句できそうだぞ」
 嬉しそうに筆を走らす左近衛守の姿を視界の端に止めながら、頼久は思いを別のところへ馳せていた。

 頼久は屋敷に帰り着くと、その足で左大臣邸の離れにある、神子の居室に向かった。
 部屋には灯りが点いてなかったので、頼久はもう休まれたのだろうと思い、詰め所に戻ろうとしたが、庭に人の気配を感じて、刀の柄に手を掛けながら静かに庭に下りる。
 そして、池の淵に立つ神子の姿を見た。
「神子殿?」と、頼久が声をかけると、向こうもこちらに気付いたらしく、振り向いた。
「あれ?頼久さん?」
「どうされたのですか?このような時間に庭に出られて…」
 頼久が驚いて尋ねると、、神子は笑って、「池に映った月を見てるの」と言った。
 言われて見ると、なるほど、月はくっきりと池の水面に映っている。
「今夜って月食みたいなの。――ほら、赤く染まってるでしょ?」
 神子が手を月へとかざすのを目で追うと、自然、月を見上げる格好になる。
 この赤い色には見覚えがある。
 ――人の血の色だ。
 
 十年経った今でもはっきりと覚えている。自分に降り注がれた兄の赤い血の色は。
 賊が振りかぶった太刀に煌きを与えた月の光は、本来なら自分に注がれるはずのものだったのに。
 月の光を浴びたのは兄。
 そして自分に降り注がれたのは、兄の赤い血。
 刀は不思議なほどに月の光をその身に受け、あやしい光を織り成す。
 そして、賊が立ち去っていくこの時も、月の光は抜き身のままの刀身に照り映えた。
 兄の赤い血を浴び、青白いその色を凶々しく輝かせながら。

「頼久さん!?」
 月を見上げたまま、過去への思いに捕われていた頼久の心を、神子は急に呼び戻した。
「…もう大丈夫なの?」
「?どういうことです?」
 頼久は問われた事の意味が分からずに聞き返す。
「だって…今、頼久さん、すごく辛そうな顔して月を見てたから…」
「――」
 言いながら自分が沈んでいく神子。
 頼久は一瞬驚愕の表情を見せるが、すぐにいつもの無表情に戻って、頭を下げる。
「主にそのようなお心遣いをさせてしまい、申し訳ありません」
「頼久さん、私は…」
 神子が何かを言い連ねようとしたが、それより早く、頼久は口を開く。
「今宵はもうお休みください。青龍の呪詛は解けたとはいえ、まだ決着はついてないのですから。
 …それでは失礼します」
 言うなり頼久は踵を返して行ってしまう。
 神子の姿が見えるか否かというところで、頼久は一度だけ、肩越しに振り返った。
 神子は素直に自室へと向かっているようだった。
 そして、その後ろ姿は不吉なまでに月光の下に浮かび上がっていた。
 ――何かを予兆するかの如く。

弐 静かな慟哭の声をあげて
 
 翌朝、詰め所に一人いた頼久のもとに藤姫の使いがやって来て、神子のもとに参上するようにとの旨を伝えられた。しかし、頼久が神子の居室に行くと、そこには神子はおらず、藤姫が一人おろおろとしていた。
「頼久!!私が少し目を離した隙に神子様はお一人で出かけられてしまったようなの!すぐに後を追って!」
「神子殿がどちらに向かわれたかご存知ですか?」
「確か、大文字山とおっしゃってたわ。聞けば、あのランという鬼が絡んでるそうなの」
「あの鬼が…」
 神子はランの事をとても気にしていた。しかし、あの鬼は危険だと頼久は考えていた。鬼の首領にかけられたという術と、それによって抑えられた自我との危うい均衡の上に立っている。その危うさは、神子をも巻き込んでしまいそうで、頼久はそれを恐れていた。
 嫌な予感がする。
 そして、昨夜の不吉な赤い月の光景がそれに拍車をかける。
「すぐ追います」
 言うが早いか、頼久は駆け出した。

