鎌倉峡〜百丈岩 羽束山 虚空蔵山 ●三草山 ●摂津峡

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鎌倉峡〜百丈岩
●コース 道場駅⇒関西セミナーハウス⇒平田配水場⇒出合・百丈河原⇒鎌倉峡⇒百丈岩
        ⇒道場駅
●コースタイム 3時間
●アクセス JR大阪駅A番線9:40発⇒西宮名塩10:11着。名塩で乗り換え10:15⇒道場
        10:23が便利。東西線利用は尼崎駅9:45発で宝塚乗り換え。


●観光  二郎のいちご狩が有名です。ハウス苺は4月から。路地苺は5月中。¥1200
      波豆川と羽束川の一部を堰き止めた千苅貯水池では毎年4月に桜まつりが。

●ポイント 3面が谷底にそそりたつ高さ約60mもある巨岩・百丈岩。ロッククライミングの
        練習に利用されています。

●参考 「阪急ハイキング」

※ ちょっと足を延ばせば‥‥月見橋、太福寺、中野古墳群、鏑射寺(かぶらいじ)などの見学も
よいです。関西セミナーハウスからR176号線に下れば、三田屋のハム&ベーカリーレストラン
“サンマルク”でのランチがおすすめ!

サンマルクは西宮市の北部、中国道・西宮北インターをおりてすぐです。
鎌倉峡周辺1/21000地図

ハイキング会報から平日ハイキングの報告
 天気予報では雨の予定。とりやめか、あるいは“いちご狩り”ができたらいいなと迎えた当日、
曇りながらも、さわやかな風と、暑くもなく寒くもない絶好のハイキング日和。
メンバーは神戸電鉄の改札もなく、田んぼの中にポツンとある鄙びた中にも風情ある二郎駅で9時30分  
待ち合わせです。
 案内されハウスのいちご畑へ「朝御飯、食べるのやめとけばよかった」気付くのが遅かった!
1時間ほどいちご狩りを楽しみながら大学セミナーハウスを通り過ぎ、目に眩しいほどの新緑に魅せられながら
いつの間にか鎌倉峡まで。
12時。ここでトイレ休憩。九州の田舎で育ち、野山をかけまわった私は何故か、この感じ妙に落ち着き、今から登る
岩場を見るとちょっと靴に不安を残しながらも、ワクワクで
「よし、ひと登りするぞ!」前回に比べると何という余裕でしょうか。すごい岩場、このクサリ。
でも、何故か楽しいのです。
百丈岩の上で写真とお弁当、Fさんが持参してくれた冷えた缶ジュース。
山の頂上で飲む、冷えたジュースの何と美味しいこと。ご馳走さまでした。
 三田市のニュータウンがパノラマのように広がり、絶景かな、絶景かな。これだから山登りはやめられないので
しょうか。1時間ほど休憩の後、JR道場駅に向けて出発です。
落ち葉を踏みしめる音、小川のせせらぎ、山のにおい、自然って何て素晴らしいんだろう。
そしていい天気に恵まれたことに感謝し、次回を楽しみに帰路に着きました。
午後3時過ぎ、ポツポツと降ってきました。また機会をみつけ、日曜日にも参加したいナ。
記:Misako (兵庫)



羽束山524m
●集合  JR福知山線・三田駅  AM10:00
●コース 三田駅⇒東武行きバス20分⇒香下バス停⇒香下寺⇒六丁峠⇒羽束山
       524m⇒山田⇒木器バス停
●アクセス 大阪発快速@番ホーム9:15⇒尼崎9:22⇒宝塚9:40⇒三田9:55着

●バス 行き・三田⇒東武行きバス 帰り・木器⇒三田行きバス
     バス問い合わせ先・神姫バス0795−63−2305

ポイント 山頂には神社があるので、休憩によいです。すぐ近くに三田ガラス工芸館もあるので
見学してみてください。逆コースなら、ガラス工芸館でサウナや温水プールも利用できます。
羽束山はお正月の初日の出登山で登られる市民に馴染みの深い山でもあります。

● 志手原・高平周辺では初秋、白い蕎麦の花が田畑を埋め尽くし街道を往来するドライバーの心を
なごませてくれますよ。
蕎麦の白とコスモスのピンクが里山の田園風景に色を添えてます。

●参考 「山と高原地図 北摂の山々」
有馬富士周辺1/21000地図 羽束山周辺1/21000地図


●羽束の里のお話

 昔、舒明(じょめい)天皇が有馬温泉に湯治に来ておられた時、羽束(はつか)山の観音様に猫間中納言定頼
を代参されました。
すると帝の病がたちまち治ったので褒美のしるしに羽束の里と近在の土地を中納言に与えられました。
中納言は三田の山奥の母子に住み、ある日道端に咲く可憐な黄色い花を摘んで帝に献上しましたら、それを大変
お喜びになったので毎年かかさず届けたそうです。
中納言亡き後も、妻とお姫様が帝に贈り続け、その花は「奉公草」とよばれるようになり、いつしか「母子草」と語ら
れ可憐な黄色い花の咲く地を“母子(もうし)”と呼ぶようになったといわれています。
羽束山の山頂の観音様にはずいぶん古い歴史があったのですね。

