写真右のように:
1)「左腕を伸ばして、(一番良く見える所に止めて:
(「右人差し指を」当てておき)」
2)(離して)から、「ピタリ」と、(当てる?)
3)「ご自分の(目の前で、自分の指で「当てる事が出来ない」?)」
(1)両腕を曲げ、[グリップ・エンド]を、御臍に付けて:「準備完了をしておく」
(2)(最小半径)から、[初速に、最大エネルギーを与えられた(クラブ・ヘッド)={遠日点}
に引かれて、伸ばされた腕を]:
[肘鉄動作で]
(3)(元の、(最小半径)に、戻すだけで)={近日点}:[角運動量大]=(ヘッド・スピード大)
[正確で、遠くに飛ばせるのです]


.


[クリッカブル・マップです!]
私のイメージとしては、上記の通りですが、このような感じで良いのでしょうか?
「すばらしい!」「今井さん、最高!!」です。「シンプル」です。「ベスト」です。
[ミスの原因と対策]
1)「ダフ」
@グリップ・エンドが、「アドレス位置より、地球に、近ずいた」だけ、
「対策と考え方」:
クラブは「物差しです」=(伸びも、縮みもしない):
「右腕」は、「巻尺です」=(ぴんと伸ばして、計ります):
「どこから、どこまで?」:「三次元空間の、(ボール)(グリップ・エンド)右手」から、:
「右肩」まで、ぴんと張って、計ります。
[ピンと、張って計ったら、「元になる、右肩を、トップから、インパクトにかけても{前にも、左にも、下にも}動かさない!」]
@だから「アドレスで、御臍を右に向けておくだけで「右肩を、地球から、遠くにしておけば」:
「ダフ=(duff)」は、でません。「目をつむって、打って見て下さい!」
1)「トップ」
@グリップ・エンドが、「アドレスしたときの位置より、上を通った」だけ
2)「スライス」
@グリップ・エンドが、「アドレス位置より、「左に流れた」だけ
3)「フック」
@グリップ・エンドが、「アドレス位置より、「右で止まった」」だけ
4)「シャンク」

@グリップ・エンドが、「アドレス位置より、ボ−ルに、近ずいた」だけ

5)「バンカー・ショット」「高くて止まる;アプローチ」

> 初心に返り両足を揃えて打ってみると、なんときれいに飛ぶのは」どうしてでしょうか?
@「人間は、反射的に、倒れないようバランスを取っています」これは、「意識外のことです」:
「回転椅子」の上に立って、
4−1)「両手を、(正面、水平に出して)右に振って下さい!」
4−2)「足、腰」は、どう動きましたか?
4−3)「今度は、逆に「両手を、左に振って下さい」
4−4)どうですか?
「足、腰」は、どう動きましたか?
[参考]

@「普段、何も考えずに、さらりと歩いていますが、:
実は、手と足は、これと同じ事をやっているのです」:
={運動量保存の法則}:
森さんを、「グライダーの「重心をとる」ように、横にして」:

「上体の質量」 X (速度)=「下半身の質量」 X (速度)
バランスが取れているので、上の、回転椅子の、実験でも、:
元の正面に「戻って、止まった」のです。
@「両足をそろえたときは、ごく自然に、倒れないよう反射的に:
バランスを取ってくれているのです」
それを、100年来、ゴルフの世界では、:
「体重の移動とか、腰を45度、肩を90度回して」:
など「特別な事を、さも基本だ!」と言っているのです。
もうそろそろ「目を覚ます時期が来ています」
5)でも、足を開くとやっぱりだめ。「どうしてでしょうか?」
@「蹴ったり」「移動したり」「回したり」するからです!
> 教えてください。足を開いて打つとき何に注意したらよいのでしょうか。よろしくお願いします。
@「足も、膝も、腰も、肩も、動かさないぞ!」と「誓って」:
アドレスし、右足を開いたら、御臍を「東北」に向けて動かさない!」
@「グリプ・エンドを、身体の「どこか」に、付けておいて」:
「乱暴に振り上げて」(グリップ・エンドを)森さんの:
「身体の「どこか」に、引き戻して下さい」:
勿論「べた足で」「御臍の向きも(東北)のまま!」
@「インパクト」後、なら、「タイガー・ウッズ」でも、「丸ちゃん、でも」お好きなように!