 大文字山までの道のりはいつもより長く感じられた。きっと焦燥感がそうさせているのだろう。そして、その焦燥感は、頼久の中に渦巻く不安さえも膨張させていく。
 やっと求める姿を視界の中に納めた時は、その喉に、対峙する鬼、ランが手にしている懐剣が吸い込まれる様に伸びていくところだった。 
「神子殿!!」
 頼久は叫びながら鯉口を切り、一気に間合いを詰めて抜刀する。
 ランの持つ懐剣は神子の喉に触れる直前に離れる。ランは頼久の放った一閃を避ける。
 どちらが先かは分からなかった。
「失敗したか…。この場は退散する」
「待って、ラン!――ラン!!」
 神子の制止の言葉も空しく、ランの姿は一瞬で掻き消える。
 神子がランを掴もうと伸ばした左手は行き場をなくし、所在無さげに胸元に引き戻される。
 神子はしばしの間うなだれていたが、少し経つと顔を挙げ、頼久の方に向きなおる。
「あの、ありがとう、頼久さん」
「お怪我はありませんか?」
「大丈夫。何処も怪我してないよ。頼久さんが来てくれたお蔭だよ。……本当にありがとう」
 神子はそう言って、いつもの笑顔になる。
 だが、頼久は、その笑顔を見て、逆に自分の心が軋むのを感じた。
 先程、鬼が振りかぶった懐剣は、木々の間から僅かに漏れる木漏れ日を拾い、その刀身に反射させていた。
 その輝きは、時には人の命を奪い去っていく。
 十年前には兄の命を、そして、今は…――誰の命を奪おうとしていた?
 頼久は答えが分かりきっているにもかかわらず、そこから先を考える事が怖くてできなかった。
「あの…頼久さん?」
 神子は頼久の反応がいつもとやや違う事に気付き、頼久の顔を覗き込む。
「………あなたを失うかと思いました」
 神子と目が合い、長い沈黙の後、頼久は、知らず知らずのうちに噛み締めていた唇の間から、うめきのような言葉をようやく搾り出す。
「私はまた大切なものを守れないのかと…!
 あなたを失えば私には生きていく価値などないのに……!」
 頼久がそう言った瞬間、
パンッ
 と、小気味の良い音が響いた。
 頼久は、その音が自分の頬を神子が叩いた音だと、自分の目の前で手を振りかぶったままの神子を見ても、まだ理解しきれてなかった。
「神子、殿…?」
「そんな悲しいこと言わないで…!」
 神子は涙を流していた。
 どんなに辛く悲しいことがあっても、涙を流すことだけは決してなかった神子が、泣いていた。
「…しかし神子殿、私は八葉です。あなたを守るべき使命を持つ者でありながら、私の失態であなたを失うような事にでもなれば、その代償はあまりにも大きく、私には生きる価値などなくなるのは当然の事です」
 しかし、神子はまったく泣き止まない。
「そこであなたと私の間に、八葉とか使命とか境界線を引かないで…!
 それがあなたにとって大切な事だって分かってるよ。あなたのその忠誠が私をここまで支えてくれていたんだって信じてるし、その裏に優しさがいっぱい隠れてる事もみんな分かってるよ!だけど…!」
 神子は一呼吸置いて、
「それだけだったら、あなたにとって、私は『龍神の神子』でしかないよ…!」
「――!!」
 頼久は、神子を見ることの苦痛に耐えられなくなり、ついに目を逸らしてしまう。
「そんなの嫌だよ!そんなの私は望んでないよ!だって、私は、あなたが好きなのにっ……、お願い、私を、『龍神の神子』としてじゃなくて、私のことをきちんと見てよ……!」
 神子のその言葉を聞いた時、頼久は自分の耳を疑い、逸らしたばかりの視線を元に戻してしまう。すると、こちらを見上げていた神子と真正面から目が合った。
「あ……!」
 神子は頼久と目が合うと、自分が言った言葉を思い出し、赤面して俯いてしまう。
「ええええっと、か、帰ろうか、頼久さん」
 動揺して上擦った声でそう言い、頼久に背を向け、東に歩き始めようとした神子は、突然背後から強い力に引っ張られたかと思うと、頼久の腕の中にいた。
「よ、頼久さん…?」
「…私もあなたを愛しています」
 頼久は神子の耳元でそう囁く。
「けれどあなたはもう帰ってしまう…」
 頼久は神子を抱きしめる腕に力を込める。
「じゃあ帰るなって言ってよ」
 神子は頼久の胸に顔を押し付けて言う。
「そんなこと言えません…!あなたは今まで帰るために、そして京の人々のためにここまで頑張ってこられたのですから…」
「だけど私は今更あなたのいない生活なんて想像できないよ。あなたのいない世界に帰ったって嬉しくも何ともないよ…!」
「…申し訳ありません。今の私は何もお答えすることができません」
「……分かった。じゃあもう今日は帰ろっか。藤姫も心配してるだろうし…」
 神子は頼久の胸から離れ、歩き出す。頼久はその半歩後ろを歩く。
 帰り道は二人とも無言だった。そのせいか、気が付けば屋敷に帰り着いていた。
「それじゃ…」
 神子は早々に部屋の中へと引きこもろうとする。頼久はその背に声をかける。
「神子殿」
 神子は振りかえらない。
「…たとえ、どんな結末を迎えようとも、私の忠誠と心はあなた一人のものです。…それだけは、覚えておいてください」
 それでは、と言い残して頼久はその場を後にした。