●有馬富士公園周辺の地名と「福島大池」の由来

 奈良に都があった頃、行基というお坊さまが諸国をまわって修行されていました。
三田の川除(かわよけ)を通られた時に、村が洪水に悩まされていることを聞かれ、治水工事をすすめられたそう
です。用水路を引き、村から川を遠ざけたんですって。川除(かわよけ)の地名はここからきているのですね。
そして有馬富士の福島周辺では日照りが続くと水が涸れてお米の凶作がよくあったのだそうです。
そこで谷川をせき止めて池を造ったら、どんなに日照りが続いても水を流すことができたので、毎年豊作で村人
の暮らしもとても豊かなものになりました。
村人はこの村を「福ノ島」、この池を「福島大池」と呼び、人々に親しまれるようになったと伝えられています。

●高平・十倉城の異変のお話

  時の十倉城主・森本道賀(みちが)は、奥方様を赤松氏の一族から迎えておりました。
そのうち「奥方は敵方の回し者らしい」という噂が広まったので無実の疑いをかけられた奥方様は強く否定したが
逆上した道賀は奥方様の首をはね、首と胴を別々に埋めてしまったのです。
その後、首塚や館に亡霊が出はじめ、奥方様の夢にうなされ自分の仕打ちを悔いた道賀は、首と胴を一緒にして
丁寧に弔(とむら)いました。
それからは亡霊も出なくなり、もとの平和な十倉に戻ったといわれています。
十倉だけではなく、どこにでもあったであろう戦国の世のちょっと哀しい物語ですよね。



空蔵山〜立杭の里
●集合  JR福知山線・藍本駅 AM10:20
●コース 藍本駅⇒酒垂神社⇒虚空蔵堂⇒丹波岩⇒虚空蔵山⇒立杭焼き・陶の郷工芸館
●コースタイム 2時間20分
●アクセス 帰りのバスの問い合わせ先
          <神姫バス>神姫バス三田営業所 0795−65−5711
           (念のため事前に確認してください)

●ポイントビュー 標高596m、270度の展望がひらけている。

●観光 丹波焼きは、日本六古窯のひとつ。必見の価値ありです。1日体験陶芸教室も。

●参考 「京阪神ワンデイハイク」

空蔵山周辺 1/21000地図 

■三田焼き見聞学

 三田焼きの創業は小西家の金兵衛という人が、志手原(しではら)という地で陶器を焼いたのが始まりと
言われています。
数代後の又兵衛へと続き、江戸末期に窯を閉じることになりました。
明治の初めに、その子供である藤兵衛&常吉兄弟によって再び、三田焼きは再現されるのですが、初代金兵衛の
手法とは幾分違いがあるようです。
そしてその窯は明治後半にまた、閉じるわけですが、藤兵衛の6男、百助が大正8年、志手原新窯を開き復興に
努めました。これが三田青磁といわれるもので、中国の青磁とは微妙に色合いが異なりますが、その工法は高く評
価されています。

 三田青磁の試作に尽力した内田忠兵衛は、三田本町の畳職人の家に生れましたが、陶芸家になることを志し、
この金兵衛に弟子入りしたと伝えられています。
独立した忠兵衛は、砥石川で青磁の釉薬(うわぐすり)の原石を発見して文化4年に青磁焼きに成功したそうです。
文化4年とは、今からおよそ200年ほど前のことです。
 一昨年、TV「なんでも鑑定団」で三田青磁が取り上げられ、高い評価を得たことは記憶に新しいですね。
そんな歴史もあって、三田には陶芸作家がたくさん住んでおられます。

焼き物こぼれ話


 陶器と磁器は原料の違いから陶器を土物、磁器を石物とよんでいます。
その磁器の原料である石を陶石と呼ぶわけですね。石ならなんでもいいってわけじゃないのです。
 陶石の産地としては、日本で最初に磁器が焼かれた佐賀県有田の泉山、熊本県の天草陶石、石川県の服部陶石
が有名です。
では、三田焼きの原料となる陶石はどこで採掘されたのでしょうか。
三田市の北西部の日出坂の山の頂上付近に採掘跡があるそうです。陶石を砕き、水の中で撹拌し泥状になったら
上澄みだけを取り、その工程の繰り返しで粘土状にします。
なんだか気の遠くなるような話ですよね。手作業だった時代には、磁器はとても高価なものであったと思います。
個人的趣味で磁器のほうが好きです。ボーンチャイナはもっと好き!