「牛に引かれて、善光寺参り」「クラブ・ヘッドに、引かれて、肩も、腰も、格好良くどうぞ!」
@「疑問点、質問、反論」四六時中、お待ちしております」瀬々孝一
ケプラーの第二法則
アドレスで、左腕を曲げておき:トップで、伸ばされたら):
(左肘を元に引きつけて)[思い切り半径を短く]:してみよう!
ニュートンの「万有引力」
{動く方向に、力が働く}と、思われていたが、
ニュートンは{太陽に向く力が、(万物)惑星を走らす}:
あなたが太陽で、クラブ・ヘッドを、引き付け、半径を短くすると:
{クラブ・ヘッドが、走る}のです!お試しください!
お申し越しの件
1)「ダフりとシャンクは同じ原因、スライス、飛ばない、天ぷら、引っかけも」
:
すべて「親戚」={(原因)同系統です!}:
視点を変えるだけで、複雑なものが、とてもシンプルになります:
「天動説」と、「地動説」:
「クラブ・ヘッドで、ボールを打つ」:{スイングプレーン}と、思うか:
「グリップ・エンドを、(元に戻す)」:{点}だけと、かんがえるか:
「100人、100様」どれでもありです。
「打つ事が難しいから、面白い」ひと:
「簡単に良い球、打って、ゲームの難しさを楽しむ」人、どちらを選んでもその人の人生です。
>地球とボールの違いがわかりません
2)「地球」は、南山さんが、今立っている方向にあるもの「垂直方向」にあり、
:
3){ボールは、}南山さんの「前方、下方向」にあるものです。
@「三次元空間」で、「グリップ・エンドを、アドレスで計画した{点}:
=(元に戻す)」だけと、考えると簡単に解決します。
0){クラブ・シャフト=「金尺」}
1)一番手近かな「手」で:
2)「右腕」=「巻尺」:
3)「右肩」:「手に繋がっていて、巻尺のように、ぴんと張って使うと、1ミリも?狂わない」:
4)「その下の、腰」
5)「膝」
6)「足」
これを、まとめたのが「ゴルフの竹」
@「ゴルフの竹は、一本で大地に立っているだけです」:「部分名も、要らない」
:「同時相関連動性」は、人間が「さらりとやっている、反射的に身を守る:
{素晴らしい能力です}」
@「人間も、素直な「不動の心身」で、「大地に立つ、竹」になれます」
「雪」「風」でしなっても「必ず元に戻ります」「シャンク」も、「ダフ」も、
「フック」も、「スライス」も、しない」
@「紐の先を考えるか?」「円の、中心点を、思うか」目をつむって「やって見て下さい」: 「再現性の問題です」
> 瀬々さん、南山です。
> 下記のコメントからすると、ダフりとシャンクは同じ原因ということですか?
> 地球とボールの違いがわかりません。
> ダフりの場合、スイングプレーンが飛球線方向に対して反対側にずれることに
> よって生じ、(だから左足上がりのライからは出やすい)
> シャンクの場合はその逆にスイングプレーンがずれ、ずれた分だけスイングスピ
> ードを速くできないとフェースが開いてインパクトを迎え、その時同時に左わきが開い
> てしまっていると生じるのではないですか?
> 是非コメント下さい。
1)ダフリ、
@グリップ・エンドが、「アドレス位置より、地球に、近ずいた」だけ、
3)シャンク
@グリップ・エンドが、「アドレス位置より、ボ−ルに、近ずいた」だけ
> グリップエンドを点として考えた場合、その点に至るまでの
> クラブの軌道と、点を過ぎた先のクラブの軌道はどうでもよい
> ということですか?
@[意識したり、考えるから、人為的狂いが、出てくるのです]:
「勢いです」:「エネルギーの、問題です」:
「初速(ゼロで)止まっている{クラブ・ヘッド}に、:
最大の「エネルギーを、伝えるのです」:
@「幸い、シャフトで、繋がれているお陰で、
宇宙の果てまで飛んでいく」=(ビッグ・バン):が、腕、体幹すべてで、繋ぎ止めている。
「四方八方飛び散り、繋がれている悲しさ、楕円軌道をとる」
@「この、「四方八方飛び散る」を、「制御し、方向ずけをしておくのが:
「手の内」下記、ホーム・ページに詳記」:
=「向上心が、おありなら見てみる価値が有ります」
「6の字軌道で、収斂し、人間と言う{計り知れない能力}:
={ブラック・ホールに、引付けられて、終わります}」:
=「ケプラー」「ニュートン」「角運動量保存」:{詳記}
@「紐の先を考えるか?」「円の、中心点を、思うか」目をつむって「やって見て下さい」:
「再現性の問題です」:
「勢いです」:「エネルギーの、問題です」:
@「ゆっくり回したり、何処の角度と考えるから、
紐に緩みが出たり、軌道の再現性が失われます」[堅い、シャフトでも同じです]
@「武蔵に向かう」「鎖鎌の話は、お若い方には、無理かもしてませんね!」
「ゴルフ打法の話でないと!」通じない、かな?
