「弓を持たない弓道講座」

阿波研造先生生誕百年記念出版

阿波研造

大いなる射の道の教え

桜井保之助 著(国立国会図書館専門調査員、二高弓道会会員)

達人の思想とは何か
射道とはなにか

T 解 説

@その高風はオイゲンヘリゲルの著によって国際的となったにかかわらず、
阿波研造先生は大多数の者には今なお埋もれた存在である。
すでに大正の初期、大日本武徳会全国演武大会で弓道日本一の栄誉を
得ながら、これに甘んぜず、さらに粉骨砕身の奮闘をつづけ、天下の
弓豪、弓界の鬼と畏怖され、ついに日本弓道の神と讃えられた
阿波研造先生の生涯と射道を、五年の歳月をかけて脱稿したのが本書である。

A先生は、射を通じて得た根本体験によって、「一射絶命」を説いた。
射は人格の建造、人間完成の最捷径であるとして、その方法論を明快に
示された。難行にして易行の途である。
人間の至るべき究極を説いたことによって、先生は時代を超え国境を越えた。
そこでこの境地をゲーテ、孔子、法華、道元などの説くところと比較し、
「先聖後聖ソノ揆ヲ一ニスル」ところを明らかにした。

B 先生は、射によって独自の境地に進み、
「射裡見性」をいわれた。
しかしそれに至るまでの射行はもちろん、射学の研鑚も並大抵ではなかった。
先生の一射一射にはわが国の弓道の全歴史が包摂されていたといっても
過言ではない。

そこで、明治の大御所的存在であり、先生も就かれた本多利実、先生と
同時代に中央にあって天下を 碑ゲイカゲイ」 した大平善蔵の射風や射道
思想の比較にとどまらず、先生のまず学ばれた仙台藩雪荷派の伝統をさぐり
さらに遡ってわが国弓道中興の祖,諸流の祖、日置弾正正次の射風、
また永きにわたって日本弓道の指導者、庇護者と信じられてきた聖徳太子の
射道思想などを比較検討し、先生の射風を歴史的に位置付けた。

これによって、本書は、日本武道史上の空白部分も解明できることになった。

C先生は、時空を超越した偉材であったとともに時空に深く根差した時代
の子、風土の子であった。郷土を愛し、祖先を尚(たっと)び、そして
日本をこよなく愛した。

風土が時代がいかに若い先生をはぐくみ、つき動かし、ついにその大をなさしめたか、
環境と先生の連関を追求し、先生の思想の根本は、土着の思想、わが国独得
の汎神論的自然法にあることを明らかにした。

D その結果、本書の内容とする先生の射道思想は、真の弓道に進もうとする
人士に大きく裨益するとともに、広く今後のわが国の国際的針路を確立するに
当たっても示唆するところ少なくないものと信ずる。

E 本書には、先生没後戦局し烈ななかを二高弓道会員が先生の宅に日参して、
まとめ上げた遺稿集「阿波範士言行録稿本」(三百字詰九百枚)から
重要と思われるもののほとんどを採録した。

そしてこれを年代考証の上、配列してその射道思想の発展を後付けたものである。
そのため可能な限り関係者の手記、回想、談話、写真その他の文献を傍証とした。

U 内容のあらまし

本 文

第一の章 自然児研造
大自然との融合合致を説かれた先生の幼少時代の、自然、生物、教養、時代の各環境、
とくに自然環境との相関関係に注目した。

第二の章 気概
少年時代”暴れ者”としてもて余された先生が一転して人並みはずれた努力により
後年の大人格を形成するようになる機縁は一体なんだったのか。
青年時代のその秘密を探る。