 
参 青き龍のホウコウ――咆哮と彷徨

 そして、青龍解放の日がやってきた。
 これで最後だが、油断は出来ない。きっと鬼も待ち構えているだろう。
「――というのに、君達のこの暗さはなんなんだい?」
「…暗いですか?」
「…そうでしょうか?」
 友雅の言葉に、神子と頼久は、自覚症状が無いとしか言い様がない反論をした。 
「ああ、暗いね。頼久はいつも以上に暗いし、神子殿もいつもの元気は何処にいったんだい?そんなことで青龍を救えるつもりなのかな?」 
 友雅の言葉は二人に深く突き刺さる。
「…そうですね。こんなことじゃランどころか青龍も救えませんよね。
 ごめんなさい、友雅さん。ありがとうございます」
「余計な気遣いまでさせてしまい、申し訳ありません」
「いえいえ。どういたしまして」
 二人の殊勝な態度に友雅は笑いながら答える。 
 そうこうしているうちに目的地に着いた。
「なるほどねぇ。気配が白虎の時と似ているようでやっぱり違うね」
「しかし今度は渡さない」
 何処からともなく、友雅の声に返事が返される。
「――ラン!」
 神子の声と同時に姿を現す鬼。
「ラン!やめて、私はあなたと戦いたくないよ!」
「……覚悟。――の空に君臨せし者、青龍よ!我が呼び声に答え、その力を示せ!!――青龍召還!」
 鬼の高らかな詠唱の声とともにその姿を現す四神が一つ、青龍。
「――ラン!」
 神子は未だに鬼に気を取られたままだ。そこに、青龍の大きな顎が牙をむく。
「御子殿!」
 頼久の沈痛な叫びが響くが、頼久が動くより友雅が神子を庇うのが早かった。友雅は辛うじて青龍の攻撃を避ける。頼久はほっと胸をなでおろす。
「友雅さん、ありがとうございます」
「怪我はないかい?ほら、よそ見してないで、――来るよ」
 戦いの火蓋はすでに切って下ろされているのだ。ようやく神子は戦いに集中する。
 ――戦いはすぐに終わった。神子の力も上がり、青龍の五行である『木』に強い『金』の五行を持つ友雅もいたのだから、油断さえしなければ、最初から勝てない相手ではなかったのだ。
「これで四神がそろったんだ…」
 青龍の札を持つ神子の手に、空から雫が落ちてきた。
「雨が…!」
 誰ともなく声にする。
「ほう。見事なものだな、神子よ」
「――アクラム!」
 ランの傍に突如現れる鬼の首領、アクラム。その表情は顔の上半分を覆う仮面のせいでよく分からない。
「ランを返して!」 
「それはできんな。まだランには役に立ってもらわねばならぬ。――明日、神泉苑で会おう」
 言いたいことだけ言うと、アクラムの姿はランとともに掻き消えた。
「…神子殿」
「…帰ろう、二人とも。今日やらなくちゃいけない事は終わったんだから。――そして、明日は、神泉苑へ…」
 神子は先頭を歩き出す。頼久と友雅は、神子の数歩後ろを歩く。
 帰り道の途中、やおら友雅が頼久に小声で話しかけてきた。
「…頼久」
「どうされました?」
「……神子殿の事を特別に想っているのが自分だけだと思わぬようにな」
 頼久は友雅の言葉に鼓動が大きく高鳴る。
「…なんのことでしょうか?」
 そらとぼけてみるが、きっとこの頭の切れの良い男にはお見通しなのだろう。
 案の定、「さあて、なんのことだろうね」と、笑われながら返されてしまった。――目は笑ってなかったが。
「隙あらば横取りする、といったことは結構たやすいものなんだよ。――まして、私のような『遊び人』にはね」
 頼久は思わず立ち止まってしまう。そこへ、神子が振り向いて、「さっきから二人で何話してるの?」と、無邪気な笑顔で聞いてくる。
 とっさに言葉が出てこない頼久の代わりに友雅が、「男同士の密談だよ。…なあ、頼久?」と、意味深な視線を投げてくる。
 頼久はいつもの無表情に徹するよりほかに、その場をやり過ごす方法を知らなかった。
 
