〜宮之浦岳1935m〜
屋久島雨紀行


 ゴールデンウィークは、今年初の日本百名山となる、九州の宮之浦岳からスタートしました。
九州最高峰の宮之浦岳は標高1935m。
青森県の白神山地とともに平成5年、世界自然遺産に指定されました。
 屋久島は大隈諸島のひとつで、黒潮洋上に浮かぶ日本でも6番目に大きな島です。
島の5分の1が自然遺産という手付かずの宝庫なのですね。屋久島の1800m級の山々は6000万年前は
海底であったそうですが、アジア大陸からの土砂が堆積して、熊毛層群を造りだしました。
約1400万年前、地下のマグマの活動が活発になり熊毛層群に侵入し、加えて大陸のプレートにフィリピン海
プレートが沈み込んで島が隆起。
表層の熊毛層群が侵食風化して現在の屋久島が誕生したと考えられているそうです。

 仕事で帰宅の遅かった主人と一緒に朝寝坊をして、自宅を出発できたのは4月28日の正午。
GWだというのにいったいどうしたの?と問いたくなるほどの中国道をスイスイと走り、
心配していた九州自動車道の渋滞もなくて霧島SAに到着したのは午後9時30分。
お腹が空いたと言っては小休止を入れるナビゲーターに飽きれながらも、ほぼ予定通りの到着。


 4月29日、鹿児島港から8時45分発の“フェリー屋久島2”(折田汽船)に乗り込みました。3時間45分の
船旅を、サウナと入浴で費やし、映画館や喫茶ルームでくつろぎ、ひらべったい種子島を過ぎると
いよいよ屋久島です。
 宮之浦では安房までバスに乗り、そこからヤクスギランドまでタクシーを利用しました。
 1日目は淀川小屋泊まり。ヤクスギランドからコースタイム3時間と比較的早目に到着できた私どもは、2m
近くまで寄ってくる野生のヤクシカと戯れながら、その日をゆったりとした時間の中で過ごせた気がします。
 明けて30日も雨。
“花の江河”とよばれる湿地帯ではシカの白骨化した屍を発見。水場で力尽きたのでしょうか。
お花畑の中に埋もれて静かに目を閉じたのね。ついそんなイリュージョンまで覚えてしまう‥‥。

栗生岳から宮之浦岳までの登りは小雨になって、一瞬雲が途切れたんですね。
そのときの山肌の美しかったこと。鮮やかなグリーンが目に飛び込んできました。例えば日本アルプスなら、
このグリーンはハイマツなわけですけれども、笹なんですよ。
それも地面に這うように生えているハイササ。
淀川小屋を出発して、およそ5時間で山頂です。あいにくの悪天候で何も見渡せませんでしたが
「あぁ、やっと来たぞ」って感じでしたね。
ここから新高塚小屋までは、大粒の雨の中、一目散に下山。噂にきく雨粒は半端じゃないんだもの。滝のように
流れる岩場を、歩くというより急流すべりをしているというのが的確かも。
 3時間かけて山小屋に着いたものの、すでに満員御礼。
小屋といっても非難小屋ですし、管理人もいなければ炊事場もない、80人収容の小屋は足の踏み場もない状態。
外は滝のような雨。登山ガイドには、幕営禁止となっていたのですが、屋久島で配布された観光地図にはテント
場が記されているではないか‥‥!

昨年の10月、南アルプスで120人収容の鳳凰小屋に450人という体験をしていた私は、雨さえ凌げれば座った
ままで一晩過ごしてもかまわない覚悟ができていたのです。
 そんな時でした。ずぶぬれになった女性が一人入ってきたのは。
ものおじしなくて、早口の関東弁が耳に新鮮で、うんざりするような雰囲気を軽い空気に変えられる人。
タレントの山田邦子にそっくりで、そんな彼女のことを私たちは勝手に
“クニちゃん”と呼ぶことにしたのです。寝返りもうてないような窮屈さの中で、定期的に溜息をつく私の足元を
ツンツンと押して
「眠れないのォ〜?起きてよっかぁ」とクニちゃん。
早朝、バタバタと仕度を始める騒々しさの中でも、彼女は平然として朝ごはんのチキンラーメンを啜ってましたっけ。

