Choice Golf Library(ゴルフダイジェスト社)85−11月号

「禅とゴルフ」

構成:瀬々孝一
.....文:杉山通敬

(弓道・太極拳の底流 <禅>の心を応用したユニーク・ゴルフ研究)

「序章」「ゴルフ和魂洋才」

「第一章」[弓とゴルフ]

「第二章」[太極拳とゴルフ]

「第三章」[禅とゴルフ]

「終章」[無と有の谷間で]

禅の世界には「不立文字」といって、最も大切な悟りの境地は
文字や言葉で伝え得ないものという教えがある。
パラドックス風に考えれば、本当の悟りとは、あまりにも簡単で
「そんなことか」と分かってしまっては(左脳=言葉)
実際に先達の歩いた道を追体験(右脳)しなくなる戒めとも受け取れる。

不思議なことに、中国の太極拳、日本の弓道、英国のゴルフ・・
この三つのスポーツの基本的精神を<禅>という名のペリスコープで
覗くと、それこそ不立文字の世界が見えてくる。

太極拳=ただひたすら舞う、弓=ただ引く、ゴルフ=ただ打つ・・。
弓もなく、的もなく、クラブもボールもなく、ただ心の的に矢を、

「ボールがグリーン上のピンへ飛んでいく」「よろこび」を、
少しでも多くの人に伝えたい。

「序章」

「ゴルフ和魂洋才」

オイゲン・ヘリゲル(1884年〜1955年)
というドイツの哲学者がいた。
大正末から昭和の初めまで、約六年間東北帝国大学で新カント派、
特にハイデルベルヒ学派の第一人者として教鞭をとるかたわら、
日本の「禅と弓道」になみなみならぬ興味をしめしたひとである。

晩年は南ドイツのガルミッシュにあって
<ZEN IN DER KUNST DES BOGENSCHIESSENS> (弓道における禅、日本語訳
「弓と禅」稲富栄次郎、上田武訳・福村出版)という名著の執筆に没頭した。
いま、改めて「弓と禅」を読むと、ゴルフにもすこぶる共通したものがある
ことに驚かされる。

哲学者であるヘリゲルは、ドイツ的論理主義者と言ってよいのだが、
「弓」とか「禅」は西洋的な論理学の埓外にあるといってよい。
東北帝国大学時代、恩師ヘリゲルの薫陶を受けた訳者のひとり稲富栄次郎は
「弓と禅」の序で、つぎのように述べている。

「博士(ヘリゲル)はまず、西洋の小銃射撃同様に、日本の弓道もまた
一種のスポーツ、あるいは巧みに矢を的にあてるための合理的な技術で
あろうという予想のもとに発足する。

しかし弓道の本質が凡そこの予想と似ても似つかぬものであることは
稽古の第一日からしてすでにいやという程見せつけられる。
すなわちそれは何よりも先ず「筋肉を使わずして弓を引く」ことを要求する。

第二に「呼吸法による」「精神の集中」をもって絶対的な要件とする。

第三に矢を放つには、これを放とうという意志を全く持たないで放つこと、
すなわち自然の「離れ」(はなれ)によらねばならない。

第四にまた的を見ないで的を射ることが必須とされる。
これらは論理的にのみ物を考えることに慣らされたドイツ人にとっては、
全く不可解至極のことといわねばならない」

ヘリゲルは阿波研造師範の指導で弓道(五段)を体得したのだが、
その過程を知るにつけても、われわれがゴルフを習得するうえで
「弓と禅が」大いに役立つことを示唆して余りある。

”弓道八節”といわれる独得なテクニックはそのまま、ゴルフのアドレス
からフィニッシュまでの動作に応用できるし、

「一射絶命」とか、
「一射一生」といわれる自己高揚の仕方、もっと言えば自己没却の仕方は
ゴルフのコンセントレーションに大いに役立つであろう。

ゴルフに役立つ東洋武技がもう一つ ある「 太極拳」である。
中国十億の民の健康体操として、中国では国民誰もが日常的に太極拳を
やっているようだが、「動き禅」とか「行禅」と言われるくらいに、
これまた「禅」と深いかかわり合いをもっている一方、テクニックの面では
ゴルフのバランス感覚と大いに通じるものがある。