第三の章 粉骨砕身
若冠三十歳で、第二高等学校弓術部師範となった先生の粉骨砕身の修行のを追う。

第四の章 射裡見性
射によって天地と我が一枚となり、宇宙に大光明が充満した根本体験の様相と
内容を、先生の遺文によって詳しく究明する。

第五の章 大射道教
根本体験によって自得した射の道を、他に伝えるための努力、そしてなぜ
「大射道教」と称したのか、その思想的意義を明らかにする。

第六の章 ヘリゲル開眼
オイゲンヘリゲル自身の文を用いて、先生の教えを再構成するとともに、
ヘリゲルの」把握した限界と禅の限界を指摘する。

第七の章 円熟期
円熟期の行蔵(こうぞう)と思想を辿る。
この節の題にした行蔵(こうぞう)のことばは、行はそとにあらわれないおこない。蔵はおさめる、かくれる。外に現れないものをいう。人間はその行い、つまり行動で評価されるのが普通であるが蔵もあわせて見なければなるまい。行為ですら評価が分かれることがあるのに行為に現れないものをどう評価するか、という反論は当然起る。 それでも研造の場合は、おこなわなかったこと、口に出さなかったことにつとめて注意しながら見ていく 必要があるように思われる。
講演、語録、東北大全国大会各年次の指針挨拶、同射評、隠すの講習会資料を
掲載し解説した。
とくに、晩年の述作:「弓道」「一箭の内容」「射錬五則」「十位」
「射道正法」などはそれぞれに詳しい解説を加えた。

付 録
T 先生年譜

U「阿波範士言行録稿本」内容一覧
原編集者の九一項目に分類した遺稿全部の各項の解説を掲げ、内容を一覧
できるたよりとした。

V 参考文献
十数種の基本文献のほか、武道、弓道、思想、その他参照した文献二八0点の
書名、筆者名、刊年、刊行先などを列記。
W 索引(事項別索引と人物索引を作成の予定)


阿波先生語録

@射ハ自己ナリ。弓ヲ習ウトイウコトハ自己ヲ習ウノデアル。
自己ヲ習ウトイウコトハ自己オ忘ルルナリ。自己ヲ忘ルルトキ万法宇宙
来ッテ吾レヲ証スルナリ。天地元ヨリ全自己ニシテ始メナク終リナシノ
イイデアル。

A一射毎ニ人間ハ造ラレテ行クノデアル。一射ハ即チ個性ノ表現デアル。
個性ノ表現ハ個性ノ表現デ待タネバナラヌ。個性ノ表現ハ全身ノ努力カラ生レル。

B降魔ノ一箭ヲ以テ小自己ヲ射抜ク。

C射ハ向上ノ裏ニ下向ノ処モ見ヨ。

D神ヤ仏カラ見タラ階級モ何モナイ。正心誠意ノ人ハ神ト一致スル。神カラ
見タラ人間ハ平等デアル。

E射は自己の徳の映れる影なれば即ち自己の表現。

F総ては皆自分で打壊(こわ)すものだ。

G人の善言にかくれるな。

H時来れば不才も発達し、時至らざれは聖賢も駑駘(どたい)す。
縁辺あやまる輩(やから)多し。

I自己と外との聯絡を裂け。

J人間の生死とは唯呼吸の出入りである。
この呼吸である(悟り)。

K教うる人は与奪即ち与えたらそれを直ちに奪い取ること必要である。

L身体の病人は医者に罹(かか)るが精神の病人は医者に罹らぬのは不思議だ。

M一人一人の相対的修行は大きくない。一人で宇宙と戦う精神を養う射
即ち人生の修行。千万人を相手とせよ。

N自己の人格を発見せよ。

O自己本位の人が尻尾(しっぽ)の骨である。

Pおごると云うは自己の不足を証明する者である。

Q文化は敬虔より生まれる。

R結果を超越すれば剛胆になる。

S射る業修行はただしくなればなる程自己の欠点に気が附くものである。
自己の欠点に真に気が附いたら仏だ。

・・第七の章 「円熟期」語録摘要より・・
昭和五四・九・一五 百年祭席上配布


「弓を持たない弓道講座」

鎌倉円覚寺閻魔堂
弓道場(阿波研造先生よりヘリゲルに贈られた弓)の前にて

「弓を持たない弓道講座」[Index]

  • 「人間が生きる。生きている。生かされている」とは?を解説します。
  • 「弓道で「酸素欠乏状態を自分で「意図して、創れとは?について解説します。
  • 第一課「からだで、おぼえろ」では、論理学では、成り立たない」とは?
  • 第二課タオルの両端を左右に開くとは?
  • 第三課矢も、ボールも、惑星も接線方向に飛び出すとは?「接線」と「法線」=(「法線」に関心を持って下さい。!)
  • 第四課{空気がはいってくる}=(膨らむ)とは?弓道にどう関係するかを解説します。
  • 第五課[追体験]瀬々孝一
  • 第七課[当てる]から[当たる弓道]へ
  • 第八課「なぜ、現代で、人殺しの、「武道」、「弓道」、「空手」の、三兄弟が、生きているか?
  • 第九課ただ吐くだけで、心拍をコントロールすることが出来るのです。
  • 第十課条件反射学習)=(静的全身トレーニング)の「弓無し」バージョンです。
  • 「帰納、演繹の論理の輪が完結している」とは、どういうことか解説します。
  • Aiming for a Spiritual Goal

    「人間が生きる。生きている。生かされている」とは?