「神子様。準備の方はよろしいでしょうか?」
 神子の部屋に藤姫が入ってくる。
「神子様、こんな早い時間ではありますが、神子様に是非言いたいことがあると言ってる方がいらしてるのですが…どうなさいますか?」
「うん、分かった。じゃあ呼んでもらえる?」
 藤姫は神子のその言葉に笑顔で答える。
 そして、藤姫が下がったすぐ後に部屋に入ってきたのは、頼久だった。
「――頼久さん…」
 神子は頼久の顔から目をそむけてしまう。しかし、頼久は神子をしっかりと見て、言った。 
「…まだ自分の中で答えが出たというわけではありません」
 ですが、と頼久は言葉を続ける。
「せめて最後の瞬間まであなたのお側にいさせてください。あなたを最後までお守りする役目をどうか私に…!私があなたのお役に立てるのは剣を振うことだけなのですから…」
 二人の間に沈黙が落ち、ただ時だけが過ぎてゆく。
 しばらくたって、藤姫の、「あの…」という遠慮がちな声がした。 
「どうしたの、藤姫?」 
 神子は頼久から視線を逸らしたまま、藤姫に問い掛ける。
「お話がもう終わりましたのなら、八葉の皆様が大方揃いましたので…」
「分かった。それじゃ通してくれる?」
 頼久は藤姫の方を向き、「それでは私も一度戻ります」と言って、その場を離れようとした。
 しかし、神子に背を向け、歩き出そうとした瞬間に、何かに背中を引っ張られた。驚いて振りかえると、神子が顔を伏せたまま、服を掴んでいた。
「神子殿?」
「……いいからここにいて。側にいて――ずっと、最後まで」
「神子殿…分かりました。必ずや、鬼の手からあなたをお守りしてみせます」
 神子はそこではじめて顔をあげた。
 しかし頼久は、今自分がどんな顔をしているのか見られたくなかったので素早く顔を逸らしてしまった。

