ラケシスの書いたもう1通の手紙 

Nanase   

「やはり行くのか?」
「ええ…」
 フィンはそっと手を伸ばし、ラケシスの頬に触れた。
 滑らかだが、冷ややかなその感触は…まるでラケシスの心のようだとフィンはいつも思う。
 ノディオンの姫君。獅子王エルトシャンの義妹。
 世が世なら、一介の騎士たる自分には到底手の届く相手ではなかったと、フィンは自覚していた。
 あの戦いでも、気高く美しい姫君に皆は近寄ろうとはしなかった。
 他のものには軽口もきけるのに…あのお調子もののアレクでさえ、ラケシスには敬語を使った。
 当然といえば当然だったのだが……。結果それはラケシスを孤立させてしまうことになった。
 だが、あの戦いで…最愛の兄を亡くしたラケシスをフィンはほうってはおけなかった。
 だから、気丈に振る舞い、怪我をした仲間を癒すラケシスが自分の所にやってきた時、迷わずフィンは囁いた。
「無理をすることはない。泣きたかったら泣けばいい。戦に男も女もないが、もうここは戦場から離れている。だから女は泣いたっていいんだ」
 と。
 途端、ラケシスは表情を変え、張り詰めていた糸が切れたかのように泣きじゃくった。
 フィンにしがみつき、その胸に顔をうずめ。
 それが二人の始まり。
 そして、それからというもの、二人は毎夜、語り合い、その傷を癒すかのように愛し合うようになった。そう…フィンが主君キュアンと共に戦場を去るまで。

 遠い昔のような…ついこの間のような…そんな時代の事を頭に浮かべながら、フィンはそっとラケシスに口づけた。
「一緒に行ってやりたいが…」
「いいえ、あなたには他にしなくてはならないことが山ほどあるはずよ。お気持ちは嬉しいけれど、できないことを口にしてはダメ。今は戦いから離れていようと、あなたはレンスターの聖騎士なんですもの」
「ラケシス…」
 この手を離したら…もう二度とラケシスには会えない気がする。
 フィンはそんな予感に捕らわれていた。
『行くな』といえたら。『行ってはならぬ』と命じられたら…。けれどそれはできない。
 まるで別れのキスのようだと、そう思った自分の勘がはずれてくれればと、フィンは祈りながら手を引いた。
 すると、その手をゆっくりとつかんだラケシスは不思議な笑みをたたえて二通の手紙を差し出し、フィンの手の中にそれを収めた。
「こちらはナンナに。もし、エルトお兄様のご子息に出会うことがあったなら渡して欲しいと…。そしてこちらは…フィン、あなたに。もしも、私が帰らなかった時には読んでください。けれど、もし、私が無事に帰れたら…これは返して欲しいの」
「わかった。だが…」
「だいじょうぶよ。きっと帰れるわ。デルムッドを見つけだして、必ずあなたの元に戻ります」
 ラケシスは言い出したらきかない。
 それをフィンは誰よりも知っていた。
 あの戦いで落ち延びたラケシスが一人、隠れるように産み落とした息子がイザークにいる。ラケシスはリーフ王子のために息子を呼び戻したいのだ。
 また新たな戦いの火ぶたは切られようとしていた。
 フィンが、そして皆が願い続けたレンスター王国再興の夢に向かう第一歩ともいえる戦いが……。
 故郷を追われ、フィンの元へと落ち延びたラケシスにとってもレンスター王国の再興は果てしない夢。
 それがわかっているからこそ、フィンはラケシスを止められなかった。
「必ず…戻れよ」
「ええ。きっと」
「ナンナは私が守る」
「ええ…」
「ラケシス…」
 愛していると口にしようとして、フィンはそれをやめた。
 それはラケシスを困らせるだけの言葉のような気がして…………。

