転載元「ものとあらわれ」(図録、和歌山県立美術館、1997.2.28、P36-39)

美術館と奥村泰彦氏の許可を得転載



笹岡敬

現在、笹岡敬は水に対して光や熱を作用させることによって生じる現象を、作品として呈示している。「光」と「熱」は、発光体が熱を生じ、また発熱体が発光するという意味では同義であり、実際に作品を構成する機具がそのようなものであることが、積極的に利用されている。

笹岡自身が美術家として活動をはじめたのは、1977年「狂転体」というグループの結成からである。彼らの活動は、現代音楽やパフォーマンスを中心とするものであった。(1)例えば交差点をわたりながら、周囲の騒音の録音と再生をくりかえす、あるいは、湿地帯に巨大な綿の立方体を投げ入れる、また、商店街のスピーカーを借り切って、歩行者天国にミュージック・コンクレート作品を放送するなど、概念性の高い活動を精力的に行なっていたようである。

1983年の狂転体解散から、有地+笹岡による発表がはじまる1988年までの5年間、笹岡は個展やその他のコラボレーションにより作品発表を行なっているが、その後の活動につながる表現は、この間、徐々に形成されていったように思われる。

注目されるのは、1979年の個展から始まるトレーシング・ペーパーの使用である。絵画における地と図の問題を意識してということだが、半透明の素材を用い、それを壁に直接貼り付けるという方法には、透明を装いながら確固として存在するものを現わそうとする志向が認められ、それが後年の水による作品へと発展していくことが予想される。1982年からは、透明なアクリル板が用いられるようになり、透明な素材への志向がより明らかになる。基底材を透明にすることで、その上に施された絵の具のドリッピングという形象自体を空間の中に自立させ、さらにそれが空間の中でゆれるように設置される。これらの作品を通して、透明なものと、それをさえぎるものの間に生じるゆらぎによる表現が、徐々に形をとりつつあったと見ることができよう。

有地+笹岡による活動の開始は、笹岡自身の表現にとっても大きな展開点となったようだ。それまでの透明な素材や、ゆらぎへの関心が、「水」を用いたインスタレーションという形で、表現として一気に飛躍したのである。

だが、《WATER》という題名が有地+笹岡と笹岡個人の作品の双方に用いられていることからも、当初はこの両者の表現は混ざり合いながら進められていたように思われる。ともに、水と光の関係(反射や屈折)を作品として純化するという問題意識によって制作が進められており、強いて異なる点を探すならば、笹岡にあっては作品の発する音に対して、より意識的な取り組みがなされていたことがあげられる程度ではないか。

この両者の表現がはっきりと分かれ始めるのは、有地+笹岡が《LUMINOUS》シリーズを開始することで、笹岡個人が《WATER》を専ら追求することになる1992年からと言えよう。この年の《WATER 1992》は、ヒーターに水滴が落下するという極めて単純な作品である。だがそれゆえ、温度によって変わるヒーターの色や、そこに当たって飛び散る水滴、ゆっくりと立ち上る湯気、瞬間の蒸発という、水のいくつもの表情を見せる。また、それぞれの状態で生じる音の違いも強く意識させることで、一滴毎の水滴が落ちる間の時間の経過も含めて、見るものの作品に対する集中度を引き上げる、緊張感の高い表現が達成されていた。

だが、高温になるヒーターによる表現は、笹岡にとってまだ遊戯的な要素の強すぎるものであったかも知れない。翌年からは、光源であるライトを熱源としても用いることで、光と熱と水とがゆっくり反応しあい、作品の置かれた空間全体を異質な場に変えてしまうことを、より強く意識した表現に移っている。

近作では、水槽の中のライトから発する熱で蒸発した水が、再び結露してライトの光に影響を与え、作品の置かれた空間全体の光をゆらめかす。水槽の中では、蒸発、結露、降雨という、自然界での水の循環が小規模に行なわれているのだが、そのような水にまつわる過剰な連想は、できるかぎり排除すべく、造形は行なわれている。水についての豊かな物語に依存することなく、ただ物質としての水と、それが引き起こす現象だけが切り詰めた形で呈示されることによって、逆に作品を見るものは現象へと巻き込まれ、常に法則的でありながら、かつ唯一無二である時間を作品と共有することになる。

笹岡の作品にあって、ゆらぐのは水と光のみでなく、作者と作品との関係、作品と鑑賞者との関係、そして作品を見るという行為そのものでもあるのだ。


(1) 有地+笹岡結成以前の笹岡の活動について、筆者はほとんど未見であり、特にパフォーマンスやインスタレーションなど、一回性の強い表現が多いため、ほとんど記録に頼った論攷であることをお断りしておく。