1948年に京都大学を卒業した
楊名時は中国山西省の生まれで、楊家太極拳の正統を継ぐひとだが、
その著書「太極拳」のまえがきでつぎのように述べている。

「太極拳は中国古来の武術で中国人の思想、民族性を端的にあらわした
一種のバランス運動である。現代では医学方面にも取り入れられ医療体術
あるいは国民体操としてひろく愛好されている。
太極拳は硬拳のように筋骨を鍛練するのではなく、
「呼吸法」にのっとって内面の゛気" を養い、健康保持を主な目的としている」

もとより、 ここでは弓道や太極拳の技術的なノウハウを紹介するのが
目的ではなく、ゴルフにそれらの考え方を取り入れたらどうであろうか、
という問題提示をするにすぎない。

西洋流の論理的思考とは別な角度からゴルフをながめるのも無為なこと
ではないだろう。

いや、東洋的な神秘主義や独得な宇宙観が根底に流れる
弓道や太極拳の考え方をゴルフに生かすことが出来れば、
恐らくは積年の迷妾が解けるかも知れない。そこで、
「弓道」、「太極拳」、「禅とゴルフ」のかかわり合いをながめてみたい。


第一章

「弓道とゴルフ」

弓道八節とスイングの呼吸

@足踏み A胴造り B弓構え C打越し D引き分け
[E会(カイ)]映像(24KB)F離れ(ハナレ) G残心。
というのが弓道八節なのだが、

これをゴルフにあてはめると、
足踏み(スタンス) 胴造り(セットアップ)弓構え(グリップ) 打起し(テイクバック)
引き分け(バックスイング)会(トップスイング) 離れ(インパクト) 残心(フィニッシュ)になろう。
しかし、ゴルフの場合では[呼吸のこと]はあまり言われないのに対し、

弓道ではこれらの一連の動作に呼気(吐く息)と吸気(吸う息)を合せるようにする。
ヘリゲルはこの呼吸法を阿波研造師範から教わった。
「弓と禅」のなかで次のように述べている。

「師範はこの呼吸法をーーーそれは勿論それ自身のために練習されたのではないが
ーーー遅滞なく弓射に関連づける事に移っていった。
弓を引き絞って射る統一的過程は次の区切りに分解された。

即ち、弓を手に取リーーー矢をつがえーーー弓を高く捧げーーー
一杯に引き絞って満を持しーーー射放つーーーこと、」の五動作がこれである。
これらの動作は吸気によって始められ、圧し下げられた息をぐっと止めることによって
支えられ、呼気によって完了された。その際、おのずから次の結果が生じた。

即ち「呼吸法は」、その働きによって、たんに個々の状態や動作を意味深く強勢づけた
ばかりでなく、また「律動的文節で」これらの相互にしっかり結びつけたのであったーーー
各人毎に彼の呼吸能力の状態に応じて」

この弓道の呼吸法を採り入れてスウィングする習慣をつけると、アドレスから
フィニッシュまでの各動作は「律動的文節で相互にしっかりと結び」つけられるようになり、
あたかも条件反射でもあるようにクラブを振り、ボールを打つことが出来るのだ。

どのようにして、「この呼吸法を」ゴルフに採り入れたらよいか、
八節にしたがって順次述べてみよう。

           弓を高く捧げ、
一杯に引き絞って満を持し、
射放つーーー。
これらの一連の動作には、独得の呼吸法があり、

ゴルフスウイングの修得に通じるものがあるーーー。

「足踏み」(スタンス)
的の中心と両足の親指を結んだラインが一直線になるようにして、
両足を踏み開く。
ゴルフで言えばスクエアスタンスと言ってよい。
的に(狙いに)当たるように立ったら、もう修正はきかない。
だから誠心誠意、心を込めて
”足踏み”をする。呼吸は気息を整えるように静かに吐ききる。
弓道では吸う息より吐く息(呼気)のほうを重要視する。
息を吐ききるから気も静まるのである。

「胴造り」(セットアップ)
正しい足踏みのうえに腰を据え、腰の上で上体をゆったりと構えるのが
胴造りである。
ゴルフのセットアップと同じで、すでに目標を見なくても当たるように
構えたのだから、何も思いわずらったり、心配する必要はない。
というより、手順を変えて、振りかえってはいけない。
ただひたすら、弓を引くことだけに精神を集中させればいい。
いや、弓を引く、という行為すら忘れるくらいに無心になる。
(精神の集中も、無心になるも、「吐ききった息」「意識した呼気」)
が、のっぴきならない「自然の吸気を誘う。」