    人間が生きる。生きている。生かされている。どんな過酷の環境でも、生きるように、レスポンスする。
    「反射的に、生きる方に適応する」体験的に、高い山に神を仰ぎ、仏を感じた高地に住む人。
    現代風に言えば「高地トレーニング」だが、長生き、仙人、山伏の経験科学である。実戦科学である。
    「一気圧以下の世界では、呼吸回数を多くして、心拍数を増して酸素をとっているか?」
    「そうではありません」

    「赤血球の数が増えている(=ヘモグロビン)のです」自分で、頭で考え、意図して、自意識でやっているか」 「そうではありません」:
    2〜3週間からだを、高い山においておけば順化、順応能力、「なにか」が「生きる方に」適応してくれる。
    酸素運搬を「お酒大好き人間」の、わたし風に、表現すると:
    「コップで、三杯、ビールを、ぐい、ぐい、ぐいと飲み干した」のと、
    「同じコップ、同じテンポでお酒を飲んだ」のと、量も、テンポも全く同じだが、
    経験者のあなたなら、なにか”違いが分かる男のゴールドブレンド”「血液の質が変わったのです。」 「赤血球の数が増えた(=ヘモグロビン増加)のです」

    「「酸素欠乏状態を自分で「意図して、創れとは?

    「そうです」
    「酸素欠乏状態を」自分で「意図して、創ればいいのです」
    平地で出来る一番安く、安全な「高地トレーニング」それが弓道です。
    生理学的には、「平常心」とは、「コンスタントな心拍」です。「かえるの顔にしょうべん」
    武道で、敵に対した時、ゴルフで、この一発で優勝だ、夜、目の前に飛び出した白いもの、
    難しい試験問題に、特に「美人にであった時」:反射的に「アイドリング」し、
    「ハア、ハア、ドキ、ドキする」のが一般人。」
    「カラオケ」「お経」「笑い」は、「吐ききり三兄弟」。
    「どんな、緊急事態にも、必要な酸素を脳に、送り込めるには「四六時中、酸欠修業が必要なのです」

    「川上にボートを漕ぐ」川上に「真理がある」と、理解し、解っただけで
    「やめてしまう」のが、一般人。
    あまりにも「簡単」なので、「不立文字」「ことば」で教えない。

    「からだで、おぼえろ」では、論理学では、成り立たない」とは?

    「からだで、おぼえろ」では、論理学では、成り立たないと思われていたのです。
    「物理学」、力学で,矢は、円の接線方向に飛ぶことを知っていても、未熟な教師は:
    「的に向かって左手を押し、右手で引けと叫ぶ」「頑張れ!」とも。

    そこで、弓を持たない弓道講座の第一課は:
    1)足を開いて立つ
    2)両の手を臍のところで、組む(両手の平が上を向いている):「腹に力を入れて、息を吐く」
    3)息がなくなり、「苦しくなったら」:組んだ両手を胸の前まで挙げてくると、
    両肘は、左右に開き、胸郭も開き、自然と空気が入ってくる。
    4)両手の平の向きを、上向きから、(自分の方)、(地面)、(前方)と、回転させ。
    5)なお、45度、前上に「突き出しながら」息を、たっぷり吸う。=(大あくび)と同じ。
    6)回転を、続けると、両手が、離れる「横綱土俵入り」のポーズをイメージして、両肘が降りてくる。
    7)息を吐きながら、両肘が肩の位置まで降りてくると「背中では、両肩甲骨が、ぴたりとくっ付く。」
    8)胃の後ろ側を、肩甲骨で「自己マッサージ」して、「気持ちがいい。」

    」第二課タオルの両端を左右に開くとは?