私どもは、縄文杉で朝食をとることにして一足先に出発。
縄文杉は、平成8年に展望台が設置され、近寄って触れることができなくなっています。
当日のコースは縄文杉から夫婦杉、大王杉、ウィルソン杉、三代杉、そしてトロッコの木道をひたすら歩き、辻峠
から白谷雲水峡へ。
この分岐からの登りでは雨も土砂降り、疲れもピークに達して写真を撮る気にもなれず、ふやけた足を引きずって
歩きました。屋久島のカエルは巨大ですね !!
登山道のゆくてを阻む数は、1匹2匹じゃないので恐怖感さえ覚えてしまう‥‥。
(オーバーねぇと言われそうですが、赤道直下のガラパゴス諸島でイグアナの大群を見たような驚きに匹敵する
ものと思います。
 フェリーの最終便に間に合うようにと、大急ぎで下山したにもかかわらず、悪天候で夕方のフェリーは欠航。
最悪。GWで島内の宿はどこもいっぱいでした。
タクシーの運転手さんを拝み倒して、1泊2食付きの民宿をゲット。宿のご主人も手馴れたもんです。宿が用意した
レジャーシートの上に濡れたザックの中身を広げさせ、洗濯機と乾燥機を貸してくださり、ドブネズミと化した私たちを
即、お風呂場へ。ハァ〜 久しぶりの湯船に感激ぃ。

 翌朝、低気圧が通過した後の海岸線沿いを、のんびり歩いてフェリー乗り場へと向かいました。
お土産店でポストカードを選んでいた私の背中で、素っ頓狂な声。
「奇遇だねぇ!また会えるなんて。縁があるんだね、私たち」
インディジョーンズスタイルのクニちゃんでした。(サマになってるよ、クニちゃん。ほんまよぉ〜)
出航までの1時間余り、クニちゃんとお土産店のオーナーも加わって沢登りや渓流釣りの話に花が咲きました。
こと臨床の話では珍しく無口な主人が、クニちゃん相手に熱弁をふるってる。
クニちゃんは東海出身で北大の医学部を卒業。大学時代に北海道の山はすべて登りつくし、カナダのマッキンリーや
チョモランマ(エベレスト)のトレッキングにも出かけているツワモノです。
現在は九州の○○大学の職員で、外科が御専門とか。
山小屋で別れた後、低気圧のイタズラで小屋に泊まらずに12時間かけて一気に下山していたというクニちゃん。
(彼女の足は鉄人の足だと思う!)
フェリーの欠航で足止めを余儀なくされた私ども。当初の予定では、お互い会うはずのないスケジュールでした。
翌日彼女は、K県の山岳会のメンバーと沢登りに行く為に合流するらしい。
(おそるべしクニちゃんの足!もはや人間の足とは思えない)

 「週末、阿蘇で丸太の皮むきをしてログハウスを建てているから、山登りでこちらへ来た時には寄って
くださいよ」と彼女。 蛍の光のメロディーが流れ、瞬く間に1時間は過ぎ「じゃあ、またね」と言ってジェットフォイル・
トッピ−に乗り込みました。トッピ−とは、トビウオのこと。全席指定で片道¥7000。
屋久島と鹿児島を1時間45分で結んでいます。
(が、私個人としては、4時間かかる折田汽船のサウナ付き豪華船が気に入りました!)

 トッピ−は大きく旋回すると海面を勢いよく走り出しました。
マウンテンバイクに乗ったクニちゃんが口元をへの字にしてペダルを踏む。
防波堤の先端で両手を振るクニちゃんが、みるみる小さくなりました。蛍の光とクニちゃんのキャラクターは
アンバランスなのに何故かシリアスな気分。
 あっという間に雨雲におおわれた開聞岳が現れ、鹿児島港へ。
昼食をとり、10号線から都城市を経て、日南海岸へ着いたのは夕方の5時20分。
かつて新婚旅行のメッカといわれた日南海岸は、その賑わいも面影もなく、目的の場所も閉鎖時間を過ぎていて
ガッカリ。嵐の中、北九州の門司港へと車を走らせ、GW後半は門司〜宍道湖とめぐり蒜山へ。
 蒜山の見慣れた景色にほっとします。

屋久島への旅は、喜怒哀楽の詰まったビックリ箱を開けたようなもので、クニちゃんとの出会いは、今回の旅の
大きな収穫のひとつになりました。
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