その1 鎌田あたり
ダンガンの歴史をひもとく前に、リーダーの“タメ”および“キンチャン”を育てた
鎌田という街を、皆さんに紹介してみたいと思います。
まず、国鉄の蒲田駅東口から約1km羽田方面に歩くと、京浜急行の蒲田駅があります。
その途中のアーケード周辺を『飲んべ横町』と呼び、新しいズボンは古いトレパンにか
わり、お小遣いは、カツアゲ(恐喝)のために「定期代なんです」と同情をひかねば通
れないエリアになっているのでございます。
また、蒲田駅西口には『サンライズカマタ』という日の当たらぬ商店街があります。
そこのイトーヨーカ堂の鳩マーク入りパンツをお袋が買ってきたとき、「BVDじゃなきゃ
イヤダ」と騒いだ中学時代がしのばれてるのでございます。
高校は都立高校でしたが、「俺の地元は鎌田だ」というだけで、献上品でビルが建つ程
でございました。
国鉄蒲田駅から半径2km周辺を“鎌田”と考えてもらえばいいでしょう。そこには
ダンガン・ブラザース・バンドを支える義理、人情、やさしさ、ソウル、ブルースが
5時半の工場サイレンの様に流れているのでございます。
さて、次回は初めてギターを買ってもらった日の事や、キンチャンとの出会いの事など、
鎌田を舞台にくりひろげられる思い出の数々『天地真理にあこがれて』をお送りしたい
と思っております。
著・中島タメ文明
その2 天地真理にあこがれて
小学校6年から、高校2年まで私が柔道一直線だった事を知る人は以外に少ない。大
田区では有名な「斉藤道場」、学校を病欠しても、うそ泣きして通ったのだった。
中学に入るとTVで『時間ですよ!』が始まり、柔道の稽古が終わると商店街をマッハで
家路につくのでした。なぜか!ああ思い出すだけでいき(射精)そうなナイーブな感性、
「今夜も2階の真理ちゃんに会える。」その熱い想いは、いつしかミーハーとなって日劇の
最前列で「真理ちゃん」と小声でうるむまでに昇華してしまったのでありました。「真理
ちゃんの歌を自宅で唄いたい、有名になってデイトしたい、それにはあの白いギターが
どうしても必要だ。」と、三段方式にのめり込み、ディスカウントショップで前から目を
つけていた白いギターを五千円で手に入れたのでした。「貴方を待つの、テニスコート
?♪」気持ちの先走るカッティングで唄い始めた中島少年の心に、音楽の太陽が昇るの
でした。周囲のミュージシャンがビートルズだェッペンリンだと昔し話しをする時、う
つむく私に真理ちゃんは今でも優しいのでした。
ちょうどその頃、中学2年では異例のスピードで、柔道部のキャプテンになった私の
前に、トルコ行進曲をバックに力まかせの技をかける、ダンガン恐怖のギタリスト、中
村信吾が登場するのだった。
著・中島タメ文明
その3 キンチャンとブルースの旅
中学時代は柔道一直に時終わり、キンチャンとも先輩後輩の関係で終わったのでした。
そして、鎌田に何度目かの朝日が昇り、私は都立雪ヶ谷高校に入学したのでした。ツェッ
ペリンやグランドファンクの嵐の中、泉谷しげるの詩、B・BキングのE7へと、心は次第にブ
ルースに染まって行くのでした。
高校2年の新入生歓迎会の日、ボンタン(太いズボン)に中ラン(長い学生服)の一年
生がいるという情報が食堂に流れ、「どうれ」と用心棒風に校庭に出てみるとレスリーウ
エストの様なヘアースタイルで不適に笑うキンチャンが、いるのだった。
自宅に白いピアノを持ち、3歳からピアノを習い、ビートルズ、サイモン&ガーファ
ンクルを愛するという生い立ち、「違い過ぎる!」とマウンドにひざをついた私でしたが、
作り笑いですぐに仲間にするのでした。「青春とはブルーノートだ!」と訳の分からぬ論
理のもとに、符面の読めるキンチャンとラグタイムブルースバンド“リバーサイドボーイズ”を
結成したのでした。そして、文化祭で調子にノッて「プロになる」と言ってしまったので、22
歳でデビューするまで2人でいける都内のライブハウスのほとんどで、ブルースをするので
した。RCのチャボや清志郎くんともセッションしながら、次第にロックに目覚めてゆくのでした。
次回は「自転車に乗った幸ちゃん」をお送りします。お楽しみに。
著・中島タメ文明
その4 自転車に乗った幸ちゃん
遅い朝に目覚めた私は、渡辺貞夫をコーヒーに浮かべて、気分はすっかりアフリカンに