    第二課:
    1)タオルの両端を、しっかり握り、「第一課、5)まで、同じ」:

    6)「左こぶしの回転を、続けながら」左腕を伸ばす。(息を吐ききり)(再び、入ってくるのを待つ):
    タオルが「ぴんと張られている状態」当然「右腕は曲がり、肘は右上に向いている」
    7)息を吐きながら、両肘が肩の位置まで降りてくると「タオルが、唇と、鼻の間にある」:
    背中で「両肩甲骨が、ぴたりとくっ付きます」

    重い岩の扉を左右に開く

    握ってはいるが「左手の平の向きが、後ろを向き」=(親指は、地面側):
    右手の平は前向きで握っている。
    「弓を持っている姿をイメージできる人には」、弓の上、下(天地)が、全く逆になるよう時計周りにひねる。
    「鷲づかみ」で離すものかと握るのです。 ところが自然に指がまるで紅葉重ねになるように 開かれるのです。 右手の(時計の逆周り)ひねりと弓の復元力が手の内を作ってくれるのです。

    「全生命の力で」握るのです。両手で岩の扉を開いて入るのです。 上に伸びるのです。 弓は自然に開きます。 円球の峠を越えるように楽々と、人はそこを通りぬけるのです。
    寝床で、上向きに寝ます。両手を組んで頭の下に敷きます。両肘を支点として頭を持ち上げます。頭と身体は床より持ち上がります。 左右の「肩甲骨」密着します。「持ち上げられた体が頭の方向に少し前進します「身体が弓と弦の間を通りぬける」両肘が身体に引付けられる。
    頭と身体が床より持ち上がった一番高い所が難所の円球峠です。

    円球の峠を越えると、脇は閉まり、肘は身体に引きつけられ安定する(息を吐ききる)。
    あなたは地獄から(吐ききりの死から)、天国へ蘇生します。[あなたがあなたの両手を組んで離さないはずの手が左右に離れます。] 自然に入る空気の素晴らしさを、即実感できます。

    矢も、ボールも、惑星も接線方向に飛び出すとは?


    矢も、ボールも、惑星も接線方向に飛び出すが、肘の力で引付けるのは接線に90度違う:
    「法線方向」=「総体の中央(へそ)=(太陽)方向」に、両肘で引きつける(万有引力)のです。
    決して「接線方向」=「的」方向に「押すのではない!」ことを、試して体感して下さい。
    見た目には、両肘が背中の方に小さくなりながら、矢尺は広がるのです。(テコの原理)



    肘を、法線の丹田方向に距離を縮めるほど、両拳の外への角運動量は大になります。 両拳が外へ開きます。面積速度一定の法則が生きてきます。ケプラーの第二法則です。

    {空気がはいってくる}=(膨らむ)とは?

    肘力で両肩甲骨を締める

    8)「それが射る」={空気がはいってくる}=(膨らむ)。
    「ムッー」と言うだけで「絶対離さない」はずの:
    「右手が、タオルから離れる」=(離れ):筋肉量と筋肉疲労の問題です。
    「肘の力を」的に向けて伸筋を使うか?
    心を総体の中央に向けて「屈筋を使うか」: 一般の人、達しない人には思いも着かぬ「逆転の発想」

    伸筋を使って引付ける「屈筋を使うか」

    手、指でいくら「崖から落ちないぞ!」と、命懸けで握っていても、手は離れる。
    崖にあたるのが「腹筋、背筋の、大筋肉群」、「手、指の筋肉=(握力)」とは、比較にならない。

    その上最も重要な「空気圧」:両肩甲骨に挟まれた空気袋に、いつのまにか入ってきた空気がすべてのことをやってくれます。
    当て弓で、的に当てることだけの「卵を持つ、小鳥をそっと包む」などの「外面的、写真でみる手の内」とは根本的に違います。
    人間が生きる。生きている。生かされている。どんな過酷の環境でも、生きるように、レスポンスする。

    「反射的に、生きる方に適応する」
    人間存在そのものへの問いかけとした。

    「阿波範士の目指した弓道」弓道のために生命を尽くせば足りる底を通じて始めて 一道の光明を得られしほどの人、……」 
    「百発百中意の如くなって弓道に行き詰まり」という阿波範士の求道心は、 まさに日本的と言うべきであろう。

    とにかく、捉われを極端に嫌われた阿波範士の道場では、基本稽古の際、 的を狙うことも弓を握ることもしないため、門弟達が矢を発するたびに弓は大きな音をたてて 道場の床に跳ね出し、矢は思いもかけぬところに飛んで行ったりで、そのために道場の床は傷 だらけだったという。