> 人間の体には二本の腕が付いており、グリップも必ずどちらかの手
> が体に近い位置になります。(右利きの場合左手)
> つまりゴルフの場合、ハンマー投げのような物理的中心点が存在せず、
@「私は、ゴルフ用の物理、ハンマー投げ用の物理」等無いと、主張しています。
「台所用」も、「大工さん用も!」「物の理です!」
> 中心点は論理的なもので、強いて言うなら、右利きの場合
> 右手の中指の付け根辺りになる(個人差はあると思いますが、、、)
>はずで、論理的な中心点しかないことがゴルフを難しくしているように思います。
@[おっしゃる通りです]というより「100年来、そう考え、:
(出来ないと、思い込んでいたのです)」
「やってみなかっただけです!」「コロンブスの卵立てと同じです」:
「具体的に(御臍です!)」:
「楕円には、二つの焦点が有ります」:
「太陽に近い」:「近日点を惑星が通るとき」:
=「勿論、焦点は「太陽」、遠日点側の焦点をゆっくり回って」:
再び「太陽に引付けられる」
> 極端な左足下がりのライからのショットを例に取って考えてみた場合、
> 一本で立っているゴルフの竹は斜面なりに揺れることはできないと思います。
> どんな軽微な斜面でも、平らでない限り純粋な円運動ではなくゆがんだ円運動に
> なるのではないでしょうか?
@「南山さんは「ゴルフが、お上手」だけでなく「頭も良い!」:
「純粋な円運動ではなくゆがんだ円運動」など、ただ者ではない!
@[わたしは、すべて「楕円運動と主張しています」]
>つまり、グリップエンドを元に戻すという「点」としてインパクトを捕らえた場合
> 左足上がりではダフり、左足下がりではトップするということになってしまいませんか?
@[ご安心下さい!]:
コロンブスの卵でなくとも「斜面に、卵を、止めておく事が出来ます」:
「どう置きますか?」:「勿論、卵とは「楕円軌道」のことです」
「左足上がりでも」「楕円軌道が、地球に、食い込む事も無い」し:
「左足下がり」でも、「卵」が、接地している所に「ボールを置く」という:
「準備完了までの、「手順が有ります」
@「勿論、低い球は、意識して、地球内部に入っていく、軌道を(プログラム)しておきます」:
「添付図参照」

>私はスイングはスイングプレーンとして捕らえ、できるだけ低くて長いインパクト > ゾーンを作り出すことが汎用性の高いスイングかと思いますがいかがでしょう?
@それを、「天動説と呼んでいます」:「多数決」いや「皆が、やっている」のが、
[できるだけ低くて長いインパクト・ゾーンを作り出すことが汎用性の高いスイング]
:
が、「悪の根元です!」:「個人でやられるのは、ご自由です!」
「コペルニクスの苦労が、忍ばれます」
@「演繹、帰納」の「論理の輪が完結しています」: 参考まで:
こうみてくると。一般に深呼吸していると動悸がおさまってくるのもゆっくりした呼吸のリズムが、心臓
の鼓動に作用するのだなと思いあたります。だから、呼吸をととのえることが心身を調和的に安定させる
ことになるのでしよう。
マラソンの時、呼吸で「吸吸、呼呼」と練習したリ、武士が戦場で息切れしないた
めに、日常剣の修業の中に、ここぞと思う瞬間「ムッー」と末広がリの呼気とともに打撃を加えるなどの技
術的呼吸を入れたのも、こういう身体的利点の他に精神的な安定向上をはかった。ものと考えます。
よく「コツをのみこむことを「呼吸を知る」と言うように、案外たいせつなものであリながら.重要視され
ていないのではないかと思います。
古代ギリシャの学者が、字宙の霊気が呼吸によって生物の体内にはいリ込み、それで命があるものと考え、
これをプノイマと名づけたといいますが、このプノイマとはもともと呼吸のことだそうです。スプリット(精神)という言葉も、もとはラテン語のスピロ、すなわち「息をする]と
いう言葉から出た、といわれています。
[動作と呼吸の一致]
動作と呼吸の一致は、中国に古くからある太極拳でも強調されています。(太極拳は、空手のような