「弓構え」(グリップ)
矢を弦につがえ、的を確認することが弓構えである。
左手でしっかりと、しかし力まずに弓を握り、右手で矢をつがえ、
同時に弦を軽く持つ。
ゴルフの場合はスタンス(足踏み)を決める前に、グリップをするのだが、
弓道ではいざ、弓を引き絞るという段階で的を確認し同時に左手と
右手の”グリップ”をつくる。ある意味ではワッグルにも相当するだろう。
両手の握りが正しいか、強さはどうか、柔らかさはどうか、
そういうものを確かめる。


「スタンスも正しく、グリップも正しくできたことを確認」して、
さあ、これからクラブを振り上げるぞ、という準備完了のときである。
このとき、「息を吐ききる」。
準備完了を息を吐ききることによって確認し、テークバックを
”待つ"のである。

胴造り(セットアップ)の時に静かに入った息を、弓構え(準備完了)
の時に全部吐ききる。吐ききれば当然、息が苦しくなるから自然のうちに
吸気が訪れる。その吸気の訪れを”待って”テークバック(打ち起し)
をスタートさせるのだ。

「打ち起し」(テークバック)
弓を目の高さまで上げ、引き分ける直前までもっていく。
この段階ではまだ弓はひいていない。

ゴルフでいえば、セットアップ完了の時点で息を吐ききり、
吐ききれば否応なしに吸気がおこるから、その吸気に合せて
テークバックを開始するのだ。
つまり、息を吸いながらクラブを振り上げていく。

「引き分け」(バックスイング)
会(かい)(トップスイング)に至るまでの間に弓を満月のように
引き絞るわけだが、これが引き分けである。
きゅうどうでは「押大目、引き三分」とか、単に「大三」ということを言うが、
弓は引く力より押す力の方が大きい。
つまり、おしを大目にして、引きは三分にするというのがこの言葉の意味
なのだが、ゴルフの場合も、そのまま同じ。左手(左腕)を大目に使って、
右手(右腕)は三分にせよ、と解釈してもいいだろう。
このとき、息は次第に胸に詰まり、吸気はもはやなく、呼気がおこってくる。
弓の場合は左右の肩胛骨の端と端が背中で密着するほどになる。

ゴルフの場合は、テークバックで腕が上がると、胸郭が広がり,鼻の穴
から「空気が」入って、バックスイングがトップに至るまでの間に詰まる。
ゴム風船に空気が詰まった状態になる。

「会」(トップスイング)
弓道の会は、弓を満月のように引き絞り、もうこれ以上引くことも
押すことも出来ない状態になったところを言う。そのとき、心、気、力は
体に充満し、おのずと"無"の状態が訪れる。息は吐ききる。
胸の中に1ミリ立方の酸素も残っていないほどに吐ききる。
このまま死んでしまうのではないか、とおもわれるほどに
息を吐ききるのである。

「一射絶命」とか「一射一生」ということを弓道では言うが、それは
「会」のときに息を吐ききることを意味すると言ってよい。
絶命するくらい吐ききる。
一生が終わるくらい吐ききる。
すでに胸の中に微塵の酸素も無くなったと思われるほどに吐ききり、
そのままでは死に至るところまでもっていく。

「会」のなかには「詰合」(つめあい)、「伸合」(のびあい)
「穀」(矢ごろ)の三段階があって、
「詰合」(つめあい)は心、気、力を五体に充満させることを言う。
「伸合」(のびあい)は心、気、力が充満すれば五体は十分に
伸びることを言い、そうなれば「穀」(矢ごろ)がはじけるようにして、
五体の中から矢を射る。”ころ合”が生まれてくる。
即ち、それが「穀」である。

ゴルフの場合は、アドレスで「吐ききる」。
このままでは絶命するのではないかと思われるほどに吐ききる(意識)。
トップスイングに向かって、「詰合」「伸合」「穀」と、
「空気が充満してくる」状態になる(無意識)。

「離」(はなれ)(インパクト)
「会」で息が詰められ、充満すれば、自ら何かをしようとしなくとも
”矢声”とともに、弦と矢は「右手」から(離れ)、矢は的に向かっていく。
つまり、「離れ」は自分の力で離すのではなく、勝手に離れるものなのだ。

「一射絶命」で弓を引き絞り、息を吐ききれば、そのあとに訪れるのは
「離」しかない。息を吸うしかない。その機が熟すのを、
息を吐ききることによって”待つ”のである。