記:Fuji(兵庫)



三草山423.9m
●集合 JR福知山線・相野駅 9:30
●コースタイム 3時間弱
●コース 相野駅⇒車移動⇒鹿野冷泉⇒古墳群⇒鳥居⇒第二ベンチ⇒三草山423.9m
        畑コース⇒国宝朝光寺⇒つくばねの滝⇒車移動⇒相野駅
●アクセス 大阪・神戸方面からはJR東西線・尼崎駅AM8:43発快速⇒相野駅9:25着が便利

●バス 

●ポイント 源平古戦場跡・三草山
注意:能勢町の奥に同名・三草山〔オオクワガタの産地)があるのでまちがえないでね。
社町・三草山周辺 1/21000地図

■源平古戦場跡 三草山について

 三草山は、標高423.9mの三草山合戦で有名な山で兵庫文化100選にも登録されています。
位置は清水スポーツガーデン・東条湖ランドの近くといったほうが分かりやすいでしょうか。では、三草山について
簡単な説明を、兵庫100選ガイドから引用して御紹介致します。
 平家物語によりますと寿永3年(1184年)2月源九郎義経率いる1万騎は、丹波小野源(今田町)に布陣し夜半、
民家や山野に火を放ち、三草山西の山口に陣取る小松三位中将資盛ら平家7千余騎を襲撃、平家の軍勢は、不意
の夜討ちに弓矢を取るいとまもなく、屋島を敗走していったのです。
 またそれから後、南北朝の時代、播磨から京都に入る要衛の地として三草山に城がありました。
城主は、赤松出羽守則友といい、建武、文和のころ山名氏との戦いにおいて軍功のあった人です。
今も頂上付近に残っている土器は、当時のなごりです。
 現在の三草山は、畑、三草、鹿野と3ヶ所の登山道(三草山遊歩道)がつき、山頂には、シンボル塔、記念碑、方位
案内盤、記念スタッフ箱をそなえ、京都北野神社から歓請し、菅原道真を祭った「三草山神社」があります。
山頂から見渡しますと、西国25番札所霊場、御獄山清水寺や、国立兵庫教育大学のある嬉野台、社町の町並みは
もとより遠くは、明石海峡、淡路島から加古川、高砂の臨海工業地帯をも一望できます。
記:Fuji(兵庫)



摂津峡
●集合  JR東海道本線 高槻駅  AM10:05
●コース 高槻駅⇒阪急バス15分⇒上ノ口⇒摂津峡⇒桜公園⇒武士自然歩道
●アクセス 東海道線・新快速JR石山駅9:31⇒大津駅9:35⇒京都駅9:45⇒高槻駅9:58着   
        快速JR明石駅9:05発⇒三宮9:22大阪駅9:45⇒高槻駅10:00着

       (自宅から上記の電車時間を考慮し、最寄駅までの時間は各自で調べてください)

●参考   「山と高原地図 京都西山」
●摂津峡周辺 1/21000地図


●摂津峡は、八畳岩や屏風岩など太づくりな岩が渓を狭め、2キロばかりの間、見事な光景が展開されてい
ます。昭和10年に名勝記念物となり、昭和29年に自然教室の指定となりました。
摂津峡は耶馬峡にちなんで名づけられ、峡の石を盗んだ事件を取材に来た新聞記者が紹介する表現に用い
たのに始まるそうです。


●新緑に包まれた摂津峡・日曜ハイキングに参加して

 心配していた昨夜来の雨も上がり、4月19日のお天気は晴れ。
集落の石垣には初夏を感じさせる青紫色のオダマキの花が私たちを迎えてくれました。

              「雲行きて おだまきの花も家もなし        秋桜子」

みなさまから気持ちよく声をかけてくださり、楽しい山行ができました。本当にありがとうございました。

 翌日勤めから帰宅後、地図を手許に机上の山行をしておりましたところ、Fujiさんからの電話で「是非、
感想文を」との依頼を受けました。苦手な文章作りに挑戦しております。
 5年前、富士山をきっかけに時々、毎日旅行の登山に参加したりして、最近では昨年の10月初旬、磐梯山・
吾妻山そして少女の頃からの淡い夢を見ながら読んだ詩集「知恵子抄」にある安達太良山へ・・・・一足飛び
に雪中登山と紅葉の山を満喫して来ました。安達太良山への行程は、事故発生後は立ち入り禁止のた為、
一部変更がありましたが、凍りつく山を滑りながら頂上を踏んで来ました。
罷り間違えれば、恐ろしい山に変化する自然の驚異に身を疎む思いですが。登山者の知識不足とでもいい
ましょうか・・・・私もその中の一人かもしれません。
この機会にもっと山への研鑚を積まなければ、と考えさせられる山の事故でした。
日本百名山で知られる深田久弥氏の言葉に
         「山の茜を顧みて一つの山を終わりけり  何の俘の我が心 早くも急がるる次の山」
そんな心境の私です。
記:Mitue(大阪)











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