 
四 そして戦いの日々は終わりを告げて

「――来たか。待ちくたびれたぞ、神子よ」
「――…アクラム!」
 神子らが神泉苑に来ると、神子らから十数歩離れたところに、突如、アクラムの姿が現れた。 
「正直、最初にここでお前を見たときは、こうも邪魔立てをされるとは思ってもみなかったが…」
「それよりランを返して!」 
「お優しいことだな、神子よ。そんなにこの娘が心配か?」
「当たり前じゃない!アクラム、どうしてこんなに多くの人を傷付けるの!?こんなことしてまで一体何がしたいの!?」
「私の手による理想国家の建設だ。――神子よ、貴様とて知らぬわけではあるまい?京の奴等が我々に何をしてきたか…。所詮こやつらは虐げてきた者に噛みつかれて泣いているだけにすぎん。しかも、自分に正義があると信じてな。その正義が我等鬼の一族を苦しめるのであれば、その正義を取り除くまでだ――力ずくでもな」
 神子は反論できない。アクラムの言っている事にも一理あるからだ。京の者達は、自分達と異なる外見、自分達にはない力を持つ鬼を長い間迫害してきた。鬼が京の人間を恨むのも無理はない。
 神子が黙ってしまったのを見て、アクラムは更に続ける。
「神子よ。迷うならば我が下に来るがいい。今からでも遅くはないぞ。お前の力は私には必要不可欠なものばかりだ。その力、その優しさ!統治には必要なものばかりよ。それに…我が下に来ればランもいる。ランもお前がいれば苦しむ事もあるまい」
 神子はランの名前に反応し、びくっと肩を振るわせる。そんな神子の前に、神子をアクラムから隠すように、頼久が神子とアクラムの間に立つ。
「いいかげんにするがいい、鬼よ!これ以上神子殿の心を惑わす事はこの頼久が許さん!」
「八葉ふぜいが何を偉そうに…。貴様なんぞに用はない。我が前から立ち去れ」
 アクラムは先程の熱弁とは打って変わって、冷たく言い放つ。
「そういうわけにもいかぬ。神子殿を守り、此処でお前を切り伏せる!」
 頼久は抜刀し、その切っ先をアクラムに向ける。しかし、距離があるせいか、それとも自信があるのか、アクラムはまるで動じず、その長い指を顎に当て、
「――そういえば貴様、確か最初に此処で私が神子と会った時、此処にいたな?」
と言った。
「それがどうした」
 頼久は構えたまま返す。
「いや、始まりを知っていて、終わりを知らずに散るのと、終わりを見届けてから散るのとどちらが興があるものかと思っただけよ」
 つまり、神子を守りきれずに自分が先に死ぬのと、神子が死んでから死ぬのとどちらがいいかと問いているわけなのだ。頼久にとって、これ程の侮辱はなかった。
「貴様…!」
 今にも切りかかりそうな頼久に、泰明が制止をかける。
「落ち着け、頼久。己を見失うな。冷静になれ。心が揺れるとそこが付け入る隙となる」
「泰明殿っ、しかし…!」
「落ち着けというに。大丈夫だ。あの時の事をどうこう言うのなら、私もあの場にいた。お前と立場は同じはずだ。鬼の言うとおりにするわけにはいかないのなら、やるべき事は一つ――二人で神子を守りぬくだけだ」
「泰明殿…。――そうですね。私が今此処にいる理由はただ一つ、神子殿をお守りする事だけなのですから…!」
 頼久の顔から怒りが消えるが、それとは対照的に、「フン…くだらぬ友情物語までしおって…」とアクラムは不愉快そうに吐き捨てた後、両手を上にかざす。そこに、突如ランが現れて、ランの周りを黒いもやが取り囲む。
「ラン!」
「神子よ、ランはお前と同じように五行の力を操れるとはいっても、お前と違い、闇なる力を使うことが出来るのだ。その力、受けてみるがいい!出でよ、黒麒麟!」