しているのでございます。さて、「アーリー・モーニング・レイン」でデビューしたダン
ガン・ブラザースでしたが、業界の“ロックバンドは食えない神話”に阻まれて、貧しい
のでした。夢に見る印税生活とアルバイトの日々の隙間に、サムクックは悲しく、そして
美しい。
ある日、女優のバックバンドという仕事が舞い込み、さっそく渋谷のスタジオへ行くと、
運命のイタズラネ。そこにドロップ・ハンドルの自転車にまたがった大谷幸がいるのでした。
今のようにヒゲもなく、妻もない下北少年の幸ちゃんと私は、女の話で打ち解けるのでした。
下北から鎌田まで、真夜中に自転車でやって来て「昨日、青山まで走ったよ」などと
いう幸ちゃんの体力に、私は音楽以前のあこがれを抱きつつ、強気にタバコを喫うのでした。
その後、約2年、幸ちゃんはベースキャンプ回りのバンドに参加し、ダンガンもメン
バー・チェンジを機会に、エピックソニーからビクターに移籍するのでございます。その時、
すかさず幸ちゃんにTELする私は見上げたリーダーなのでした。幸ちゃんからサティを
教えられ、お礼に『火宅の人』を返すやり取りは、ダンガンのパワーの源なのでした。
そして、今日もリハーサル・スタジオへドロップ・ハンドルで来る幸ちゃんは、音楽以前
の見上げた体力番長なのでした。
著・中島タメ文明
その5 川越ケンジは円い顔
ドラムスのオーディションは、ある晴れた日に行われた。私と幸ちゃんとキンちゃんは、
麻生のアクエリアス・スタジオのおばちゃんとお茶を楽しみながら、サザンの松田君の紹
介でやって来る川越ケンジを待っていた。
スタジオの外では、初夏の日差しが舗道で4ビートを刻んでいた。川越ケンジは円い
顔で四角いスネアケースを持って入って来た。そして、深々と頭を下げたかと思ったのは
気のせいで、背が低いだけだった。
オーディションはGのキーで始まった。フィンガー・プレイから始めて、リップサービス、
ボディ洗い、スケベ椅子の使い方、本番と、次々にエスカレートしてゆき、最後はベッ
ドの上でフィルコリンズまでしてしまうのだった。
私がレオタード姿で彼の側に駆け寄り、「私達が手を組めばブロードウェイだって夢
じゃないわ!」とコーラスラインしていると、昨年の5月に退めた今井智の空席で、ケ
ンジは頬を染めていた。
研ナオコ等の歌バン(歌謡曲のバッキング)の仕事のせいで、営業ノリのその顔には、
ほとばしるロックの熱い魂の様な、爆発にも似た喧噪的な16ビートの汗が光っていた。
「後はベーシストを探すだけだ」、とマネージャーの高野キンヤが電卓をはじきながら
つぶやくと、それを聞いたケンジは、「俺、いい奴知ってる」と右手を差し出すのだった。
仲々しっかりした奴だと幸ちゃんと私はテレて笑った。
著・中島タメ文明
その6 ダンガンの新学期
沈丁花の甘い香の街角を抜けると、そこはビクター青山スタジオだった。6回に渡るこの
連載も、いよいよ最後をむかえ、私はスタジオのカフェでベーシストの藤田光則とギター
リストの小倉良の紹介、そして、LP『大吉』のPRをいかに4百字にまとめるかを考えな
がら、甘い紅茶を苦い思いで飲むのだった。
藤田光則は、ブラコン藤田と呼ばれるほどの国人音楽ファンで、ソウルブラザーと呼ば
れる私とは、スケベという点で一致するのである。
小倉良は、キンチャンとは対照的なギタリストで、バンヘイレンのコピーが上手いので、
ついつい入れてしまったのである。が、「タメのバラードは最高だよ!」、とおだてる気く
ばりには、カワイさを隠し切れない私なのだった。
幸ちゃん、キンチャン、健二、光則、良、私。この6人にゲストを迎えLP『大吉』が
完成したのである。数回のメンバー・チェンジにもめげず、ダンガンを続けて来て良かっ
たと思う。それは『大吉』というニューLPの中に感じてもられるとおもう。アレンジも
コーラスも新生ダンガンの音になっている。久し振りにイイ汗をかいたレコーディングだ
った。
来週からは2週間のツアーが待っている。ジャンプ力をあと10センチ増やしてツアーに
出よう。ファンのみんなやスタッフの人達が『大吉』に成る様に祈りながら、俺は今夜、
近所の神社の階段でマラソンをしよう。GO GO DANG GANG。
著・中島タメ文明
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