ゴルフの場合は、「会」(かい)であるトップで「空気が充満するのを」
”待って”クラブが下りてくる。そのときに「息を吐ききる」。
「ヨイショット」と「声を出して、吐ききった」ところが「インパクト」。
五体に充満した心、気、力はそこで五体から、ボールに込められる。

「残心・残身」(ざんしん)(フィニッシュ)
「残身」は射の”姿”である。そこに射手の品位、風格が総決算される
かたちで表現される。

ゴルフでもフィニッシュのフォームが乱れればいいショットにはなりにくい。
たとえいいショットだったとしても、フィニッシュの姿が悪いと、
品位や風格はそこなわれるものである。姿の良いフィニッシュをとる。

「呼吸」は自然のうちの吸気がある。
安らかな吸気と言ってもよい。静かに息を吸って”体”を感謝するような
安堵と充実をその姿に表わすのである。

心拍数とスイングの関連性
以上のように弓道八節とゴルフのスイングはまことに共通するものがある。
セットアップした時点で息を吐ききり、吐ききったところで息を吸いながら
テークバックを開始する。そしてトップの「間」息を詰め切る。
それが「トップスイング」である。そして「ヨイッショット」吐く息で
「インパクト」。
もっと端的に言えば、(息を吐ききったときにテークバックを開始し、)
詰め切ったところでダウンスイングし、(インパクトで再び吐ききる。)
この呼吸に合わせてクラブを振れば、おのずと五体の動きは整合され、
ボールを打つタイミングも合ってくる。

ふつう人間の心拍は一分間で76回である。0.8秒に1回脈を打っている
のだが、この「 0.8秒 」という時間は、はからずもテークバック開始
直前のアドレスからインパクトまでの時間と同じなのである( =テンポ)。
そして、( 0.8秒 )をさらに分析すると、
その「三分の二」がトップまでの時間、「三分の一」がトップからインパクト
になっている。

例えば、ニクラスの場合は、アドレスからインパクトまでは( 0.76秒 )
なのだが、そのうちの( 0.58秒 )がトップまで、
トップからインパクトまでが( 0.18秒 )である。
調子の良いときのニクラスはそういう”時間割”(リズム)になっていた。
ところが、不調になると、この時間が単位時間(テンポ)そのものが
遅くなりすぎたり、早くなりすぎる(彼の場合、早くなりすぎることは
少ないようだ)。

もう10年以上前のことだが、彼がダンロップフェニックスに出場したときは
テンポが( 0.91秒 )かかっていた。好調の時より( 0.15秒 )も
長いのである。これではタイミングが合わず、「飛距離」もくるう。
彼は289(13位)で、優勝したジョニーミラーに15打差もつけられた。

そんなわけで、アドレスからインパクトまでの時間はおおむね( 0.8秒 )
という心拍の間隔と同じなのである。
つまりゴルフのスイングは人間の心拍と深い関わり合いがあるのだ。
しかも、「平常心」とは、いかなる時でもこの「テンポ」を狂わさない

ことであり、「吐ききり呼吸は」「イラ、イラ、カッカ、クヨ、クヨ」
「ハァ~ハァ、ドキ、ドキ」を「治めて」くれる。

いままでに述べてきたような呼吸法をスイングに採り入れれば、
おのずとタイミングも合ってくるだろう。

「日本弓道の吐ききり呼吸」は「平地で出来る高地トレーニング」でもあり、
「コンセイトレーション」「リラクセーション」「メディテーション」
そのもので、「人間と自然」「大自然との融合」の「行い」なのである。


.

第二章

「太極拳とゴルフ」

「こころと呼吸と動作の渾然一体化」

ゴルフスイングの目的は、止まっているボールをクラブを振って、
どこに飛ばすかにあるわけで、・・・・
to be continue (「太極拳とゴルフ」へ

「第三章」 [禅とゴルフ]
「それ」が打つのを待つ 悟りについて述べるには悟りをひらいたものでなければ語れない、

「終章」] 「無」と「有」の谷間で・・・・」
妄心が1メートルのパットを外し、本心が青木のイーグルを生むヘリゲルは「弓道」を西洋流の論理で究明しょうとするのに対し、範帥のほうは東洋流の神秘主義でこたえる。

「序章」「ゴルフ和魂洋才」

「第一章」「弓とゴルフ」

[SALON]

LESSON

{律 動四郎著 小説「あの人この人」より抜粋}

[阿波研造]=(大いなる射の道の教へ)

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