 アクラムの声とともに、その場に今までの怨霊よりもひときわ大きな力を感じるものが現れる。これが『黒麒麟』なのだろう。
「来る!」
 泰明が叫ぶと同時に、黒麒麟が攻撃してくる。そして、それは真っ直ぐ神子を狙っていた。
「きゃっ!」
 しかし、一足早く頼久が神子をかばった。
「頼久さん…ありがとう」
 神子はこれに笑顔で答える。
「ご無事で何よりです。あなたには指一本触れさせません」
 その言葉通り、激しい戦いになったが、神子は怪我一つせず、最後は泰明と頼久が連続して召還した四神、玄武と青龍によって弱ったところを神子が封印して、戦いの幕は降りた。
「くっ、何故だ、何故いつも天はお前の味方ばかりをするのだ…!私ではダメだというのか…!?」
 アクラムは黒麒麟が封印されると、その場に崩れ落ちた。
「鬼よ、覚悟!!」
 頼久が剣を振り上げると、頼久とアクラムの間にシリンが立ちふさがった。
「シリン!」
「お願い、待って、龍神の神子!アクラム様を助けて!どうかこの通り…!お願い…!」
「シリン、どうして…」
 神子がシリンに疑問の目を向けると、シリンは目に涙を浮かべながら、
「本当に愛してるのよ!神子、あなたも女なら分かるでしょう!?」
「――っ、シリン…」
 頼久は一瞬、神子がこちらを見たような気がしたが、何も言わずに黙っていた。
 しかし、シリンの必死の態度にもかかわらず、当のアクラムはシリンに向かい、大声でこう叫んだ。
「黙れ!シリン、貴様、命乞いするか!即刻私の前から消えうせるがいい!」
「嫌です!たとえ怒られても嫌われてもどきません!此処であなたが死んで好かれる事よりも、生きて恨まれることのほうがよっぽどましです!」
 頼久はこの言葉に胸を揺さぶられた。
 遠く離れて想い合うよりも、たとえ想いが通じ合わなくても、近くにいてくれることの方が…
 兄の時のように、最後まで自分の事を思ってくれながら永遠の別れを迎えるより、生きて罵ってくれた方がどんなに楽だったか…
 しかし、そんな頼久の思考は、ランが気を取り戻した事によって現実に戻された。
「う…」
「ラン!」
 その微かな呻き声に神子は嬉しそうに反応するが、アクラムもまた、嬉々として反応した。
「まだだ!まだ終わってはおらぬ!――ラン、黒龍を呼ぶのだ!京をその深遠なる闇の力で包み込め!」
「いやあああああっ!」
 ランは頭を抱えてうずくまり、周りに黒い霧が立ち込め始める。
「ラン!」と、神子は悲鳴を上げるが、「うわあああっ、なんだこれっ!?」というイノリの叫び声に八葉の方を振り向く。
「みんな!どうしたの!?」
「身動きが取れないのです!」
「頼久さん!?」
 その黒い霧は気付けば辺り一面に立ち込めていて、八葉は皆、動きを封じられているようだった。
「私だけが平気なの?私が龍神の神子だから?」
 そう呟いた後、神子は思い悩んでいるようだった。
 頼久は、その神子の横顔を見ていると、神子に再び会えなくなってしまうのでは、という不安に襲われ、考えるより先にその名を呼んでいた。
「神子殿…!」
「頼久さん…」
 神子は今にも泣き出しそうな顔をして、ゆっくりと振り向いた。
「お願い、助けて…!」
「分かりました!必ずやこの頼久が何とかして見せます!」
 頼久は辛うじて首を動かし、他の八葉の方を振り向き、
「皆!力を合わせて、ともに神子殿を守るのだ!」
と叫んだ。
 八葉は、或る者は不敵な笑みで、また或る者は唇を堅く引き締めて、全員が大きく頷いた。
 五行の力を集中させろという泰明の指示に従い、八葉の力が一点に集まり、そして爆発したかのように一瞬白く輝き、その白光が目を覆い、何も見えなくなる。
 

