[アマチュァーの、復権]

{律 動四郎著 小説「あの人この人」より抜粋}


究極「"それ"の力は(空気である!)と看破した」

「ゴルフと禅」

習志野カントリークラブの従業員食堂の窓からは、若竹の葉が
いっぱいの露をのせ、日差しを美しく反射していた。

「クラブのしなり、折り返し点」
黒板には大きくこう書かれていた。

「右手で、クラブのグリップエンドをしっかり握って動かさない]
「左腕をボール方向に突き出すだけで、クラブ・ヘッドは上がるのだ」

例によって、何時もの張りのある声が響いた。
「左肩は勿論、左肘も多少は右に動くが、胸にすいよせられて止まる」
「・・・・・」

「グリップ・エンドも止まる。でも、クラフ″・へッドは尚後ろヘ流れ、
シャフトをしならせて、バウンドして折り返してくる」

「ボ−ルを地面に打ち付けたように、へッドははずんで、戻ってくる。
そっと地面に打ち付けると、ボ−ルはちょっとだけはずみ、 
強<打ち付けると高くはずむ」
「・・・・・」

これまでのゴルフのタイミング論では、「テイク・バックの始めは、
ゆっくり上げる」といっているのが通説になっている。

「しかし、車の発進のとき、エンジンをゆっくり回転するのではない、
エンジンは最高回転させるが、ギヤ−をロウに入れて、車はゆっくり
動きだす」

「 初速ゼロのものに力を加えた場合、すべてそうなる。
月まで飛ばすロケットでも、「総エンジン全開」でも、
見た目はゆっくり動き始める」

「 外目に、ゆっ<り上がったからというデ−タ−を見て、
力を少しずつゆっくり上げるものでは無い事に、気付かなくてはならない。
物の動きの本質にどうせまリ、再現するか?
従来のタイミングに関する考え方には、大変な想い違いがあるのだ」

「 ・・・・」


「君達の素晴らしい直感力と、研究心と、追体験によつてそれを掴み
とってもらいたい。」

「スイングのスタ−トから、インバクトまで0.8秒ほどで終わってしまう。
そのうちで、振り上げに約O.6秒、振り下ろしにO.2秒という
時間割りリズムで動いているのも、確かに、事実だ」

「振り上げにO.6秒と時間がかかっているから、
これが、ゆつくり上げたのではない」

「 ・・・・」

「おもいきり、lOO%の力まかせに突き出したからこそ、折り返し点で、
なおしなりが大きくなリ、時間が掛かっただけなんだ」

「 ・・・・」

「この時間割に、ゴルフ打法の秘密があったのだ」

「 ・・・・」

「この力のいれどころに、最も効果的に全身を使い、
クラブを生かした方法が、隠されていたのだ」
「それは、自然の原理、誰もが持っている、生きるための(わざ)」

「声を出して息を吐くことを実践している人、その人こそ、 生き生き人間なのだ!」
「自分の姿が、人間の心の秘密に触れたことに気がつく」

「この本は、読んでもわからない」
「ボールを打つ」:
「声を出して、ボールを打つ」
「千遍、ニ千遍、繰り返し打って、その上で、かの人にお会いしてみろ!」
「必ず、それが真実であることがわかる」

「文字で、{秘密}が、わかるか!!」

「秘密は、それを体現した人に直接ふれてはじめて、わかるのだ」
「この本が言っている意味もある程度わかるはずだ」

「自然に、無理がない(それの力)
「無目的に(舞う)一つの流れであった。」
「その打法は、無理をしない(振り)(精神で打つ)まるで「意図しないで立っている竹に」」
「風が吹き、雪が積もり」「風が吹き過ぎ、雪が自然に、滑り落ちるまで待つ」

「ごく自然な、しかも力強い(弾性)」
「完全な熟練に達したとき、クラブ、ボール、グリーン、プレーヤーは、溶けて一体となり」

「それの力」が、打ったのだ!