    私は、このように異様な稽古を試みられた阿波範士の思いの中には、 弓が元来的中を目的にしているという、その”こだわり”に対して、狂おしいほどの束縛感があり、 その拘束からどう自由になるかということに苦心された結果、このような稽古法を生みだされたのだと思う。

    武術という最も実利を求める、実利に執着のある世界をつきつめてゆくと、 そこには実利という”こだわり”の世界にいながら、 このこだわりから脱け出られる窓が開かれているのかもしれない。
    もっとも、個人的に一人そこを目指すということが、人間にとって本来とるべき道かどうかは 意見の分かれるところだろう。
    しかし、一人の人間が自分のなしうるすべてをかけてその窓を探すことは、 後につづく者への大切な道しるべを残こすことになることだけは確かだ。

    [追体験]瀬々孝一

    @[追体験]瀬々孝一
    人間の手の届かないもの、大きい野獣。空を飛ぶ鳥、「何日も掛かって磨いた石の矢尻」。
    狙って「当たれば」、実証、実利、獲物(貴重な蛋白と共に、磨いたり、手塩にかけた
    (これまでの努力)が、報われて):
    戻ってくる(愛する人や、子供たちに、生きるための獲物が取れる)が、当たらなければ、
    三日は、おろか4〜5日、矢を探す?。か:「当てたい」=(願望)が、「正確さ」と密着していた。

    ところが、現代も「的」を、射当てる競技になってしまっている。
    その場合でも「的にとらわれると矢が乱れるのです。」
    自分に矢を向けるのです「Spiritual Goal」に!

    [当てる]から[当たる弓道]へ

    [当てる]から[当たる弓道]へ
    「反省するが、後悔しない」で、「いま、一息を」こころして「行う一射」:
    「過去の善し悪しを思い悩んだり」「いまだ発する前、未来の結果を思い煩うことも無い」
    「いま、生きている」ことを喜ぶ、幸せ弓道です。瀬々孝一

    阿波先生は「百発百中」をなし、「弓道というより、むしろ弓術(的中を重んじた時代があった)
    仙台二高の学生=「小町谷操三(学士院会員、法博):
    @「阿波研造」ー大いなる射の道の教えー(p.117 )桜井保之助著(国立国会図書館専門調査員、
    二高弓道会会員)発行者:阿波研造先生生誕百年祭実行委員会(限定非売品)
    @(Zenin der Kunst Des Bogenschiessen){弓と禅}=「福村出版」
    ヘリゲルの、前作:@「日本の弓術」(Die Kunst des Bogennschiessen)岩波文庫

    大正四年から、九年秋までの号が、「無箭」、そして「無弦」「無弓」とも号した。
    「無弓」の号は{宇宙充満}の体験後、これらの号が捨てられ、その後
    「凡鳳」 この頃は、凡鳥、即鳳となる自信、そしてその方法論の確立。
    {宇宙充満}
    根本体験の客体化へ{宇宙充満}の聖射ののちに凡射の連続を見たことは、かえって研造の
    不退転の志を固め使命感を燃え立たせたので、聖射も凡射もおのれ一つに出るものであれば、
    一般の射人にとっても当然に群鳥が鳳に、つまり凡射が聖射になる事が出来る。
    とすればこれは自分一人だけに起った出来事でなく、一般の射人にも可能な普遍的性格をもつことになる。

    研造の射道教授はこれを境に一変した。そしてその成果のもみるべきものがあるように思われた。
    たとえ凡射が出ても獲ちえた心境はいまや微動だにもしない。
    しかし、しばらくして内心に別の疑問が生じた。他人への射の道の教えは、それぞれ自分の信念の
    吐露であり、それに門下もしたがう。だが、その信念、その教えの根本は一体なにに拠っているのか。
    いうまでもない。
    {あの体験}、今となってはもはや疑いようのない{正悟}に拠っている。
    {正悟}というがその内容はそもそもなんであったのか。
    {教え}の基礎を確立するためには、あらためてこれを掘り下げなければならない。と痛感された。
    研造はこのことを「悟地の覚念」ということばで示している。
    「根本体験の意識か、対象化」とでも言い換えられよう。(桜井保之助)

    「弓」や、「矢」を越えた射の{道}を志向していた「見鳳」「見法」「宏鴻」とも、心境に即して、
    号を変えている。
    武道しかり、「やるか」「やられるか」:
    「死んで元々と達観して死んだ、先達を乗り越え、クリエイトしていく。

    「なぜ、現代で、人殺しの、「武道」、「弓道」、「空手」の、三兄弟が、生きているか?