伍 溢れ出る想いに時空は奏でて

 頼久がようやくその光から目が慣れ、目を開いた時、目の前に神子がいた。
「神子殿…ご無事だったのですね、良かった…」
「…うん。みんなのおかげだよ。本当にありがとう、みんな」
「穴が…!」
 天真の叫び声が聞こえて、見れば、アクラム等がいた辺りに、時空の歪みが生じ、神子や天真、詩紋の世界への道が開いている。
「じゃあな、頼久。もう会うことはないかもしれね―けど、いつか絶対お前より強くなってやるからな」
「イノリ君、今までありがとう。僕…」
「あーあー、もういいって。泣くんじゃねえよ。こういうときは笑顔で別れるもんだろ?」
 天真と詩紋の二人は穴に向かって歩き出す。しかし、神子が動こうとしないので、二人とも眉をひそめて聞く。
「どうした?行こうぜ」
「う、うん…」
 神子は立ちあがり、頼久に向かい、「…それじゃ」と、小さな声で言って、穴の前で待つ二人の方に歩き出す。
 しかし、いくらも歩かないうちに、頼久に腕を掴まれてしまう。
「頼久?!」
「すまないな、天真、詩紋。…やはり神子殿は帰したくないのでな。こちらの世界で私が責任を持ってお守りする」
 神子の腕を掴んだまま、頼久は、驚く天真と詩紋に向かってそう告げた。
 二人とも、いや、そこにいた全員が、しばらくあっけに取られていたが、天真が急に笑い出した。
「ははははは!いや、やっぱさすがだよ、頼久!分かったよ、じゃあそいつのことはヨロシクな!」 
「ヨ、ヨロシクって、天真殿、神子様の意見は…!?」
 藤姫が慌ててそう言う。しかし、天真は落ち着いていて、
「意見って言ったって、…ほら」
と、頼久と神子の方に親指を向ける。
「え?――み、神子様!?」
 藤姫が見ると、神子は泣き崩れていた。
「おやおや。頼久もなかなかやるねえ」
「友雅殿…楽しんでませんか?」
 込み上げてくる笑いを我慢しているとしか思えないような顔で言う友雅を、鷹道が横目で見る。
「天真、詩紋。そろそろ穴が閉じるぞ」
 尚も何かを言おうとした鷹道より早く、泰明が穴を見ながらそう告げる。
「エッ!っと、じゃあな、みんな!元気でな!」
「みんな元気でね!」
 天真と詩紋の姿は穴の向こうへと飲み込まれてしまった。
「…行ってしまいましたね」
 感慨深げに呟く永泉。
「それでは我々も戻りますか」
 鷹道がそう言うと、皆は歩き始めた。
 頼久も神子を助け起こして、歩き出そうとするが、泰明が頼久の横を摺り抜けざま、いつもの無表情のまま、「そういうのはきちんと言っておいた方が良いのではないか?」と言い、その言葉が聞こえたのかどうか、友雅が近付いてきて、肩に手をぽんと置き、「今日は一日中此処誰も来ないから」と言い残して去っていった。
 頼久は二人の言葉に思わず足を止めてしまった。
 そして、先程から自分の服を掴んで泣きじゃくっている神子へと向き直る。
「…神子殿」
 神子は顔を挙げ、視線で問う。
「半ば強引に決めてしまった後で申し訳ないのですが…」と前置きしてから頼久は言った。
「…この先ずっと、あなたの側で、あなたを守らせてください」
「…はい」 
と言った後、神子はまた泣きじゃくる。
 頼久は神子を自分の胸へと抱き寄せる。すると、神子は頼久の胸にしがみついて、更に泣き出した。
 あまりにも神子が泣くので、さすがに頼久も困り果て、抱きしめたまま、神子の髪を梳き始める。
「泣かないでください、神子殿…」
 しばらくして、号泣から嗚咽には変わったが、まだ泣き止みそうにはない。
「…」 
「え?今なんとおっしゃいました?」
 神子は顔を頼久の胸に押し付けたまま、何かを言ったが、くぐもっていて、頼久には聞き取れなかった。仕方なく、神子は僅かに顔を挙げて、頼久の目を見ながら言った。
「名前で呼んでくれるか、キスしてくれたら泣き止む」
「え?キス?」
「あ、え〜と、キスっていうのは………その…口付けのこと…」
 神子は自分から言っておきながら、耳まで真っ赤にして、また頼久の胸に顔を押し付ける。しかし、言われた頼久も顔を赤くしている。
 しばし時が立ち、神子が恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、
「ごめんなさい、やっぱいい!」
と言って、顔を頼久の胸から離した時、頼久は神子の頬を包むようにそっと神子の顔に触れた。
「え?頼久さ…」
 そこまでしか言えなかった。
 互いの唇が触れ合う直前、頼久は神子の名を、本当の名を囁いた。
 軽く口付けをした後、頼久は神子を抱き寄せ、その耳元で、
「…これで泣き止んでもらえますね?」
と囁いた。
 神子は抱きしめられたまま、コクコクと何度も頷いた。
「…帰りましょうか」
「うん…」
 頼久は自分の腕の中から神子を解放すると、その右手を取って歩き出した。
 もう明日からは怨霊退治もない。
 しかし、二人の帰るところは同じだ。
 二人は暮れ始めた西の空を背に歩き出した。

〜終〜  


管理人から
Qouさんから暑中お見舞いとして強奪致しました(^^;)
もう頼久さんが素敵です〜♪友雅さんと泰明さんも美味しい役回りで3人のファンである私は悶絶しました。
幻想的な月蝕のシーンと、ゲームの後半が目に浮かぶような展開にまた『遙か』を始めたくなりました。
『遙か』ファンの方はあまりうちには来ないと思いますが、潜在的頼久ファンのあなたに♪…おいおい。

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