剛拳でなく、流れるようなやわらかい舞のような動きをする柔拳で、手を上げたリうける時、息を吸い手を
下げたりからだから手を離していく時、息を吐くのです)中国では健康法として多くの人に親しまれ、日本
でも日本武道館で毎週多くの人が練習しておリ、坐禅に対し、立禅.動禅とも呼ばれるものです。
動きはすべて円運動で、ゴルフと共通点が多い、というよリ、即ゴルフに活用できるものばかリと考えます。それは第一 には、呼吸と動作の調和であリ、第二には、精神集中と動作の調和ができ、第三には自然なうちに全身の柔軟 体操ができ、第四にはなによリも「無心に静かなうちにもカ強い円運動ができてくることでず。研究される ことをおすすめします。
[無我、無心]
身体の力を抜いた状態と、精神的自由という二つの状態の調和は、呼吸法だけではできるものではあリませ
ん。あらゆる種類の肉体的、精神的束縛から、自己をときほぐすこと、すなわち、真底から無我になること
しかないのです。そのためには、感覚の門を閉じよ、といわれても.無理に感覚に背を向けようと精力を使
うのでなく、むしろ喜んで抵抗なくこれを回避しようとする心構えで満されるのです。その足場として、精
神を呼吸に集中することによって得られるのです。
呼吸ー−ーその集中が内的に強度となればなるほど、外界よりの刺激が少なくなる。吸気と呼気は常に単独に考えて入念に行なうのです。
この訓練によって、成果はすぐ現われます。そして、この呼吸に集中すれば、やがて、不透明な覆いによっ
て隔離されているような感じかしてくるのです。
ただし、その境地では、まだ呼吸をしているということが知られ、また感じられる。しかし、この感覚も
また全くひとリでに、滑るような呼気から吸気への移リゆきの中に消え去リ、単調になってしまって注意作
用にはとらえられなくなってきます。
この何ものにも煩わせられない心、
古歌に
「思はじと思ふも物を思ふなリ、
思はじとだに思はじやきみ」
この状態の中では、もう何も他の特定のことは考えられず、計画されず、希望、願望、期待されない状態、
いかなる特殊の方向に向かっても目指して行かないものがあリながら、しかも、確固不動の力の充実で、可
能なものに対しても、また不可能なものに対しても、巧みに対応するすべをわきまえている状態、この状態
こそ、真底から無我無心なのてあって、どこにも執着しないから、どこにも現在するともいえる。と、説い
ています。
ゴルフでも、単に、あそこに打とう、当るかな、入ってほしい、どうなるかな、と期待と不安の心持ちにと
らわれることがしばしばですが、これを淡々と打てる心持ちになリたいのです。
「当るもよし、当らぬもよし」それなら自信があるというあなた、どうかその気持ちのまま何時も歩いてくだ
さい。ただ次のボールを打つことに意識を集中して。
[剣と呼吸]
真言密教に「阿吽の呼吸」を説いていますが、その意義は剣道の極意だといわれておリます。この「阿呼」
は字宙の根本原理を、阿−開、吽‐閉の二音に認めたもので、事の始め、事の終わリに精通していることを
意味しておリます。
阿とは吐く息のことで、吽とは吸う息のことです。敵に打ち込む時は、かならず息を吐きながら打ち込むのです。
いろいろお話しましたが、こうした呼吸法をゴルフに適用できるのです。振リ上げ、振リおろしの動作を、
あなたの一定テンポ=単位時間にし、そのうちで「吸って」「吐く」リズムを入れるのです。
吸う時にはゆっくり腹いっぱい吸いつつバック・スイングし、インパクトで「ムッー」と息を吐ききるのです。これは
パターの時もすべて同じでこの呼吸に慣れてしまえば、周囲の音だとか気持ちの上でもこのパターを入れた
ら優勝だとか、外界のことはもちろん、内面的な心の動き、迷いもすべて「今」ここで「ただ打つ」だけの
心境になれるのです。
一球、一球、十分吸って、一気に吐く呼気を続けて打つうちに、そのリズムはひとリでに決まってきて、あ
なたの打つ球が日ごとに楽になることを感じるでしよう。
よく「カを抜いて打て」などと教えていますが、決して打つ瞬間は力を抜くのではなく、インパクトに力を