 月日は流れ、戦いは始まった。
 だが、いつまで待ってもラケシスは戻らない。
 それでも戦場で、フィンはラケシスの帰りを待った。
 きっとどこかで生きている。あの戦いでもラケシスは落ち延びた。アルヴィスの罠にはまり、皆が命を落としたと聞いたあの戦いでさえ、ラケシスは生き延びた。だからきっと…。
 フィンはそう自分に言い聞かせ続けていた。
 だが、自軍と合流した形になったデルムッドは、ラケシスに会ってさえもいないという。
 どんなに危険な旅だったか……。それはフィンとて知っていた。それでも旅立たせたのは…ラケシスを愛していたから。ラケシスの想いが誰よりもわかったから。
 けれど、自分は間違っていたのか?
 ナンナに責められたフィンは言葉を濁し、つかの間の休息をとるふりをして一人戦列を離れた。
 ラケシスの好きだった小花の咲きほこる草原に腰をおろし、初めてラケシスからの手紙をフィンは開封した。
 開けた瞬間にふわりと風が吹き抜け、フィンはラケシスの香りを思い出した。
 さわやかに甘くて…人をほっとさせてくれるようなそんな香り。
 けれど自身はいつもどこか寂しそうで…。
 その理由をフィンは知っていた。ラケシスが愛していたのは兄エルトシャン。どれほど想おうと決して叶うことのない相手。
 だから、ラケシスが自分の妻になったのは……弾みとなりゆきだと。
 それでも愛していた。
 フィンは自嘲的に笑うと。目を細めて柔らかな文字を追った。そして……愕然とした。
『フィン?あなたがこの手紙を読んでるってことは…私はもうこの世にいないってこと。そう思うとやっと素直になれる気がします。ねえフィン?あなたにとって、私はいい妻だったかしら?きっと冷たい女だって…そう思われているわよね。ごめんなさい。意地っぱりで…私。それに、いつまでも私をお姫様扱いするあなたにちょっとスネてもいたの。昔…そう、一緒に戦ったあの頃、みんなは「さん」だの「様」だのって私を呼んだけど。フィン…あなただけは違った。それがどんなに嬉しかったか…。なのに妻になってもあなたはどこか私に遠慮していて………。大好きだったお兄様が死んで、私の初恋は粉々に砕け散ったけど、あなたがいてくれて…私、本当にしあわせだった。恋と愛は違うって、あなたを愛して初めて知ったし…デルムッドとナンナって宝物も授かった。ねえフィン?私…でも一度も言ってない。あなたに。何度もいいかけて……でもどうしても言えなくて。だから、もし今度の旅で命を落とすことになったら、最後にいうつもり。意識がなくなる直前までずっと繰り返すわ。フィン……愛してる……って。おかしいわね、こんなの。でも、あなたはいつも遠くを見てて……とても大事な使命に命をかけていて。だから言えなかった。私が死んだら……この手紙はお守りにして?空からきっとあなたの無事を祈っているから。フィン…どうかご無事で。リーフ王子をお守りして…必ずレンスターを再興して。それは私の願いでもあるの』

「ラケシス…」
 震える手で手紙をたたんだフィンは涙をこらえて空を見上げた。
 そして、あの時言えなかった言葉を空に向かって小さくつぶやいた。
 悔いたところでラケシスは帰らない。
 泣いたところでもう時は戻せない。
 フィンは………生涯ラケシス以外の女を愛さないと心に誓いながらもそう感じていた。
 何よりも優先させた主君への誓い。それをラケシスは理解してくれた。
 だから、今は泣いている場合ではないのだと。

 
 その時、もう一度、風が吹き抜け、花の香りがフィンを包んだ。
「お父様?」
「ナンナ…」
 ラケシスにうり二つに成長した愛娘は、さっきの暴言を少し悔いているのだろう。
 フィンは静かに笑うと立ち上がった。
「行くぞ、ナンナ。お前はもう立派に戦力だ。リーフ様のそばを離れるな」
「はい!」
 瞳を輝かせたナンナを促してから、フィンは愛馬を呼び寄せた。
(ラケシス……。必ず勝つ。そしていつかお前の故郷も開放する……)

 胸にしまった手紙に触れながらフィンは誓い、そして走り出した。

                                    
 END   

管理人より
Nanase様よりこんな素敵なお話を投稿していただきました♪
ラケシスからラブレター(ですよね!)をもらえて、フィンも幸せ者!
みなさんも投稿してみませんか?お待ちしてます(ここで宣伝するなって^^;)。
Nanase様への感想は管理人我音までメールを送っていただければ転送いたします。

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