有地左右一+笹岡敬

有地左右一と笹岡敬が、コラボレーションによる作品を発表しはじめたのは1988年のことである。笹岡敬は、「狂転体」というグループによって、作家としての活動を開始しており、有地とのほか藤本由紀夫らと、いくつかコラボレーションによる作品制作を行なっている。コラボレーション、複数の作家が共同して一つの作品制作にあたるという方法に対して非常に意識的に取り組んでおり、またそれは彼自身の文章からもうかがうことができる。

それによれば、有地+笹岡の場合、「作品の帰結状態を想定して、それを基準に制作を進めていく」(1)という方法によって、作品は制作されている。コラボレーションでしばしば問題にされるのは、「相手とどの部分を分担しているのか、そうしてお互いの個性はどの様に表現されているのか」ということであるが、有地が個人での作品発表を行なっていないため、有地+笹岡というコラボレーションにおいて行なわれていることと、笹岡が個人として追求していることが、どのような点で異なり、また互いの表現をどのように実現し合っているのかを見極めることは、必ずしも容易ではない。しばしばこの両者の問題意識は重なり合い、時には区別できないようにも見える。そのため、笹岡の発想に対して有地の技術的サポートが加わるのが有地+笹岡に過ぎないのではないかという誤解も生じる。

しかし笹岡自身、コラボレーションという制作方法に対して、次のような期待を述べている。「表現の独自性と本質的な意味での個性が、歴史的意味合いにおいて喪失しつつある現在、逆にその独自性を明確にするために個を放棄する事が、効果的な可能性を開く力となり、個を回復する手掛かりとなるのではないだろうか」と。

この展覧会への出品要請に対して、笹岡個人と有地+笹岡とを別のものとして出品してはどうかという申し出があったことは、この文章から7年を経て、ここに記された「個の回復」ないし、彼らそれぞの表現が確立したという判断があったものと考えてよいだろう。さらに言えば、有地+笹岡というコラボレーションを通じ、有地+笹岡という美術家のみならず、それと同等の重みをもって、現在の笹岡敬という一人の美術家が再度確立したとも言えそうである。

有地+笹岡は《WATER》と題された作品によって、その活動を開始した。水面に細波をたて、そこにいくつもの方向から照明を当てることで、光のゆらめきが空間を満たすというものである。水、光、波紋、反射という、まったく何の変哲もない、どこにでもありふれた物質や現象が、考えられるかぎりもっとも無垢なままで呈示されている。作り手の作為は、その作為自体をいかに捨て去り、現象のみを呈示できるかに向けて働いている。まさにそれゆえ、見るものの意識は波紋や光のゆらめき自体に集中せざるを得ず、ただゆれる光の中に身を浸し、作品と時間を共有することが可能となる。20世紀の美術においては、芸術家の過剰な自意識を排除するために偶然の導入が計られたが、そのような偶然を生じさせる一つの装置として計画された作品とも言えよう。そのため水は、作品の中では非常に大きな位置を占めるものでありながら、例えば「万物の根源である」というような、過剰な意味づけから逃れ、ただの素材に過ぎないことを強調するかのように、無骨な容器に入れられ、表情を消しさるように仕組まれているのである。

このような方法論は、笹岡と有地+笹岡に共通するものである。

1994年からの、《LUMINOUS》シリーズの開始によって、有地+笹岡の表現は大きな展開をとげる。《WATER》における水と光による表現が、専ら笹岡個人の造形として追求されるようになる一方、有地+笹岡の作品は、蛍光灯を中心とした人工的な光源による、光の表現に絞られていく。

高周波によって一部分だけが発光する、あるいは光が羸動するように明滅する蛍光灯。また、ミラーボールによる空間の特殊化。電気による人工光源の発明以来、かつては崇拝の対象であった光は、まったく世俗的な道具の一種に過ぎないものとなりつつある。有地+笹岡の作品は、その元凶とも言うべき電気機具をそのまま使いながら、聖俗どちらにも属さない光のありようを示す。それらは、われわれの日常をあたりまえのように満たす光を、その場所にしかないものにしてしまう、特別な装置であり、時間の中に展開することによって、逆に無時間的な、あるいは時間を超越した絶対的な体験を与えてくれるのである。


(1)笹岡敬、「コラボレーション考」、長谷川敬子・原久子編集、『ART & CRITIQUE』No.13、1990年8月号(京都芸術短期大学、1990年)27−29頁。以下の引用もこの文章による。


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