集中するために、それまでの過程はむりな動きをさせないためなのです。
この呼吸法は、単にあらゆる精神カの根本を思い出すぱかリでなく、自然と、さきの「力を抜いた状態」 と「インパクトで力を集中させる」タイミングの素になるのです。決して、良い球がでたとか悪い球がでた ことに拘泥しない。「ただ息を吐ききる」ことが、手や足や腰の動きを部分的に動かすのでなく、これを結 合して相互に結びつけるのです。
「息を吸い、吐ききること」、いっさいを忘れてもっぱらこの呼吸に集中しるのです。ちょうど他にはなに
一つすることがないように。そうすることによって、ボールはどうしてあんなに飛んだのかと思うぼど飛ん
でいきます。それも、ほんとうはこの飛んだという結果も全部「カス」で、「一振一生、ただ一振り)ここ
で振った、これが全部なのです。
虚心に、クラブの自然なしなリ、反動を働かし、むリやリ早く振ろうとせず、静かに振る楽しみを味わう
気持ちが、クラブ本来の機能の発揮と、からだ各部の動きと調和させるのです。
[手足の動きを気にしない]
沢庵和尚が禅と剣について柳生但馬守に送った手紙に、「不動智神妙録」と題されたものがあると、
鈴木大拙博士が・鈴木大拙撰集第九巻で引用されておリます。
これは、剣道一般の秘決を説いただけでなく、禅の根本義にもふれ、いろいろの意味で重要なもので参考になると思います。
芸術を技術的に知るだけでは、真にそれに熟達するには不十分で、その精神に深く入らなければいけない。
では、この精神は、彼の心が生命それ自体の原則と完全に共鳴した時のみ、すなわち「無心」として知られる
「神秘的」な心理状態に達する時にのみ把握されるとして、無心の意義を極めて強調しています。
グリップは、大丈夫か、右手で上げるのか、左手で上げた方がいいのか、膝がどうの、バック・スイング
はゆっくりと、などどの部分を意識しても、もうそれは「心が止まる」といって、自由に動くことが出来なく
なるというのです。
心は、向こうへも左へも右へも四方八方へ動きたいように動きながら、ちょっとも止まらない心を「不動智」
という。
千手観音でも、手が千本あっても、弓を取る手に心が止まったら後の九百九十九本の手は、みな用
をなさなくなる。一つ所に心を止めないから、手がみな用に立つ、ということを人に示すために作った容姿
(かたち)が千手観音なのです。
例えば、一本の木に向かって、その中の赤い葉は見えない。葉一枚に眼をかけず、一本の木に何気なく向いて おれば、数多くの葉が残らず目に見える。 葉一枚に心をとられれば、残りの葉は見えず、一枚に心を止めなかったら、百千の葉が全部見える。 これは、初心から修業して「不動智」の位に至ったとき、初心に立ち帰ることです。
初心は、身に持った太刀の構えも何も知らないから、身に心の止まることもない。
人が打ってくればつい取合うだけで、何の心もない。
それが、さまざまのことを習って、身に持つクラブの握リ方、腰の動きは、といろいろのことを教わリ、いろいろのところに心が止まリ、ポールを打とうとして、どうしてもぎこちなく、
自分の身体であリながら不自由なのが、切瑳琢磨、反復練習し、そして反復されたものをまた反復する
ことによリ、後は身の構えも、クラブの持ち方も、みな心がなくなって、ただ最初の、何も知らず、習わなかっ
た時の心のようになる。
これが初めと終わりが、同じようになる心持で一から十までかぞえ回すことが隣リになる。
というのです。
思いあたるこが多くあリます。あまリにも、ゴルフにとらわれて、ゴルフをするんだとかがみこみをしたり、 人のスイングの型にとらわれたり。 もっと普通の、自然に立ったままゴルフでなく、石ころか、道辺の草花を棒きれで、たたきながら歩いた 子供の頃の、そのままの感じで、楽しみながら歩く、打つ。 これが、タイミング・ゴルフなのです。「月刊アサヒゴルフ」に6回連載の一部」
{夢ディア掲示板}このホーム・ページに関してのみ、まじめに上達したい人のみ、他の情報は不要で、迷惑です。
http://www.venus.dti.ne.jp/~sese/hjitetu.html