「グルは、このように重大な意昧をヨ−ガ修業の上にもっているが、
世の中には、本当のグルというものはまれである。偽物のグルや、
未熟なグルにかかわりあったりすると、とんでもない目にあう」

「・・・といって、本物のグルに巡りあうことは、まれな幸運であるし、
たとえあっても、見分ける事は難しい。そこで、神への祈りが必要になる」

「指導は、個人別に、いわゆる待機説法的に行なわれる。
その指導の仕方は実際的であって、体系的知識の教授などとは
全く違ったもので、時としては、ナゾのような、暗示を与える
だけのこともある」

「しかし、それが、当の相手の心境に、ピタリとあてはまった
指導力を発揮する事になることもある」

「プレ−ヤ− の真実な経験と錯覚とを見分け、指導する」

「複雑極まる、精神構造の底に、屈折した、さまざまな葛藤を秘めて、
現代の苦悩とたたかう、近代人の支えとなる為には、
絶対不可欠な要素である」

「 ・・・・」

「ただ、単なる祈りと、愛と、慈悲と、善意だけでは、自分自身すら、
不可知の錯綜、かつ矛盾に満ちた、コンプレックスに悩む近代人を、
救うことはできない。」

「瀬々プロは、従来久しく、ゴルフ・タイミング研究の第一人者であるが、
その呼吸法を、太極拳の体験とあわせ、明治時代における弓道の大家、
阿波研造師範の、大射道教を、宗とするもので有るが、造化の秘奥を、
西洋の医学、心理学者が、捨てて顧みようとしなかった」

「無酸素行法の弓道を通じて洞察する事に成功した」
(現在の「高地トレーニング」を「平地」で「しかも安全」に:
(自己の意思だけで、四六時中、何処でも出来る)
(ゴルフを楽しみながら!))

この書「弓と禅」(オイゲン・ヘリゲル著))を、縦に横に、無尽に咀嚼しつくし、
体験的に、全<自家薬篭中のものとした、その読破力は、実に驚嘆に値する。

私も、この本を求めて、不思議にも今なお、書き下ろしに蔵しているが、
ザッと眼を通しただけで、たいした益も受けなかった。

その同じ書を、これほど精研探求、自然の理により発展させ、
人々を、真の健康、幸せ、救人の上に活用せられた「書」と「人」の
奇しき因縁を思うとき、キリストの旧約イザヤ書における、
弘法の大日経における、法然の観行想に、
ル−テルのガラテヤ書のような、古聖往賢の芳燭さえ、
尊とく ゆかしく、偲ばれるのだ。」

「こうした親切な指導は、一人を救えば、一個の瀬々が生まれ、
五人救えば五丘人の瀬々と化し、百人を救えば、百人の瀬々が踊り出す
ことは、あの西遊記の孫悟空が、身毛を抜いて、これを吹けば、
たちまち幾十幾百の孫悟空と化し、その一つ一つが、如意棒を持って、
共に戦うのに似た、一種の分身法である。

これは瀬々氏が、自分自身で、追体験し、再々実体験し:

究極「それの力は (空気である!)と看破した」

過去4O年にわたって、数万の人を指導せられたと
いう様な量的なものでなく、むしろ、禅家の一個半個の説得というが
ごとき質的のもので、一器の水を一器にうつすといった霊的生命の
写しでなくてはならない。・・・・・・・・』

[アマチュァーの、復権]

{アマチュァーの、復権}
「全英オープンも、近ずきました!」
1860年(万延元年)=(桜田門で、「尊王攘夷」の時代に、第一回が始まり):
「知力」「体力」「財力」に勝るアマチュアー・ゴルファー6人が、:
一人の「プロゴルファー」を、「エントリー」させて上げ、:

「7人で、競技しました。同年10月5日のことです」:

現在、「イギリスでは、地方予選(8〜9会場=(1会場、約160人、エントリー)、
最終予選(4会場=(1会場、約160人、エントリー、
そして、1会場約20名=(合計80人が本選に出られます):