    「なぜ、現代で、人殺しの、「武道」、「弓道」、「空手」の、三兄弟が、生きているか?」
    「空気の、(クシで、つなげば良いのです)」

    「ミス・ショットしながら」相手のある「武道」「空手」「野球など」では、相手の技量に左右され、
    自己の「修練度」の認識(ファクター)が多いが、止まっている「的」を射抜く、
    弓道、止まっている「ボール」を打つ「ゴルフ道」は;相手の「強弱」でなく、自己の確立、
    「心身一如」、物理的「的中」と、精神的「悟地の覚念」が、明確になる。

    阿波先生の「一射絶命」は、「一射蘇生」の、すばらしい「生きている」「わたし」「存在」「幸せ」、
    「いま」「ただ」「射る」=(いま)(ただ)(打つ)。
    永遠の「いま」を生きる、「この一息」「吐くことのみ」を「やる」、ただ「吐く」:
    吐いた「CO2」が、芝生や、木に、芝生や、木は、何も考えず「光合成」し、
    「酸素(O2)を出す」:人間も「意識しないで」「戴く」:

    ただ吐くだけで、心拍をコントロールすることが出来るのです。

    大自然との融合、共存共栄、エコロジーなど、「ことば」の「内容」でなく「オギャー」「A〜」と、
    ただ吐くだけで、心拍をコントロールすることが出来るのです。

    呼気の末期には拍動が遅くなる

    「心電図により 心臓の放電(洞結節の放電)と 呼吸との関係は「呼吸によって心臓の洞不整脈が起こる。
    吸気の末期には拍動が早くなり, 呼気の末期には拍動が遅くなる。
    呼吸性洞不整脈と呼び正常な生理現象で、 肺臓の中の感覚器より迷走神経への反射的刺激によって起こる」
    L.シャムロス (松枝張訳)「心電図学図説」医学出版 (昭和41年、P.159)

    同じ深呼吸でも、呼気の末期を長くする意識呼吸が、 動悸をおさめ、平常心、心身の安定につながる。


    条件反射学習)=(静的全身トレーニング)の「弓無し」バージョンです。

    >瀬々先生、ちょっとしか読んでないんですが、tai-chi chuan って何ですか?
    「ゴルフのThe professional」「太極拳師範」で「先生と呼ばれますが」
    日本弓道は、先生ではありません。ただ、大好き人間です。

    @「tai-chi chuan って何」は、「太極拳」のことです。
    これも、道具は持たず、ひたすら、「吐ききりながら、動くだけ」ですが、
    「空気の重みを感じながら、あたかも重い岩をかき分けるように静かに動くのです。」
    クラブで「柱押し」のゴルフの練習:体育学で「アイソメトリック・メソッド」:
    =(条件反射学習)=(静的全身トレーニング)の「クラブ無し」バージョンです。

    これは「弓無し」バージョンです。何時でもどこでも「弓道修行」できます。
    この動きに「弓を開く」と、名前が付いている動作があります。
    第二段錦「左右開弓似射雕」(ツオヨウカイゴンシディアオ)

    第一段錦「双手托天理三焦」(スアンショウトウテンリサンジャオ)
    両手を「合掌から」「5本の指を伸ばし、組み合わせ」
    1)猫が昼寝から立ち上がるとき?
    両手を伸ばすように、手の平が外向きに伸ばす:両肘外向き(息を吐ききる)
    2)「両手を外手の平が向きのまま、顔の前、頭の上、頭の後ろへとあげていく」 と、(息が、入る)日常の「大あくび」と全く同じ:

    重い岩の扉を左右に開く

    3)両手が離れるが「手の平が外向きのまま」大きい岩の「観音扉」を、両拳に力を込めてゆっくり左右に開く。 (息を吐く)
    4)「両肘が下りてくる」手が「耳の高さで止め」
    「両肘で両肩甲骨押し「空気を絞り出す」」
    まるで、日本弓道の素手練習両肘が降りてくる。
    「的にとらわれ」「的に向かって押す」のと「両肘を、身体の真ん中に絞る(引付ける)」:
    こころを総体の中心に向けるでは「天地の差」があります。

    中国太極拳はその後ゆっくりと下ろす。
    「中国太極拳は、宮廷で、文官が、武道を素手で鍛え伝えたものだ」と、体感できます。

    機会がありましたら是非、触れてみて下さい。(どうやって?)(~o~)

    〜吉見順正 「射法訓」〜

     射法は、弓を射ずして骨を射ること最も肝要なり。=(筋肉を使って押したり、筋肉を使って引くのではない)(背骨を支点として「岩の、観音扉を、両手の平を外にして開いた骨棒を使って」:
    テコの原理を利用して骨棒で開く)
    心を総体の中央に置き、而して弓手三分の二弦を推し、妻手三分の一弓を引き、
    而して心を納む是れ和合なり。=(意識を、呼吸において「空気圧」を利用しながら、左右同じ状態でバランス良く)そっと「両肩甲骨をくっ付ける」
    然る後胸の中筋に従い、宜しく左右に分かるる如くこれを離つべし。=(背骨を支点として「岩の、観音扉を、両手の平を外にして開いた骨の棒」)
    書に曰く鉄石相剋して火の出ずる事急なり。=(両肩甲骨がぎしぎし擦れ合って「支点となっている」)
    即ち金体白色、西半月の位なり。=(西に見える三日月の空洞は、見た目は何も無い:
    =(実は、地球の陰)=(いや、そこには太陽の輝きがあればこそ!)=(生かせてくれる空気だ!)
    「満月」のように引き絞った姿全体は「弓=三日月」と、「その中にある空気の力」の姿。

    何も無い、見えないから「実在しない」=(無)=(空)でなく:
    人間も、草も生かす命の元であり、弓を開く力である{空気}=(かみ)=(ほとけ)=(イエス)=(アッラー)と、呼ばれる声の元「空気です!」
    神に祈る、仏に念仏、キリストに讃美歌、挨拶、笑い、歌うすべて思いきり「吐ききる呼吸」だから、道場に来る前の澄しは、日常生活です。
    日本弓道に教わった「空気」。当たり前の無関心から、すばらしい世界に、生かされている(いま)(ここ)(ただ、引く)「ただ、吐ききる」のです。

    「吐ききり」を、単なる呼吸法と考えないで下さいね!どこまで、自分に正直になれるか、自分の意志の強さ、を計るバロメーターでもあるのです。 自己を見詰める大切な「一期一会」=(自分と出会った、いましかない瞬間です。)

    1964年(昭和39年)東京オリンピック武道館で開会のセレモニーで弓取り式をされた、(阿波研造先生の一の弟子)中野慶吉日本弓道連盟会長が、その前年、NHKラジオ「人生読本」で 三回「日本弓道と禅」をお話された。お電話をし、茨城県笠間のご自宅道場にお伺いした。ヘリゲルさんのお話、ヘリゲル夫人の裏話など伺った後、巻藁射礼を拝見。
    その弓一張り、巻藁矢、かけ、弓道教本、弓巻きを拝受。「家で引きなさい」 家に帰って、弦を張り、素引きしたところ、「パチン!」弦が外れて、手を打った「商売のゴルフができなくなる」・・・・(弓に、弦を、逆に張ったためだった)
    後年、東京新宿区体育館前で車が渋滞「右70メートル弓道場」の掲示板に誘われて右折。
    そこで、(阿波研造先生の師範代をされた神永政吉範士から、射技全般を受け継がれた、範士審議会委員、福原郁郎範士十段から、直接「巻藁三年」的前いっさいなく四年,その後4年、都合8年間 亡くなられるまで、実技指導頂いた。

    恩師福原郁郎範士十段
    瀬々孝一撮影「飯田橋道場にて」

    全てに生かせる呼吸法「弓を持たない弓道講座」
    人間が生きる。生きている。生かされている。どんな過酷の環境でも、生きるように、レスポンスする。
    [東洋の知恵と、西洋の英知]で、「遠く」「正確に」を、誰にも打てるようにした
    [禅とゴルフ]={日本弓道とゴルフ}={中国太極拳とゴルフ}
    (弓道・太極拳の底流<禅>の心を応用したユニーク・ゴルフ研究)
    [呼吸リズムによるハッピー・ゴルフ(原著論文)
    「タイミング・ゴルフの底流を知る」
    [視神経に頼らない]
    小説「ゴルフと禅」
    Aiming for a Spiritual Goal
    LESSON
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