皆様ご存知の「木、金、土、日」の「本選を、(歴代優勝者)+(前年度大会、上位)
+(各国の,上位ランキング2〜3名)=80名、合計160名で、競っています」

「日本オープン、関東オープン、関西オープン」といっても、:
ゴルフ未開国、日本では、プロの参加なくしては、
競技が成り立たない時代も有り、プロの参加枠が多く:
アマチュアーに、少なくなっています「誤りが有れば、ご指摘ください」

全くの、私見ですが「ゴルフというスポーツは、一打「勝か、負けるか」で、
「天と地」の開きが有ります。
プロフェショナルでは、「優勝者と、ニ位では、その後の人生まで、変わってしまいます。

「すると、特許制度もない、「技術ノウ・ハウを、発表、公開することは、死を意味します」:
=(その、職業を、捨てなければ)生きていけない」

なまじ「レッスンで、飯を食う人間にとって、「一度のレッスンで、本質、真髄を、教えると、
自分より上手な「アマチュアー」が、あふれる」:

「体力」「知力」「財力」「余暇」にまさる「一般の方」が、当然優位なのです。

それを、「情報不足」「物理学者の怠慢」「体育学者の、不勉強」と、言うより:
「ゴルフのプロ」「野球のプロ」などの「技術職」が、「長年の、修練と」技術ノウ・ハウ、は、
「各自で、(家伝)(秘伝)で、当然、外部に「公開されず」自分たちもそうやって来たんだ」:
「ボールを、数打って{掴むもの}=(ゴルフは難しい)と、言う「構図が出来上がったのです」

必ずしも」「ゴルフのプロ」「野球のプロ」が、{物理学}{力学}を「修めていません」:

インストラクター制度で「文部省公認」プロ協会主催の「認定講座」で、{物理学}{力学}を、
講義する「大学教授」や、教える「専門家」自身が「ゴルフの物理」を、「ゴルフだけの物理」:
「従来からいわれている、「ボールを良く見て?」{腕を伸ばし、フォローを大きく、振りぬく?}論の、
立場から「出られない?」:または「研究不足」なのです。

「ゴルフのプロ」「野球のプロ」も、長年やってきた:
「フォームや、考えを今更変えたくない」と、考えるのも当然です。
トップ・アマチュアーも、競技会では「勝ちたいのです」:

「一日前に始めた人が、後輩に「レッスン?」「教え魔」に、なってきたのです。

しかし、「ゴルフ人口の増加を願い」「高校の体育科目」にも、加えられる現在:

「あらゆる面から、ゴルフ打法、野球打法」を、見直すことが必要です。

私は、20年来「ゴルフ打法を、小学校の体操、体育に!」

@「腕を、縮め、円弧を小さくすれば、誰でも{遠く、正確に、打てるからです!}
「反射、反応の世界」=(0.8)秒、では、:
「視神経が、あまり、役に立たない」ことも、「知ってしまえば」:
「やさしく」「楽しい」{ゴルフ打法、野球打法}が、できるのです。

@「大自然の原理だからです」:
「惑星の動きも、ミクロの世界も、楕円軌道で、変化しています」:

「変化の中の「いま」「ここ」「ただ、打つのです」「生きるのです!」

「生涯学習、健康運動、自然との共存」なによりも:
「自分自身の、能力を、自覚し、自信を持って生きる術を、体得できるのです」:

@「インターネット時代の到来です」「小さいというか、単なる職業集団、:
教育集団、医療集団の枠を超えて、総合的に、相関連した、研究が急務です。」

そして、{ THE OPEN }のように、少なくとも:
「誰でも、出場できる、オープン競技」を、アマチュアーの、皆さんが主体となって、
全国各地で「地方予選」を開き、高度の、技術で、競い合いたいものです。

「ゴルフと禅」

太極拳

「戻る」